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#1724 すこぶる考えられていた展示手法に圧倒された、トヨタ博物館の話。

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 トヨタ博物館へと出掛けてきました。先の大型連休から今年の7月18日(月)まで開催されている 企画展「Here’s a Small World! 小さなクルマの、大きな言い分」 の取材です。その内容は、この企画展のタイトルに集約されていますが、と言いますかね、タイトルとして秀逸でして、小さなと大きなの字面から途中に読点を入れているところまで、これ以外に考えられないと言わんばかり。これ、すごいですね、ほんとすごい。  と、まぁ、すでに現地に赴く前から、すでに感心していたわけですが、これが、実際に足を運んだら、すばらしかった。この手の企画って、ヒストリーに沿って紹介するのが定番ではありますが、この企画展では、テーマを「光る性能」、「独創的なデザイン」、「操る楽しさ」の3つに分けて展示。それぞれのテーマ性を明確にしたテキストはもちろんですが、たとえば、「操る楽しさ」ゾーンでは、ヨー慣性モーメントとは云々なんて数式まで堂々と「描き」、広く理解してもらえるかどうかはさておき、イメージとして、つまりはそこにビジュアル的な要素を与えてしまうという手法を用いていまして、圧倒されました。言い換えますとね、アート系含めて、展覧会、博物館へ足を運んだ時にたまに出会う「やられた感」であり、正直、自動車メーカーの博物館への期待とは異なる驚かしに、企画者の意図としてクルマを文化と捉えている、ということが、ダイレクトに伝わってくるものでもありました。  ということで、当初は、その企画的について書こうと思ったのですが、6月上旬には誌面で展開されますので、ここでは、そのほかのトヨタ博物館で受けた衝撃の数々を記していきましょうかね。ここトヨタ博物館は、大きく、クルマ館、文化館と名付けられた2つの館に分けられていますが、まぁ、その仕立てたるや、先に触れた企画展の練り込まれ方そのまんまが表現されておりまして、感心しきり。クルマ館のメイン展示では、もちろん歴代のクルマをタイムラインで並べているものの、そこに欧州、国産、北米という異なる3つの流れを車両配置を用いて表現していたり、その中にスポーツカーといったテーマが設けられており、もう、見飽きません。  そして、そのクルマ館に、今年の4月にオープンした 「クルマづくり日本史」 がこれまた素晴らしかった。いわゆる、日本におけるクルマ産業はいかにして生まれたかをテ

#1721 奥が深そうと誘いあれど、あの渋滞には耐えられません、ってな、湯河原・真鶴地域。

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 大型連休は動くことなく、じっとしていました。これまでだったら、能登行きも知人の都合に合わせていましたが、知人のひとりがフリーになったこともあって、ハイシーズンに出掛ける必要性が消えまして。ということで、じっとしていました。ま、コロナ禍は終わっていないというスタンスでもありますので。で、連休が過ぎ去ったので、でかけてきました。あちこち。そのひとつが、例の湯河原。2週間少し前に訪れた時には新緑の勢いが目立っていた風景も、連休が明けると、どことなく成長期が止まったかのような安定性、つまりは、より落ち着いた感が生まれていました。今回、訪れたのは、在住の知り合いからはちょっと海を見てくれないかとの依頼もあってのこと。で、真鶴から湯河原の海を見て回ったのですが、あらためて訪れ、また、観光という視点で見つめ直すと、おもしろい発見がいくつもありました。牡蛎の養殖を行っていたり、シラスを専門としたこじんまりとした直売所があったり、唐突に地ビール醸造所があったり、さりげなく海岸沿いの公園にはきれいに整えられた町営テニスコートや海釣り公園があるなど。しかも、意外にも小さな漁港に駐車場が用意されていたりして、都会から近い海は、そういった観光客(クルマ事情)にも対応できるスタンスがあるんだなぁ、と感心しきり。ま、言い換えると、都会の人向け、お気軽観光地という面が強いんですが、ま、そこは捉え方次第かなと。里山里海たる能登のダイナミックさとは、半ば対称にあるようにも感じました。  ただまぁ、深さがあるなと感じさせたのは、知らない湯河原・真鶴が、歴史を含めて、たくさんありそうだなと気付かせてくれたところ。って、途中の食事どころで目にしたんですが、真鶴手帖という小冊子がありまして、これがよく編集されていましてね。正直にいえば、あと少しを感じたところもありますが、奥付けを確認(編集者のさが)すると、たぶん、真鶴町が発行元とあり、価格も付いていませんから、低予算の中でまとめ上げたんだろうなという、苦心が目に浮かびます。その割(失礼!)には、よくできていたと思いまして、これ、一冊手元においておきたいなと思い、販売していないならば、話を聞こうと役場へと出掛けてみれば、やっぱり非売品、でも、無料配布もしていないとのこと。ただ、有料での販売を考えているとのことだったので、これは、良くできているから、早々に売っ

#1718 昔は、ふたつのことを同時にこなせることを得意としていました、ってな話。

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 衰えたなぁと思うことがしばしばあります。脳科学的に人間ってマルチタスクしているのかどうだかわかりませんが、いわゆるふたつのことを同時にこなせなくなりました。なんたらをしながら、別のなんたらをするってなスタイルですな。自分でも、すごいなぁと感心したのは、20年以上前、編集部で誌面作りの相談を受け答えしながら、自分はそれとは関係のない原稿を書いていたこと、さらには、インタビューアーとライターを兼ねながら、取材現場も、原稿も、素晴らしさにあふれていた、なんてことのあれやこれや。って、こうして思い起こしてみると、そのほとんどが、聞きながら、書くというものでした。  なぜ、こんな技が身に付いたかといいますと、あれは中学校2年生の頃。近所の公立中学校に通っていた際、社会科の先生がですね、一切、黒板に文字を書かない主義の人でして、ま、黒板に書かれているのは、生徒が順番にあらかじめ、予習としてまとめておいた内容をそれぞれに書いておいたものだけ。つまりですね、先生が何を言っているのかを聞き取る能力、そして、ノートにどうやったら上手にまとめられるか、さらに、そのスピードに付いて行けるかを養うことを目的とした授業でもありました。ま、こういうのって、たとえば、大学やらでは許されたとしても、中学校じゃね、しかも、公立だったりすると、なおさらに無理を感じ、当初は抗議したものです。といっても、その先生は生活指導担当で、常に竹刀を持っていたこともあり(これについては曖昧。作り話かも)、抗議できる余地などはなく、ただただ従うのみでした。  ただですね、ま、譜面を見ながら鍵盤を叩くことを訓練していたためでしょうか、この授業スタイルにはわりとすんなりと付いていけるようになり、いつしか、ノートやらのまとめ方も上手になり、そして、社会人になった時に特技になっていたことに気付きました。  それがですね、最近、失われてしまった。インタビューでそれができなくなっていたことに気付き……、問を投げ掛けることはできるんですが、耳で受け取った言葉をメモに残せない。ま、そのメモが上の写真だったりしますが、振り返ってみると、なにをメモしたかったんだか、理解できないところが多々あります。だいたい、メモした言葉がそのものが浅すぎるし。さらには、先日のインタビューでは、自分が、あれ、今、誤った単語を発しなかったか、と、気付いたも

#1694 大きな橋と、小さな橋と、そこを走るドライバーの心持ちの違い。

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 ツイッターにもアップしたんですが、こちらには少々解説を加えてアップしましょうかね。我が家からクルマで10分ほどのところに、こんな景色が広がっています。そもそも、住まいは八王子ですから、高尾ですから、つまりは、関東平野の縁に位置しており西側は森というか、山。さらに神奈川県との県境はすぐですし、その神奈川県ったって、津久井湖とか相模湖とかがすぐそばであってまさに自然の宝庫です。それもあって越してきたわけですが、気がつけば6年以上住んでいます。たかが6年と思われたかもしれませんが、自分にとってはこれは最長記録でして、これまでは6年以上同じところに住んだことがありませんでした。なぜ6年なのかといえば、6年経つと部屋の中に仕事の資料やらが収まり切らなくなり、いや、整頓しようと思える限界点を突破してしまい、つまりは整理整頓するには引っ越すしかないとばかりに移り住んできまして。  で、そんな八王子は高尾の近所に対象的な2つの橋がかかった河川敷があります。上の写真にある新しく大きな橋は、圏央道のICへと導きつつ津久井湖のほうへと延伸させる計画があるバイパスにかかった橋。ただ、片側2車線あるのですが、ICもしくはその先へと向かうクルマと、その手前にある信号を左折しようとするクルマが連なるところがあり、どっちの車線を選んだほうがお得か(早く先へと行けるか)という、面倒が存在します。一方、右上の写真(ジムニーの位置は動かしていません)は、軽自動車ならすれ違えるかもしれない、でも、どちらかの方向で譲り合い、交互に通行しなきゃいけない、旧道の橋。推奨土木遺産に認定されている橋で今でも使われており、バスや大型トラックも通行します。ところがですね、この橋を渡ろうとするどんなクルマでも、ちゃんと譲り合いをしています。信号もないのに、まさに阿吽の呼吸といわんばかりに。たとえ、一方が何台も連なっていたとしても、皆が強引に橋に侵入することはなく、ある程度で停まって、向こうからのクルマに道を譲ります。不思議なんですね、この世知辛い時代に、極端に交通量が少ないわけではないのに、譲り合うことを自ずと行っているという。考えるに、この橋を渡ろうとするドライバーは譲り合いを面倒と思わぬ方々であり、そんな心持ちのドライバーばかりだから、この橋の通行には煩わしさがないのではないか、と。その証拠に、我が家の近くには、5

#1693 ジムニーに、CarPlay対応な2DINオーディオユニットを組み込んだ話。

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 突然ですが、ジムニーのオーディオを入れ換えました。使えなくなったわけでもないし、機能にどこか不足や不満があったわけでもないのですが、CarPlayを使い倒したくなりまして、で、入れ換えました。メーカーとしては初めて耳にするところでしたが、価格がですね、2DINな7インチモニタを備えながら、実質1万4000円。そんな後押しもあっての購入でしたが、この価格はとても重要で、ほら、ダメだったら仕方ないで諦められるギリギリだし、謳っていた機能と異なるならばそれを伝えて返品という方法を取ればいいや、そんな考えもあってのことでした。で、実際に取り付けて、使ってみたらですね、これが、想像以上に「使える」。このユニット、CarPlayの無線接続を謳っていましたが、さすがに繋がりにくいとか、何かあるだろうと思いきや、何もなし。CarPlayの機能そのものも問題なし。強いていえば、Siriで呼び出した時に、Siriからの返信で、最初が聞こえない程度で、バージョンアップで対応してくれそうなレベル(バージョンアップはどうやるんだろうか)。  きっと、タッチパネルの反応が悪く、レスポンスももっさりだろうと思いきや、不満なし。ま、モニタに関しては、偏光機能の入ったサングラスではモニタが見えなくなるという致命的な欠陥を抱えていますが、サングラスを外せばいいだけのこと。文句を言おうとは思えません。あ、ラジオチューナー付いているけど、きっとバンドが日本対応じゃないだろうと思いきや、ちゃんと切り替え付いているし(ただし、ワイドFMバンドは非対応)。  つまりですね、人側で、スタンスとスタイルを臨機応変に取ることも大切。ということで、不足ありません。不足ないどころかですね、このユニット、なんとリアカメラまで付属。配線が面倒で繋げてはいませんが、想像以上の機能と性能とパッケージに驚いてしまいました。    そうそう、今回、ついでにスピーカーも交換。右からビビリ音が出ていたので、と、交換してみれば、なんとセンター部に凹み(写真右)が。そして、旧型ジムニーの例に漏れず、サビも見られました。交換後はもちろんビビリ音は消え去り喜んでいたのですが、って、さっき発見してしまいました。クルマ用のスピーカーも、日本メーカー以外の品が台頭しているんですね。今回は国産メーカーものにしてしまったもので……。スピーカーも人柱に

#1685 元旦にして今年のベストバイだと確信した、AirPodsMax。

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 あたらしもん好きです。昭和生まれですから、バブル景気をちょっとだけですがかすった世代ですから。ということもあって、後先考えても仕方ないし、それを行動に移してきましたが、昨今は、後先を少しですが考えるようになったためか、その飛びつき度はスローになってきました。とりあえず、使ってみたい、そう思える商品が少なくなったことも要因であり、なんとなくという理由で手に入れてしまう行動が少なくなったのも、また、事実ではありますが……。  昨今、そんなスタンスにあって、それでも飛びついたものがありました。それが、AppleのAirPodsMax。ヘッドフォンにしてはやたら高い、でも、カッコイイ、そして、何かが劇的に違うらしい、これこそ体験してみないとその良さは分からない、という流れで、勢い余って、購入。まぁ、かつての、Appleの新製品購入の流れですな。ということで、同時期にM1チップを搭載したMacbookAirも注文しています。あちらも新しさがありましたから。と言いながらも、どちらも返品はありうる、そういう前提での購入であり、丁度ホリデーシーズンだったことも後押しをしました。  そのAirPodsMaxですが、実際に使ってみれば、期待以上が多くありました。まず、デザイン。ま、見た目はさておきですね、オーバーヘッドタイプのヘッドフォンをセットすると何が気になるって、イヤーパッド部分よりも、ヘッドバンド部分っつーんですか、頭部上部のバンド部がですね、自分の場合、最初から違和感が存在し、やがて気になるようになり、痛くなっていました。それがですね、セットしている感覚がない。実際、重量はあるんです、このヘッドフォン。ところが、セットすると、その感覚が、重量感とともに見当たらないというか、消え去る。セットしている感覚がないというのではなく、むしろ軽い。もう、これだけでやられた感がありますが、その上で、音がスゴイ。DSPによる音場が明確になるという不思議感はありますが、それがイヤミになっていない。むしろ、ここまで収録されていたのか、と思わせるほどにナチュラル。分かりやすい表現を使いますと、ハイハットの刻みが聴こえてくるようになるし、そのポジションまでが明確に分かる、そんな感じ。  なので、いわゆるデータ圧縮をした音源と比較すると、その加減にもよりますが、いわゆる太さがないことに気付きます。倍

#1677 久々のワクワク感から予約した、Macmini(ARM)の話。

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 Appleの新製品ラッシュに惑わされています。まぁ、9月のiPadの時は、iPadpro11inchを購入した後だったこともあって、ふーん、そう、といった感じでした。で、10月のiPhone12シリーズの時は、個人的に好きなデザインってこともあったし、途中で交換と相成ったとはいえ3年目を迎えたiPhone8からそろそろスイッチさせようかなと思っていたこともあって、少しだけグラグラしました。特にiPhone12miniに対して。というのも、昨今、加速度的にスマートフォンに多機能を求めなくなりまして、ま、そもそもコロナ禍ゆえに外に出なくなったということもあるんですが、アプリを利用するにしてもあくまでもエマージェンシィ的な使い方となり、頻度といいましょうか、依存度がかなり低くなっていました。それゆえに、miniでいいかな、と。まぁ、老眼ゆえに表示部が小さくなることはマイナスではありましたけども。  で、まぁ、予約開始日から数日経過して、追加入荷を待っていたら、発売日当日、銀座受け取り分が出たので、予約。予約したのはいいんですが、その翌朝に、ApplesiliconのMacが発表され、その刺激的過ぎる内容から一気にひきこまれ、しかも、Macminiまでラインナップされていて、値下げまでされているもんだから、もはや狂喜乱舞。とりあえず、使ってみたいというワクワク感が急激に盛り上がりまして、iPhone12miniをキャンセルしまして、Macminiを予約。仕様はメモリ16GBで、SSD512GBで。現状のMacmini2018がメモリ32GBなので、少なくなることに対して、一抹の不安はありました。しかし、まぁ、iPhoneやらiPadを見ている限り、自社SoCにおけるAppleのメモリ管理たるやPC上での考え方をそのままに通用しないところがありますから、とりあえず16GBで。だいたい、たいしたアプリケーション使っていませんし。  ちなみに、Windowsが動くかどうか分からないことについては、そもそも最近では仮想マシンとしてWindowsを動かすこともないですし、もし使うんだったら、我が家にたくさんあるMacminiを1台、Windows専用マシンに仕立ててもいいですし。と、ここまでは良かったんですが、今のMacmini(intel)での問題点というか、買い替え時に解消した

#1658 2020年スタート、まずは年賀状の解説から……。

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 さて、新年のスタートは恒例となりました、年賀状の解説から。先頃書きましたように、昨年の春先にMINI One 3Doorで能登へと出掛けた時に撮影した写真を使いました。青空が広がる日もあったんですが、あえてどんよりとした空のものを選びました。特に意味はありませんが、赤いボディとこの暗さとのコントラストが、なんかいいなと、直感で思ったものですから。ただ、もう少し被写体の大きさ、つまり、MINIのサイズを小さくしたかったんですが、縦横比をハガキサイズに合わせるとここまで大きくなってしまって、ちょっとそこが意図とは違ったかなと。  そうそう、Happy Ner Yearが、地から天へと向かうように縦に入っていますが、意図的ではありません、これは。偶然です。そもそもデザインレイアウトを縦長(クルマのフロントが下向き)としていたんですが、文字入力をするためにカーソルをあそこにおいてとりあえず文字を入力(横方向)としたところですね、あれ、なんかいいじゃん、と、感覚的に感じまして、で、そのままに。空へのグラデーションで消えそうなポジションになったのも偶然であり、それをも意図的に残しました。というわけで、偶然の産物です、今回の年賀状は。  今回も年越しは能登で過ごしています。猛烈な寒波到来と言われていましたが、それも結局のところ北日本方面だけで、北陸はそれほどまでに影響受けず、アルプス越えもオオゴトな雪にはなっておらず、ちょっとガックシ。思うに、やっぱり今年はかなりの暖冬ですな。1月中旬に雪がなくては始まらない取材があるんですが、大丈夫でしょうかね。

#1651 こんな仕事しています、紹介編。世界文化社のMen's-EXオンラインへの執筆。

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 なんだかんだ言いながらも、ここの更新が続かないのは、MacOS Catalina(10.15)のβ版をメインディスクにインストールしてしまったから。もうすぐ公開になりますが、今回のアップデートはかなり大掛かりでして、32bitアプリは切られるし、iTunesは分解されるは、PhotosもSiriなMachine Learning関連のためか、画像ファイルを1から読み込み直しているようで、自由が効きません。特に、写真については、過去の写真を引っ張り出すの容易ではなくて、つまり、ここに貼る写真をピックアップするのもひと苦労なもので、ついつい、遠のいてしまっています。  さて、今回は、ちょっと自分の仕事について。あのですね、先日も書いたと思うんですが、たぶん、ここ、今ですね、吉田って、どんなヤツなんだ? ってことで、検索して、たどり着いている方が多数と思われます。人と出会うことが多く、新規な仕事も増えているもので。ですからして、ココナッツサブレや、貝印のカミソリのことやら書いていないで、こんな仕事しているアピールもしておかねばならないと、思い立ち、仕事について書くことにしました。自己アピールは好きではないんですが。  今、クルマをメインに執筆していますが、かつては、アスキーにてデジタルを題材としたカルチャー誌の制作に携わったこともあり、クルマだけの狭い世界に馴染むことが不得手だったりします。もう少し言ってしまいますと、学生時代にテレビ局で制作のアシストをしていたこともあり、そもそも、マスコミに居残ることを希望していました。ただ、それは出版ではなく映像でしたので、なおさらに、今の現状に、自らに対して不思議を感じていたりもします。といいつつ、自動車雑誌のバイトからスタートした社会人人生は、年齢とともにクルマ専門ライターというスタイルとなり、今に至ります。脱したいけど、なかなか脱せない、でも、努力を嫌うキャラクターから、つまり、グータラな性格から、日々流されるままに生きてきました。それが許された時世だったんでしょうね。過去形になっていますけども。  さてと、そんなこんなの、去年だったかな、世界文化社のMen's-EX オンラインに執筆しませんか? というお誘いをいただきました。まぁ、自分では購入することがなかった男性ファッション誌への執筆ですな。自由にどう

#1645 なんだかんだで、外付けHDDと、USB-Cケーブルが原因だった、Macmini2018話。

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 実はですね、Macmini2018、完全起動までの道のりはまだまだ続いていました。あの後、同じ症状、つまり、Appleマークが出たま考え込んでいる状態が再燃。そして、デュアルモニタ運営で起動時のアカウントログイン画面がメインではなく、サブモニタに表示される問題も再燃。というわけで、振り出しに戻りました。で、こうなってくると疑うべくは外部接続機器。まずは、外付けストレージ。3.5インチ×2ベイを2台接続していましたが、いずれもUSB3.0接続。まぁ、チップが古いったってMacmini2018のUSB3.1(gen2)とは下位互換性はあるわけですし、Macmini2018側にもUSB3.0ポートもありますからと思いきや……、結論からいいますとね、ここにトラブルの要因がありました。というのも、外付けストレージを外して起動したら待たされることなく起動しましてね。いや、まさかの。  と、ここで、疑いはHDDケースと、そこに入れたストレージ類となるわけですが、FusionDriveは外付け自作もんですし、もう1台のほうはRaidで組んでいたもんで、ストレージが怪しいかなと。というわけで、TB単位のデータをあっちへ移して、こっちをフォーマットして、そんでもって、また移動させてを繰り返すこと、苦節、1週間以上。結果、FusionDriveも解消し、Raidで組んだほうもSingleへと解消し……、たところで思い出したんですが、TimemachineのTimemachine用だからと組んでいたHDD、トラブルを抱えていると言われていたSeagate製でした。で、さらに思い出したのは、トラブル対処のためにファームウェアが更新されていたので、たしか、ファームウェアアップデートをした……、と、ここまで。で、調べてみれば、アップデートしたつもりだったんですが、これがですね、Win用で、当時できなかった。なので、知りあいのWinユーザーに……、と思ったままに、放置していたのでした。ただ、今、思えば、Seageteのストレージについては、それ以前にも突然死トラブルに運悪く巻きこまれていましたから、なぜに、また、Seagateを選んだのか……、そこだけは疑問です。  というわけで、そのSeagate製HDD、調べたところ健康状況は悪くないようなんですが、悪さをしていた可能性がありますので外し

#1643 Macmini2018、平常運転までの道のりは長かった、という話。

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 Macmini2018導入のその後の話。トラブル続発といいましょうか……、といっても、思い当たる要因があれこれあったので、ひとつひとつ解決して、ようやく安定にたどり着きました。た 、たぶん。で、そんなあれやこれやを、イマドキ風に行間を贅沢に使って書いてもみましょうか。 ●デュアルディスプレイ表示されずの件 結局、USB-cハブの不良(HDMI出力ができない)が要因でした。これは、新品を再送してもらって、解決。解決したんですが、その前に、USB-C→HDMIケーブルを購入しており、実はデュアルディスプレイ表示が可能となっていました。しかしですね、起動時に、メニューバー表示指定をしたメインディスプレイにリンゴマークが表示されず、アカウントログインの際に、サブディスプレイのほうを見ながらパスワードを入力することに。なんかね、イヤで、どうしたものかと思いつつ、ケーブルを入れ替えて(メインのほうをUSB-C→HDMIケーブルにした)たら、メインディスプレイでの表示となりました。グラフィックボードからの出力の都合のようですな。HDMI出力端子向けにはマシン側(グラフィックボード側)で変換を入れているようで。で、これでトラブル解決かと思いきや、スリープからの解除において、ディスプレイを認識しなくなることがあり、ちょっとやっかい。最新の状態は、この現象は出ていませんが、やっかいを感じた際に、少し高くてもiMac27inchにしておくべきだったかなと思ったりもしました。あちらは、Retinaな5Kですし。 ●起動が強烈に遅くなる件 これがいちばんの悩みどころでした。当初はなんら問題なかったんですが、あることをきっかけに発生。そのきっかけっつーのがですね、Timemachineを利用してのバックアップ中に、誤ってタップで管理していた電源(外部ストレージ回りまで)を落としてしまったことでして。その後は、起動時にリンゴマークが出るまでに時間がかかる、かかるどころか、時には諦めて勝手に終了している始末。ま、要因は、OS側か外部接続しているストレージであることは容易に予想できましたので、あれやこれやとひとつひとつ再インストールやドライブフォーマットを繰り返して試すこと1週間以上、解決したと思われても、しばらくすると起動が遅くなってしまいます。もはや、USB-Cとドラ

#1639 春先に能登へとやってきたのは初めてです、ってな話、その2。

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 能登まで来て、何しているかって、原稿書きしています。目の前に広がる日本海は、時にクリエイティブなひらめきを与えてくれるんですが、昨日は、特に気を散らすという誘惑ばかりで執筆は進みませんでした。でも、今日は、執筆も進んだと思いきや、午後から青空が広がりまして、誘惑に駆られてドライブへと出掛けてきました。やっぱりね、青空は気分いいですな。花粉も飛んでいたみたいですけど。昨夜の雷雨によりクルマが汚れていたため、軽く水を流したこともあって、写真を撮ると、爽快な青空とのコントラストが実に美しく、あちこちで写真に収めてきました。  MINI ONE 3doorのインプレッションについては、後ほどにまとめますが、実は往路は、おや? というか、違うを感じ、なんとか納得できる着地点を探していました。んが、好印象であるはずの、ミシュラン・エナジーセーバーのフィーリングも良くないし、サスペンションもなんか違う感にあふれていましてね。能登で乗り込んでいるうちに変わってくるかなと思ったんですが、今日は、突然にその印象が良くなりました。なんなんだろうと思ったんですが、たぶん、ドライバーの気分ですな、これ。  クリックと表現するとちょいと古いんですが、まさにクリック音がしてスイッチが入った途端に、ストローク量は少ないけど、しなやかに動くサスペンションやら、グリップ力は不足しているけどグリップ感はしっかりと存在しているエナジーセーバーに感心したり、パンチはないけど、トルク感にあふれる1.5Lガソリンターボエンジンやら、ONEたるバランスに自らが飛び込んでいないだけだったことに、気付きました。そうなんですね、乗り味を勝手に想定して、そことのズレに悩んでいただけのこと。  能登にいると、気分というか、スタンスというか、すべてがリセットされて、素直に何事も受け入れられるようになります。これを求めて足繁く通っているんですが、東京(八王子)に戻ると、ついついそれを忘れてしまいます。というわけで、メモに残しておくのです。

#1623 過去にすがるスタンスに、もはやAppleらしさは存在しない、そんな話。

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 Appleに対して、がっかりばかりが続いています。昔のままとはいきません、ということは承知していますが、それにしても……、ということが連続しています。そのひとつが、先日の新製品発表会での内容。Airというサブネームが、現在のラインナップにおいて分かりづらさになっているから、早いところ、消し去ったほうがいいとは、これまでにも何度も言っています。で、iPadにしても、Macbookにしても、フェードアウトにもっていこうとしているスタンスが見られました。しかしですね、ですね、ですね、ですね……、今回の発表会で、MacbookAirを復活。  そもそも、MacbookAirってのは、光学ディスクドライブを除くという2008年当時ではありえない無茶をすることで、ライトテイスト、シンプルを極めたモデルであったはず。そして、2010年モデルでストレージをSSDにすることで、実はHDDへのアクセスが処理速度の足かせをしていたことを暴露し、さらには当時流行りだったネットブックのあり方を覆す新提案をしました。しかも、それを格安で提供できるっていう、手法までも、提案。しかし、いつしかMacbookからも光学ドライブが取り外され、ストレージもSSDのみとなり、Airの存在はそこで終わったはず。それなのに、なぜに、いまさら、に、Airなのか。そのデザイン? そもそも、くさび型じゃなきゃイヤなんて声は聞いたことありませんから。  いずれにしても、Airの志を現代にデザインした現行型Macbookを、否定するかのような、今回のモデル発表に対して、意味を見出せません。あるとしたら、Airというネーミングにすがったことであり、そう考えると惨めたるAppleの姿に寂しさを感じます。もちろん、新型MacbookAirの性能やらに不満はありませんが、そういったAppleの手法の支離滅裂ぶりから、新しい提案など期待しても、もはや出てこないことも悟りました。まだ、auのINFORBARxvのほうがマシといった感じとでもいいましょうか。ま、あちらは、ハードウェアはいいのに、どうしようもないプランを押し付ける時点で終わっていますが。  そうそう、話は変わりますが、昨今のApple製品は高くなったなぁと思っている人が多いことに、ちょっと驚きを感じています。実は本国での価格は大きく動いていません。ちなみに、最

#1561 奥能登にいました。今回は奥能登国際芸術祭が目的で、って話。その4

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  振り返ってみますと、#1560でも書きましたように、この手のイベントはアートによって、地域と人とが新しい関係を作りとか、結びつくことにひとつの意義があったことに気付きました。だから、アートの評価も様々でいい、アーティストの表現もいろいろでいい。でも、大切なのはアーティストの理解であり表現力、そして、見る者の受容性……、っていうと大げさか、ニュートラル加減といいましょうか、素直というフィルターをいかに意識するか。  上の写真は、廃線になった能登線の駅と線路とアートと。国鉄から第三セクター路線へと変更を余儀なくされてから、しばらくは走っていたようですが、12年前に廃線。そのままに残された線路やホームだけではなく、実は車両も線路に残されたまま、といった風景が奥能登では見られます。なんていうんでしょうかね、自分にとっては、観光ガイドに載っているスポットよりも、よっぽど奥能登らしい風景だと感じていました。で、今回、この線路を歩いたり、駅で当時使われていた券売機を目にしたり、過去の賑わいを聞いて、なんでしょうね、これ、懐かしいではなく、もったいないでもなく、こうして時代は移り行くことの儚さ、いや、違うな、儚いではなく、移り行くことの事実、違うな、……、えっと、まぁ、レイヤーとしてのヒストリーのひとつを感じ、なぜだか、心に温かさを覚えた、ま、そんな感じでした。  一方、右の写真のアートは、漁の網を扱っていた? 修繕だっけかな、ま、そんな会社の倉庫にて。中央にクレーンがあって、2フロアにしきられている、建物。現在は、倒産して、使われぬままに放置されていたのですが、そこにあったカゴやら網やらを使って、表現。かつて活躍していたクレーンに吊るされたランプが上下を繰り返し、その前に広げられたスクリーンに網やら、何やらの影を映し出すんですが、それら小物だけではなく、建物の鉄骨やら手すりやらも映され、ランプの上下によってカタチを変えていく。まさにですね、時の流れを強く感じさせるもので、しばし、足を止めてしまいました。  今回の奥能登国際芸術祭は、当初の来場者数を3万人と見積もっていたようですが、結果、6万人を突破。どこへ行っても、駐車場はほぼ満車といった感じ。ま、そこで感じたのは、この手のイベントは、やはり交通機関をどう利用するか。瀬戸内では渡し船だったようですが、ここ珠洲市では

#1560 奥能登にいます。今回は奥能登国際芸術祭が目的です、って話。その3

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 #1559では書ききれなかったので、こちらに分けます。屋内で表現されたアートよりも、屋外にある作品のほうに惹かれるのは、たんなる興味なのか、趣味なのか、好みなのか、よくわかりませんが、そんな傾向がありました。その最たるのが、#1559のメイン写真、そして、次がこの鳥居。日本海の海岸線は大陸から含めて漂着物が多く、そのため漂着神にまつわる言い伝え(寄神伝説)も数多く残っており、それを奉った寺社も多くあるとか。ということで、そんな歴史ある土地柄を表現したのが、この漂着物を使った鳥居。青空ではなく曇り空であったこともありますが、このモノトーンたるコントラストも、現代版、漂着神を奉っているかの場を作り出していて、岩場の荒々しさ含めて、神々しさの手前の雰囲気がありました。   と、屋外の作品がいいといいながら、実は屋内のアートに心惹かれたものもありました。それが、次のふたつ。ひとつ目は、珠洲市に伝わる揚げ浜式製塩法に刻まれてきたストーリーを表現したもので、実際に使用されていた砂取船を用いて、赤いアクリルの糸で紡ぐんだ空間を作り上げています。これがですね、手間かかっているな、という以前に、教室に足を踏み入れた途端に押し寄せる、なんていうんですかね、衝撃というか、ショックがあって、でも、押し戻されないで、足を踏み入れなきゃならんという、不可思議がありました。そして、隣の部屋で、地元のおばあちゃん(作者ではない)に揚げ浜式製塩法についてあれこれと訊いたんですが、これまで知らなかったあれこれを教えてもらいました。奥能登の外浦の海岸線って、昔、道はなかったそうで。ですから、輪島へ行くためには、海岸伝いに岩場を歩いていったそうで、そこで波にさらわれて命を落とした人もいたとか。いやはや。そう、まさに山椒太夫の世界ですな。そうなんですね、先ほどの砂取船は、陸路ではなく海を利用して輸送するための船だったと。でも、ここで疑問が。何故に砂を運ぶ必要があったのか、ということ。実は、塩をとるためには、輪島付近の河口の砂が理想だそうで。ならば、輪島で揚げ浜式製塩法をすればいいのでは? と思いきや、実は輪島にはそれに必要な平地が少ないことから、平地の多い珠洲(外浦)まで運んだのだそうです。そして、専売公社ができてからは塩の生産はできなくなり、そのほとんどは田んぼに転用したという歴史があったのだと。いや

#1558 奥能登にいます。今回は奥能登国際芸術祭が目的です、って話。

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 東京モーターショー直前ですから、例年ですと仕事もひと段落しているはずでした。はずでしたから、早々に、能登へと来る予定を立てていました。ところが、友人の結婚式の話が飛び込んできて、日程を変更。そしたら、次は、例年東京モーターショーより前に発行されている本が、東京モーターショー一般公開日発行と、後ろへとずれ込み、さらに何故だか重なるように10月末締め切りの仕事が飛び込んできて、さて、能登行きはどうするよ、といった感じになったものの、変更に変更をして……、来てみました。まぁ、来週の分単位スケジュールを考えると、今回の強行軍に面倒を感じましたが、何かあるからと早起きして出掛けました。で、走っているうちに、ワクワク気分も出てくるかなと思ったものの、珍しくウキウキにはなれず。どうしたもんかと能登半島へと入ったところで、ようやくドキドキ感が出てきました。ま、そっからは、完全に能登モードへと突入。クルマの走りまで、スイッチが入ったかのように切り替わり……。  今回の能登行きは、奥能登国際芸術祭がきっかけでした。いや、アート系はまったくもって疎いので、この手のイベントは積極的に出掛けることはないのですが、まぁ、これも縁と思って、行動に移したわけです。このイベント、簡単にいいますと、地域に点在するアート作品(このために作られた)を見て回るもので、あちらこちらで開催されています。その奥能登版ってことですな。開催期間は今週末まで、もう終わりってことで人も多くみかけました。  で、今日は、行動時間に制限があったので、10か所とちょっとしか回れませんでしたが、アートの素人なりの結論としてはですね、アートってのは頭で考えなくていいのだなってことでした。その場に身を置いて湧き上がってくる何かを感じて楽しめばいいのだと。で、湧き上がってくるものっては、必ずしもあるものではなく、何も湧き上がってこないこともある、ことも、なんとなくわかりました。ふーむ、そうなんですね、と。  今日は、その国際芸術祭巡りだけではなく、無名塾の芝居も観てきました。能登は七尾に仲代達矢が作った能登演劇堂ってのがありまして、毎年、ここで公演を行っており、たまたま今回の能登行きと日程が重なったので、足を伸ばしてきました。いや、伸ばしてきたといっても、片道80kmあるんですが。で、実のところ、かなりの期待を持っていたのです

#1461 時代が、日本が、車が、企画が、オモシロイ、カローラvsサニー。

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  #1450 にて紹介しました、三栄書房の歴代カローラのすべて、ですが、このサイトからのリンクを通じて購入していただいた方がおりまして、おかげさまで1冊あたり36円(1200円の3%)分のポイントをいただきました。感謝いたします。えっと、ま、その、アフィリエイトってやつですな。  さて、そのシリーズで、今度はカローラvsサニーが出版されましたが、前回のカローラでの執筆が、編集部のリクエストレベルになんとか引っかかったようで、再びの執筆依頼をいただき、執筆。ありがたいことです、はい。で、なぜに、いまさらにカローラvsサニーなのか、と思いきや、執筆にあたって振り返るとおもしろいんですね、両車。といいますか、あの時代。この本は、それを上手く構成していまして、ま、具体的にいいますと、vsという斬り方によって、両モデルの深さたるスゴサを、ま、極端な言い方をしますとね、あの頃の日本は良かった(凄かった)、いやいや、あの頃の日本車はおもしろかったよねという、感慨に浸らせてくれます。  自分が執筆したのは、日産がロータリーエンジンにチャレンジしていた頃の話と、サニートラックの話なんですが、いずれも、あの頃だから許されたといいましょうか、立ち上がった企画であり、やっぱりですね、いい時代だったんだなぁということを感じます。実のところ、サニートラックも日産のロータリーエンジンの話も、自分が3、4歳の頃のことですから、リアルタイムな話ではなく、後から知ったことであり、また、今回の執筆において改めて調べたこともあったのですが、そんな過程も実に愉しさがありました。ま、これも取材といいましょうか、執筆たる醍醐味ですな。その中でもやっぱりですね、先輩方々の執筆、取材が、すこぶるオモシロイ。参考にと、あれこれと読み解いていくとですね、昨今のクルマのような語るべきポイントが少なくなったモデルとは異なり、未完成も味もあふれていたモデルだったこともありましょうが、それにしても、観点が違うといいましょうか、ジャーナリスト的な視点が深いし、それがおもしろさといいましょうか、クルマ好きにはたまらない表現となっていまして、仕事であることを忘れて、読みふけてしまう始末。何でしょうかね、この、おもしろさというか、違いは。  というわけで、そんな昔の誌面を用いながら、表紙に謳われている"凄さ&quo

#1189 まさに理想といわんばかりの熟成を果たしていた、BMW1シリーズ。

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 昨日のBMW試乗会では、マイナーチェンジした1シリーズと、先日追加された2シリーズカブリオレにも乗ってきました。  現行型1シリーズって、デビューしたばかりなのにマイナーチェンジですか……と過去を振り返ってみれば、デビュー時の試乗記である #272 を書いたのが2011年秋……、って、え、もう3年以上前? そうでしたか、月日が経過するのは早いもんですな。で、その1シリーズもデビュー当初は感激の嵐でしたが、その後にデビューしたライバルやら、BMWのラインナップと比較すると、てこ入れの必要を感じていました。って、話は、 #1053 にまとめてあります。  ま、そんなことはBMWも分かっていますから、今回の改良は、さすがBMW的な進化、熟成を果たしていました。ただ、次世代モデルが大幅刷新するにも関わらず(勝手に予測 #1163 )、手を抜かずといったこのスタンスには、天晴れを感じたのもまた事実。まだまだ、戦えますな、これで。  特に印象に残ったのは、乗り味。サスペンションの動きにしなやかさ、精密さを加えてきていまして、動きがスムーズであり、かつしなやかに。つまりは、エントリーモデルからイメージされるようなチープさはない。いや、価格帯なりの、という前提はありますよ、もちろん。そして、ハンドリングはFRベースゆえの素直さがありつつ、まぁ、幾度も触れていますが電動パワステに世代を少しを感じつつも、まぁ、不満に届かないレベルを作り上げています。というか、先のサスペンションの動きとのバランスが上手く取れていて、それもあっての不満なしとも言えましょうか。  試乗したモデルは、低出力版(スタンダードといったほうが的確か)の118iですが、スペックアップを果たさぬままにフィーリングを変えている印象が強くあったのは(厳密に比較試乗したのではないので不確か)、先のシャシーフィーリングによるところも大きいのかな。いずれにしても、 ターボラグが関与するようなレスポンス不足は見られず、フラット感だけではなく、しっかりとトルク感を表現しているフィーリングに、これ凄いねと言葉にしてしまうほどの、やられた感がありました。これで不満? パンチが欲しい? ならば、120iをどうぞといったところも、好印象。エコモードの仕立て方も、そのギリギリの仕立て方にさすがを感じました。ちなみに、3気筒エンジンモ

#1134 その真価は、やはりリモートデバイスにある、Apple watch。

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 ここは、違った観点で書いてみましょうかね。ファーストインプレッションってのではなくって。以前にも書きましたが、Apple watchというデバイスは、時計ではありませんし、やはり、iPhoneありきです。それゆえに、iPhoneは6であそこまで大型化。もはや、iPhoneはかばんの中へ、あれこれの操作はApple watchで、そんな役割分担を提案してきました。  だからこそ、iPhone6と同時にリリースすべきだったと思いますし、iOS8だけではなく、OS10.10のあれこれを見ていると、そうしようとしていたアップルのあれこれも見えてきます。  たとえば、メッセージ(iOSではiMessage)ですが、オーディオメッセージを可能にした理由が、イマイチわかりませんでした。いや、あれば便利でしょう。でも、なくてもいいのではないかと。で、その理由は、やはりApple watchにありました。写真は、メッセージでの返信ですが、その際、文字入力はさせません。ま、当たり前ですな、文字入力するならばiPhoneがあるわけですから。ただ、iPhoneを取り出せないシーンもあるわけで、そういった時の意思表示としては、用意された定型文か、例のアニメーションを用いて、簡単に返信することを基本としつつ、詳細を伝えたい時には、それを録音してオーディオメッセージとして送ることができる、と。そうなんですね、オーディオメッセージの価値はここにありました。  あれこれ、おや? を感じることもありますが、ずばり言いますと、Apple watchの価値は、リモートたるスタイルにあります。つまり、本体ではないこと。iPhoneを持たずに席を離れても、あれこれを通知してくれる。そこにいなくても、AppleTVやらまでコントロールできる。いうまでもありませんけども、時計、フィットネス用ツールがメインではありません。それらは、あくまでも使い方のひとつ、提案のひとつ。 メールやらが来た→iPhoneを取り出さなくてもいい、そういえば、分かりやすいでしょうかね。  あれこれ試していたら、1時間もせずに、出かける時だけではなく、家にいてもずっと着けていたくなりました。あ、そうか、ずっと着けていても違和感ないベルトってのは、そのためでもあるのか、って ことにも気づくと、このデバイスの最大の改善点とは、操作性

#1000 だから、能登は、居心地がとてもいいのです、ってな、話。

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  お、ここ、アーティクル毎をカウントする方法に変えてから、1000アーティクルですか。ほほぅ。ということで、少しはまじめなことでも書いてみようとしましたが、わざわざそういうことをするのもどうなんだろうと思って……。というわけで、能登の話の続きです。  昨年からやたらと出かけるようになった能登半島ですが、何故、それほどまでに能登なのかと、よく訊かれます。その回答はとても簡単。いつも快く受け入れてくれるから。受け入れてくれるならどこでもいいのか、って話になりますが、それは微妙に違う、また来たか! と言われているような受け入れている感とでも言いましょうかね。  もてなしてくれるとは異なる、まさに迎え入れてくれる、っていう、そんな感じ。イヤな表情を見せることなく、心広く受け止めてくれる、っていう、そんな感じ。来たい時に来て、帰りたい時に帰りな、っていう、そんな感じ。いきなりでも、計画立ててでもいいから、とりあえず来なよ、っていう、そんな感じ。  写真は、今回の1枚で、大好きな風景のひとつ。拡大してもらうとわかりますが、向こうの半島までずっと道が続いています。この景色に、わかりやすいダイナミックさはありませんが、ここに来ると、すべてが打ち砕かれ、張っていた意地が一気に崩れていきます、力みが抜けていきます。そして、突然に涙があふれ出します、抑え込んでいた感情が湧き出してきます。自分の中の何がリンクしたのかは分かりません。でも、それは、恥ずかしいことでもなく、間違ったことでもなく、むしろ、それこそが、人として自然であることだと感じていますし、それができることを喜ばしいことだと思っています。ま、そんな地なのですよ、能登ってのは。  能登は、豊かさとは、何事もまずは受け入れるスタンスがベースになっていることを教えてくれます。そして、豊かに生きる方法は、自然の中にキーがあることを教えてくれます。だから、能登は、居心地がいい。とても心地いい。そして、そのことを誰かに伝えたくなり、突然に写真を送ったりします。そして、一緒に行こうと誘います。  ま、そんな感じなのですよ、能登ってのは。ただ、誰しも共感を覚えるとは限りません。ただ、今の生活に”何か違う”を感じていたならば、是非ご一緒しましょう。これでいい、これがいい、を再認識させてくれますから。