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#765 初日でさらっと色合いを変えてきた、例の小銭入れの話。

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 えっと、日焼けさせていた小銭入れですけどね、陽が暮れるからと室内へと入れてみれば、上の写真のように、まさに日焼けって感じで、ほんのりと赤みを増していました。陽にあたりにくかったサイド面と比較すると色が違うことが分かりますかね(写真上)。  送ってくれた親友からは、子どものようにクッキーが焼けるのをオーブンの窓越しに眺めていても色は変わりませんからと、見透かすかのように言われていましたが、今日一日、似たようなことはしていました。あっちに吊るし、こっちに移し、吊す必要ないやとあっちに置いて、こっちに置いて、物干しハンガーに吊したほうがいいと言われて、吊るしてみて……。でも、鳩にいじられないかと心配になり、カラスに持って行かれないかと不安になり、風でふり落とされやしないかと気がかりになり、しょっちゅう確認していたような気がします。  さて、ここからが本題。そもそも、どうして色やけをするのかを調べたくなりましてね。まぁ、紫外線によって何かが変化するんだろうってのは推測できましたが、なめした後の革にもメラニン色素ってあるんだろうかと思って調べてみると、なめしに使うタンニンの構造分子が、紫外線によって変わるためだそうで。ですから、そのタンニンの種類やら、メンテナンスオイルやら、陽のあて方によって、色合いも変わるのだと。なるほど。  我が家の小銭入れはどのように変わっていくのでしょうかね。付属の説明書と送り主によりますと、2、3週間続けなされとのこと。って、変化を知るには、日々の記録が必要ですな。

#764 アナログ感覚とは異なる、共にいられるという暖かみある小銭入れの話。

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 昨年末にですね、財布(お札入れのみ)を買いました。特に急を迫られたわけではなかったのですが、以前より目論んでいた小銭とお札の分離管理を、行動に移したまでのことなんですが……。って、実は、この分離管理については、小銭で財布が膨らむ→ならば分離だ→購入→ 小銭入れから出すのが面倒→お札を出してしまう→小銭入れがあふれかえる→終了→数年後に再度チャンレジを繰り返していました。どこに根本的な問題があるかといいますと、小銭入れから出すのが面倒というパートですな。 自分が使っていたのは、袋状のチャック式ゆえに開口部が小さく、硬貨の種類を確認しづらく、それがゆえに小銭を出すのを早々に諦めてお札を出してしましたので。  ということから、この小銭入れと札入れの2つを使いこなすスタイルは自分には無理だという結論に達していたのですが、最近、 周囲の知人を見渡したところ、スマートに使いこなしている人たちがいました。で、彼らの使い方をよくよく観察したところ、そもそも、小銭入れが違っていました。皆が使っているのは、パカって蓋を上へと開くとプールがあって、財布を傾けるとそこに小銭がぞろぞろと下りてくる、って、なんとも表現が幼稚ですが、そんなタイプ。なるほどね、これですと、小銭の認識がしやすいですし、取り出しやすい。  というわけで、そんなタイプの小銭入れを探そうと思っていた矢先のこと、親友よりお世話になりました(たいしたことはしていないけど)というお礼とともに、おされな小銭入れが届きました。手作り感にあふれるその小銭入れは、手に触れるとさらりと馴染み、ほんわりとした暖かさがあり、それは、革製品ゆえの奥深さという表現では物足りず、そこに親しみを抱ける感覚にあふれていたと加えたくなるようなものでした。 で、そんな革製品ゆえに使えば使うほど、使い込むほどに、風合いを増していくそうですが、その前に、 まずは、日光浴が必要だとか。ということで、写真のように、早速、 日光浴させつつ、なんとなく高尾山のほうを向けてみました。お金が増えるかなって、あ、増えても、小銭か……。  深みに親しみを抱き、その変わりゆく様を愉しませてくれる、 そんな存在を与えてくれたことに感激しつつ。ありがとう、大切に使いますので。

#763 気付いたらiPadが増えていた話と、ショートカットアイコンの話。

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 とってもお世話になっているご夫妻(大先輩)の奥さんから、宛名印刷ソフトにて書体を変えたいのだけど分からないという問いがありまして、ご自宅へうかがいました。で、触ってみたものの、分からなかった、たどり着けなかった。というわけで、それは宿題として持ち帰りましたが、ゆくゆくはその奥さんもiPadを手にするって話がありまして、となると、いまさらにPCの操作法を覚えなくてもいいのではないか、と気付きましてね。 ならば、早々に移行したほうがいいのではないかと。  ……中略……、気付いたらビッグカメラの契約カウンターに座ってました。行動力のあるご夫婦だとは知っていましたし、自分も即行動派ではありますから、ま、不思議ではないんですが、客観的にあの1日を振り返ってみると、スゴかった。そして、どうせ二度手間になるならばと、そこにモバイルルーターの契約も加わりましたので、なかなかの行動力だったと思います。  というわけで、その日のうちにiPad2台の設定となりました。で、これまで使われていたご主人のiPad3のホーム画面に、以前より不思議なアイコンがあることはなんとなく気付いていたんですが、いざ再設定の段になって調べてみたら、これ、指定URLアクセスへのショートカットでした。それをタップするだけで、Safariが起動して、そのURLのページを開くというショートカットアイコン。まさに、アプリ起動感覚ですな。 いや、知らなかった。これって、いつからなんでしょうかって、調べたらiOS6にはすでにあった機能のようで。  いや、そもそもですね、アプリケーションとweb(アプリケーション)の違いは、常々、PCを使いにくく、分かりにくくしており、誰でも使えようにするという観点からすると 大きなネックになっていると感じていました。アプリケーションとは何か、webブラウジングとは何かが分かっている人には関係のない話なのですが、分からない人にとっては、それによって使い方を分かりにくくしてしまっています。たとえば、天気予報を見るにはSafariからアクセスする一方、電車時刻を調べるのはアプリから見る(実際にはアプリだけで完結しますけど)ってな、そんなところの話。 で、このURLのショートカットを使うと、webメールやらも、アプリのように振る舞うことができるわけで、そこに、iCloudキーチェーンも加わ

#762 不安定をモチベーションとしつつ、イマドキの変化には馴染めない、って話。

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 下で先が不安なんて話を書きましたが、振り返ってみると、自分にとっては珍しいことではなく、と言いますか、ずっと先に不安を抱えたままで生きてきたような気がします。って、誰でも同じだとは思いますが。逆に、もし安定してしまうと、どうなってしまうんだろうと思ったりもしますが。そうそう、以前、キミはどうにかしてしまう人だからと言われた人に、も、不安であることがモチベーションになっていると言われたことを思い出しました。そうなんでしょうかね、そうなんでしょうね、たぶん。  ま、考えてみますと、大学へ入れるんだろうか、卒業できるんだろうか、就職できるんだろうか、と考えつつも、時に諦め、時に乗り越えてきました。しかしですね、そんな不安というはつまらないものでして、これまでいちばんの不安といえば、幼少の頃に感じた、長期間の夏休みがなくなること、でした。あの休みがなくなったら、この先、どうやって生きていけばいいのだろうか、そこまで考えていましたし、それがゆえに大人にはなりたくないと常々思っていました。現実的に、フリーになったことで、その問題は半ば解決したところもあるんですけどね。いや、それが、いいこととは限りませんが。この件は、モチベーションになっていないな、と思いつつ、フリーを続けている原動力になっているような気もします。  さて、写真(エフェクトは勝手にかかってしまっていた)。レヴォーグ試乗会の帰り道にトイレにと立ち寄ったSA。リニューアルされたことは知っていましたが、江戸時代の街並みになったことは知りませんでした。このSAのテーマパーク化はあちこちで見られる手法ですが、行き過ぎなのでしょうか、それともイマドキなのでしょうか。どちらだかはわかりませんが、確実なのは、そういう流れに馴染めなくなっている自分がいること。いや、馴染めないというよりは、馴染もうともしていないといったほうが正しいかもしれません。  変化を好む反面、変化を望まないところもある。って、矛盾してますな。

#761 20年前の自作曲に聴き入るのは将来への不安があるかららしい、って話。

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 音楽ネタです。SY99に浸っていた頃の話、DTMが流行ってい頃の話。どこかでも書きましたが、当時は、皆であれこれ作って、皆で持ち寄って、カセットやらCDやらと、カタチにしていました。で、最近、実家からそんなカセットテープ版が出てきまして、聴き直してみたんですが、まぁ、これがなんとも、こっぱずかしい。カセットテープにまとめた当時はまだDTMの初期であり、音源のチープさも手伝って、いや、なんだべ、これといった感じ。でも、ないなりに工夫していました、皆。そういった観点から聴きますとね、おもしろい。実におもしろい。いや、若いなって意味合いも含めて、おもしろい。で、この音源を 当時をよく知っている親友に送ったところ、涙が出そうと言ってましたから、ま、それなりの想いがあったんでしょうな、それぞれに。  そんな自作曲はもはやデータとしては残っておらず、また、残っていたとしてもSY99以外の音源は手元にありませんから再生はできません。ただ、一部が音源として手元に残っており、 たまに、そんな過去に聴き入っていることがあるんですが、まぁ、単純にあの頃は良かったね、愉しかったね的なことに浸っているかのかなと思うこともあります。20年前の作品ね、20年前。もちろん、 誰かのために作ったとか、想いを込めたとか、そんなこっぱずかしい曲作りはしたことはなく、それぞれに思いつきと遊び感覚で作ってた記憶があります。だから、愉しかったやねが湧き出すんだと思います。  ただ、心理学的にですね、この過去に固執するというか執着するというか、振り返って良かったなに浸るのは、将来に不安に対しての逃げやら、今への不満からでもあるようで。 そう言われると、そうなのかなと思うところもあります。そうなんでしょうかね、やっぱり。

#760 ワクワクさせてくれるクルマだった、ルノー・キャプチャー。

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 さてと、試乗会レポート、第二弾と行きましょうか。今日はルノー・キャプチャー編。あれです、 #294 でも触れていますが、前回の東京モーターショーにも出品されたルノー・キャプチャー(あの時はコンセプトカー)の市販モデルですな。ま、 #722 にて、ベースになったルーテシアをあれだけベタぼめしていますから、そうなんです、悪いだろうとは思っていませんでしたし、実際に良かった。というか、単なるルーテシアの派生種ともちょっとニュアンスが違っていました。  クルマのあれこれを語る前に、まずはデザイン戦略の話についておきましょうか。最近のルノーデザインには、発見が多くて、見れば見るほどに惹かれています。それは、昔からではありますが、今回のデザインステージは、ストーリー性やら深いあれこれがあり、過去とは少々違っています。簡単に言いますとね、The Circle of Lifeってテーマが、新しいチーフデザイナーであるローレンス・ヴァン・デン・アッカー氏によって掲げられました。人ってのは様々なライフステージがあって、クルマもそれに寄り添うことが大切だって、簡単にいうとそんなテーマ性。だからといってですね、なるほどねー、ミニバンはやっぱり必要だよねー、とかそういうレベルの話ではないんですよ。どういうことかと言いますとね、まず、人は恋に落ちて人生の愉しさを知り、二人での冒険にワクワクを覚え、やがては家族となって、働き、遊び、そして、知を得て、人生を深めていくというサークル。サイクルじゃなくって、サークル。で、そのサークルの中のどこかに、皆、当てはまるんだそうです。年齢やら関係なく。クルマはそんなスタイルに合わせていくべきだというデザイン戦略ですな。まぁ、ここで、ほほぅと思われた方は、新しいルノーを受け入れられると思います。でも、ここで、なんじゃそりゃと思った方は、近づかないほうがいいのかもしれません。ま、興味をもたれたならば→ ■ をご覧あれ。  話を戻しまして、えっと、実はこれまでのルノーにはそういったデザインにおけるストーリー性が欠けていたんだそうです。ルノーってのは、デザインがあって、そこにストーリーがあるもんだとばっかり思っていたんですけど、そう言われてみますと、それぞれのデザインに理由があるようで実はなかったりするし、次へのつながりもない、か。なるほどね、そう

#759 イメージを変えても、変わることなくエクストレイルだったって話。

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 さてと、試乗会集中スケジュールがスタートしました。ということで、まずはその第一弾、エクストレイルからいきましょうかね。そもそも、エクストレイルとの付き合いは初代から思いっきり深くはないものの、かといって浅くもなく、つまり、付かず離れずで続いています。もちろん、印象は悪くなく、まぁ、こんな感じ、そんな感じという意味合いも含めて、気さくなヤツって感じで捉えています。ですから、昨年末にデビューした3世代目モデルに対しても、あれこれを期待しつつ、試乗会場へと向かいました。ま、結論から言ってしまいますとね、エクストレイルでした。スタイル表現は随分と変えてきたなとは思いましたが、コンセプトというか、スタンスは変えていなかった。いや、それはラフロードも走れるという意味合いではなくって、パッケージングとか、使われ方の想定やら、そっちのほう。  そういう視点からすると、それを特に強く感じたのはシートのあれこれ。シートそのものは、ゆとりを感じさせつつ、物理的に身体をしっかりとサポートし、そのポジションは、アップライトに座らせつつ、SUV的なパノラマ感を与えている、ってな具合に、そのまんま。いや、数値は微妙に変わっているでしょうけども、その座らせ方も含めてそのまんま。だから、シートに座ると、目の前に広がるインパネデザインは違えども、どことなく安心できる感じにあふれ、エクストレイルにお帰りなさいと言われているかのような印象を受けます。  走りにおいてもそう。もちろん、今回は、全てが同じレベルでブラッシュアップされており、不満を抱かなくなったというところに新型のアドバンテージがありますが、根本的な味付けは変わっていません。たとえば、エンジン。2.0Lに集約されて大丈夫かなと思いつつも、パワーの面ではイマドキをクリアしています。そして、発進から加速へ移る際のフィーリングにイヤなトルク変動は見当たらず、実に良く躾けられたなといった印象を受けます。というところも、これまでどおり。で、アクセルを踏み込むと、高回転へ飛び込み、パワーを一気に引きだそうとするスタンスも変わらず。もちろん、そこで エンジンはうなりをあげますが、まぁ、許せる範囲かなってのも同じ。いや、そのトルク感やらパワー感は、もちろん先代よりもプラスされていますけども。で、シャシーはしなやかさを得ておりまして、狙いとしては従来と

#758 XVのサイドクラッディングパネルを塗ってみた、って話。

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 あのですね、 #757 で書いたサイドクラッディングパネルの件ですが、ふっと思い立って塗ってみました。フェンダーラインを途切れさせることなく、また、ラインを動かすことなく、ヌボーっとさせたらどうなるか。  で、写真がそれ。上がノーマルのまま、下が塗ったものですが、一目瞭然。ノーマルの軽快感は消え失せ、あの愉しさもなくなったように見えます。たかが、わずかを塗っただけですが、ここまで変わることを分かってあのデザインとしたのですな、なるほどね、なるほど 。個人的にはフロントの重たさ、いや、野暮ったさがとても気になりますな。やはり、ここはXVデザインのツボだったことが分かりました。いやはや。  そういえば、ルーフレールってのは、オリジナルデザインにあったんだろうか。次回、聞き出してみようかと思います。  なんか、素人なりにデザインを探るってのも、おもしろいような気がしてきました。

#757 XVのデザインに惹かれるのは、そこに遊び心があるからって、話。

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 レヴォーグのチーフデザイナーの小林氏は、インプレッサシリーズのチーフデザイナーでもあります。その昔は、BGのグランドワゴンやBG後期のGT-Bのデザインに携わった人でもあります。おっと、好きなデザインのクルマばかりだ。ということで、 先日のレヴォーグプロトタイプの試乗会にて、話をうかがっていた時に、いろんなクルマのデザインの話になったんですが、その中でも、XVの話がとても興味深くありました。XV デザインの作業は、結果としてインプレッサと並行していたようで、それもまたデザインの完成度の高さにつながっているようです。XVとインプレッサの違いをデザインできていることも含めてね。  で、このXV、愉しさを全面に打ち出したモデルですから、もちろん、デザインにも遊び心を表現したそうです。 たとえば、ボディサイドのサイドクラッディングパネル。近頃のSUVでは、タイヤの存在を強調するために ホイールハウジングをブラックでなぞり、 また 腰高に見せるために ボディボトムをブラックアウトとする手法が定番となっています。ところが、これも各ブランド、各モデルで、表現方法が異なるもので、逆にいえば、このパート次第で、見え方も変わってくるものです。で、XVは、写真だと少々分かりにくいかもしれませんが、サイドクラッディング(ブラックの部分)の流れを途切ったり、そこでラインを変えたりと 確信犯的に遊んでいます( 2枚の写真にて赤い○で囲った部分 ) 。逆に同じ流れのままのデザインとしてしまうと、XVに求めたおもしろさが一気に消えてしまうんだそうです。あのライン、XVのデザインキーとなっているんですな。  あとは、左の写真にて→で指した部分ですが、これは、SUVの定番デザインとは異なるアプローチを試みたところだそうです。一般的には、ボトムラインのブラックアウトはそのままに、フェンダーからのラインを強調するためにボディ同色部を拡大しつつ、リアバンパー部のセンターをブラックとするものですが、XVはでは、逆にリアバンパー センター部をボディ同色として、それを強調するかのように、その左右にブラックのパネルをアクセントとして用いています。これもまた、デザインでの遊び心だそうで。おむつをはいたようなリアスタイルを避けたかったとは、小林氏の弁。 なるほどね、なるほどなるほど。 ただですね、だからといっ

#756 30年ではないけど、それなりに古いMacintoshとの付き合い。

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 Macintoshが誕生から30年だそうで。早いですなぁ、という印象があります。だからといって、そのデビューを知っていたわけではなく、気付いたら、横にあった、という存在でした。どちらかというと、 Macintoshよりも、 AppleⅡを横目で見ていました。そもそもAppleは、舶来のとても高価なコンピュータというイメージがありましたが、小さな箱なのにさらに高いモデルを出したもんだな、というのが、 Macintoshを意識した最初でした。たしか、512kが出た頃。といっても 、電気屋さんでも触るに触れなかったこともあって遠い存在でしたし、何よりも、あの小さなモニタに魅力がなかった、そんな印象がある程度です。  SE/30の頃になると憧れの存在となっていましたがまだまだ高価ゆえに遠い存在。その後、知り合いがClassicを購入して、あれこれ触ることができた時に、なんじゃこりゃとばかりに衝撃を受けた覚えがあります。当時はインターネットがなかった時代。GUIによってこんなにも変わるものかとショックを受け、 それをきっかけになんでもかんでも愉しんだ覚えがあります。 その中でもいちばん強烈だったのはSound_Edit。HyperCardよりも。へぇ、こんなコトできるのか、とか、スゴイ時代になったな、とか、そんな印象が強く残っています。結局、趣味の範囲の話ではありますけどね。  さて、そんな30年のヒストリーが→ ■ にて公開されていますが、その中に、Your First Macというコーナーが用意されています。あなたの最初のMacは何でしたか? というコンテンツですが、そこには貴方のファーストマックを教えてくださいとの募集があります。そして、その集計結果を見られるのですが、トップはMacBookAirでした(画像)。しかも、2009。そう、2011ではなくって、2009。あの高価だった頃の2009のほう。個人的にはiMac(1998)や、Mac mini(2005)が上位にあるだろうと思っていたら、そんなこともなく、多くは2009年以降の機種でした。やっぱり、最近の製品戦略が功を奏しているんですなぁ。  それにしても、30年ですか。いや、早い、早い。10年後、どうなっているんでしょうかね。

#755 Photoshop_CCに採用された新機能から感じる、イマドキ感覚。

  #668 にて、昔からの親友(日本人)が、アメリカへと語学留学に出かけて、……中略……、アドビに就職して日本へは帰らぬ人になってしまったって話をしました。もちろん、ヤツは、仕事もプライベートも充実した毎日を送っているようで、ひたすらにうらやましい限りなんですが。ま、才能と実力と行動力の違いですから、その立場がうらやましいというわけではなく、才能と実力はともかくとして行動力の違いがうらやましく思うわけで。  で、そんなヤツから、Photoshopの最新バージョンに自作した木を描くという機能が採用されたので見てくれたまへとメールが届きました。自分は、そもそもPhotoshopから離れてはや何年だったか忘れていますし、何しろ最新バージョンをCCと呼ぶようになったことすら知らずにいましたから、そんな者にとってはPhotoshopが、もはや写真を修整するだけのアプリケーションではなくなっていることにびっくりしましたし、なぜ、この木を描くという機能が必要なのかも、一瞬分からずにいました。  個人的にはこの機能はPhotoshopよりもIllustlatorのほうが似合っている気がするんですが、もはや、イラストたる機能というよりは、リアルに見せるという意味合いからも写真アプリ向けの機能なのでしょうな。写真の修整を超えて、写真の中にあれこれを描いて、そして完成させてしまう、最近は、そんなところまで来ているようで。まさにこれがイマドキのようです。そう、イマドキ、と。  ここに掲載した3番目のビデオで、どうしてこの手の機能を作るに至ったかを、自らのバックグランドを説明しながら紹介しているあたりで、先ほどのこの機能を開発した理由のようなものが見えてきました。なるほどね、なるほど。まぁ、あの頃に、この機能があれば、写真のあれこれを勝手に作ってもらうにも、随分楽だったろうになと思ったりもしましたが。あとは、ムービー中では影を付けていますが、そのうち、太陽の位置と画角から、影まで描いてくれる機能とか、付いてしまうんでしょうか、なんてことも感じましたが。  そうそう、日本語バージョンが追加になっていましたので、追加で貼っておきます。いちばん下、つまりこの右側にあるムービーです。それにしても、デジタルってのは、写真という表現方法まで大きく変えてし

#754 レヴォーグに乗ったらば、世代の差を感じてしまった、86とBRZ。

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 レヴォーグプロトタイプ試乗会の翌日は86に乗っていました。スバルのBRZじゃなくて、トヨタの86。そんなわけで、自然と両車を比較してしまうわけですが、好き嫌いやら、FRとAWDやら、クーペとツアラーって、違いはありますが、あるんですが、そこには世代感が確実に存在していました。キャラクターが違うから比較しようがないところもありますが、それにしても違った。あ、ここでは、86=BRZと捉えていることが前提となっていますが。  その分かりやすいところは、質感。それは、インテリアから、デザインから、もちろん、走りに至るまで。特に走りに対する質感は、86には、スバル流ではなく、トヨタ流の味付けが表現されたことを除いたとしても、やっぱり差があります。簡単に言いますと、シャシーのしなやかさ。  なんだろう、分かりやすくいうと、荷重移動を愉しめるかって点かな。いや、86も曲がるんですが、そこに曲がった! という愉しさが少ないように感じるのです。曲げた! ではなく、曲がった! って、愉しさ。でも、ドライビングプレジャーはあります。しっかりとあります。そして、その走る愉しさと装備の質感が見合っていない(これはBRZも同罪)。これは以前から多少は気になっていましたが、レヴォーグの全てに妥協しないというスタンスを知ってしまうと、あれ、おや、どうした? なるほどね……を感じてしまうわけです。  ただ、86とBRZも大改良してくるでしょうから、そんな改良モデルに期待してますし、唯一無二という存在も含めて、あらためてありがたさを感じましたが。写真は、そんなひとこまから。最近、逆光&アンダーな写真が好みです。あのカメラマンの影響であることはいうまでもありません。違うとか言われそうですけど。

#753 プロトタイプであってもハイレベルだったレヴォーグのポテンシャル。

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 さてと、レヴォーグの試乗記、行きましょうか。一昨日に続いて、今日も試乗会場(ナンバーなしゆえにクローズドコース)におりました。この前はクラブレガシィ取材枠、今日は個人枠でした。自宅から会場までは片道200km以上あるんですが、会場へたどり着くまでドキドキしつつ、会場を後にすれば、余韻に浸りつつあれこれと感じさせてくれる、そんなクルマでした。つまり、いいってこと。 ひとことでまとめるならば、想像どおりであり、想定以上の仕上がりを見せていました。  2つのターボユニットは、まず、1.6Lは想像以上のパワー感があって新世代のスバルパワーユニットたるポテンシャルを強く感じました。これで十二分。これだけのパワーを発生しながらレギュラーだし。となると、2.0Lは不要かなと思ってしまうのですが、サーキットでは2.0Lなりのパンチが愉しさを引き出しておりまして、これもまたいい。特に、レガシィの2.0Lよりも高回転でのタレがなかったりしまして、そこにも、選びたくなる理由が強くあります。  ただ、レヴォーグが狙った軽快感を素直に表現しているのは、やっぱり1.6Lのほうかなと思いました。SIドライブのIモードでは、そのぐらいのパワーが欲しいの? ならばこんなもんでどうだい? といわんばかりに3000回転内でどうにかしてくれるし、同じくSモードでは、それならばパワーだそうか? といわんばかりにさっと4000回転へ誘い、そのまま高回転域へ殴り込みをかけるかのように飛び込んでいきます。CVTも、スバル新世代モデルたるフィーリングで、ダイレクト感をかなり強めており、そこにはレヴォーグの前後で線が引かれたかのような違いがあります。  ハンドリングは、曲がる曲がる、素直素直。こういう比較をするとFFとFRベースAWDで違うじゃんかと言われるかもしれませんが、 ゴルフGTI的に曲がる曲がる。クイックさはあっても、グイグイと曲がるからそれを違和感だとは思わない。ステアリングをゆるりと切りした直後にヨーが立ち上がり、次の瞬間にはロールへ移っているというような流れがあります。それは、横Gの立ち上がりが速いというような数値だけで表現されるものではなく、その移行に美しい流れを感じ取れるほどに。で、ロール量を少なくしましたとアナウンスされていますが、ロールします、させています。というか、ロールも美しい。と

#752 レヴォーグのデザインを理解するにポイントとなるデザインの話。

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 昨日あたりからレヴォーグの試乗記事がwebにてあちこちからアップされていると思いますが、それは、昨日からプロトタイプの試乗会が行われておりまして、エンバーゴなく一気に解禁になっているため。というわけで、試乗記については別にまとめますが、昨日、とても印象的に残ったインタビューがありましたので、それについてまず書いておきましょうかね。えっと、デザインについて。このレヴォーグというクルマは、なんとも不思議なデザインです。捉えようがないけど、否定できないという、不思議さ。個人的には印象はいいのですが、執筆しようとする時に、解釈できない、理解できないところもありました。モーターショーではハイコントラストを意識したライティングもあって、その強いデザインをマイナスイメージに転化してしまいそうな気すらしていましたが、こうして屋外で眺めるとそれがありません。  ということで、再び、チーフデザイナーの小林正彦氏(写真左)にあれこれを訊いてきたんですが、ここでは、クラブレガシィには書かないと思われる(ネタ的に違うため)ことを、ピックアップしておきましょう。  いきなりですが、レヴォーグから話は一気に離れます。いや、なぜ、そう感じたのかって話から、デザインの完成度の高さとは、なんぞやって話になりましてね。それは、ずばり、飽きが来ないことだそうです。ま、そこまではなんとなく理解できます。で、そういうデザインとは、古典になれる、つまり、クラシックになれるんだそうです。それはクルマのデザインに限らなることなく、たとえば、音楽もそう。べートーベンやモーツァルトがどうして、200年以上経った今でも受け入れられるのかを考えてみるといいそうです。表現する楽器は変わっていても、ベースとしての音楽たる基本は変わっておらず、 古さはあるかもしれないけど、今にも受け入れられるというテイストですな。なるほどね。  つまりですね、そこに、アーキテクチャーがあるかどうかがキーとなるそうです。そう、基本骨格。それは、普遍性であり、黄金比のようなバランスの良さでもあると 。なるほどね。そして、その表面が変わりゆくことは時代の流れを受けてのこと、つまり、いいことなんだそうです。骨格があればね。ですから、 商品ともなれば、ライフスタイルが変わっていくのに合わせるように、変わらねばならない、と。たとえば、今、コ

#751 厳しい寒さは、葉物野菜に旨みを与えてくれる、ってな話。

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 理科話といえば、というか、ちょっと違うか、野菜話といえば、って、ふと思い出したので書き留めておきます。これは、農業を生業としている方から教えてもらったのですが、霜が降りると葉物野菜は 糖分を蓄えようとするため、味わいに 甘みが加わり、旨みが増すのだそうです。でも、これ、理科の先生的には?があります。植物の糖分ってのは、光合成によって作られるものであって、そこには日照や温度が必要になるわけで、気温が落ちたからといって……云々。 なんてことを言いつつも、実際、霜が降りると白菜やら春菊やらは甘みが強くなりますから、間違ってはいないのかなとも思います。  そうなのです、生物的システムを知っているがゆえか、理系ゆえなのか、現実的な視点からモノゴトを眺めるのが常です。なので、血液型と性格の関連性やら、宝くじの当たる確率やら、パワースポットやらについては、ふーん、そうなんですかと捉えています、基本的に。夢がないねとか、つまらんねと言われてしまえば、それまでですが、そういう性分ですから仕方ない。ただ、説明できないことでも結果を見せつけられると、自分なりに解釈して、自分なりに理解しようとします。自分なりにね。  話がずれた。 というわけで、我が家の春菊も、最近、一段と甘みと旨みを増しています。ただ、ある程度成長してしまったので、固さという食べづらさも出てきていますが。そして、今宵の 晩ご飯は、またもや、春菊だらけの鍋(写真)。いや、楽なもので。

#750 意外なヨシダシリーズ、理科の教員免許を持っています編。

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 ヨシダの意外なシリーズ、って、ちょっと前に書いた覚えがあるのですが、教員免許状を持っています。中学生と高校生に理科を教えてもいいという免状を持っています。でも、何の役にも立っていません。いまのところ。いまのところなんでしょうかね。 そもそも、学生時代は、……中略……、専門分野は放棄して、 教員免許状を取得することに焦点を絞りました。そんな理由はそのうちに書きますが、そんなこともあって、 一時期は教員になろうと考えていたこともありました。ってか、ひとつの道として、幼い頃から考えてはいたんですけどね。でも、ならなかった。  で、本題。今日の夕暮れを眺めていて、ふっと思い出したもので。えっと、すでに過ぎ去りましたが冬至ってのは1年で最も夜が長い、いやいや、昼が短い日です。で、夏至はその逆。しかしですね、両日ともに、日の入り(冬至)と日の出(夏至)がいちばん早い日ではありません。なんて、話をしはじめたのは、先日、知り合いとそんな話になったから。日の長さが違うのは地球の回転軸 の傾きによるものですが、実は、 地球の公転軌道が真円ではないために、 日の出、日の入りが最も早い時間は、夏至・冬至よりも 前後1か月ぐらいだったかにずれています(たしか)。ですから、そろそろ、日の出は早くなり、日の入りは遅くなっている頃。つまりですね、日の出時刻は最近まで遅くなっていはずですし、 逆にいえば、日の入り時刻は冬至前が最も早かったはずです(たぶん)。  ほら、理科の先生らしいでしょ。ちなみに、免状的には生物と化学だけではなく、物理も地学も教えることはできます。できるんですが、高校生時分に物理で赤点を採ったことはナイショにしておきます。でも、あの時はクラスのほとんどが赤点だった気がするんだけどね。

#749 ビートルカブリオレ50'sのハイバランスに打ちのめされた、ってな話。

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  #746 にて書き尽くした感のあったビートル・カブリオレですけどね、乗れば乗るほど味が出てくるというか、返却したくなくなりました。当初は、週末にロングインプレッションを行う予定でしたが、飛び込みの原稿依頼があり、それほどの距離を乗ることはできませんでした。ただ、返却してみれば、それでもね、やっぱり、いいよね、って感じが強く残っています。走りについてはあれこれ書きましたので、ここでは違う観点から、その印象について書いてみましょうかね。  試乗したモデル は特別仕様車の50'sだったのですが、これがとてもとても好みでした。いや、1950年代のあれやこれやをモチーフにした仕様ですが、そもそも自分は50年代にこの世にいませんでしたから、このモデルと何かがリンクするってことではないのですが、センス的に好みでした。特に50''sが好きってわけではないのですけどね。 まず、このクロのボディカラーにしてやられました。そもそも、クロ好きってのもあるのですが、メッキパーツとの組み合わせも秀逸ですし、何よりカブリオレってのがポイントでした。そして、赤とブラックのコンビネーションシートが、とても見合っている。<さらには、専用装備となる17インチホイールも好みでした。って、ビートル+ディープリムホイールというスタイルは、なぜかよくわからんのですが、嫌いではなかったりします。フェンダーのラインに見合っているからなのかな。  と思っていたら、屋根付きモデルにも特別仕様車3モデルが発表され、その中に、ブラック+ブラック&レッドシート(ただしファブリック)のビター(写真左)というモデルがありまして、そのテイストがまさにこの50'sに通じていました。でもね、似ているんですけどね、違うんです。自分の中では、違う。その理由は、ファブリックシートだからではなくって、カブリオレではないから。たったそれだけなのですが、違うのです。ビートルとは、ボディが違うだけで、ボディカラーが異なるだけで、そのバランスが大きく変わってしまう、そんなモデルなのです。  ま、新たに追加された特別仕様車は、スペシャルモデルというよりは、屋根付きモデルにある2グレードの中間的なポジションとなる内容&価格とですから、その存在は大歓迎です。ただ、50'sの良さに浸ってしま

#748 高機能ぶりに驚いた、セレンゲティのドライビングアイウェア。

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 そうそう、サングラスの話を書いておかねば。年末に、サングラスな取材がありました。ヨシダさんってば、試乗の時にサングラスを良くかけていますから、取材してみませんか? ってな感じでお誘いをいただいての仕事でした。最近、光を眩しいと感じることがあったものですから、気を遣ってサングラスを使っていたこともありますし、まぁ、そもそも試乗時の写真はサングラスにて、ってのがなんとなくあったもので、多用はしていました。ただ、それほどまでに詳しくはありませんでしたので、この話が来た時は、是非是非とばかりに引き受けました。   取材は、 セレンゲティ というブランドのサングラスについてでしたが、まぁ、知らないことだらけで、とても有意義なインタビューとなりました。そもそも、最近のサングラスってのは、まぶしさを和らげるだけではなくてですね、いかに見やすくするか、そこにポイントがあるそうです。まずは、調光。紫外線の量に応じてレンズの色を変化させてくれます。そう、オート。いや、電源は必要としていないんですが、オートなんです。で、スペクトラルコントロール。これは、 コントラストを適正にすることでモノの認識をより高めてくれる機能なんですが、これがスゴイ。対象物の立体感が強まるかのような、明確に見せてくれるようになります。とても見やすくなる、つまり、これぞドライビング向けといった感があります。  で、その仕様も様々ありまして、シーンに応じて、サングラスを使いわけることが理想なんだそうです。 というわけで、最近はあれこれと使い分けながらサングラスを掛けるようにしています。別にかっこつけじゃないんです。ご理解をば。

#747 捨てられるフロッピーディスクに感じた、過去45年間とこれから。

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 先日、実家で、これ捨てていいかい? と訊かれました。5インチのフロッピーディスクですな。しかも、2Dとなもし。そこに記憶されたデータの多くは、そのまま引っ張り出せるのかもしれませんが、残念ながらそれができるマシンが動きません。というか、動作するか以前の前に、マシンはあるんですが、ディスプレイがありません。そして、動いたところで一体どうするんだって感じだったりもします。  こうして時代は過ぎ去っていくんですな。なんてことをふっと思ったのは、今日、原稿を書いていて、 “ 45歳の筆者はそう感じた” なんてフレーズを用いたからでした。いや、分かっていましたが、まじまじと45歳という年齢を文字にすると、いやー、おっさんだなって思います。ほんとおっさん。ただのおっさん。それと同時に、何をしてきたんだろうと振り返ったりしながら、あれもできたかもしれない、それもできたかもしれない、でも、できなかったよね、きっと、なんて結論にたどり着きます。いや、いつものことなんですが。  そういえば、先日、知り合ってからは10年ほどか、50歳を前にした八ヶ岳在住な方と話をしていて、 あまりのアクティブさに感心しました。その方、最近ですね、何も分からないのに突然におばさんだらけのヨガクラスに参加し、30歳代ばかりのフットサルのチームに入り、 果ては、小学生がいるようなレスリング教室へと飛び込んで、今ではアマチュアの大会に参加している、んだそうで。そのバイタリティたるやスゴイと思うのですが、曰く、チャンレジすることで、次へつながるもんだと言うのです。まぁ、 そのとおりなんですが、あまりの無鉄砲ぶりに、さすがに、そこまではできないと思ってしまうわけで。って、ここで差が生まれてしまっているんですな。ですから、そうできることが憧れだったりもしますし、だからこそ、尊敬してしまったわけですが。  って、フロッピーディスクの話から飛びましたな。えっとですね、フロッピーは捨てても、チャンレジするスタンスだけは捨てちゃならんね、と思った次第で。 いや、レスリングは始めませんけどね。

#746 走らせたくなる、一緒にいたくなる、ビートル・カブリオレ。

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 ビートルのカブリオレなんですが、ノーマルモデルがあれだけ良かったし、何より、リアサスがマルチリンク化(今は全グレードにて)されているがゆえに、悪いわけないだろうと思っていたら、想像以上によかった。ひとことで言えば、もう、うっとりといった感じでした。トルク感とはなんぞやを熟したエンジンフィーリングは絶品の域に達しており、1.2L+過給器の中ではベストと思えるほどで、 パワーにパンチがないと思いきやそんなことなく。で、 しなやかさを増したシャシーは路面を捉えて放さないフィーリングにあふれ、 カブリオレ化によって増えた重量分を上手くしなやかさへと転化して、うっとりと走らせます。そう、うっとり。  もちろん、プラットフォームが異なることから、最新世代となるゴルフ7には届いていない、でも、先代よりも確実にイマドキになった、そんなフィーリングですな。 そこにはビートル流の緩さがありますが、 もはや、それを作り上げるために、確信的に古いハードウェアを用いたかのよう。って、たぶん、分かってやっていますな、あれ。というわけで、自分の場合は、ゴルフ7を買うならば、最新型のTheビートル、許されるのならば、カブリオレを選びます。  ということで、今朝は牛乳を買いに行っただけなのに、気が付いたら10分後には、右のような風景の中にいました。走りたくなる、走らせたくなる、走って行きたくなる、そんなクルマとしての基本的な魅力を備えたモデルです。ちなみに、朝からオープンで走ったので、帰宅してから風呂へもう一度入ったのはいうまでもありません。牛乳を買いに行っただけなのに……。  そうそう、グレードは、限定車の50's。17インチホイールのデザイン、かなり好みです。ってか、このスタイリング、天晴れですな。あ、60'sと70'sは完売だそうです。ま、50台ずつだから、当たり前といえば、当たり前ですけども。

#745 イマイチわからない、それが実はポジションだった、ハスラー。

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 で、あれですよ、ハスラー。わりとノーマークだった、スズキの新型軽乗用車。モーターショーで出品されて、ちょっと意表を突かれた感のあるクロスオーバーモデル。ほかメーカーが、軽スポーツカーを作っているなんて噂話ばかりの中、スズキは“使える”軽自動車しか作らないと明言しているがゆえに、あちらには手を出さず、こちらとなったわけで。  そもそもは、Keiが発端となったようです。ヒップポイントとアイポイントが高く、オールマイティに使えるモデル、という視点からのKei。そんなKeiの後継になりうることも求めら、そんな要件をベースにしながら、さらにイマドキテイストを加えてハスラーを仕立てたようです。なるほどね。ですから、Keiの後継車種というわけでもなく、そこにはさらにラパンテイストまで含めたとのことで、つまりは、ブランニューモデルとなるわけです。  その走りは、もちろん、良くも悪くも、 遙かにジムニーには届いておらず、 どちらかといえばワゴンR亜種といった感じです。ゆえに、悪くない。ただ、妙に街乗りを意識した感もあって、車高を上げた分のシャシーの動きにあれ? を覚えたのも事実で、緩さをもう少し与えてもいいのではないか、といった印象がありました。タイヤサイズを大きくした分、押さえ込めていないとも言えるのかな。段差があるシーンでは、バタバタが途端に顔を出しましたから。  ただ、これがターボになると、わりとバランスしていたりするので、一概になんだかんだは言えないような気がしますな。ま、もう少しロールさせたほうがいいんでないかとか、あれこれはありますけど、これはこれでいいのではないかと思うわけです。  ちなみに、ピンクは、ピンク過ぎない加減が受けているそうです。ホワイトのルーフと、ブラックアウトさせたボディのボトムとフェンダーと、その辺り。このピンクを選ぶのは女性だけかと思いきや、男性にも購入者がいるようです。自転車がピンクだから合わせたいやら、やっぱり、デザイナー系の人とか。そういう時代なんですな。なんだかね。

#744 呼ばれたので、ひょいっと出かけてきました、高尾山(再)。

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 今日はオフ、いやいや、今日“も”オフだったし、天気も良かったので、高尾山に登ってきました。え、数日前に行ったばかりではなかったのかって? そうです、行きましたね。でも、昨日あたりから、来い来いという気がとても強く感じられたもので、ふっと出かけてみました。呼ばれました、はい。  今日は、おむすびを握って、お茶を入れて、早くも遅くもない午前中に出かけ、交通機関を使うことなく、自宅よりテクテクと歩いて山頂へ。今回は、 メインストリートを通ることなく裏からのアクセスだったこともあり、この前とは違う高尾山を目にして気付いたんですが、高尾山ってのは霊山なんですね。霊験灼かとまではなりませんでしたが、心落ち着く静寂とツーンとした空気感から、不可思議、でもどこかふっと落ち着くような雰囲気を感じ取りました。  比較すれば、連休よりも人はまばらでしたが、人がひとり通れるかどうかという山道でも、結構すれ違いがありましたから、訪れる人はやっぱり多いんでしょうかね。ただ、土産物屋や食事処はどこも閑古鳥が鳴いていました。週末とは来る人の層が違うのでしょうかね。あ、山頂では、コッヘルにてラーメンを作っている人たちも多くて、先日の連休とは違う雰囲気がありました。そうそう、隣にいたパーティでは、女の子がなぜか春雨を持ってきていました。えっと思ったのですが、ひょっとして、今、山で、お湯を沸かして春雨を戻して何か料理を作ることが定番となっているのでしょうか。誰か教えてください。  さすがに、帰りは電車とバスを利用しようと思ったものの、……中略……、やはり徒歩にて帰宅。ただ、うちの団地へのアプローチにある180段の階段を上ったものの、マンションの階段144段はさすがにキャンセルしてエレベーターを利用しましたが。でもね、歩き通したおかげで、高尾山周辺に良さそうな店をあれこれと発見できましたので、これは大きな収穫だったかと思います。  ルート次第で気軽、でも、ちょっとタイヘンかも、そんな加減で登れるのが高尾山。そして、登ったという爽快感だけではなくて、何か不思議を感じ取れるところも、その魅惑のような気がします(なんてことを自分で言うと思わなかった)。 是非、ご一緒しましょう。って、すっかり高尾山を熟知している気分になってますが。そうそう、先日一緒したおっさんは、早速にトレッキングシューズを新調しとの

#743 寒いけど、いつもと変わらなかった高尾の朝と、鍋の材料収穫の話。

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 今日は、オフだったし、雪が降るというので、出かけようと思っていたのですが、雪が降らなかったので、出かけませんでした。ん? 間違ってはいません。雪が降るから出かけないのではなくって、雪が降るから出かけようとしていました。そうなんです、多くの方とは、行動が逆なんです。  ちなみに、高尾はいつもと変わらぬ最低気温で、たしかに午前中は気温は上がらなかったものの、ま、こんなもんでしょってな感じでした。ですから、 今朝は寒いねってなメールが届いても、なんて返していいのやら、返答に困りました。今朝の冷え込みはいつもと変わりませんでした、なんて書けませんから。  ということで、引きこもりの1日になりそうだったので、夜ご飯をあれこれ思案しつつ、あれこれと細々とした用事を片付けつつ過ごしておりましたが、先ほど、鍋にすることに決めました。でも、材料は買い出しに行かなくてもOK。すべて、自宅にありました。で、写真は収穫した春菊。ようやく、根ごと抜かずに、茎を折っての収穫となりました。そうそう、あっちのプランターからはクロッカスが芽を出していました。近くはないけれども、春が近づいていることを、知っているようですな。  って、これじゃ、まるで日記だなや。あとで書き直します、たぶん。

#742 それはないでしょう、でもどうするのさ、が加速しているRevenge3。

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  あのですね、って、例のごとく右の画像はアフィリエイトを張っての掲載です。ご了解を。で、本題。ABCのRevenge3、おお、話をそっちへ持って行きますか、ってな展開へと一気に流れていますが、そりゃーないでしょが加速しているように感じます。それこそrevengeがばれてしまい、あれこれが明らかになってしまったのに、まだ続けますか、そう繋げますか、だらけのような気がして、気がして、気がするんですが、それでも観てしまうのはなぜでしょうか。って、だからなんでしょうね。  DowtonAbbeyも、Annaが巻き込まれるという とんでもない展開を仕込んできましたが、ふっと引いて眺めてみると、やっぱりメロドラマの要素が強いような気がします。そう、イギリス貴族社会という演出を使いながらも、ベースは……って話。ただ、これも手法としては、新しさがありますから、それが目新しさにつながっているんでしょう。  皆さん、いろいろと考えているんですなぁ。自分もあれこれと考えねば。

#741 Facebookに馴染めないけど、Twitterは使える複雑な性分。

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 あのですね、Facebookにしても、Google+にしても、Lineにしても、“知り合い”でありながら、直接的ではない知り合いでない人まで含んだコミュニケーションはとっても苦手です。 あ、皆さんを否定しているんじゃなくって、自分が苦手という話です。 って言葉にすると、別にどってことないし、日常では好んでいるコミュニケーションだったりしますが、なんだろう、SNSだと苦手ってことかな。あれです、 いいね! とか、の、あれ。その理由は、予定調和的なことができない性分であること、予定調和的なレスポンスを期待していないこと、が、最たるところなのかな。なんていうんでしょうかね、内輪ネタが不得意といえば、ちょっとは分かってもらえるでしょうか。えっと、もう少し深く表現しますと、内輪ネタは内輪では愉しいものですが、内輪じゃない人にはあまり愉しくないものであって、それを感じさせたくないし、それを意識したコミュニケーションは疲れてしまうといえば、少しは伝わりますでしょうか。って、文字 で説明しようとすればするほど、分かりにくくなっている気もしますけど。  ですから、ここのnoteを、コメントを残せない設定にしているのは、そういう理由があってのことだったりします。ただ、リンクは張れるようにしてありますし、メールは送れるようになっていますが。  といいつつ、あれこれ考えたり、八ヶ岳であれこれ話をしていて、新しいことはとりあえずやってみたほうがいいのではないかって、少しだけ思ったもので、先ほど、ちょっと行動してみました。コメントを付けて、リンクを張って……。でも、その行動を見返したところ、プギャーと叫びたくなり、背筋が寒くなりましたから、やっぱり、馴染めないようです。無理なのかな。  ならば、twitterはいいのか? って話になるんですが、内輪だけに限らないがゆえに、こちらは何の気なしに使っています。といっても、フォローしまくるって使い方でもなく、レスポンスを求めないツイートをしていますが。まさに言いっ放し。そうそう、昨年、このつぶやきが、Facebookに自動的に転送されてたようで、とんでもない数の書き込みをFacebookにしていたようです。コメントやら、いいねを残してくださった皆様はもちろん、くだらんツイートを見ることになった皆様、たいへん失礼しました。

#740 ようやく正式に発表されたスズキのオートギアシフト(2ペダルMT)。

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 さて、ようやく公式発表となりました。スズキの新型トランスミッション。あれです、2ペダルMT。東京モーターショーではトランスファーにモーターを加えるというスタイルの2ペダルMTを発表していました。空走フィーリングをモーターでフォローするというコンセプトはとてもおもしろいと思ったのですが、 あちらは縦置き、つまり、採用車種を考えると、実用性の面でまだまだ。で、もう少し時間がかかるだろうなと思っていたら、来ました、こっちが。  オートギアシフトと呼ぶらしいですが、搭載モデルをデリーオートエキスポで発表するとのことで、そうです、CVTの代わりというよりは、コストも含めたMTの代わりとしての役割“も”担っているようです。シングルクラッチは、フィーリングが……なんて話は過去になりつつあるこのタイミングでの発表ゆえに、そのフィーリングにはかなりの期待もあります。ただ、細かなことにうるさい日本のマーケットで果たしてあれこれ言われない仕上がりになっているかは少々心配。 って、たぶん、ここまでCVTに特化してしまっている日本市場に持ち込むつもりがあるのか、そこもポイントではありますが。  日本といえば、 小排気量ターボ+2ペダルMTがグローバルでメインストリームになりつつある中、HVもしくはCVTが主であることを考えると、皆が向かおうとしている先は同じであっても、そのアプローチが大きく違い、そこに違和感を覚えます。そして、 そんなことを考えてみると、そこからいちばん遠くにいるのがスバルなのかもしれない、なんてことも感じました。いや、善し悪しではなくって。FA、FBのブロックだとダウンサイジングは1.6Lが限界と推測されますし、CVTにあそこまで固執しているところを含めて、云々。もちろん、あれこれ先を見て動いているとは思いますし、あれこれと試しているでしょう。大丈夫でしょうけどね、もちろん。  ただね、ルーテシアの1.2Lターボやフィエスタの1.0Lターボやら、それらの2ペダルMTに乗ると、クルマたる乗り味、乗り方は次のステップへと移行していることを、強く強く感じます。そう、強くね。未来ではなくって、もう現実になっているっていう意味での、強く、ね。

#739 アップルストア銀座にて、はじめてのんびり過ごせたという話。

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  ヘラヘラと日々を過ごしているように見えるかもしれませんけどね、これでもいろいろと思い悩むことも あります。最近、深い深い迷いごとがあったので、同じ学年の親友に少々相談していました。で、本日、その顛末を報告しなきゃとばかりに、都心でちょいと話をしてきました。  ……大幅に中略……、アップルストア銀座にいました。いや、いつしか、いたんです、アップルストア銀座に。で、見てきましたさ、MacProを。オールブラックかと思ったらば違うのですな。で、どこにいちばん惚れたかといえば、やっぱり裏側。本体を動かすだけでLEDが点灯して、コネクタ位置を示してくれる、そのスタイルがとってもかっこよかった。とってもしびれましたし、感激のあまり、それだけで欲しくなったりもしましたが。そうそう、 今日のアップルストア銀座は、わりと空いていました。iPhoneを見て、iPadを見て、iMacをみて、とフルラインナップを眺めつつも、あれこれと話をしながら、1Fに30分以上はいたんじゃないでしょうか。たぶん、こんなにのんびりとアップルストアにいたのは、初めてのような気がします。なんか居心地が良かった。なんでしょうな、いつもだったら、早々に立ち去らないと何かを買ってしまいそうな、買わなければいけないような、焦りを感じるのですが、今日はありませんでした。たぶん、そこには否定的な意見がなかったから、感覚が合う者どおしだったから、なんだと思いますが。  仕事の話が、すっきりしたからでしょうからね。少しだけではありますけども。

#738 実は先を読む力をもっていたりする、ヨシダの才能のひとつ。

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  カフェ花豆ではいろいろなことを体得しています。といっても、それは、残念ながら料理ではありません。というか、料理については体得できない、到達できないと思います。で、何を体得したかといいますと、 #732 で書きましたピーラーの新しい使い方もそのひとつですが、もうひとつが容器からの移し替えというもの。  いや、移し替えることそのものではなくってですね、ほかの容器へ移す際、その先のサイズをピッタリと当てるという技です。写真は、昨日作ったカレーですが、鍋から移し替えようとタッパを選んでみれば、ご覧のとおり。というか、これは、ヘラでこそいだこともあって、ピッタリ過ぎになってしまいましたが、まぁ、こういうことです。 今の分量を確認して、勘に頼って、移し替えるジャストサイズの容器を探し当てる。これは、体得というよりは、才能だと思うほど。自信をもって威張れる、唯一の才能。とか、いい気になって書いていると、才能が消え去りそうなので、ここらにしておきますが、まぁ、そんな感じ。  ただ、自分的には、目測で判断しているというよりは、勘が働くといったほうが的確なような気がします。先を読む力といえば、格好いいんですけど、なんか違いますな。次の容器のサイズを読むだけではなくって、先の人生の器を読めるようになるといいなと思うのですが。これが、下手なんだな。

#737 最高傑作といわんばかりの、馬のイラストの年賀状の話。

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 大阪より傑作な年賀状が届きました。右の写真がそれですが、あまりの傑作ぶりにフォトフレームに入れて飾ってしまったほど。馬です、馬。これを見て、牛だと言った知人もいましたが、馬です、あきらかに、馬。実に上手い。ほんとに上手い。ひたすらに上手い。いやはやいやはや。  何がいい、なんてのを言葉で説明するのが、おこがましいほどに、素晴らしいのですが、ちょっと文字を使って、その良さを表現してみましょうかね。まさに、ヘタウマならぬ、下手馬なのですが、 いや、下手を上手に描くという意味のヘタウマ。 適度な太さのラインが、適度な加減に緩く引かれ、適度な崩しをもって、馬を書き上げています。個人的にいちばん気に入っているポイントは、たてがみ。耳の間に三つの山を描いているだけなのに、そこから後ろにたなびいているたてがみが見えてくるから不思議です。そう、顔だけってのも、とってもいい。あとは、鼻の穴でしょうな。特に向かって右側がとってもいい。完全な円にすることなく、書き始めは丸にしようとしながら、最後の最後でさっと直線になる、このいい加減(良い加減ね)がとってもいいのです。始点と終点が一致していない、微妙なズレも、これまた最高。このセンス、とってもいいと思います。いやはやいやはや。  そう、センスに尽きます。センスがいい。って、この人、そもそもセンスにあふれているんですが、こうして眺めているとつくづくセンスある人だなと思います。若草色というこの紙の選択もとってもいいと思います。名前やらは、画像をいじって消しましたが、名前の置き方やら、レイアウトのセンスまで含めて、とっても好感触。 美的センスのない者にとっては、こうしたセンスってのは、ほんと、うらやましい限りなのです。ひたすらに。  あ、本人より訂正。印刷ミスで、かのえうまとなっていますが、正しくは、きのえうま、とのことです。

#736 八ヶ岳まで、各駅停車に乗って、答えを探しに行ってきました、ってな話。

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 連休は唐突に行動しました。で、今日は思い立って、八ヶ岳へ。ただ、いつもと変わったことをしようとばかりに中央線の各駅停車に乗って出掛けました。といっても、山梨県内で、山梨出身の同じ学年のおっさんと待ち合わせをしてゴルフ6に同乗してのドライブではありましたけど。ま、珍しいですな、運転しないで、助手席に乗るってスタイルは。  朝の高尾駅は、登山手前のトレッキングスタイルな乗客が多く見られ、始発電車が到着するとあっという間に席は埋まりましたが、相模湖あたりでほとんどが下車してしまい、車内は写真のようにガランとなりました。待ち合わせ場所の甲府駅近辺までは2時間弱ほどでしたが、途中、寝落ちしてははたっと起きて、窓から見えゆく景色の変化……、ではなくって、まさに起きたらばがらっと切り替わっていた景色を眺めながら、時に深く考え事をして、時に浅く結論を出していたら、あっという間の到着となりました。  行く当てを定めずのドライブとなりましたが、いつものとおりをなぞりつつ、結局のところ、いつものままでいいを感じとって帰ってきました。八ヶ岳パイ工房のパイは、いつものようにもろく崩れましたが格好つけようとしなくていいことを教えてくれていましたし、人から教えてもらったけどほかには教えたくないパン屋さんでは、そこに集う人たちまで包み込んでくれるかような穏やかな日差しと、誰かを喜ばせるためだけにたたずんでいるかのような素直さあふれるパンたちとに、それでいいんだ、これでいいんだを教わり、やっぱり以前に訪れたことがあった洋食屋さんでは、あの時と同じ場所なれど、あの時とは全く別の時にいることを再認識。なんて、書き方をすると、すべてに無理矢理に理由付けしたかのようですが、ま、そんな感じでした。  そうそう大殺界の件は、それに振り回されなさんなよってことと、受け取りました。それが、おみくじの優柔不断にならぬように、へと繋がっていることを含めて、そんなあれこれを八ヶ岳から教えてもらってきました。大丈夫です、突っ走って、振り切ります。吹っ飛ばしますっていったほうが、ニュアンスとしては、近いかな。  ちなみに八ヶ岳はもちろん雪を被っていましたが、山麓は場所によってはごらんのとおり、雪が多く残っていました。雪がないところでも、日陰はアイスバーンがちらほらと。もちろん、帰りも中央線の各駅停車と

#735 2回目と思っていたら、どうやら3回目だったらしい、高尾山登山。

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 高尾へと引っ越してから、初めて、高尾山に登りました。何度も行こうと思いましたが、混雑やら雑念やらの話を聞いて、二の足を踏んでいまして。この連休に近所のおっさんとメシでもという話になって、……中略……、高尾山へ登ることになりました。   連休とはいえ、初詣客も減っただろうし、寒いし、人も少ないだろうと思ったら、そんな甘くはありませんでした。ケーブルカーから降りて来る人の群れにおののき、そこに渦巻いていた雑念に押しつぶされそうになりながらも、高尾山から下りてきましたが、下山時にわざわざと乗ったリフトで、ふっと、幼少の頃に訪れた記憶がよみがえりました。このリフト、乗ったでしょ、たしか、って。高尾山は、20年ほど前に、仲間うちで大騒ぎしながら上った記憶のみだったんですが、どうやら違っていたようです。 あれ、あの想い出は高尾山ではなかったような気もしてきた……。わからん、わからん。  それ以外で印象的だったのは、子どもたちが文句も言わずに、元気なままに上っている姿。普通の方々も、上るペースは遅くなかったりしていたのも、驚きだったかな。あとは、頂上は座る場所もないくらいに混んでいたとか、そんなところかな。 そうそう、駅裏に作られるという日帰り温泉施設、なんとなくその気配が見えてきました。近いけど、場所を考えると、そんなには使えないかなって感じです。道路も、風呂も、混雑しそうで。  あ、近いうちに、今度は平日に行ってみようと思いました。何か、発見がありそうな気がして。というより、来いと言われているような気がしていまして、実は。