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#1749 パン屋さんに、ごぼうのペペロンチーノに、洋菓子屋さんほか、歩いて見つけた、自分だけのご近所スポットな話。

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 最近、やたら歩いています。歩くようにしています。って、かつては歩いていました。周辺はもちろんのこと、都心に出た時も。時間さえあれば、やたらと歩いていました。でも、いつしか歩かなくなっていました。ま、コロナ禍で家にいる時間が長くなったってこともあったんですが、いつしか、歩かなくなっていました。そうすると、もっともっと歩かなくなるもので、体重も、コロナ罹患後からドンと増えてしまいました。体重が増えるだなんてこと、なかったのですが(ちなみに学生時代から体重はほぼ変わらず)。  で、先月、健康診断にて体重が過去最高を記録したことを機に、意識的に、食生活はもちろん、歩くことを含めた運動ほか、心がけるようにしました。なので、最近は、時間がある時は再びに歩いています。今日は、週明けの準備でどたどただったのですが、隣町にある銀行窓口へ行かねばならず、ほか、行きたいところもあって、歩いてきました。結果、10kmオーバー、丘陵を上っては下りてを繰り返したので、そこそこに負荷がかけられたかな、と。  ただまぁ、歩くとですね、何かしら発見がありまして、おもしろいものです。右は近所にある団地の中を歩いていて見つけた、パン屋さん。寂しさ漂う商店街に出店して大丈夫? という驚きもありましたが、とはいえ、頑張っているスタッフたちを目にすると、自分も頑張らねばと思えてきます。  左の写真は、先日の散歩で発見したカフェでのランチ。ひとりでご飯することが不得手な者としては、かなりドキドキなランチだったのですが、ごぼうのペペロンチーノを頼んだら、こんな驚きがテーブルへとやってきました。食べやすかったかと訊かれると、決して食べやすかったわけではありませんが、無類のごぼう好きとしては、大満足なランチとなりました。それにしても、自分が入店するまで、誰もいなかったのに、入った途端に、ほぼ満席に。平日の14時過ぎだったというのに。不思議なカフェです。  ということで、今日は、このほかにも駅前にある昭和なカフェやら、洋菓子屋さんやら、酒まんじゅうを販売しているお店やら、クルマで通過するときになんとなく認識はしていたものの、そこをゆっくりと過ぎ去ったことで違った見え方があれやこれやとできました。おもしろいものです、ほんとうにおもしろいものです。というか、我が家の近辺、結構、愉しいんじゃないか? と思えてきました。引っ

#1745 ふらり、能登へ。でも、1年ぶり。そして、来月も出掛けてきます、という話。

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 振り返ってみたところ、2013年から石川県へと足繁く出掛けるようになっていました。きっかけは、知り合いが20年以上前に実家のある金沢氏へ帰ったため……、いや、違うな、これは金沢に通うようになった後だな。何をきっかけにしたかは忘れましたが、金沢へと出掛けるようになりました。あれ、ほんとうに何故だったんだろう、思い出せない……。ちなみに、金沢も能登半島も取材で訪れたことはありましたが、能登半島の奥深くまでは足を運んだことはありませんでした。やがてプライベートで金沢へ行く度に金沢を起点として能登半島を攻略しはじめ、先端にある珠洲市へと到達したのは2013年の11月だったか。そして、いつしかその珠洲市を目的地とし、滞在するようになりました。それはあたかも導かれたかのようでもあり、不思議な縁だと勝手に捉えています。  今回は1年ぶりの訪問となりましたが、いつしか能登はすべてを受け入れてくれる地になっていました(と、思い込んでいるだけかも)。八王子といえども、東京にいると、気付かぬ間に言い訳という鎧で身を固め、前へと進むために手にしていた剣はいつしか自らを守るために他人を牽制する道具と成り下がり、それらは気が付かないうちに、身にこびりついてしまっています。ところが、能登にやって来ると、自然に触れていると、能登の人たちと話をしていると、能登の食を堪能していると、それらは一枚、一枚と剥がされて、どこかに残っていた素直さが顔を覗かせてきます。そして、なんでも、そのまんまに受け取れるようになり、そんなインタラクティブな能登との関係に心地良さを覚え、居場所を感じ、帰ってきたぁ、という開放感が襲ってきます。あ、写真は、料理長からの愛のこもったハートに並べられただし巻き卵、その下は、定番であり、能登らしさが詰まったコンカサバ(ぬかみそ漬けなサバ)。こんな料理をいただいたら、もう、素直になるしかないしょって感じです。  今回は、4泊しましたが、久しぶりに予定を何も立てぬままに宿入りしました。いつもだったら、知人と一緒だったり、イベントがあったりと、何もしないと言いながら、なんだかんだ忙しかったりするのですが、今回はほんとうに何もなし、しかもひとりっきり。ただ、読んでおきたい本を持って、聴いておきたい音楽をプレイリストに並べてきましたが、ひとつだけ、とにかく対話を心がけてみました。このコミュニ

#1743 三菱eKクロスEV、日常でどこまで使えるか、どんな乗り方をするならオススメか、検証してきました。その2

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 その後、自宅へ帰るために、千葉からアクアラインを利用して川崎へと渡ったわけですが、フルを目指して充電していなかったこともあり、八王子まで戻るにはどこかで充電しなければなりませんでした。調べると、アクアラインの海ほたるにひとつあるのですが、それこそ、戻りの観光客に巻き込まれそうだったので期待せずに通過し、川崎市内にある三菱ディーラーを目指しました。街道沿いにあるディーラーでしたが、時刻は20:30にも関わらず、真っ暗。といいますか、まぁ、ディーラーは閉まっている時間帯ですから、充電スタンドも真っ暗。あまりに真っ暗すぎて、ロープが張ってあるんじゃないだろうかと目を凝らすほどに見えないくらいに真っ暗。それでも、入って行くと「侵入」を検知されて照明オン(写真はその状況)。できれば、入ってからではなく、入る前からある程度照らしておいて欲しいなとは思うのですが、ただ、ムダな電力消費にもなりますから、あれでいいのでしょうかね。  とはいえ、やはり照明がなにもないディーラーへと入って行くのは少々怖いもの。男性でもこう思うわけですから、女性はなおさらのことでしょう。ちなみに、この真っ暗な中での充電は、以前、BMWi3で無料充電スポットを巡るドライブを行った際にも体験しています。あの時は、どこかの市役所でしたが、それこそ、入り口も分からなければ、スタンド場所も分からずでしたっけ。今回は、充電を開始してクルマを置いたままに、近隣のスーパー(徒歩10分ほど)へトイレと買い物のために出掛けましたが、途中、24時間、充電スタンドを開放している日産ディーラー(写真右上)を発見。もちろん、真っ暗でして、そう、三菱も敷地内に入るまでは、こんな感じの暗さでした。入り難いでしょ?  翌日は、湯河原に住んでいる知人を訪ねつつのドライブを予定していました。ですので、朝、出掛けにフル充電していこうと思っていたのですが、こういう面倒って、先延ばしするんじゃなくって、その日のうちにやっておくとラクチンだからと、自宅近くのENEOSへと立ち寄りました。ここ、普通のガソリンスタンドなんですが、なんと、急速充電スタンドもあります。さらには、この敷地の端にはミニストップ(スタンドとは経営は別)があり、充電時間をコンビニで過ごすことができるのです  このガソリンスタンドにコンビニやカフェがあるスタイル、最近、よく目にしま

#1717 杏ジャムはやっぱり美味しいよね、今年も作らねば、という話。

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 世間には、トースト一斤まるごとに、そこにあれこれ飾った、なんたらトーというメニューがあるようですが、あれを初めて食した時に感じたのは、美味しさ云々よりも、まずは原価コストのほうでした。あの手の「作品」は、いかに見た目で惹きつけるかが重要で……、云々。で、そんなことを想い出したのは、最近、この写真の「作品」がお気に入りだからです。  おおよそ6cm四方のパンに、あんずジャムを惜しみなくかけただけなんですが、これをですね、お上品にフォークとナイフで食べるんでなくって、手づかみで食べる。ジャムが手に付いてもかまわんとばかりに、かぶりつく。サイズ感が丁度よくてですね、なんといっても、あんずジャムが美味い。なんだろう、この魅惑はと思うのですが、やっぱりですね、適度な酸味と、加えた甘さとのバランスでしょうな。あとは、簡単に作れることに加えて、この色合いか。火を通すと、通しすぎると、美味しくなさそうな見栄えになっていってしまうものが多い中、あんずはそれがありません。ちなみに、今、使っている杏ジャムは一昨年に作ったものを冷凍したもので最後の1瓶(1タッパー)。昨年は、あんず不作もあったし、一昨年に作ったものが大量に余っていたので作りませんでしたが、今年は作らなければを感じました。  で、昨年は、なんで不作だったんだろうか、と振り返ってみると、たしか、信州で花の咲く4月下旬に雪が降ったか、低温になっただかで、実が大きくなれなかったと、記憶。そう、あくまでも記憶。4月に入ってからの信州での突然の降雪って珍しくはなくても、最近、降雪「量」、気温含めて、ちょっと極端な傾向にあるような気がします。そういえば、降雪の下にガチガチの凍結があって、コーナリング失敗して、そのまま側溝へと落ちていった悲劇も、4月の12日のことでしたっけ。  話を戻して、今、冷凍庫には、昨年秋に能登半島で手に入れて、現地で作ったリンゴのジャムが大量にあります。でも、あんずの季節は約3か月後。リンゴジャムを片づけないことには、杏ジャムが入る場がありません。さて、どうしたものか。  写真は、早速にiPhone13miniにて撮影。ただし、ここに掲載したものは相当なリサイズを行っているので、表現力はかなりスポイルされているかと思われます。

#1716 iPhone13miniが、「再び」我が家にやってきて、感じたあれこれ話。

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 勢いもあって、スマートフォンをiPhoneSE2から13miniへとスイッチしました。あれ、iPhone13Pro持っていたんじゃなかったっけ? と、よく言われますが、彼は2週間ほど滞在した後に帰っていきました。その前に遊びに来ていたiPhone13miniも、入れ替わるように帰られています。漢字の用い方からすると「返っていった」、いや、日本語としては「返された」というのが正しいか。ま、それぞれに事情がありましてね。そういった意味合いからすれば、再びやってきたiPhone13miniは、滞在が決定、もはや、帰る予定はありません。  さて、iPhoneの最新機種の性能については、半年前にあれやこれやと確認済みですが、どうしてもProの動画撮影での印象が強く、miniってどうだったか、うる覚えだったりします。で、あれこれと使って、もっとも予想外だったのは、性能以前にiPhone8時代から使ってきた縦置き非接触充電スタンドが反応してくれなかったこと。レンズが出っ張っているからコイルどおしの距離ができてしまったか? いや、そんなわけないかと思ったり、あれ、ひょっとして非接触充電のための設定が必要? いや、そんな必要ないだろうってことまで探りつつ、ほかの平置きスタイル充電器では作動することからやはりコイル位置が合っていない様子。さすがはアフターマーケットのことまで考えずに設計をコロコロと変えてしまう、Appleだなぁ、なんてことを思いつつ、ご覧のようなゲタをはかせて対応。ちなみに、このゲタ、なにかというと、いわゆるデバイスに付属しているUSBケーブルの端子の保護カバー。こんなもん、いらないだろうといつも思っていますが、再び端子に被せることを想定せず、でも、何かに使えそうだと、取っておいていたのでした。こんな活躍の場が来るとは、保護カバーも思ってはいなかったことでしょう。  さて、今回の回線契約先はdocomoで、転出元は楽天モバイル。そもそも、楽天モバイルは月々0円ゆえに試しにと契約していましたが、これがなんと自宅で通じないというオチ。昨年末に近隣にアンテナを立てる予定があるとのことで、それに期待していましたが、アンテナは立ったものの家の中では通じないという不便さは変わらず。まぁ、楽天モバイルは、その1GBまでならば0円で済むプランに加えて、アプリ経由ならば通話料が基本的に

#1709 すべてにうっとり。ルノー・カングー リミテッド ディーゼル MT。前編

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 クルマの評価をする際、対話性があるかないか、を重視しています。つまりは、愉しさがあるか、ないか。それはサーキットやオフロードコースといった閉じられたシーンだけではなく、それこそ発進直後の低速域から、高速走行、さらにはワインディングまで、すべてのシーンで感じられるか、そこに焦点を当てています。速いから凄いではない、愉しさですな。で、それにぴたりとハマったモデルを振り返ってみますとね、いすゞ・2世代目ビッグホーン、フォルクスワーゲン・パサートの5.5世代目、同・ゴルフ5、ジープ・グランドチェロキー、フォード・フォーカスST、同・フォーカスC-MAX、ルノー・トゥインゴ(現行型)、スズキ・ジムニーシエラ(現行型)など、新旧は関係なく、また、ジャンルも関係なくといった感があります。パワーユニットのフィールももちろん大切ですが、どこを重視かといわれたらシャシーになるのか、な。たとえば、理想を設計に落とし込めているシャシーって、走行シーンに限らず、好印象が存在します。それを理解できたのは、BMW・初代X5のMスポーツ仕立てに乗り、ダートを走った際。そうなんですね、いいサスペンションってのは、って、この場合はオンロード仕立てなんだけど、ラフロード(オフロードではない)であっても、つまりシーンが変わったとしても接地感が大きく失われることなく、そのドライビングは実に愉しいものだったりします。  さて、前置きが長くなりましたが、その愉しさがとんでもなく表現されているクルマが、今年発売されていました。そう、過去形、限定車。それが、このルノー・カングー リミテッド ディーゼル MT(以下、カングーディーゼル)で、発売は7月でしたが、用意された400台は即完売した、あのモデル。って、ほとんどの方が試乗せずに契約したんでしょうかね、でも、それ、正解だったと思います。そもそも、現行型カングーに対しては、センスあるデザイン、ゆったりとした乗り味とクッション性に富んだシートに代表される、いわゆるルノーの美点が詰まったモデルであり、ここから先の電動化・自動化を考えると、ルノーらしさがあふれている最後のモデルなんて揶揄もされていました。あ、自分にとっては高評価なモデルです。ちゃんとMTも設定していましたしね。  そんなカングーの最終モデルに、なんとディーゼルユニットを投入。ま、ほかのフランスブランド

#1685 元旦にして今年のベストバイだと確信した、AirPodsMax。

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 あたらしもん好きです。昭和生まれですから、バブル景気をちょっとだけですがかすった世代ですから。ということもあって、後先考えても仕方ないし、それを行動に移してきましたが、昨今は、後先を少しですが考えるようになったためか、その飛びつき度はスローになってきました。とりあえず、使ってみたい、そう思える商品が少なくなったことも要因であり、なんとなくという理由で手に入れてしまう行動が少なくなったのも、また、事実ではありますが……。  昨今、そんなスタンスにあって、それでも飛びついたものがありました。それが、AppleのAirPodsMax。ヘッドフォンにしてはやたら高い、でも、カッコイイ、そして、何かが劇的に違うらしい、これこそ体験してみないとその良さは分からない、という流れで、勢い余って、購入。まぁ、かつての、Appleの新製品購入の流れですな。ということで、同時期にM1チップを搭載したMacbookAirも注文しています。あちらも新しさがありましたから。と言いながらも、どちらも返品はありうる、そういう前提での購入であり、丁度ホリデーシーズンだったことも後押しをしました。  そのAirPodsMaxですが、実際に使ってみれば、期待以上が多くありました。まず、デザイン。ま、見た目はさておきですね、オーバーヘッドタイプのヘッドフォンをセットすると何が気になるって、イヤーパッド部分よりも、ヘッドバンド部分っつーんですか、頭部上部のバンド部がですね、自分の場合、最初から違和感が存在し、やがて気になるようになり、痛くなっていました。それがですね、セットしている感覚がない。実際、重量はあるんです、このヘッドフォン。ところが、セットすると、その感覚が、重量感とともに見当たらないというか、消え去る。セットしている感覚がないというのではなく、むしろ軽い。もう、これだけでやられた感がありますが、その上で、音がスゴイ。DSPによる音場が明確になるという不思議感はありますが、それがイヤミになっていない。むしろ、ここまで収録されていたのか、と思わせるほどにナチュラル。分かりやすい表現を使いますと、ハイハットの刻みが聴こえてくるようになるし、そのポジションまでが明確に分かる、そんな感じ。  なので、いわゆるデータ圧縮をした音源と比較すると、その加減にもよりますが、いわゆる太さがないことに気付きます。倍

#1676 カードウォレットに絶望を見たiPhone12な話。

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 ここ数年、ここで新型iPhoneについて語った覚えが……、ありません。ありましたっけか。と、ラベルを検索してみたところ、iPhone7発表時まで遡ることに。しかも、その採り上げ方もこれなしでは生活できない、という発言に対して、使い処を誤っているではないか、というもの。実際、振り返ってみますとね、7ユーザーには申し訳ないんですが、これなしでは生活できなかったほど、すばらしいデバイスだったかというと、違う。あの時は耐水性を得たことをそう評したんだと思われますが……、って、ま、そういう意味では、これなしでは生活できない……、か。  いずれにしてもですね、何を伝えたいかと言いますと、あの頃から、個人的にiPhoneというデバイスに対して多くを求めなくなっており、まぁ、分かりやすく言いますとね、インストールしているアプリ数もどんどんと減って行き、なくてはならないというよりは、外出先で活用する半ばエマージェンシィ的なデバイスとなっていっていました。ゆえに、新型iPhoneに対しても興味はそれほど強くなくなり、今回にいたっては発表会ストリーミングすら見ていないという始末。ま、だいたい、リーク通りで、目新しさもないですし、何よりもプレゼンそのものに魅力がないし。  というわけで、今回、久しぶりに採り上げることにしたiPhone12シリーズ。デザインやらは好みのテイストに戻っていますし、まぁ、内容もいいんじゃないでしょうか、というレベルではありますが、ああー、もうAppleって、昔と違うんだな、を強く感じさせたアクセサリーにがっかりしました。言い換えますとね、ああー、終わったな、Apple感を覚えました。それが、あれです、レザーウォレット(画像下)。  充電器を確実なポジションへと導き、充電ミスを少なくしながらクールなスタイルで使えるMagSafeの採用は大賛成です。しかしですね、MagSafeを利用してくっつけるカード入れのレザーウォレットも同じじゃないか、と思われるかもしれませんがね、これがね、逆。そもそも、iPhoneってのは……、って、昔はねを語るオジサンになっていきますが……、ハダカで使う、これ1台で十分、それを訴えてきたデバイスでして、ApplePayという支払い方法を手に入れたことで、これですべての支払いを完了しなさい、これを許さないショッピングスタイルはApple流

#1643 Macmini2018、平常運転までの道のりは長かった、という話。

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 Macmini2018導入のその後の話。トラブル続発といいましょうか……、といっても、思い当たる要因があれこれあったので、ひとつひとつ解決して、ようやく安定にたどり着きました。た 、たぶん。で、そんなあれやこれやを、イマドキ風に行間を贅沢に使って書いてもみましょうか。 ●デュアルディスプレイ表示されずの件 結局、USB-cハブの不良(HDMI出力ができない)が要因でした。これは、新品を再送してもらって、解決。解決したんですが、その前に、USB-C→HDMIケーブルを購入しており、実はデュアルディスプレイ表示が可能となっていました。しかしですね、起動時に、メニューバー表示指定をしたメインディスプレイにリンゴマークが表示されず、アカウントログインの際に、サブディスプレイのほうを見ながらパスワードを入力することに。なんかね、イヤで、どうしたものかと思いつつ、ケーブルを入れ替えて(メインのほうをUSB-C→HDMIケーブルにした)たら、メインディスプレイでの表示となりました。グラフィックボードからの出力の都合のようですな。HDMI出力端子向けにはマシン側(グラフィックボード側)で変換を入れているようで。で、これでトラブル解決かと思いきや、スリープからの解除において、ディスプレイを認識しなくなることがあり、ちょっとやっかい。最新の状態は、この現象は出ていませんが、やっかいを感じた際に、少し高くてもiMac27inchにしておくべきだったかなと思ったりもしました。あちらは、Retinaな5Kですし。 ●起動が強烈に遅くなる件 これがいちばんの悩みどころでした。当初はなんら問題なかったんですが、あることをきっかけに発生。そのきっかけっつーのがですね、Timemachineを利用してのバックアップ中に、誤ってタップで管理していた電源(外部ストレージ回りまで)を落としてしまったことでして。その後は、起動時にリンゴマークが出るまでに時間がかかる、かかるどころか、時には諦めて勝手に終了している始末。ま、要因は、OS側か外部接続しているストレージであることは容易に予想できましたので、あれやこれやとひとつひとつ再インストールやドライブフォーマットを繰り返して試すこと1週間以上、解決したと思われても、しばらくすると起動が遅くなってしまいます。もはや、USB-Cとドラ

#1597 今日も能登で釣りしていましたが、スーパーで魚を購入しました、って話。

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 というわけで、本日も釣り竿を持って、海へと出掛けてきましたが、昨日からの底の探りもあって魚が集まっているところを発見。もちろん、フグも集まっていましたが、そのポイントをメインに狙ったところ、アイナメに加えて、メバルも釣れました。ただ、夕食にするには小さいかなということもあって、リリース。ま、リリースしたのは、昨日から合流した知人が、本日は別行動で能登半島をドライブしていましたので、ついでにスーパーで魚を購入してきてもらったこともありまして。  左の写真は、スーパーでのもの。都会では見かけることのないマダイやらクロダイが、小さなサイズとはいえ、これだけ並び、しかもその価格たるや200円台から……。以前触れましたが、時期が来ると、ここにウミタナゴも並んだりします。なんてことを目の当たりにすると、都会ってのは何でも揃っていると思っていても、実は、都合いいように、知らぬ間に削除されているものが多くあることに気付きます。まぁ、モノそのものでなくても、リーズナブル感とか、新鮮さとか、本来の美味しさとか、そういった面までも。そう考えると、なんでも都会を基準に考え、それ以外を切り捨ててしまうというスタンスに対して、なんだか寂しいな、もったいないなと思います。話は少し移りますけども、テレビ番組で、地方にロケに来ておいてその第一声が何にもないとか、食事処がないこと(探すこと)をネタにするとか、もはや、地方を下に見ることを前提にしていて、もう、意味がないったらありゃしない。というか、止めて欲しいとつくづく感じます。ま、それもまた自分(東京)が中心であり、そして、それ以外を体験したことがないから、なのでしょうけども。  話は変わりますけど、大型連休の能登は、やはり金沢ナンバーはもちろん、県外ナンバーが多数。すれ違うクルマを見ていると、まさに押し寄せてくるといった感があります。でも、ふと気付きました。奥能登にいると、都心で見かけるような、高級車をほとんど、見かけません。なぜなんでしょうね。

#1063 こだわりは剥がれ落ち、新しい何かに期待している、新年。

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  さて、年賀状に使った写真の解説をしておきましょうかね。新年の挨拶なのに何故に夏の写真を? と思われるかもしれませんが、ずっと旧年中の後ろ姿をテーマにしているもので。いや、特段意味はありません。今回は、灯台のタイルと空と海の異なる青さと、たまたま着ていた珍しくちょっと高いTシャツと、腰に見えるプジョーのキーホルダーやら、あれこれと、キーワードが転がっていましたので、この写真を使いました。 時期は7月上旬、 撮影地は 能登の とある人気のない岬にぽつりと立っていた灯台。思い出すに、蒸し暑さはあったものの、強めの風に心地よさを感じて、しばし、ここで時を過ごしていましたっけね。  振り返ってみると、昨年はひと区切りがいくつかありました。それらは、予期していたけどそれを考えようとはしなかったことの終焉とでも言いましょうか。ただ、それらは、次のステップへの 移行に必要だった事と捉えています。そう、子供の歯が新しく生え変わるために、古い歯は去らなければならない、って感じの。稚拙な表現ではありますが、ま、そんな感じ。 以前、こだわりという言葉について語りましたが、本来、こだわることとは、何かに引きずられて本質を見失うことを意味します。つまり、狎れゆえにこだわりとなってしまっていたあれこれが、昨年は意識せずに、落ちていった、はがれていったとでも言いましょうかね。そういう意味では、今、ある意味、すっきりしていますし、身軽さを感じます。そして、次のステップにワクワクしているとでも言いましょうかね、そんな期待感があります。ということで、今年の抱負ならぬ、キーワードは、見て見ぬふりはしないってことでしょうかね。  写真の頃は、そんなことを少しだけ感じてはいましたが、それほど深くは考えておらず、ただただ、日々(能登)を愉しんでいました。お気楽とか、能天気とか、そんな感じか。さて、今年はどうなることやら。 皆様、よろしくおつき合いのほどを。そうそう、新春早々のたなくじは「大吉に始まり大吉に終わる」でした。

#1011 荒々しさと穏やかさと、自然が発する無言という語りかけ。

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 台風一過と言いつつも、雨が上がったのは夜半のことでした。ただ、見えていた星空も明け方には再び曇って土砂降りとなりまして、写真のような爽快な青空が広がったのは今朝のこと。  それにしても、何もしないでいることの、この無責任さと言いましょうか、このストレスフリーと言いましょうか、この素直さと言いましょうか、脱力感とは異なる力が抜けゆくこの感じに浸ってしまうと、もはや東京へは帰りたくありません。東京と言っても、高尾ですけど。  今朝方に話をしたスタッフは、東京出身で、大学卒業後に間を置くことなく能登へ移住したそうで。その年齢で、豊かさとは何かを知り、そして、それに浸るというライフスタイルを送っていることが、とてもとてもとてもうらやましく思いました。 宿は、まだまだこれからが多いようですが、そんなイチから作り上げようとしているスタイルも、あれやこれやとまたうらやましく。  昨日とは異なる表情を見せる海を眺めていたら、そこから語りかけが聞こえてきました。って、無音、無言という語りかけなんですけどね。

#1010 雑念から離れると豊かな時間は自然と訪れるものなのです、という話。

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  Neturalな感覚になっている時、つまりは、たゆたっている時、突然に 勘が働き、流れに身を任せていると、とてもいい方向へと導かれることが多々あります。 今日の宿は、まさに導かれて、辿り着きました。この秋に完成したばかりの宿ですが、今年の夏に建設途中を目にした時、あの場に何かを感じ、 心強く惹かれ、 訪れようではなく、来なきゃ行けないと感じました。 そして、来てみたら、想像以上。 何もないがたくさんあって、時間が足りない。テレビなんぞもちろん不要で、ちょっといい音を奏でてくれるオーディオがあればいい、そんな宿です。  今回、台風とバッティングすることは想定外でしたけども、ま、それもまた縁と捉えています。実は、過去に、天候が荒れた日に、あれこれと出会いがありました。ブナ林もそう、京都もそう、そして、今回も台風が来るからどうしようかなと戸惑ったものの、むしろ、行かきゃならない、行くと何かあるを感じ、足を運びました。  詳細はあえて書きませんが、スタッフの方にあれこれ訊いたら、この過ごし方たる提案やら、その志やらに、とてもとても感心しました。まぁ、商売っ毛の少ないところが、少々心配だったりします けども……。  こういう感覚に浸っていると、すべてがクリアになり、感覚がシュンと研ぎ澄まされるものです。そして、自分に何が必要で、何が不必要なのか、どれを捨てるべきか、どれを残すべきか、つまりは、今、何をすべきなのかが、はっきりと見えてくるものです。そう、おもしろい。とてもとてもおもしろい。  原稿書きを抱えての滞在も、それはそれで愉しそう。近いうちに、連泊しようと企んでいます。

#1000 だから、能登は、居心地がとてもいいのです、ってな、話。

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  お、ここ、アーティクル毎をカウントする方法に変えてから、1000アーティクルですか。ほほぅ。ということで、少しはまじめなことでも書いてみようとしましたが、わざわざそういうことをするのもどうなんだろうと思って……。というわけで、能登の話の続きです。  昨年からやたらと出かけるようになった能登半島ですが、何故、それほどまでに能登なのかと、よく訊かれます。その回答はとても簡単。いつも快く受け入れてくれるから。受け入れてくれるならどこでもいいのか、って話になりますが、それは微妙に違う、また来たか! と言われているような受け入れている感とでも言いましょうかね。  もてなしてくれるとは異なる、まさに迎え入れてくれる、っていう、そんな感じ。イヤな表情を見せることなく、心広く受け止めてくれる、っていう、そんな感じ。来たい時に来て、帰りたい時に帰りな、っていう、そんな感じ。いきなりでも、計画立ててでもいいから、とりあえず来なよ、っていう、そんな感じ。  写真は、今回の1枚で、大好きな風景のひとつ。拡大してもらうとわかりますが、向こうの半島までずっと道が続いています。この景色に、わかりやすいダイナミックさはありませんが、ここに来ると、すべてが打ち砕かれ、張っていた意地が一気に崩れていきます、力みが抜けていきます。そして、突然に涙があふれ出します、抑え込んでいた感情が湧き出してきます。自分の中の何がリンクしたのかは分かりません。でも、それは、恥ずかしいことでもなく、間違ったことでもなく、むしろ、それこそが、人として自然であることだと感じていますし、それができることを喜ばしいことだと思っています。ま、そんな地なのですよ、能登ってのは。  能登は、豊かさとは、何事もまずは受け入れるスタンスがベースになっていることを教えてくれます。そして、豊かに生きる方法は、自然の中にキーがあることを教えてくれます。だから、能登は、居心地がいい。とても心地いい。そして、そのことを誰かに伝えたくなり、突然に写真を送ったりします。そして、一緒に行こうと誘います。  ま、そんな感じなのですよ、能登ってのは。ただ、誰しも共感を覚えるとは限りません。ただ、今の生活に”何か違う”を感じていたならば、是非ご一緒しましょう。これでいい、これがいい、を再認識させてくれますから。

#934 後先を考えなかったから、手に入れることができた、今更のiPhone5C。

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 というわけで、iPhone5Cを手に入れました。いまさら。なぜか、どうしてか、どうするのか、って、その理由は、MVNOが一体どこまで使えるかのテストを兼ねて。下手なモデルよりも、よっぽど安かったし、ま、何よりもiPhoneだし。そして、このiPhone5Cは、最終的に妹のところで使われる予定でもありますし。  auを出ますって話は、 #929 にて話しましたが、その理由はとうとうと語った支払い金額だけではなく、イマドキに適った使い方をしたい想いもあってのこと。データ通信網がこれだけ広がり、そのスピードも速いのですから、音声通話も変わっていくべきでしょう、ってなスタンスとでも言いましょうか。なんて書くと、それっぽく聞こえるかもしれませんが、そもそも、親友のほとんどはiPhoneユーザーゆえにFacetimeで十分ってのが現状ですし、仕事関係で固定電話にかける際はIP電話を使えばいいかなと、そんな結論に達しましてね。  この携帯電話の件を含めて、最近、わりと後先考えずに行動しています。揺るがない結論を出すことって、実質的に無理なことだと思います。たとえ、考えに考え抜いて、自己防衛しながら、結論めいたものにたどり着いたとしても、その間に、とっとと行動して、ひとつひとつ確かめたほうが、結果、早道になっているものですし、違う結論に達しったとしても、結論として、コトは良い方向へ進んでいるもの、と考えています。ま、能登の影響ですな、これ。もちろん、時には失敗もするでしょうけど、ま、いいじゃん、自分で決めたんだからって、軽いノリですな。いい加減とか、ちゃらんぽらんとも、いうかもしれません。いやはや。

#838 イマドキコミュニケーションでは伝えきれない何かがある、ってな話。

 とてもいいと思った動画(番組)を、誰かに伝えたいと思った時、気軽にSNSへリンクを張るという方法があります。ただ、リンクを張っただけで、意図が分かるような内容ならばそれでかまわないのですが、ついつい、説明を付け加えておきたいというような時は、それでは事足りない場合があります。右に張った画像もそのひとつで、なんどもTwitterへリンクしつつ、コメントを付けてみては違うなと思って、つぶやかないでいました。いや、文字数が足りないし、文字数をフルに使うと、それはそれでかっこわるくて。で、先ほど、そんな時は、ここを使えばいいということに気付きました。  その内容は、この4月からスタートしたNBCのThe Tonight Show Starring Jimmy Fallonで使われたもので、今、ヒットしているLet it goを、Idina Menzel(歌っている本人)を迎えて、番組のミュージシャンとホストのJimmy Fallonで、アレンジして愉しんでいます。おもちゃ的な楽器を使って愉しんでしまうというノリもとてもいいんですが、やはり、プロならではの完成度の高さがあってこそ成り立っていまして、これぞ、遊び心といった感と、素人ではできないクオリティと、まぁ、あれやこれやと感心することが多くあります。  なんてことは、Twitterの144文字では書ききれませんな。今回の場合は、ショーそのものが日本で放送されていませんから、その説明が必要でしたし、ゆえに、登場している人たちが何者かも書かねばなりませんし。そうなんです、文字数が少ないことは読み手に読んでみようというきっかけを与えますが、伝えきれない何かが多くあり、捨てられた言葉があれやこれやとあるものです。  と、便利さと引き替えに、コミュニケーションをあまりに簡潔にしすぎていや、しないかと、そんなことを思ったもので。やはり、コミュニケーションの理想とは、話をすること、時間を過ごすこと。あれやこれやのイマドキコミュニケーションは、代替手段に過ぎないと思うのです。この考え、古いですかね。  ムービーそのものの内容とは、ちょっとかけ離れましたな。

#786 遙かに予想を超えた降雪量と想定外の挨拶なしと、まだまだなヨシダの話。

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 雪は積もったかい? なんてメールをもらっても、そんな簡単に積もったと返せないほどに積もりました。昨日クルマの雪を払ってありましたが、朝、駐車場へと行ってみたら、ごらんのとおり(写真いちばん上)。これ、テールランプ。うちのクルマは車高と地上高のあるクルマゆえに、テールランプもそれなりの高さにあるのですが、まぁ、そんな感じ。吹きだまったのもありますが、それでもそんな感じ。もちろん、そのままではドアも開きませんし、クルマも出せません。雪を払ってラッセルしつつ足場を踏み固めたものの、轍が膝近くまであり(写真2,3番目)、押し固めつつ走れそうだったのですが、地固めだけしてそそくさと駐車場に収めました。  で、ちょっと歩いてきたのですが、幹線道路は動けないと言いますか、動かないクルマが並んでいる状態(写真4番目)で、皆さん、そのままに、一晩を過ごしたかのようにも見えました。1台もエンジンをかけていなかったのは、相当以前からそこに停まっていたから。動くことを諦めたためなのか、一酸化炭素中毒のおそれを避けてか、ガス欠を避けてのことからでしょうけども。もちろん、救急車も動けず状態でしたから、バスケット型のストレッチャーで、まさにソリを引っ張るかのように搬送されゆくシーンも見かけました。 もちろん、歩道は雪で埋まっていますから、人は車道を歩く歩く。で、駅方面から歩いてきた方々とすれ違ったものの、たしか寄り駅発着の電車は停まっていたはず。聞いてみると7kmほど東京よりの駅から、この雪道をノーマルシューズで歩いてきたそうで。いやはや。  そういえばですね、朝から率先して敷地内の雪かきしている方々がいまして、9時の時点でいちばん下の写真のような道筋ができていました。なかったら駐車場まで膝上まで潜りつつのラッセルを強いられましたから、 とても助かりました。 ということで、早々に帰宅して準備して自らも歩道作りに参加してきました。で、雪かきをしつつ歩道を作っていたのですが、そんな道をですね、何も気にしないかのように歩いていく人がいまして、ちょっとショックでした。いや、お礼が欲しいというわけではありませんが、云々……。なんて話をしたところ、そんなもんだよ、って、言われまして、ふっと気付きました。そんなことを口にしている時点で自分がまだまだであるのだと。自分への見返りを期待して

#760 ワクワクさせてくれるクルマだった、ルノー・キャプチャー。

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 さてと、試乗会レポート、第二弾と行きましょうか。今日はルノー・キャプチャー編。あれです、 #294 でも触れていますが、前回の東京モーターショーにも出品されたルノー・キャプチャー(あの時はコンセプトカー)の市販モデルですな。ま、 #722 にて、ベースになったルーテシアをあれだけベタぼめしていますから、そうなんです、悪いだろうとは思っていませんでしたし、実際に良かった。というか、単なるルーテシアの派生種ともちょっとニュアンスが違っていました。  クルマのあれこれを語る前に、まずはデザイン戦略の話についておきましょうか。最近のルノーデザインには、発見が多くて、見れば見るほどに惹かれています。それは、昔からではありますが、今回のデザインステージは、ストーリー性やら深いあれこれがあり、過去とは少々違っています。簡単に言いますとね、The Circle of Lifeってテーマが、新しいチーフデザイナーであるローレンス・ヴァン・デン・アッカー氏によって掲げられました。人ってのは様々なライフステージがあって、クルマもそれに寄り添うことが大切だって、簡単にいうとそんなテーマ性。だからといってですね、なるほどねー、ミニバンはやっぱり必要だよねー、とかそういうレベルの話ではないんですよ。どういうことかと言いますとね、まず、人は恋に落ちて人生の愉しさを知り、二人での冒険にワクワクを覚え、やがては家族となって、働き、遊び、そして、知を得て、人生を深めていくというサークル。サイクルじゃなくって、サークル。で、そのサークルの中のどこかに、皆、当てはまるんだそうです。年齢やら関係なく。クルマはそんなスタイルに合わせていくべきだというデザイン戦略ですな。まぁ、ここで、ほほぅと思われた方は、新しいルノーを受け入れられると思います。でも、ここで、なんじゃそりゃと思った方は、近づかないほうがいいのかもしれません。ま、興味をもたれたならば→ ■ をご覧あれ。  話を戻しまして、えっと、実はこれまでのルノーにはそういったデザインにおけるストーリー性が欠けていたんだそうです。ルノーってのは、デザインがあって、そこにストーリーがあるもんだとばっかり思っていたんですけど、そう言われてみますと、それぞれのデザインに理由があるようで実はなかったりするし、次へのつながりもない、か。なるほどね、そう

#714 特定に、動画を送るという、想いの伝え方がとってもいい、って話。

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 バタバタしつつも、久しぶりにのんびりとした時間があるような気がします。そしたら、朝から郵便が連続で届きました。最初は配達証明郵便、次が速達、そしてゆうパックと、1時間内に3つ。配達員バラバラで。ま、そういうことなんですね。  で、あれこれと仕事を含めて、細々とMacで作業していたらですね、ポロリンとメッセージが届きました。HAPPY HOLIDAYというテキストとショートムービーが(画像。クリックしても動画は再生されません)。年末年始をニューヨークで過ごしている親友からのメッセージでしたが、このムービーってのがとても良かった。 ニューヨークのあれこれをつなぎ合わせたものでしたが、その手作り感が良かった。とても良かった。27秒という時間も良かった。粗編集であることも、音声がBGMのみというのも、良かった。すごく良かった。  そして、多数を相手にアップするのではなく、この個へと送るスタイル、とってもいいと思いました。 とても好きです。 想いが伝わりやすいし、何より伝えやすい。 いや、同じものを多数に送っていたとしても、ね。なんかね、そこには、デジタル時代が見失った暖かさに通じるアナログ感があった気がしたんです。  と、年末に、意外な感激をもらったって話でしたが、これって、もしかすると、AppleのHOLIDAYムービー(→ ■ )に似ているのかもしれません。いや、真似とか、そういうんじゃなくって。センスとスタイルが。 そう考えると、iMovieをiPhoneにもインストールしておこうと思ったりもするわけですな。なるほどね、なるほど。  ということで、近いうちに、こちらから、動画、送ります。ありがとう。

#700 夕暮れに広がる豊かさと空港にあふれる想いに浸るのは愉しいって話。

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 空港での見送りはあまり好きではないと書きましたが、ここ数日、迎えと見送りが重なりました。中国から飛んできた人を迎え、関西へと飛んでいく人を見送りました。で、やはりですね、迎えは好きだなと感じました。成田空港にて。  やっぱり、緊張感がもたらすあれこれでしょうな。到着口から突然に放り出されるかのように出たものの、迎えはいったいどこにいるんだろうかと戸惑っている、あの姿がなんともいえず、とてもいい。これ、新幹線では改札口の向こうから互いを確認できてしまうがゆえに 無理なこと 。空港では互いを見つけられると、そこでおかえりとただいまやらが一瞬に交錯して、互いを自然と笑顔にしてくれます。そんな表情を見たくて、そんなシーンを愉しみたくて、わざわざに迎えに出かけますし、待たせるのではなく、こちらが待つようにしています。で、その待ち時間もとてもいい。と言いますか、そもそも空港という空間そのものに緊張感( #684 参照)があって好きで、自らが飛び立つ時も含めて割と早めに行って、目の前を過ぎる人やら作業車やら飛行機やらを見ながら、あれこれと想いにふけるのが愉しい。妄想とは違う、過ぎゆく時に想いを馳せるとでも表現しておきましょうか。もちろん、俗っぽさがないところにて。  写真上は見送り後の羽田空港の駐車場とXV。オレンジのボディカラーは色彩豊かな夕暮れの空に溶け込んでいました。上の写真は左の写真(ⓒT.Ishikawa)を受けて撮っているんですが、見せてもらった時にグラデーションのような言葉として表現しづらい対象物ってのは、どう表現したらいいんだろうかと考えましてね。グラデーションってのは、グラデーションとひとことで言ってしまえば終わってしまうものなのですが、その景色の中に、帯の中に、写真の中に、詰まっている何かは、もっと異なるもののような気がしたのです。それは数値で表現できる情報量ではなく、理科的な表現のプリズム云々とも違う、量とか分析では得られない、何か。だから、新しい言葉でも表現できませんし、何かに置き換えることも難しい。と思っていたら、ふっと浮かびました、深さです、深さ。つまり、豊かさです、豊かさ。  だから、見る人によって表現が違うわけですし、そもそも感じ方が異なる。だから、その印象も、心境によっても違うし、心持ちによっても異なってくる。それは、つまり豊かさを感じ取