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#1927 船やらの貸し出しってありましたっけか? ってな、千鳥ケ淵周辺の話。

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 東京都をメインに周囲の県も走っている首都高速道路ですが、その中心部である環状線を走ることは多々あれども、その周辺を歩きまわることはあるようで、ありませんでした。この上の写真は、大きな千鳥ケ淵を手前にして、皇居のお堀を走り抜いている環状線が西方向に写り込んでいます。方向的には、東側を向いて撮影しており、環状線そのものは東へと向かっているルートですな。この環状線のポイントは、この代官町ICでの乗り降りのために持ち上げた感があるのですが、その前後は地下にありますので、上がったり、下がったりって、結構激しいルートなんだな、と、あらためて思います。  で、この地なんですが、よく通るシーンのですけども、そのすぐ横に下道があったことを知りませんでした。といいますか、見ていませんでした。この環状線と下道が近づくシーンはいくつかあるんですが、そこは平行して走るルートなれど、下道のほうが高さが上にあり、そこはまさに環状線を上から見下ろすスタイルになっていたりします。環状線でこの付近を走る時にはどちら周りでもその周辺まで必ず目にしているはずなんですけどね。今回のように、歩きから見えてくるシーンってのもなかなかおもしろさがあるなと感じました。って、そんなことを考えていると、千鳥ケ淵の向かいにある北の丸公園内もしっかりと歩いたことがありません。都市部には足を踏み入れたことがないところばかりのような気がしてきました。まぁ、意図的に避けていたところもあるんでしょうけれども……。

#1926 ぶたの姿をしたパンなれど、このかわいらしさはどこから来ているのやら。

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 一昨日に三鷹周辺を歩いた話をしましたが、まず最初にパン屋さんへと出掛けました。その後に訪れた「よもぎBOOKS」とは逆方向になるんですが、少し歩いてまでも出掛けたい先でしたので、歩いてきました。で、上の写真は、 ここね のパン。おもしろおかしく手を加えることで、かわいらしいパンを焼いています。このまさに愛嬌あふれる表情は、簡単に作れるものではなく、また、試行錯誤しながら完成したって感じが、実にいい。豚の鼻のデザインなんて、なぜに、下側がフラットなデザインになっているんでしょうかね。って感じで、ひとつひとつが、こういった工夫によって作り上げられていますし、こちらの気分がほっこりとしてきます。あー、よーく見ていくと、胴の後ろ側にちゃんとしっぽまで着いていました。ちなみに、こちらのパンは北海道産小麦をベースにしながら、天然酵母種を用いて作り上げており、なんていうのかな、素朴とはまたちょっと違う、豊かさに支えられた感にあふれています。つまり、こういったキャラクターに頼らないパンの美味しさも力強さに支えられていますな。  そうそう、このパン屋さん、写真で撮影したパンの中に何が入っているのかを確認しないまま購入してきたので、食べてみたらば、チーズとハムとの組み合わせでした。ということで、購入してから翌日まで持ち歩いていたので、とっととひとりで食べてしまいました。

#1925  閉じられてはいなかった、意外性があふれでている2026年のカレンダー。

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 日々歩いています。ただ、1日で歩くのはそんなに長距離とはせず、また、我が家への一線に近いところをテクテクと歩いています。いつもは行き先を明確にしないままに出掛けながら、いつしか目的地が決まっていまして、そこに、なにかイベントごとがあったりもしますので、なんらかのおもしろさがあったりもします。今日は、東京は三鷹駅近くを巡りながら、最終的には「よもぎBOOKS」で開催されている牧野千穂個展「Love and All That」へと出掛けていました。今日のおもしろさはなんだかな、まぁ、思いのとおりにいかなかった宅急便コンパクトを利用できなかった面倒さ、とか、想像していた店舗と違っていた店構えとか、あれやこれやとありました。ちなみに、今回は、出掛けようと思っていた目的地のトレースはしっかりと終えてきました。  たまに、とはいえ、ネコ派なのか、それともイヌ派なのか? と問われることがありますが、どちらかといえばイヌ派。自分はネコに興味がないとか、そういうレベルではないのですが、なんだかんだいいながらも、やっぱり、イヌ派。なんでしょうかね、与えられたモノゴトにオリジナルを交えているネコには近寄りづらいといった雰囲気を感じ取っているからなんでしょうかね。ところが、ここに並んでいるネコ群は、それぞれに表情が異なるし(当たり前ですが)、それぞれに行動が違っている。それでいながら、愉しさにあふれているところが、すごくいいかな、と。さらには、色合いがモノクロトーンでありながら、アクセントに赤を用いるところもいい。コントラストの良さとでもいいましょうかね。上の写真に写し込んでいるカレンダーを購入してきましたが、てっきり閉じられていると思い込んでいたらなんとバラバラに、そして月ごとに印刷されていました。販売価格は1760円(税込)。カレンダー「ごとき」に、費用をかけるなど、初めてじゃないかな。でも、そこまでしても手に入れたかったカレンダーでした。

#1924 素通りすること、3回目で、ようやくたどりつくことができた、とあるカフェの話。

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 訪れることができたのは3回目のことでした。1回目は近隣を通過してしまい、店舗すら見たことはなく、2回目は、手前にあったパスタ屋さんだけが目に飛び込んできて、その奥に店があることに気が付きませんでした。やはり、到着するには、難があるなぁと思いながらも、本日、なんとかたどり着くことができました。  このカフェは、実は、表にパスタ屋さんがあり、その奥に位置しているのですが、まずはパスタ屋に並ぶ方々を見てしまい、その奥に何かがあるとは思えない、そんな状況下にありました。で、今日は誰も待っていなかったことと、そもそも場所を探し当てていたので、そそくさに奥へと進みました。そこには、店舗内に入るにはちょうどいい「幅」でありながら、高さ不足な窓があり、また、備えた店内へとアプローチするための階段とに誘われ、さらにはスペースにはスツールが整えて並べられており、まさに、どこが玄関になっているのかは、実に分かりやすく作られていました。ちなみに、このスペースの上はただの屋根に見えますが、店内の広さに対して、何気に広いスペースを確保しており、ちょっとオドロキだった部分。店員さんによれば、ここまで広いスペースがあったことも、実はプラスになったとおっしゃっていました。  ただですね、見方を変えると、こちらの入り口な窓は、どう見ても、頭をかがめながら入らなければならず、半地下へと降りていくかのように階段を下りていきます。しかしですね、実際に面倒はありながらも、個人的にはイベントごとをさせてくれるかのようで、そこに愉しさを感じました。なんでしょうね、こういった不便が何かをしなきゃならないときに必要になる、良質さって……、もうそれだけで、心が満たされました。  ちなみに、この店舗は、いわゆる表通りにはありません。そして、その裏通りにあります。さらには、こうした不便さがあることは、この店舗の味わいになっており、それこそ、色になっています。そう、どうして、窓サイズを変えなかったのだろうか、なんてことは思わせない、この作り込みこそに、魅力を感じたのでした。

#1923 ひたひたと歩いてみた都立青山霊園と、そこにあった桜の大木やら。

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 東京は青山霊園の中をちゃんと歩いたことはなかったような気がしています。そもそも、皆さんはどうしてここにお墓を備えたいのだろうかと思いましたが、さらには、きっと人気はものすごく高く、手に入れるのはたいへんなんだろうなぁとも考えました。た、たぶん……。で、価格はどのぐらいなんだろうかと調べてみると、今年度の一般埋葬施設では、使用料は34万5800円〜1054万3500円で、年間管理日が1500円〜6000円とのこと。この価格帯が高いのか、安いのか、さっぱりわかりませんが、いちばん安い価格帯は、都内かと思いきや、隣となる千葉県にある八柱霊園、高額なのは青山霊園となっていました。ちなみに、青山霊園でいちばん安いのは460万3500円でした。そして、やはり同じく一般埋葬施設で、倍率はどのぐらいになっているんだろうかと調べてみると、1.4(八柱霊園)〜11.0(青山霊園)とのこと。ただし、そもそもの募集数が八柱霊園では330区画なのに対して、青山霊園では65区画しかありませんし、また、たどり着くための便まで考えると、これだけの高倍率になってしまうんだなぁと納得できるところもでてきます。  あらためて振り返ってみると、霊園へとちゃんと足を運んだことは、やっぱりなかったような気がしています。ょっと数字を調べて、並べ替えてみましたが、やはり、この青山霊園は、道幅が広くとられており、もちろん、狭いところもあります。そして、夜でも歩いてみたくなる、そんな雰囲気もあったような気がしています。ま、たぶん、夜は入れないようにされていると思われますが。それにしてもなんでしょうかね、この、年を重ねてくると、霊園がそれほど怖いとは思えなくなっていたりもします。不思議だ、不思議。

#1922 東京は立川駅にて、人身事故発生のアナウンスがされた青梅線、な、話。

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 今日は、朝から雨だったので、寄り道をせずにそそくさと帰ろうと思っていたのですが、その帰りのこと、立川駅で青梅線に乗り込んだところ、なんと昭島駅で人身事故があったと、車内で放送がありました。発生した時間は12時13分だったかと思うのですが、乗り換えた立川駅にてごにょごにょと放送があったのちに、まずは、隣駅となる西立川駅まで車両を移動させ、で、停車する、とのアナウンスが続きました。人身事故については過去にも書きました(→ ■ )が、その細かな微細まで伝えてこないことはいいかなと思うところもあり、一方で、もう少し知っておけば、この先をどう動くかまで見えてきますので、知っておきたいという思いもありましたけれども……。  いずれにしても、その後、西立川駅まで移動して、停車したままに時間が過ぎていきましたが、後から、出発できるのは13時30分ごろになりそう、と、のアナウンスが流れてきました。写真を見ると、電車を降りたのは12時42分。うーむ、本当に13時30分まで待たねばならないのか、と、少し考えてから、駅を離れて歩くことにしました。まぁ、なんといっても、冷たい雨は降り続いていたために、たいへんではありましたが、無事に帰宅。ちなみに、自らが乗っていた車両は、立川駅を離れる時にはドアは開けっ放しだったのですが、西立川駅へ到着してからはパネルやらの操作をしないと、ドアは締めっ放しになります。そうなんですね、青梅線ってのは、こうした時にお役に立つところがあるようです。

#1921 歩いていたら突然に出会ってしまった「浅川兄弟の遺した道」の話。

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 テクテクと歩いていたら、たまたま、 KOREA CENTER の横道から甲州街道へと出てきました。そういえば、この施設って、なにかを見学できたりするんだろうかと玄関前へと行くと、「浅川兄弟の遺した道 〜朝鮮の自然と文化、そして人間を愛した伯教と巧〜」が開催されていましてね。浅川兄弟を辿ることで韓国をさらうことができるなぁ、と思い立ち、立ち寄ってきました。兄は伯教、弟は巧と呼ばれ、ふたりとも、母親とともに朝鮮へと渡っています。朝鮮で何を求めて活動してきたかはなんとなく知っていましたが、日本にいる間に何を学んできたのかを知ることができる構成になっており、それもまた上手く作り込んでいました。また、山梨県の八ヶ岳ふもとで育っていたこともあり、そこにも興味を強く引かれました。  ふたりの年の違いは5歳ほど。兄は教師を目指し、弟は営林署へ勤めており、それぞれに目指した道が違ったこともあったのでしょうね、その後、互いに互いを意識していったことも暮らしぶりから見えてきます。朝鮮へと移った時代は、兄が1913年、弟が1914年から。多くの日本人が朝鮮へと溶け込もうとはしない中、あえて、朝鮮式家屋に住み、そして、朝鮮語を話しながら暮らしていたといいます。人間的な関係は語られてはいませんでしたが、そういったスタイルからも、朝鮮の人たちに溶け込もうとした環境も見えてきます。芸術に長けていた兄は多くの画を残し、また、弟は林業技術者として活躍をしながらも、ふたりともに、朝鮮白磁に惹かれ、やがては朝鮮民族美術館を造るとまで発するようになりました。残念ながら、弟は40歳で風邪をきっかけとして急性肺炎で亡くなっていますが、と、同時に、残された日記にはさまざまなことも書かれていました。なるほどなぁと思うところだけではなく、そして、より深く知ることができたこと、そんな「おもしろさ」がそこにはあふれていました。

#1920 いちょうに見とれていたら、ついつい見落としてしまった、千駄ヶ谷の冨士塚の話。

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 2度目となる、東京は千駄ケ谷にある鳩森八幡神社側を歩いていたのですが、なんとそこには千駄ヶ谷の冨士塚があることを、今回、知りました。この冨士塚は都内のどこかにあるのは知っていましたが、それがいったいどこにあるのか、分からないままでおりました。もちろん、昔の会社の方々に訊けばいいだけの話ではあるんですが、してきませんでした、なんていうんでしょうかね、ちょいと気になりつつも、思い出すまでもなく、あそこは一体どこなんだろうなぁ、的なニュアンスで捉えていました。上の写真は、前回撮影したものなので、その主体は、ど真ん中にあるいちょうの木としていました。もちろん、かなり大きさのある樹木だったのでサイズ感を写真に写し込むには難しさがあったのですが……、って、そのいちょうの右側にその冨士塚がありました。高さにして6m程度ですが、そもそも、ここに積まれている岩系は、一部は富士山に存在していた岩だったそうで、わざわざ運んできたことを考えると、少々感慨深くもなってきます。まぁ、最近、持ち出したとも考えられませんしね。  あらたに最近集められたイラストを眺めていると、その看板そのものに用いられた色合いには新しく色を重ねていますし、たしか、登山用に用意された道も、登りも降りもこんな雰囲気となっていました。そして、肩書きとしては、東京都指定の有形民俗文化財「千駄ヶ谷の冨士塚」を得ていますが、これが、はたして昔からあったような、なかったような、よく覚えておりません。ちなみに、この富士塚が完成したのは江戸時代だったとか。途中、関東大震災を機に作り直されていますが、この地に、これだけの岩場を作り上げるのはたいへんだったろうなぁと、思わせてくれます。そして、新しいお客さんを呼び寄せている姿を目にすると、この冨士塚は、時代が経過すればするほどに、その価値を高めてきているような気もしてきました。

#1919 突然にインバウンドによる海外の人たちが濃くなっていた、浅草駅周辺。

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 東京は浅草へと出掛けてきましたが、実際にはJR浅草橋駅から徒歩で歩き、そして、都営浅草線や銀座線、さらには東武鉄道がある浅草駅まで出掛けてきました。あいかわらずのインバウンドでいらした海外の方を中心にごったがえしていましたが、そんな中にも国内の方々もいたりして、なんだかわけがわからない状況下となっていました。今回は浅草駅をぱちりと撮影しましたが、そういえば、ここに写り込んでいる浅草松屋( ■ )については、半ば放置されたままになっていました。  ということで、調べてみましたが、現在の建物は外壁のデコレーションをしたものだそうで、2012年に完成したとか。当時、近隣にあった東京スカイツリーの開業に合わせた整いとしたようで、そして、4階から屋上までを、エキミセ(東武系)へと手渡していました。言い換えると、地下1階、1階、そして3階は松屋浅草でありながら、2Fには東武浅草駅を設定しています。店舗を拝見してみると、崎陽軒、浅草今半、日本橋にある日山、とらやを配置しながらも、そこになぜだかココカラファインが同居。ま、これこそが、イマドキの百貨店的な展開といえるのでしょうかね。まさに、かろうじて、といった感が漂っていますが、考えてみると、銀座線の浅草駅へとつながる道は、その地下へと直結していましたし、さらには地上へはエスカレーターが伸びていたかと思いますので、あとは、やる気次第なのか……、いや、むずかしいんでしょうかね。逆にいえば、インバウンドによる効果を期待すれば、まだまだ行けるんでしょうかね。……、と、そんなことを感じました。

#1918 整えすぎた感がものすごく強いんですが、奥の建物との新旧な違いも愉しめそうな「市谷の杜 本と活字館」。

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 都心にある市谷加賀町って地域は、過去に通過したことはありましたが、歩いたことはありませんでした。なぜ、そんな街にいたかといえば……、って、なにか考えがあったわけではなく、ふらりと周囲を歩いたらどんな感じなのだろうかと、思って、歩いていました。ら、そんな中に、大日本印刷株式会社(DNP)の本社がありまして、おっと、こんなに大きかったかなと思いながらも、いまや印刷して稼いでいるところといったイメージを持っている方は少ないかな。現在では、その規模、そして、園地を附属させたことなどによって、まさにイマドキの会社であることを強くアピールしていました。ふーん、突然に土地の使い方が豊かになり、おもしろいなぁと思いつつも歩いていたら、「市谷の杜 本と活字館」がありました。あまりに磨かれすぎた壁面と、漢字の並びが旧世代、つまりは、右から左へと流れており、さらには、取ってつけましたといわんばかりの時計を飾っている姿に、なんか違うんだけど、いいのか、今の時代だから、と、思って、眺めていました。  検索してみると、その前身でもある秀英舎は1886年(明治19年)に建物を作っていたようで、時代を考えると、そのたいはんは木造が主体となっていました。そして、建物は、1920年に鉄筋コンクリート作りへと変わりつつ、この建築物は1926年に完成しています。この建物の修復は、2010年にスタートした市谷工場整備計画のひとつとして始まっていました。もちろん、残すべき建物であり、さまざまな理由もあってのこと。曳きや工事によって、この地へと移動してきましが、高さにおいてはなんと約3.2mも移動しているとか。また、社名については、正面から撮影された写真が見つかり、それをもとにアウトライン化、そして印刷に回したそうです。中は、さまざまな印刷機が並べられ、じっくりと観察することができる地となっているようでした。そう、「でした」と書いているのは、この日は休館日だったためですが、ま、機会があったら、ぜひとも訪れれてみたい場となっていました。ちなみに、左上に掲載した写真は、すぐ横に立っていた本社ビル、と合わせてのもの。こうして、写真の比較をすると、新旧兼ねてたいそうなものを作りましたなぁ、といった感も湧いてきあs

#1917 東京と神奈川に存在していたリコスってなネーミングの、スーパーマーケット(いずれも小型な店舗)。

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  初めて目にしたコンビニエンスストアがありました。そこはリコスと名付けられていましたが、って、その名称の前にはスーパーマーケットと書かれていますので、コンビニエンスストアとはちょっと毛色が違うようですな。実際に、店内をチェックできていませんので、品揃えにどういった違いがあるのかまでは分かりませんでしたが、その横にG-7グループと記されていますので、どうやら、現在ではどこかの大手の会社に属して「いる」ブランドとなっているようです。で、そのリコスですが、会社としてはG-7リコス・ストアズに含まれており、そちらのお知らせなる項目をのぞいてみると、どうやら店舗数を減らしている傾向にありました。ちなみに店舗は、東京と神奈川のみで展開されていますが、東京は区内で、さらに東方面に限られているんだろうと思ってみれば、そんなことはなく、町田市や府中市、そして、武蔵野市や調布市にも店舗があるようで……。ちなみに、写真を撮影した時は改装に入っているかのようでしたが、ついこの前に店舗閉業したとのこと。過去のグーグルマップでは、店頭にティッシュやトイレットペーパーやらを並べながら、店内にはお酒も置いてある、ちょっと昔のコンビニ的な展開をしていた様子で、場所を選ばねばそれなりに人気が出そうな印象も持ちました。このリコスの営業時間は24hが基本ではないようで、場所によっては8:00-22:00なんて店舗もあったようですな。  ふーん、そういった展開もあるのか……、と思いつつ、自宅でさらに検索してみると、お、こちらのG-7なんたらは、オートバックスやらにも展開をしているを会社じゃないですか。って、さらに眺めていくと、業務スーパーまでこちらに属しているようで、びっくり。イマドキの会社ってのは、他業種を混在させながら、こうして業種を広げているんですなぁ。言い方を変えると、まさにホールディングスって言ったほうがいいのかもしれません。あ、さらに眺めているとですね、この業務スーパーは、G-7グループに属しながらもその中にあるG-7スーパーマートに属しており、そこには、青果事業を担当しているめぐみの郷(G7アグリジャパン、店舗は兵庫、大阪、奈良のみ)、精肉販売であるお肉のてらばやし(G7ミートテラバヤシ)ってな展開もしているようです。ちなみに、このお肉のてらばやしの本店は横浜にあるようで……、って、さらに調...

#1916 東京にある代々木駅前は、道路はそのままに、信号もそのままに、大きく変わるかもしれません、その2。

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 東京にある代々木駅前の話をしながら、書き切れないあれこれが出てきました。前にも挙げましたが、当時は、いちばん新しかったのかな、新館と呼ばれる(思い込んでいただけかも)代々木ゼミナール(7)が残っていました(前にアップした地図)。というよりも、残されていました、といったほうがいいかな。横にここ専用と思われる駐車場がついていましたから、崩せない理由が何かあり、そして、駅から遠くないこともあって、手放さないんだろうな、ってことも浮かび上がってきそう。ちなみに、Wikipediaで調べてみたところ、08年に本館ビルを新宿方面に立て替えをしたようで、最近は、どうなっていたのかは、よくわかりませんが……。  そういえば、京王線の南平駅にあった寮がありました。あったのですが、この本館が建った頃に閉鎖。まぁ、そもそも、南平って地に寮があることに対して、ちょっと違うんじゃないか、と思ったことがありました。ただ、本館に巻き込んだ投資が行われ、代々木はもちろんですが、新宿に近い(すぎる)こともあり、月額の寮としては18万円(そのほかにも必要)と、そこそこに高い寮となっていますが、それもまた、都会的なゼミナールとしては必要だったんでしょうかね。ま、新宿があまりに近すぎるからなぁ、仕方ないんだろうなぁ、とも思いました。  と、駅前の代ゼミな話をしてきましたが、久しぶりにJR代々木駅で降りたところ、構内には新しい路線との接続はできていたものの、メイン出口、そして、東口との繋がりは、昔のそのまんまでした。自動改札機の並び方がちょっと違うようにも感じましたが、たぶん、そんなことを感じただけなんでしょうね。この代々木駅って、そのうちに大きく改良を受けることでしょう。受けるでしょうけど、あの山手線と総武線の動きまで捉えなければなりませんから、工事はオオゴトになるんでしょうね、きっと。この写真は、メイン出口を捉えたところ。後に見えている大きなビルはNTTドコモの建物です。

#1915 東京にある代々木駅前は、道路はそのままに、信号もそのままに、大きく変わるかもしれません、その1。

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 先日、東京は代々木駅前を訪れた時に、駅前のスペースが随分とゆったりとしていたってな 話(#1912) をお伝えしました。が、あのスペースは広々としていたというよりは、30年前以上に作られていたスペースはそのままに周囲の建物が崩されており、その大御所だった、代々木ゼミナールが崩されて大きくスペースを提供し、そこに何か巨大な建物が立ちそうな感じがありました。裏にあった「代々木ビレッジ バイ クルック(代々木VILLAGE by kurkku)」ごと開発するんでしょうかね。建物の作り方によっては、また、サイズによっては、ずいぶんとせせこましい街になってしまいそうな予感すらしています。  この上の地図は、代々木駅前となりますが、地図の真ん中少し下にある代々木ゼミナール(1)と書かれたところは現在は写真のように何もなくなっており、その下側に代々木ビレッジ バイ クルック(代々木VILLAGE by kurkku)」があります。で、よくよく観察していくとですね、まず、駅を出たところにあった鈴木薬局(1)がなくなっておりました。それほど幅はありませんでしたが、その左側に代々木ゼミナール本館との通路が作られており、そこに、互いに意地のように土地を守っている感があり、感心していたりもしていました。ただし、その横にあった代々木教会(3)、そして、太田園茶店(5)はしっかりと残されていました。両方とも、ご自分の土地なんでしょうね、それこそ守っていく感が強くあったように思います。ちなみに、当時から変わらない建物のままで残されていた花クリニック(4)は、あいかわらず推薦されたままなのかな、いずれにしても、そのままに残された感が味を作っていました。そうそう、原宿駅前には代々木ゼミナール造形学校がありましたし、ここ代々木には、代々木ゼミナール(7)が以前の建物のままに残されていました。  かつて旧校舎があった代々木ゼミナールは、現在はSAPIX代々木ホール(6)となっておりまして……、と、思って、調べてみると、代々木ゼミナールは関連があるようで、Y-SAPIX、SAPIX中学部と繋がっているようでした。いずれにしても、最近の代々木ゼミナールは当時の群を崩したように見えていましたが、いろいろな業種を巻き込みながらも生きながらえているようです。

#1914 小さなジムニーが送られてきたけど、ボディの色塗りからドライバーまで、作り込んだそうで。

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知り合いが、我が家へとジムニーを送ってくれました。あらまぁ、来年から乗れるモデルじゃないですか、と感激していましたが、裏話を訊いて行くうちに、ボディは自分で塗っているし、しかも、ルーフやらボンネットの色合いまで自分でペイントしていまして、さらにビックリ。え? これ、できあいスタイルじゃなくって、細かにバラバラにできるモデルだったようで、さらなる裏話を訊いていると、インパネもバラバラで組み付けて、そして、接着して作り上げています。もちろん、そのインパネにはいろいろと細かな色合いが表現されており、これもまたビックリ。そして、ドライバーは、自分に似ているなぁと思いつつ、こういう人がいるのか、なんて思っていたら、これもまたオリジナルだとか。このドライバーは、自分の振り返りポーズを真似ていますが、そんな風景まで細かに作り込んでいますが、もう少し言ってしまうと、手足はざっくりと切り取られて、そして、接着されて、んで、この姿を作り上げていました。着ている服も当時のものに合わせてありますしね。  ボディサイドに貼られた大きな4x4MAGAZINEのステッカーは、後から貼ったので剥がそうと思えば剥がせますとは仰いましたが、え? これもまた、作ったの? って感じの仕上がりとなっています。この細かな文字まで作ったようで、さらにビックリ。そうそう、フロントタイヤは左右に動かせますので、ここにも、かなり感激。ホイールは、さすがにできあいがあったのだろうと思われますが、これとて訊いてみないと分からないところもあります。いやー、すごくびっくりしました。もちろん、保存版にいたしまする。

#1913 大学病院での患者受付番号が1111に続いて、1234が来てしまった、という衝撃的な話。

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 以前ですね、 #1808 にて、大学病院での受付番号に、とうとう1111番が来た! と、書いていましたが、ついこの前のことかと思いきや、なんと2025年6月21日でありまして、ほぼ半年ちかく前のこととなっていました。早いなぁ、早い。時間が立つのは実に早いものがあります。そして、今日はですね、突然に1234番が来ました。本日は、そもそも院内をあちこちと回らなければならない日ではありましたが、今日は何番が来るのだろうという思いがありました。で、突然に、この番号を目にした時には、心の中でやったー! という思いがめぐり、でも、誰にもいうことはできないという、でも、それでもいいや感があふれており、もう、これだけで 、一日が大満足といった感じに満たされていました。  この病院へは、足しげく通っておりますが、もちろん、受付やらで呼ばれる時には、まずはこの番号にて呼び出しがかかります。ま、いわゆる個人情報ってやつなんですが、つまりはですね、「せん・にひゃく・さんじゅう・よんばんの方ー」、と、呼ばれます。ところが、とある診察科では、自分のことを、突然に「いち・にー・さん・よんの方ー」と呼ばれまして、ちょっとビックリ。これはですね、まずは数字をすべて目にして、だからこそ、数字の並び方をなぞって、そう呼んだと思われます。そんなことを勝手に頭の中に思い浮かべると、実に、愉しさがあります。あります、あります、あります……。って、考えすぎているんでしょうか、自分。いや、いいとは思うんですけどね。ま、いいや。

#1912 何ができるわけでもなく、大きく変わった感がまったくなかった、東京は代々木駅前。

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 東京都の代々木駅前を歩いていたらですね、駅前にあったあの大きなビルが消えていました。写真は、後に駅ってな図柄から撮影しています。ちなみに、消えていたというよりは、一時的に消去され、そして、何か新しい建物へとスイッチしてゆくようでしたが、どこも立て替えばかりで、おもしろいんだか、おもしろくないんだか、さっぱりわかりません。ちなみに、自分は、この代々木にあった代々木ゼミナールに2年も通ってしまった過去がありましたが、なつかしいやら、寂しいやら、複雑な気分となりました。建物を崩された地はまさに写真真正面のところなんですが、やはり代々木ゼミナールが持っていた土地だったんでしょうかね。ふと、代々木ゼミナールは、駅近くにいい土地をたくさんもっているので、何かあったとしても、なんとか生き残れる実力がある、なんて話を聞いたこともあります。  それにしても、この代々木駅前ってのは、誰も触れることができず、そのままに放置されていた印象が強くあります。でも、振り返ってみると、少し奥へ入ったところにあった旧ビル(代ゼミね)は、突然に崩されて、「代々木ビレッジ バイ クルック(代々木VILLAGE by kurkku)」と呼ばれる広場系へと移り変わり、8年だけの期間限定プロジェクトなはずが9年も開催されたとか。って、そもそも期間を限定していたそうですが、その後は、何かに変えることを目論んでいたんでしょうか。ってか、土地の所有者はいったい誰なんでしょうかね。  で、その古い建物の話はさておき、今回、崩されたのは駅前にあった、代々木ゼミナールの新館。当時としては、ってそれでも30年近く前になりますが、代々木ゼミナールのすべてはこの新館にありましたので、やはり寂しさを感じますな。ちなみに、少しズレたところにあった、別の建物はどうなったんでしょうか。って、やはり、新館って感じでしたけども。って、見てくればよかったですな。今度、出掛けてきます。

#1911 あ、運転できないじゃん、でも、知人に頼むのもたいへんだし、……、の、その後。

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 年内は運転することができません。って、どこかに書いた記憶があるのですが、ひょっとして書いていなかったりするんでしょうか。あれ、どうだったっけか。まぁ、いずれにしても年明けにならないと運転はできません。購入したクルマは申し込んでから1年以上待たねば買えないモデルだったのですが、商談へと出掛けたところ、小変更が行われるモデルと、その後に登場するモデルがありました。散々に迷ったのですが、旧いモデルを選びました。ら、なんとすでに商品は完成間近だったようで、待つことなく、すぐに納車。待たねばならないモデルだったのに、即納ってこともあるのかぁと思いつつも、一方で、我が家までもってきていただいた時に、新車だから1か月点検に出さなければいけないことに気付きました。ディーラーまで、クルマを持って行くのって、免許を使うことができないと、たいへんたいへん。こういう時は、免許証のある知り合いに運転をお願いしてもよかったのですが、この時期にお願いするのもたいへんですので、ディーラーの方に運んでもらうことにしました。  ということで、上の写真は、いざ出陣の時に、撮影したもの。こうして、眺めているに、やっぱり、黄色に黒という組み合わせは、好きになりきれないことを、強く感じてしまいました。ちなみに、1か月点検の結果は、我が家に来てからは、そんな理由から距離は進んでいないため、ディーラーで見ていただいてもなにも溜め込むことなく、すんなりと戻ってまいりました。  そういえば、先日、どこかの線路近くで、これとまったく同じ色合いのジムニーを見かけました。日常を歩いていて、とつぜんに出会ったこともあってびっくりしましたが、と同時に、ここに1台いたかぁというがっかり感も湧き上がってきました。ま、珍しいなら珍しいで、見たことないほうが良かったとも思っていたためでして。ちなみに、ほぼノーマル状態でした。

#1910 昭和かと思いきや、平成元年に完成していた、調布に佇んでいるPARCO。

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 今日は今日とて、ふらりと東京にある調布市を訪れたのですが、駅前にあった建物群は、地下へと埋められており、そこには駅などなかったのではないか、と、思えてくるフラットシーンが作り出されていました。今日は日曜日だったからなのか、工事はまだ施工中なシーンがありながらも、そこにはかなりの人々が訪れていました。何か、イベントがあったのか? と思われるような人ばかりでしたが、だからといって、海外から来られた方が特別多かったといった印象は受けませんでした。  さて、そんな調布駅前にあるPARCO(写真上)ですが、改めて目にするによくできた建物だなと感心しました。もはや、昭和だから建てられた建築であって、今、技術があるとかないとか関係なく作ることはできないだろうな、と、思わせてくれました。なんていうんでしょうかね、角が美しい。この緩やかなコーナーは、昭和な時代だからこそ……、と、書こうとしたら、なんと、完成したのは平成元年ではないですか。あれ……、おかしいなぁ……、絶対に昭和な味だと思っていたのですが、ま、完成は平成になってからでした。ただ、さらに観察していくと、そのコーナーリングは外側だけではなく、内側にも抉られていまして、上手く作ったなぁとひたすらに感心させてくれます。それにしても、この壁色の美しさと、そこを横切らせている黒の入れ方、さらにその磨き方に恐れ入りましたといった感を受けたのでした。いや、すばらしいね、ここは。  ちなみに、PARCOではありますが、ここは駅前にあるPARCOですので、ほかの建物とは違うと思われます。といいつつ、店舗のチェックをしてきませんでした。どうなっているんでしょうかね。

#1909 お鷹の道・真姿の池湧水群から流れ往く小川に群を作っていた、アジアンタムとクレソン、と。

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 今日は、東京は西にある国分寺近辺を歩いていました。そして、ふと気付くと、そこにある「お鷹の道・真姿の池湧水群」から流れ往く透明度のすこぶる高い川面ではホタルが出ることもありますと書かれており、え? ホントなの? と思いながらも、眺めていました。でも、どうしたって、これだけの都市になってしまうとホタルは出ないでしょ、といいますか、ホタルを見るためには表には見えてこない相当な努力が必要ではないかと思われます。まずは、タニシをどうするとか、そんなところから始めなければなりませんから。  ま、そんなことを考えながら、散策していましたが、川面では影ができたところに、アジアンタムが成していました(写真上)。一部だけではありますが、環境がすこぶるアジアンタム向きになっているんでしょうね。そもそも、野生で生えていてもなんらおかしくはないのですが、そういえば、最近は、国内のこうした地でアジアンタムが生えているシーンをよく目にします。それだけ、地球の環境も変わってきているんでしょうかね。不思議ですが。そして、その少し下流では、クレソンがこれからは自分たちの季節といわんばかりに勢いを強めつつ生えていました(写真左)。しかしですね、こちらは、どなたかが植えて、そして生えてきているんじゃないかな、とも推測されました。ま、実態はわからないわけですが、こうした川面は、じっくり眺めていると、意外にも、愉しさにあふれていたりもしますな。

#1908 陽当たりはとってもよかったのですが、寂しさは極められていた、外苑前のいちょう並木。

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 今日の神宮外苑にあるいちょう並木は、いつしか、葉をそぎ落とし、そして、地面には落ちた葉は潰されて、すっかり冬景色を迎えていました。太陽の陽射しはそこそこにありましたが、空気がツンと冷たく広がっており、寒さを感じさせました。もちろん、木によってはまだ紅葉といった立ち木もありましたが、枯れている感のほうが強かったかなといった印象があります。それにしても、約10日前に訪れた時には、紅葉は盛りを迎えており、撮影している日本人はもちろん、海外の方も多くいらっしゃって、平日ではありましたが、まさに賑わいを見せていました。あの時は、なんで、こんなに人が集まっているんだろうか、と疑問を持ちましたが、考えてみると紅葉な盛りでしたから、ま、当たり前か。それにしても、日本人はまだしも、海外の方がよく紅葉がいちばんイイ時期を抑えていたなぁと、ちょっと感心したりもします。  考えてみると、このいちょう並木を訪れたのは、30年以上前のこと。ただし、その日付は11月の連休だったと記憶しています。しかも、その連休とは11月3日であって……、あれ、そんな早いわけはないか、いや、でも、その時期に、仕事で河口湖方面を訪れた時に路面が凍っていて、クルマを滑らせてしまった覚えもありますから、その時期だったと記憶しています。いずれにしても、紅葉の時期すらかなり遅れてきていますので、もう少し時間が経過すると12月末ごろにこんな景色になっているような気もしています。左に掲載した写真は、その10日ほど前に撮影したものを、再掲しています。拡大するとすぐに分かりますが、もはや、その木陰は、人、人、人……、と、人ばかりとなっています。