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10月, 2011の投稿を表示しています

#281 明日去りますけど、来年、来なきゃいけないような気がしてきた、八ヶ岳。

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 今年の八ヶ岳ライフの最後となる夜を過ごしております。悲しさに似た寂しさをじんわりと感じておりますが、それもまた充実した時間を過ごせたからだなと感じていたりします。今日は、明日の退居にむけて、大掃除に勤しむつもりでしたが、カフェを手伝いながら、挨拶回りをしながら、お誘いに乗り、そして、余った時間で部屋の片付けをするという、かなり多忙な一日となりました。  ともかく、1度リセットです、リセット。リセットすることで見えてくることがあるはずだから、と意識的にリセットを掲げつつ、 あれこれ考えていたら、八ヶ岳を眺めていたら、友人と焼き肉をつついていたら、夕食の席に誘われて話をしていたら、いろんな人々に挨拶をしていたら、なんだか、来年も八ヶ岳に来なきゃいけないような気がしてきました。義務とは違う、なんていうんでしょうね、誰かの、そして何者かの期待に応えるとでもいいましょうか。誰かのために、ってのともまた違うんですが。もちろん、そこには自分がありますけど。  東京に戻ると、たぶん、その理由がもっとはっきりと見えてくることでしょう。それを待つことにしましょうか。そして、行動と。  というわけで、八ヶ岳でお世話になった方々、八ヶ岳に遊びに来てくれた方々、来られなかった方々、持ち帰って野菜に喜んでくれた人々、そして八ヶ岳に、多謝。

#280 実も多いんだけど、その分、忘れていることもあれこれある、東京ライフ。

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 いつまでたっても青空が濁ってこないものですから、原稿書きはなんとかなるさという言い訳をして、出掛けることにしました。そう、今日も。なんてことを公にしてしまうのは、編集者に行動がバレますので、あまりいいことではないのですが、まぁ、これも原稿書きに繋がるものでして……。ほら、根本的に、これによって締め切りをぶっちすることはありません。ですから、ハラハラしながらもお待ちくださいませ、編集の方々。  で、今日はリンゴを買いつつ、ふらっと250kmほど。やはり、すべて下道。思い立ったら出掛けられるって、とってもいいことだなと思いました。東京にいると、渋滞を抜けるのが面倒とか、帰りやら明日のことを考えて、 ほんと腰が重くなりますからして。  さて、画像の地ですな。ここ、#265で書きました分からなくなっていた場所ですが、ちょっと前にジムニーで散策した時に無事発見しておりました。ただ、その時は濃い霧の中で、様子がわからなくなっていました。で、快晴の今日に訪れてみたら、撤去されたと思っていた鉄塔は、霧で見えなくなっていただけで、そのままに残されており、景色もほとんど変わっていませんでした。  で、ちょいと鉄塔を見下ろせるところまで登って、しばし、岩場に座って1時間ほど。ふっと気が付くと、風が止まりました。それまでは冷たい風が吹いていたんですが、それが、ぱたっと止まった。都会にいると風が止まったかどうかなんて、わからんですよね。気付かないし、そもそもそんなこと気にしない。なんてことを考えていたら、そこらに落ちている日常には凄くおもしろいことが詰まっていることを思い起こしました。  東京で生活していると、忘れてしまっていることが多いような気がします。それが大切なことかどうかは、その人それぞれなんでしょうけど、ちっぽけな日常であっても、見方次第では愉しさがあるものです。それを思い起こさせてくれるのが、今の八ヶ岳ライフなのだなと、いまさらながらに思い起こしたりして。ほんと、いまさらながらに。最近は思い起こすことばかりが多いような気がします。まぁ、忘れても、思い起こせる環境下にいればいいのかなと思ったりしますが。  さてと、原稿。これから、書きます。

#279 飽きることなく長く付き合うためには、いかにその良い面を引き出せるか。

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 さて、いよいよ今年最後の八ヶ岳ライフ。着替えやらだけではなく、仕事も抱えて、八ヶ岳へやってきました。で、出掛ける前に、クルマのエンジンオイル交換をするべと、途中ディーラーへと立ち寄ったのですが、洗車までしてくれとたいへん恐縮。考えてみれば、洗車したのはいつのことやら。八ヶ岳へ来ると、林道ではなくって、農道で泥だらけになったりしますし、この時期は落ち葉、特にカラマツの葉がボディに付きまくりますので、洗車してもらっても……、と思いつつ、やはり愛車がピカピカであることは気分がいいものです(画像のボディ参照)。  で、オイル交換したら、エンジンのフィーリングがとんでもなく良くなりました。たまたま、タンク内の燃料のオクタン価が必要以上に高くなっていた(オクタン価の指定は92なので、ハイオクを適度にブレンドしてる)ことも手伝って、まさに、ストレスフリー的なヌメヌメな吹け上がり感が強くなりました。V型エンジンの吹け上がり感というと高回転まで一気にというイメージがありますけど、うちの場合はユルユルと上昇させただけでも、その滑らかさにもう言葉が出てこないほどにやられてしまいます。ただ、それは、いわゆるイマドキの静粛性を謳えるような超優等生なV8とは違い、どちらかといえば、機械的なアナログ感であり、悪くいえば、ザラザラ感が残るスムーズさ。スムーズ感とザラザラ感は、両端にある意味合いですけど、何て言うんでしょうかね、指標としてのザラザラ感があるから、よりスムーズ感が分かりやすい、変化の度合いが分かりやすいとでも言いましょうかね。あ、まさに、画像のような感じです。適度な雑然とした感じがありながら、全体としては爽やかさが感じられる、と。  そんなエンジンフィーリングに、これまたシャシーフィーリングがぴったりだったりします。まさに調和、カタカナで言うところのハーモニー。ちなみに、ダンパーは19万km無交換でヌケヌケですし、タイヤは2シーズンも夏越えさせたボロボロなスタッドレスですが、そんなの関係ないとばかりに、心地良い走りをさせてくれます。ある意味、バランスが取れているんでしょうな。  こういった再発見があると愛着は増すものでして、オイル交換した時にディーラーで言われたトラブルについても、ちゃんと対処して乗り続けようと思えてきます。まさに相棒という言葉がぴったりだな、なんてことを夕景の

#278 狎れを断ち切るために、意識的に八ヶ岳ライフをリセットします、って話。

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 今年の八ヶ岳ライフも残りわずかとなりました。まったくもって早いものです。今年は4月中旬からでしたから、ほぼ半年だったかな。ただ、どこかでも書きましたが、昨年と比較すると、八ヶ岳での積極性に欠けていたかなと思うことも多々。で、 10月を前にして、意識的に行動してみれば秋の印象がとても強く残り、夏前の印象はどこへやらといった感じです。  流されるままのたゆとう人生については、あれこれ書きましたが、あらためて、反省を含めて振り返ってみますと、ただ受け身のままに流されていたか、意識的に流されていたかというところに、大きな違いがあることに、イマサラながら気が付きました。つまり、頑張りが不足していたと。まぁ、昨今の日本に広がっているどことなく重苦しい雰囲気の影響でもあるんですが、大きな反省点となっています。   今日は、突然の友人の来訪に心躍らせたり、薪を引き取りに行くという知り合いに同行したり、夕方になって空が広がって表れた八ヶ岳の夕焼けに心打たれたりと、忙しかった。で、夜は夜で、来週の荷物引き上げに向けての準備をしたり、こうしてつれづれなるままに文章を書いてみたりと、やることはたくさんあります。やっぱり、八ヶ岳ライフは楽しい。  来シーズン、どうするかはまったくもって未定ですが、何かきっかけを探して、それにしがみついて、八ヶ岳ライフがスタートできるといいなと思ってます。そのきっかけが何になるかは全くもってわかりませんが。ただ、ここで1度リセットすることは大事かなと思っています。狎れにならぬように。  画像は、昨日のもの。雨がふと上がって、霧が晴れたところで出会った絶景でした。

#277 期待を大きく上回るオドロカシとちょっと残念が同居していた、新アクセラ。

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 マイナーチェンジというタイミングなのに、フルモデルチェンジのような内容の改変をしてしまう、クルマがたまにあります。マーケットからの反響の悪さゆえに大幅改良を余儀なくされたモデルもありますが、最近は時代の流れが速いための修正という意味合いが強いという場合が多いような気がします。この秋、改良を受けたマツダのデミオとアクセラも、マイナーチェンジなのに大掛かりな変更がされていました。訊いてみれば、当初のスケジュールにはなかったイレギュラーな改変だったようです。先行して投入された技術は、この後デビューするCX-5がスタートの予定だったとか。  で、その新しいアクセラに試乗してきました。新型2.0Lエンジンと新型6速ATによる、スカイアクティブコンセプトを掲げて、クルマそのものも大幅な見直しが行われた改良モデルです。で、結論。この新しい技術を搭載したモデルに絞りますと、悪くはないんですが、昇華しきれていないところを感じました。新型エンジンのフラットなトルク感に上品さを感じましたし、6速ATの素早いダウンシフトスピードに圧倒されました。が、肝心の歓喜が強く感じられない。そう、これは感じるだけじゃなくて、強く感じられなきゃいけないもの。いや、悪くはないんですよ、悪くはない。技術そのものはもちろん、この後に述べますが、改良されたアクセラそのものの素性は悪くありませんから、熟成するととんでもなく化けると想像できます。ちなみに、タイヤサイズは15を標準として、16、17インチが用意されていますが、なんと、期待を裏切り、17インチがいちばんいいと感じてしまいました。  今回のアクセラは、スカイアクティブコンセプトを謳っていないベーシックなポジションとして1.5L+CVTを搭載したモデルが設定されています。ところがですね、これがとってもとってもよかった。剛性感を高めたボディとシャシーは、とんでもなく高い調和が取れていて、緩やかなアンジュレーション路面などでは、路面を滑らかに確実にきれいに捉えて離さないという、まさにヌメヌメ感あふれる足の動きがもう心地良いのなんのって。パワーフィールも、1.5LながらもCVTとの協調制御が絶妙でして、不足なし。これまで乗ったCVT採用車の中では、ベストのフィーリングだと思ったほど。さらに、ブレーキフィールもとてもいい。ペダルの踏み込み量に応じて、きれいに

#276 裏切らない正攻法をもって筋を通すことで、作り上げられる、真のブランド。

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 経済は低迷していても、カリスマ的存在だった人が亡くなったとしても、時代は止まらないんだなと、新製品が出るたびに感じていたりします。  クルマの話ですと、最近のBMWは攻撃に転じたかのような勢いがあり、時代が動いている、動かしているという印象を強く受けます。先に書きました1シリーズの日本導入が早いなと思っていたら、いつのまにかミニのクーペを投入して、気が付けば、523iは2.0Lターボエンジンに換装しているし、本国では3シリーズが発表と。しかも、3シリーズは、全幅は変えず、ホイールベースと全長を伸ばすという、まさにウィークポイントを払拭する手法を採用……、しながらも、なんと軽量化とを果たしていると。正攻法ですな、正攻法。  こういった積極的な正攻法で攻められると、その先々は読みやすくなり……、言い換えると、期待に応えてくれる=裏切らない、ゆえに信頼度は増していくもの。つまり、クルマにおいては、乗らなくとも、その乗り味を想像しやすくなるものです。新しい3シリーズにしても、直4エンジンを搭載した523iにしても、悪いわけがないでしょうとなるわけですな。これ、最近のシトロエンにも通じることかと思います。  クルマ以外では、Appleか。新製品に期待がもてるとでも言いましょうかね。そう考えてみると、こういった期待できる、期待したくなる、ドキドキさせてくれるブランドって、少ないように感じます。まぁ、個人的に偏った趣味も影響しているんでしょうけど。

#275 流されるままに流され、誘われたら誘いに乗るという、たゆたう人生。

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 青空が広がってポカポカとした陽気なのに、先延ばしにしていた原稿を書かねばなりませんでした。いかんですね、何事であっても先延ばしにしてしまうのは、と言い続けているのに、なかなか実行することができません。というわけで、しぶしぶ原稿書きをしていたのですが、目の前の窓の外に青空が広がっているとどうも気が散ってなりません。骨組みだけをなんとか書き上げて、なんとなくカタチになったところで、気分一新しなきゃという言い訳をして、出掛けることに。  あちこちに立ち寄りつつ、あれやこれやと話をしていたら、これから、八ヶ岳の山向こうへと、紅葉を見に行こうと誘われまして。残してきた原稿が気になりましたが、誘われたらば、できる限り断らないでいようと思っていることもありまして、ええい! とばかりに同行することにしました。  で、夕暮れであったこともあって、まさにゴールドに輝く景色が広がっておりまして、なんともかんとも圧倒されるばかり。で、目的地であった湖に到着してみれば、さらに表現できないほどの景色にノックアウト。吸い込まれるとか、そんなんじゃなくって、もっと単純な、写真みたいとか、絵みたいとか、そんな表現しか出来ませんでしたが、なんていうんでしょうかね、心安らぐ景色であったことだけは確かです。  下で書きました行動することも大切ですが、誘われたら断らないことも大切かなと思っております。ほら、誘う人の立場になってみれば分かりやすいんですが、誘った人にはその人を誘いたいというそれなりの想いやら意図があるわけで、それには乗ったほうがいいのではないかと考えているわけです。逆にいえば、イヤな人ならば誘いませんから。  さて、原稿書き、原稿書き。いい景色を見てきたから、進むんでしょうか。たぶん、進むでしょう。

#274 行動すればするほどに功を奏すという導きと、思い起こせば24年前、って、話。

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 友人が八ヶ岳を訪れてくれましたので、どこかに行くべと相談してたら、リンゴを買いに行きたいというので,行きましたさ、二日連続で同じ販売所へ。さらには、足を伸ばして、山向こうの共選所(画像下)まで。これも、また昨日と同じルートだったりして。まぁ、昨日と同じクルマで、同じルートであっても、流れゆく景色は違うものに見えますし、クルマの乗り味もまた違った発見があるもので、それはそれで愉しめたかなと。  で、さらにさらに足を伸ばすことになり、志賀高原へと登っていったら、視界を遮っていた霧も晴れ、ご覧の紅葉な風景にばったりと出くわし。ならば、さらにさらにさらに奥深くとばかりに旧奥志賀林道を走っていったら、懐かしの場所にたどり着き、そして懐かしの人に会ったり。で、ふと思い起こせば、この懐かしの地は、まさにちょうど24年前の紅葉の時期にたまたま放浪して、出会った地でした。人生はもちろんのこと、卒論の題材に迷っていたところに、“ブナ林施業云々”って卒論のテーマを教えてくれたり、人生の心地よさを教えてくれた場でもありまして、今考えると、あの時のことも、今日のことも、偶然ではなかった気もします。  話が脱線した。当初の目的だったリンゴは無事購入できたようでした。と、他人事のように語ってもますが、自らも、すでに昨日購入済みだったにも関わらず、ついつい、傷物を見ると買いたくなりまして、購入。なんでしょうかね、この衝動は。まぁ、本当にイイモノをイイお値段で手に入れているわけですから、アウトレットでの無駄遣いとは違うかなと、自身の中では、言い訳をしてたりしますが。

#273 愛車に求めるいちばんの要件とは、いかに素直さがあるか、どうか。

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 グランドチェロキーに乗っていると、愉しさがある反面、いろいろと考えるのですよ。自動車税だけで8万8000円だし、走行距離は19万kmだし、燃費も重量級SUVとしては悪くないけど、イマドキのエコを謳っているクルマに乗ると、その差に愕然とするし。  では、乗り換えたくなるクルマが何かあるかと言われると、それも見当たらない。条件としては、年に2回のオフロードコースランのためだけなんですけど、ハードなオフロードを走れること。それを外せば、ミニやらDS3やらゴルフやら欲しいクルマはたくさんあるんですが。まぁ、FJクルーザーやらラングラーなんていいと思うんですが、周囲で所有している人がいますし、うちのグランドチェロキーよりも燃費が良くないので却下と。で、見渡すと条件を満たしているのが、ジムニー。ただ、周囲に、次のクルマにジムニーって選択はどうかなぁと意見を求めると、えっ? と、グランドチェロキーからの超ダウンサイジングぶりに、冗談かのように捉えられてしまいます。  で、借り出してみました、最新型ジムニーを。14年目を迎えて、どこまで進化したのかを確認することが主な理由でしたが、次期愛車になりうるかというサブテーマを掲げて。ジムニー、とってもいい進化を遂げていました。熟成ですな、熟成。日常での乗り味は快適性を得ていましたし、何より前後リジッドサスを採用したオフローダーたる緩さあふれる走りが上手くかき消されていました。特に 乗り心地の面では、ゴツゴツを出させずに、上手い具合に ヨタヨタ感を上手く消し去っています。まぁ、路面によっては 不足気味のフラット感を残していますが。  そして、長く乗っていると、ジムニーのシャシーは、あえてイマドキに落とし込んでいるところも見えてきました。たとえば、曲がるシーンでは、ステアリングフィールに緩さがあるのに、ロールを感じさせないままに曲がっていきます。それは明らかにスタビを少々強めに規制したフィーリングであり、つっぱり感に似た違和感とも言えます。でも、これは ジムニー本来の乗り味であるヨタヨタを感じさせないようにとチューニングした結果であることが見えてくると、許せるようになってきます。  ワインディングでは、それよりは深くロールさせるのですが、もう少し深くロールさせてもいい、つまり、ドライバーに荷重移動を感じさせて、グリップを感じさせてく

#272 らしさが存分に詰まった、最新の輸入車(BMW1シリーズ/シトロエンC4)。

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   最近、とっても味のある、気持ちのよい2台のニューモデルに出会いました。  1台目は、BMWの新しい1シリーズ。最近のBMWはとってもいいと、よく口にしていますが、ほんとにいい。それは、BMWってばやっぱスポーティだしぃ、シルキーシックスじゃんとか、そんな理由ではなく、クルマとして、ブランドとしての方向性に迷いがなく、それに見合った仕上がりを見せているところがすごくいい。Mスポーツをパッケージ化して、ウリなスタンスを見せた 頃のBMWは、商品性を優先するがばかりに、その乗り味にゴツゴツ、ゴトゴト感を許しており、 その固さってBMWとしてOKなんですか? と問いたくなるものがありました。つまり、バランスがイマイチと。 しかし、最近は、それが消え去りました。トルク感を明確に表現したエンジンフィールは、ターボであろうとNAであろうと関係なく存在し、そして取り戻したしなやかな足回りは、まじめなハンドリングと相まって、街中ドライブでも心躍らせてくれるものに。  で、1シリーズですが、価格以上に質感を高めておりまして乗り味はもはや3シリーズクラスであり、チープさが見当たりません。120iの高出力版1.6Lターボなんて、いらないでしょ、このパワーってほど。一方の116iがベーシックかといえば、そんなことはなく、スタンダードであり、必要にして十二分だったりします。いやはや、完敗。それでいながら、 価格は116iで308万円、120iで367万円と、ライバルと比較すると高めですが、その分の価値は十二分にあると思います。というか、1シリーズがここまでになってしまうと、明日だったかに発表される3シリーズがどうなってしまっているのかを、想像できるような、できないような。凄いです、最近のBMWは。   最近のシトロエンもとってもいいと思います。 もう1台は、シトロエンのC4でした。1.6LエンジンはBMWと共同開発しており基本的には同じものですが、その味付け部分はかなり異なっており、それぞれの乗り味に見合ったものになっていました。路面の凹凸を確実にいなしながら、サスをじんわり動かすことでゆったり感を作り上げ、揺れすら気持ちいいという表現がぴったりのコンフォート感を手に入れています。しかし、それだけに止まらない。それはハンドリングはもちろん、シートやらデザインにも共通したものであり、

#271 地味ながら、iPhone4ユーザーには魅惑的な進化をしていたiPhone4S。

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 iPhone4Sだったというオチに、株価まで下がったようですが、なんか騒ぎすぎのような気がしてます。大きく変わらなかったと捉えられていますが、魅力的な機能が多く盛り込まれているように思って見ております。カメラだってHDながらf2.4だし、日本語未対応ですがSiriなど、ちょっと使ってみたくなる魅惑があります。そして、何よりスピードアップですな。iPhone3GからiPhone4へ切り替えた時、そのレスポンスに快適さを覚えましたが、今となってはそれはストレスに。なんだかんだで、もたつくことが多く、特にバックグラウンドで何かしている時、たとえば電話機能、iPod機能が裏ながらも実は最優先で動いている時、リアルタイムな操作は二の次にされている、つまり、割り込み順位が低いことを実感させられるシーンが多々ありますからして。  つまりですね、このデュアルコア化は、とても歓迎されることでありまして、これだけでもトピックであり、買い換えの価値があると、iPhone4ユーザーとしては思うわけですね。もちろん、残りの月月割を捨て去ててもかまわないという、ゆとりがある方ならば、という前提付きですが。ただ、少なくとも月月割が切れる、切れているiPhone3GS以前のモデルの人は買い換えでしょうな。  それにしても、ここのところリークが多すぎて、噂どおりだったね、が多いような気がします。つまり、オドロカシがないと。前回もそうでした。auでの販売も、あのリークがなければかなりの衝撃を受けましたんでしょうけど、事前の噂があったことから、個人的には、本当に? ではなく、ふーんという、さめたもの。リークしないほうが良かったのにと思ったのでした。

#270 イマドキに乗れたとしても、肝心の目的を見失うとイマイチになる、って話。

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 ちまたであふれかえるiPhoneですが、iPadも意外とあふれかえってきているようで。まぁ、使い方次第では「はまる」デバイスですから、あふれるのも納得ができるところではありますが、一方で、真価を使いこなしていないスタイルに、うーん、と感じるところもあります。たとえば、安易にタッチパネルであることだけがクローズアップされている場合ですな。そもそも、タッチパネルって、以前からあった操作方法でしたから……。  iPhoneにおけるタッチパネルへのアプローチは、小さなモニタ面積のデメリットである表示部をいかにフォローできるかにキーがあったと思います。具体的には、まず、表示部そのものを操作系に当ててしまうことで、別途操作系を用意する必要がなかった。つまり、表示面積を犠牲にせずに済むと。さらに、それでも広いとは言えない モニタ面積ですから、そこで求められるのは拡大表示操作なんですが、これをピンチという操作性によって、直感的かつ快適に行えるようにしています。  つまりですね、iPhoneにおけるタッチパネルとは、目的あってのデバイス(操作系)であって、デバイス(操作系)あっての演出ではないのです。ですから、最初で述べました、目的を見失ったタッチパネルデバイスに対して、なんだかなぁ感を覚えるわけです。Apple信者なんだから……とか言われるかもしれませんが。  一方、iPadも同じかといえば、これが違う。iPadは表示部が広げられていますので、iPhoneのような拡大表示という操作性はiPhoneほどは必要ありません。では、iPadの価値はどこにあるのか。実は、 iPhoneで得たスワイプやらスクロールといったタッチパネルの新しい操作は、広げられたモニタにおいては、 操作系に直感を与えていることに成功しています。ですから、 安易にネットブックの代わりとか、そういうアプローチではないのです。 よく、iPhoneユーザーがiPadを手に入れると、両者には違う心地よさがあると、口にするのは、この点です。逆に、iPadを持っていない人は、iPhoneのデカイのなんでしょ、と口にします。これは両方を所有してみないと分からない。ちょっと触っただけでは分からないことだったりもします。  さて、画像は、とある飲食店で採用されていたタッチパネルならぬ、iPad。残念ながらタッチパネル操作を