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#1927 船やらの貸し出しってありましたっけか? ってな、千鳥ケ淵周辺の話。

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 東京都をメインに周囲の県も走っている首都高速道路ですが、その中心部である環状線を走ることは多々あれども、その周辺を歩きまわることはあるようで、ありませんでした。この上の写真は、大きな千鳥ケ淵を手前にして、皇居のお堀を走り抜いている環状線が西方向に写り込んでいます。方向的には、東側を向いて撮影しており、環状線そのものは東へと向かっているルートですな。この環状線のポイントは、この代官町ICでの乗り降りのために持ち上げた感があるのですが、その前後は地下にありますので、上がったり、下がったりって、結構激しいルートなんだな、と、あらためて思います。  で、この地なんですが、よく通るシーンのですけども、そのすぐ横に下道があったことを知りませんでした。といいますか、見ていませんでした。この環状線と下道が近づくシーンはいくつかあるんですが、そこは平行して走るルートなれど、下道のほうが高さが上にあり、そこはまさに環状線を上から見下ろすスタイルになっていたりします。環状線でこの付近を走る時にはどちら周りでもその周辺まで必ず目にしているはずなんですけどね。今回のように、歩きから見えてくるシーンってのもなかなかおもしろさがあるなと感じました。って、そんなことを考えていると、千鳥ケ淵の向かいにある北の丸公園内もしっかりと歩いたことがありません。都市部には足を踏み入れたことがないところばかりのような気がしてきました。まぁ、意図的に避けていたところもあるんでしょうけれども……。

#1926 ぶたの姿をしたパンなれど、このかわいらしさはどこから来ているのやら。

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 一昨日に三鷹周辺を歩いた話をしましたが、まず最初にパン屋さんへと出掛けました。その後に訪れた「よもぎBOOKS」とは逆方向になるんですが、少し歩いてまでも出掛けたい先でしたので、歩いてきました。で、上の写真は、 ここね のパン。おもしろおかしく手を加えることで、かわいらしいパンを焼いています。このまさに愛嬌あふれる表情は、簡単に作れるものではなく、また、試行錯誤しながら完成したって感じが、実にいい。豚の鼻のデザインなんて、なぜに、下側がフラットなデザインになっているんでしょうかね。って感じで、ひとつひとつが、こういった工夫によって作り上げられていますし、こちらの気分がほっこりとしてきます。あー、よーく見ていくと、胴の後ろ側にちゃんとしっぽまで着いていました。ちなみに、こちらのパンは北海道産小麦をベースにしながら、天然酵母種を用いて作り上げており、なんていうのかな、素朴とはまたちょっと違う、豊かさに支えられた感にあふれています。つまり、こういったキャラクターに頼らないパンの美味しさも力強さに支えられていますな。  そうそう、このパン屋さん、写真で撮影したパンの中に何が入っているのかを確認しないまま購入してきたので、食べてみたらば、チーズとハムとの組み合わせでした。ということで、購入してから翌日まで持ち歩いていたので、とっととひとりで食べてしまいました。

#1925  閉じられてはいなかった、意外性があふれでている2026年のカレンダー。

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 日々歩いています。ただ、1日で歩くのはそんなに長距離とはせず、また、我が家への一線に近いところをテクテクと歩いています。いつもは行き先を明確にしないままに出掛けながら、いつしか目的地が決まっていまして、そこに、なにかイベントごとがあったりもしますので、なんらかのおもしろさがあったりもします。今日は、東京は三鷹駅近くを巡りながら、最終的には「よもぎBOOKS」で開催されている牧野千穂個展「Love and All That」へと出掛けていました。今日のおもしろさはなんだかな、まぁ、思いのとおりにいかなかった宅急便コンパクトを利用できなかった面倒さ、とか、想像していた店舗と違っていた店構えとか、あれやこれやとありました。ちなみに、今回は、出掛けようと思っていた目的地のトレースはしっかりと終えてきました。  たまに、とはいえ、ネコ派なのか、それともイヌ派なのか? と問われることがありますが、どちらかといえばイヌ派。自分はネコに興味がないとか、そういうレベルではないのですが、なんだかんだいいながらも、やっぱり、イヌ派。なんでしょうかね、与えられたモノゴトにオリジナルを交えているネコには近寄りづらいといった雰囲気を感じ取っているからなんでしょうかね。ところが、ここに並んでいるネコ群は、それぞれに表情が異なるし(当たり前ですが)、それぞれに行動が違っている。それでいながら、愉しさにあふれているところが、すごくいいかな、と。さらには、色合いがモノクロトーンでありながら、アクセントに赤を用いるところもいい。コントラストの良さとでもいいましょうかね。上の写真に写し込んでいるカレンダーを購入してきましたが、てっきり閉じられていると思い込んでいたらなんとバラバラに、そして月ごとに印刷されていました。販売価格は1760円(税込)。カレンダー「ごとき」に、費用をかけるなど、初めてじゃないかな。でも、そこまでしても手に入れたかったカレンダーでした。

#1924 素通りすること、3回目で、ようやくたどりつくことができた、とあるカフェの話。

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 訪れることができたのは3回目のことでした。1回目は近隣を通過してしまい、店舗すら見たことはなく、2回目は、手前にあったパスタ屋さんだけが目に飛び込んできて、その奥に店があることに気が付きませんでした。やはり、到着するには、難があるなぁと思いながらも、本日、なんとかたどり着くことができました。  このカフェは、実は、表にパスタ屋さんがあり、その奥に位置しているのですが、まずはパスタ屋に並ぶ方々を見てしまい、その奥に何かがあるとは思えない、そんな状況下にありました。で、今日は誰も待っていなかったことと、そもそも場所を探し当てていたので、そそくさに奥へと進みました。そこには、店舗内に入るにはちょうどいい「幅」でありながら、高さ不足な窓があり、また、備えた店内へとアプローチするための階段とに誘われ、さらにはスペースにはスツールが整えて並べられており、まさに、どこが玄関になっているのかは、実に分かりやすく作られていました。ちなみに、このスペースの上はただの屋根に見えますが、店内の広さに対して、何気に広いスペースを確保しており、ちょっとオドロキだった部分。店員さんによれば、ここまで広いスペースがあったことも、実はプラスになったとおっしゃっていました。  ただですね、見方を変えると、こちらの入り口な窓は、どう見ても、頭をかがめながら入らなければならず、半地下へと降りていくかのように階段を下りていきます。しかしですね、実際に面倒はありながらも、個人的にはイベントごとをさせてくれるかのようで、そこに愉しさを感じました。なんでしょうね、こういった不便が何かをしなきゃならないときに必要になる、良質さって……、もうそれだけで、心が満たされました。  ちなみに、この店舗は、いわゆる表通りにはありません。そして、その裏通りにあります。さらには、こうした不便さがあることは、この店舗の味わいになっており、それこそ、色になっています。そう、どうして、窓サイズを変えなかったのだろうか、なんてことは思わせない、この作り込みこそに、魅力を感じたのでした。

#1923 ひたひたと歩いてみた都立青山霊園と、そこにあった桜の大木やら。

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 東京は青山霊園の中をちゃんと歩いたことはなかったような気がしています。そもそも、皆さんはどうしてここにお墓を備えたいのだろうかと思いましたが、さらには、きっと人気はものすごく高く、手に入れるのはたいへんなんだろうなぁとも考えました。た、たぶん……。で、価格はどのぐらいなんだろうかと調べてみると、今年度の一般埋葬施設では、使用料は34万5800円〜1054万3500円で、年間管理日が1500円〜6000円とのこと。この価格帯が高いのか、安いのか、さっぱりわかりませんが、いちばん安い価格帯は、都内かと思いきや、隣となる千葉県にある八柱霊園、高額なのは青山霊園となっていました。ちなみに、青山霊園でいちばん安いのは460万3500円でした。そして、やはり同じく一般埋葬施設で、倍率はどのぐらいになっているんだろうかと調べてみると、1.4(八柱霊園)〜11.0(青山霊園)とのこと。ただし、そもそもの募集数が八柱霊園では330区画なのに対して、青山霊園では65区画しかありませんし、また、たどり着くための便まで考えると、これだけの高倍率になってしまうんだなぁと納得できるところもでてきます。  あらためて振り返ってみると、霊園へとちゃんと足を運んだことは、やっぱりなかったような気がしています。ょっと数字を調べて、並べ替えてみましたが、やはり、この青山霊園は、道幅が広くとられており、もちろん、狭いところもあります。そして、夜でも歩いてみたくなる、そんな雰囲気もあったような気がしています。ま、たぶん、夜は入れないようにされていると思われますが。それにしてもなんでしょうかね、この、年を重ねてくると、霊園がそれほど怖いとは思えなくなっていたりもします。不思議だ、不思議。

#1922 東京は立川駅にて、人身事故発生のアナウンスがされた青梅線、な、話。

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 今日は、朝から雨だったので、寄り道をせずにそそくさと帰ろうと思っていたのですが、その帰りのこと、立川駅で青梅線に乗り込んだところ、なんと昭島駅で人身事故があったと、車内で放送がありました。発生した時間は12時13分だったかと思うのですが、乗り換えた立川駅にてごにょごにょと放送があったのちに、まずは、隣駅となる西立川駅まで車両を移動させ、で、停車する、とのアナウンスが続きました。人身事故については過去にも書きました(→ ■ )が、その細かな微細まで伝えてこないことはいいかなと思うところもあり、一方で、もう少し知っておけば、この先をどう動くかまで見えてきますので、知っておきたいという思いもありましたけれども……。  いずれにしても、その後、西立川駅まで移動して、停車したままに時間が過ぎていきましたが、後から、出発できるのは13時30分ごろになりそう、と、のアナウンスが流れてきました。写真を見ると、電車を降りたのは12時42分。うーむ、本当に13時30分まで待たねばならないのか、と、少し考えてから、駅を離れて歩くことにしました。まぁ、なんといっても、冷たい雨は降り続いていたために、たいへんではありましたが、無事に帰宅。ちなみに、自らが乗っていた車両は、立川駅を離れる時にはドアは開けっ放しだったのですが、西立川駅へ到着してからはパネルやらの操作をしないと、ドアは締めっ放しになります。そうなんですね、青梅線ってのは、こうした時にお役に立つところがあるようです。

#1921 歩いていたら突然に出会ってしまった「浅川兄弟の遺した道」の話。

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 テクテクと歩いていたら、たまたま、 KOREA CENTER の横道から甲州街道へと出てきました。そういえば、この施設って、なにかを見学できたりするんだろうかと玄関前へと行くと、「浅川兄弟の遺した道 〜朝鮮の自然と文化、そして人間を愛した伯教と巧〜」が開催されていましてね。浅川兄弟を辿ることで韓国をさらうことができるなぁ、と思い立ち、立ち寄ってきました。兄は伯教、弟は巧と呼ばれ、ふたりとも、母親とともに朝鮮へと渡っています。朝鮮で何を求めて活動してきたかはなんとなく知っていましたが、日本にいる間に何を学んできたのかを知ることができる構成になっており、それもまた上手く作り込んでいました。また、山梨県の八ヶ岳ふもとで育っていたこともあり、そこにも興味を強く引かれました。  ふたりの年の違いは5歳ほど。兄は教師を目指し、弟は営林署へ勤めており、それぞれに目指した道が違ったこともあったのでしょうね、その後、互いに互いを意識していったことも暮らしぶりから見えてきます。朝鮮へと移った時代は、兄が1913年、弟が1914年から。多くの日本人が朝鮮へと溶け込もうとはしない中、あえて、朝鮮式家屋に住み、そして、朝鮮語を話しながら暮らしていたといいます。人間的な関係は語られてはいませんでしたが、そういったスタイルからも、朝鮮の人たちに溶け込もうとした環境も見えてきます。芸術に長けていた兄は多くの画を残し、また、弟は林業技術者として活躍をしながらも、ふたりともに、朝鮮白磁に惹かれ、やがては朝鮮民族美術館を造るとまで発するようになりました。残念ながら、弟は40歳で風邪をきっかけとして急性肺炎で亡くなっていますが、と、同時に、残された日記にはさまざまなことも書かれていました。なるほどなぁと思うところだけではなく、そして、より深く知ることができたこと、そんな「おもしろさ」がそこにはあふれていました。

#1920 いちょうに見とれていたら、ついつい見落としてしまった、千駄ヶ谷の冨士塚の話。

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 2度目となる、東京は千駄ケ谷にある鳩森八幡神社側を歩いていたのですが、なんとそこには千駄ヶ谷の冨士塚があることを、今回、知りました。この冨士塚は都内のどこかにあるのは知っていましたが、それがいったいどこにあるのか、分からないままでおりました。もちろん、昔の会社の方々に訊けばいいだけの話ではあるんですが、してきませんでした、なんていうんでしょうかね、ちょいと気になりつつも、思い出すまでもなく、あそこは一体どこなんだろうなぁ、的なニュアンスで捉えていました。上の写真は、前回撮影したものなので、その主体は、ど真ん中にあるいちょうの木としていました。もちろん、かなり大きさのある樹木だったのでサイズ感を写真に写し込むには難しさがあったのですが……、って、そのいちょうの右側にその冨士塚がありました。高さにして6m程度ですが、そもそも、ここに積まれている岩系は、一部は富士山に存在していた岩だったそうで、わざわざ運んできたことを考えると、少々感慨深くもなってきます。まぁ、最近、持ち出したとも考えられませんしね。  あらたに最近集められたイラストを眺めていると、その看板そのものに用いられた色合いには新しく色を重ねていますし、たしか、登山用に用意された道も、登りも降りもこんな雰囲気となっていました。そして、肩書きとしては、東京都指定の有形民俗文化財「千駄ヶ谷の冨士塚」を得ていますが、これが、はたして昔からあったような、なかったような、よく覚えておりません。ちなみに、この富士塚が完成したのは江戸時代だったとか。途中、関東大震災を機に作り直されていますが、この地に、これだけの岩場を作り上げるのはたいへんだったろうなぁと、思わせてくれます。そして、新しいお客さんを呼び寄せている姿を目にすると、この冨士塚は、時代が経過すればするほどに、その価値を高めてきているような気もしてきました。

#1919 突然にインバウンドによる海外の人たちが濃くなっていた、浅草駅周辺。

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 東京は浅草へと出掛けてきましたが、実際にはJR浅草橋駅から徒歩で歩き、そして、都営浅草線や銀座線、さらには東武鉄道がある浅草駅まで出掛けてきました。あいかわらずのインバウンドでいらした海外の方を中心にごったがえしていましたが、そんな中にも国内の方々もいたりして、なんだかわけがわからない状況下となっていました。今回は浅草駅をぱちりと撮影しましたが、そういえば、ここに写り込んでいる浅草松屋( ■ )については、半ば放置されたままになっていました。  ということで、調べてみましたが、現在の建物は外壁のデコレーションをしたものだそうで、2012年に完成したとか。当時、近隣にあった東京スカイツリーの開業に合わせた整いとしたようで、そして、4階から屋上までを、エキミセ(東武系)へと手渡していました。言い換えると、地下1階、1階、そして3階は松屋浅草でありながら、2Fには東武浅草駅を設定しています。店舗を拝見してみると、崎陽軒、浅草今半、日本橋にある日山、とらやを配置しながらも、そこになぜだかココカラファインが同居。ま、これこそが、イマドキの百貨店的な展開といえるのでしょうかね。まさに、かろうじて、といった感が漂っていますが、考えてみると、銀座線の浅草駅へとつながる道は、その地下へと直結していましたし、さらには地上へはエスカレーターが伸びていたかと思いますので、あとは、やる気次第なのか……、いや、むずかしいんでしょうかね。逆にいえば、インバウンドによる効果を期待すれば、まだまだ行けるんでしょうかね。……、と、そんなことを感じました。

#1918 整えすぎた感がものすごく強いんですが、奥の建物との新旧な違いも愉しめそうな「市谷の杜 本と活字館」。

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 都心にある市谷加賀町って地域は、過去に通過したことはありましたが、歩いたことはありませんでした。なぜ、そんな街にいたかといえば……、って、なにか考えがあったわけではなく、ふらりと周囲を歩いたらどんな感じなのだろうかと、思って、歩いていました。ら、そんな中に、大日本印刷株式会社(DNP)の本社がありまして、おっと、こんなに大きかったかなと思いながらも、いまや印刷して稼いでいるところといったイメージを持っている方は少ないかな。現在では、その規模、そして、園地を附属させたことなどによって、まさにイマドキの会社であることを強くアピールしていました。ふーん、突然に土地の使い方が豊かになり、おもしろいなぁと思いつつも歩いていたら、「市谷の杜 本と活字館」がありました。あまりに磨かれすぎた壁面と、漢字の並びが旧世代、つまりは、右から左へと流れており、さらには、取ってつけましたといわんばかりの時計を飾っている姿に、なんか違うんだけど、いいのか、今の時代だから、と、思って、眺めていました。  検索してみると、その前身でもある秀英舎は1886年(明治19年)に建物を作っていたようで、時代を考えると、そのたいはんは木造が主体となっていました。そして、建物は、1920年に鉄筋コンクリート作りへと変わりつつ、この建築物は1926年に完成しています。この建物の修復は、2010年にスタートした市谷工場整備計画のひとつとして始まっていました。もちろん、残すべき建物であり、さまざまな理由もあってのこと。曳きや工事によって、この地へと移動してきましが、高さにおいてはなんと約3.2mも移動しているとか。また、社名については、正面から撮影された写真が見つかり、それをもとにアウトライン化、そして印刷に回したそうです。中は、さまざまな印刷機が並べられ、じっくりと観察することができる地となっているようでした。そう、「でした」と書いているのは、この日は休館日だったためですが、ま、機会があったら、ぜひとも訪れれてみたい場となっていました。ちなみに、左上に掲載した写真は、すぐ横に立っていた本社ビル、と合わせてのもの。こうして、写真の比較をすると、新旧兼ねてたいそうなものを作りましたなぁ、といった感も湧いてきあs

#1917 東京と神奈川に存在していたリコスってなネーミングの、スーパーマーケット(いずれも小型な店舗)。

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  初めて目にしたコンビニエンスストアがありました。そこはリコスと名付けられていましたが、って、その名称の前にはスーパーマーケットと書かれていますので、コンビニエンスストアとはちょっと毛色が違うようですな。実際に、店内をチェックできていませんので、品揃えにどういった違いがあるのかまでは分かりませんでしたが、その横にG-7グループと記されていますので、どうやら、現在ではどこかの大手の会社に属して「いる」ブランドとなっているようです。で、そのリコスですが、会社としてはG-7リコス・ストアズに含まれており、そちらのお知らせなる項目をのぞいてみると、どうやら店舗数を減らしている傾向にありました。ちなみに店舗は、東京と神奈川のみで展開されていますが、東京は区内で、さらに東方面に限られているんだろうと思ってみれば、そんなことはなく、町田市や府中市、そして、武蔵野市や調布市にも店舗があるようで……。ちなみに、写真を撮影した時は改装に入っているかのようでしたが、ついこの前に店舗閉業したとのこと。過去のグーグルマップでは、店頭にティッシュやトイレットペーパーやらを並べながら、店内にはお酒も置いてある、ちょっと昔のコンビニ的な展開をしていた様子で、場所を選ばねばそれなりに人気が出そうな印象も持ちました。このリコスの営業時間は24hが基本ではないようで、場所によっては8:00-22:00なんて店舗もあったようですな。  ふーん、そういった展開もあるのか……、と思いつつ、自宅でさらに検索してみると、お、こちらのG-7なんたらは、オートバックスやらにも展開をしているを会社じゃないですか。って、さらに眺めていくと、業務スーパーまでこちらに属しているようで、びっくり。イマドキの会社ってのは、他業種を混在させながら、こうして業種を広げているんですなぁ。言い方を変えると、まさにホールディングスって言ったほうがいいのかもしれません。あ、さらに眺めているとですね、この業務スーパーは、G-7グループに属しながらもその中にあるG-7スーパーマートに属しており、そこには、青果事業を担当しているめぐみの郷(G7アグリジャパン、店舗は兵庫、大阪、奈良のみ)、精肉販売であるお肉のてらばやし(G7ミートテラバヤシ)ってな展開もしているようです。ちなみに、このお肉のてらばやしの本店は横浜にあるようで……、って、さらに調...

#1916 東京にある代々木駅前は、道路はそのままに、信号もそのままに、大きく変わるかもしれません、その2。

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 東京にある代々木駅前の話をしながら、書き切れないあれこれが出てきました。前にも挙げましたが、当時は、いちばん新しかったのかな、新館と呼ばれる(思い込んでいただけかも)代々木ゼミナール(7)が残っていました(前にアップした地図)。というよりも、残されていました、といったほうがいいかな。横にここ専用と思われる駐車場がついていましたから、崩せない理由が何かあり、そして、駅から遠くないこともあって、手放さないんだろうな、ってことも浮かび上がってきそう。ちなみに、Wikipediaで調べてみたところ、08年に本館ビルを新宿方面に立て替えをしたようで、最近は、どうなっていたのかは、よくわかりませんが……。  そういえば、京王線の南平駅にあった寮がありました。あったのですが、この本館が建った頃に閉鎖。まぁ、そもそも、南平って地に寮があることに対して、ちょっと違うんじゃないか、と思ったことがありました。ただ、本館に巻き込んだ投資が行われ、代々木はもちろんですが、新宿に近い(すぎる)こともあり、月額の寮としては18万円(そのほかにも必要)と、そこそこに高い寮となっていますが、それもまた、都会的なゼミナールとしては必要だったんでしょうかね。ま、新宿があまりに近すぎるからなぁ、仕方ないんだろうなぁ、とも思いました。  と、駅前の代ゼミな話をしてきましたが、久しぶりにJR代々木駅で降りたところ、構内には新しい路線との接続はできていたものの、メイン出口、そして、東口との繋がりは、昔のそのまんまでした。自動改札機の並び方がちょっと違うようにも感じましたが、たぶん、そんなことを感じただけなんでしょうね。この代々木駅って、そのうちに大きく改良を受けることでしょう。受けるでしょうけど、あの山手線と総武線の動きまで捉えなければなりませんから、工事はオオゴトになるんでしょうね、きっと。この写真は、メイン出口を捉えたところ。後に見えている大きなビルはNTTドコモの建物です。

#1915 東京にある代々木駅前は、道路はそのままに、信号もそのままに、大きく変わるかもしれません、その1。

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 先日、東京は代々木駅前を訪れた時に、駅前のスペースが随分とゆったりとしていたってな 話(#1912) をお伝えしました。が、あのスペースは広々としていたというよりは、30年前以上に作られていたスペースはそのままに周囲の建物が崩されており、その大御所だった、代々木ゼミナールが崩されて大きくスペースを提供し、そこに何か巨大な建物が立ちそうな感じがありました。裏にあった「代々木ビレッジ バイ クルック(代々木VILLAGE by kurkku)」ごと開発するんでしょうかね。建物の作り方によっては、また、サイズによっては、ずいぶんとせせこましい街になってしまいそうな予感すらしています。  この上の地図は、代々木駅前となりますが、地図の真ん中少し下にある代々木ゼミナール(1)と書かれたところは現在は写真のように何もなくなっており、その下側に代々木ビレッジ バイ クルック(代々木VILLAGE by kurkku)」があります。で、よくよく観察していくとですね、まず、駅を出たところにあった鈴木薬局(1)がなくなっておりました。それほど幅はありませんでしたが、その左側に代々木ゼミナール本館との通路が作られており、そこに、互いに意地のように土地を守っている感があり、感心していたりもしていました。ただし、その横にあった代々木教会(3)、そして、太田園茶店(5)はしっかりと残されていました。両方とも、ご自分の土地なんでしょうね、それこそ守っていく感が強くあったように思います。ちなみに、当時から変わらない建物のままで残されていた花クリニック(4)は、あいかわらず推薦されたままなのかな、いずれにしても、そのままに残された感が味を作っていました。そうそう、原宿駅前には代々木ゼミナール造形学校がありましたし、ここ代々木には、代々木ゼミナール(7)が以前の建物のままに残されていました。  かつて旧校舎があった代々木ゼミナールは、現在はSAPIX代々木ホール(6)となっておりまして……、と、思って、調べてみると、代々木ゼミナールは関連があるようで、Y-SAPIX、SAPIX中学部と繋がっているようでした。いずれにしても、最近の代々木ゼミナールは当時の群を崩したように見えていましたが、いろいろな業種を巻き込みながらも生きながらえているようです。

#1914 小さなジムニーが送られてきたけど、ボディの色塗りからドライバーまで、作り込んだそうで。

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知り合いが、我が家へとジムニーを送ってくれました。あらまぁ、来年から乗れるモデルじゃないですか、と感激していましたが、裏話を訊いて行くうちに、ボディは自分で塗っているし、しかも、ルーフやらボンネットの色合いまで自分でペイントしていまして、さらにビックリ。え? これ、できあいスタイルじゃなくって、細かにバラバラにできるモデルだったようで、さらなる裏話を訊いていると、インパネもバラバラで組み付けて、そして、接着して作り上げています。もちろん、そのインパネにはいろいろと細かな色合いが表現されており、これもまたビックリ。そして、ドライバーは、自分に似ているなぁと思いつつ、こういう人がいるのか、なんて思っていたら、これもまたオリジナルだとか。このドライバーは、自分の振り返りポーズを真似ていますが、そんな風景まで細かに作り込んでいますが、もう少し言ってしまうと、手足はざっくりと切り取られて、そして、接着されて、んで、この姿を作り上げていました。着ている服も当時のものに合わせてありますしね。  ボディサイドに貼られた大きな4x4MAGAZINEのステッカーは、後から貼ったので剥がそうと思えば剥がせますとは仰いましたが、え? これもまた、作ったの? って感じの仕上がりとなっています。この細かな文字まで作ったようで、さらにビックリ。そうそう、フロントタイヤは左右に動かせますので、ここにも、かなり感激。ホイールは、さすがにできあいがあったのだろうと思われますが、これとて訊いてみないと分からないところもあります。いやー、すごくびっくりしました。もちろん、保存版にいたしまする。

#1913 大学病院での患者受付番号が1111に続いて、1234が来てしまった、という衝撃的な話。

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 以前ですね、 #1808 にて、大学病院での受付番号に、とうとう1111番が来た! と、書いていましたが、ついこの前のことかと思いきや、なんと2025年6月21日でありまして、ほぼ半年ちかく前のこととなっていました。早いなぁ、早い。時間が立つのは実に早いものがあります。そして、今日はですね、突然に1234番が来ました。本日は、そもそも院内をあちこちと回らなければならない日ではありましたが、今日は何番が来るのだろうという思いがありました。で、突然に、この番号を目にした時には、心の中でやったー! という思いがめぐり、でも、誰にもいうことはできないという、でも、それでもいいや感があふれており、もう、これだけで 、一日が大満足といった感じに満たされていました。  この病院へは、足しげく通っておりますが、もちろん、受付やらで呼ばれる時には、まずはこの番号にて呼び出しがかかります。ま、いわゆる個人情報ってやつなんですが、つまりはですね、「せん・にひゃく・さんじゅう・よんばんの方ー」、と、呼ばれます。ところが、とある診察科では、自分のことを、突然に「いち・にー・さん・よんの方ー」と呼ばれまして、ちょっとビックリ。これはですね、まずは数字をすべて目にして、だからこそ、数字の並び方をなぞって、そう呼んだと思われます。そんなことを勝手に頭の中に思い浮かべると、実に、愉しさがあります。あります、あります、あります……。って、考えすぎているんでしょうか、自分。いや、いいとは思うんですけどね。ま、いいや。

#1912 何ができるわけでもなく、大きく変わった感がまったくなかった、東京は代々木駅前。

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 東京都の代々木駅前を歩いていたらですね、駅前にあったあの大きなビルが消えていました。写真は、後に駅ってな図柄から撮影しています。ちなみに、消えていたというよりは、一時的に消去され、そして、何か新しい建物へとスイッチしてゆくようでしたが、どこも立て替えばかりで、おもしろいんだか、おもしろくないんだか、さっぱりわかりません。ちなみに、自分は、この代々木にあった代々木ゼミナールに2年も通ってしまった過去がありましたが、なつかしいやら、寂しいやら、複雑な気分となりました。建物を崩された地はまさに写真真正面のところなんですが、やはり代々木ゼミナールが持っていた土地だったんでしょうかね。ふと、代々木ゼミナールは、駅近くにいい土地をたくさんもっているので、何かあったとしても、なんとか生き残れる実力がある、なんて話を聞いたこともあります。  それにしても、この代々木駅前ってのは、誰も触れることができず、そのままに放置されていた印象が強くあります。でも、振り返ってみると、少し奥へ入ったところにあった旧ビル(代ゼミね)は、突然に崩されて、「代々木ビレッジ バイ クルック(代々木VILLAGE by kurkku)」と呼ばれる広場系へと移り変わり、8年だけの期間限定プロジェクトなはずが9年も開催されたとか。って、そもそも期間を限定していたそうですが、その後は、何かに変えることを目論んでいたんでしょうか。ってか、土地の所有者はいったい誰なんでしょうかね。  で、その古い建物の話はさておき、今回、崩されたのは駅前にあった、代々木ゼミナールの新館。当時としては、ってそれでも30年近く前になりますが、代々木ゼミナールのすべてはこの新館にありましたので、やはり寂しさを感じますな。ちなみに、少しズレたところにあった、別の建物はどうなったんでしょうか。って、やはり、新館って感じでしたけども。って、見てくればよかったですな。今度、出掛けてきます。

#1911 あ、運転できないじゃん、でも、知人に頼むのもたいへんだし、……、の、その後。

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 年内は運転することができません。って、どこかに書いた記憶があるのですが、ひょっとして書いていなかったりするんでしょうか。あれ、どうだったっけか。まぁ、いずれにしても年明けにならないと運転はできません。購入したクルマは申し込んでから1年以上待たねば買えないモデルだったのですが、商談へと出掛けたところ、小変更が行われるモデルと、その後に登場するモデルがありました。散々に迷ったのですが、旧いモデルを選びました。ら、なんとすでに商品は完成間近だったようで、待つことなく、すぐに納車。待たねばならないモデルだったのに、即納ってこともあるのかぁと思いつつも、一方で、我が家までもってきていただいた時に、新車だから1か月点検に出さなければいけないことに気付きました。ディーラーまで、クルマを持って行くのって、免許を使うことができないと、たいへんたいへん。こういう時は、免許証のある知り合いに運転をお願いしてもよかったのですが、この時期にお願いするのもたいへんですので、ディーラーの方に運んでもらうことにしました。  ということで、上の写真は、いざ出陣の時に、撮影したもの。こうして、眺めているに、やっぱり、黄色に黒という組み合わせは、好きになりきれないことを、強く感じてしまいました。ちなみに、1か月点検の結果は、我が家に来てからは、そんな理由から距離は進んでいないため、ディーラーで見ていただいてもなにも溜め込むことなく、すんなりと戻ってまいりました。  そういえば、先日、どこかの線路近くで、これとまったく同じ色合いのジムニーを見かけました。日常を歩いていて、とつぜんに出会ったこともあってびっくりしましたが、と同時に、ここに1台いたかぁというがっかり感も湧き上がってきました。ま、珍しいなら珍しいで、見たことないほうが良かったとも思っていたためでして。ちなみに、ほぼノーマル状態でした。

#1910 昭和かと思いきや、平成元年に完成していた、調布に佇んでいるPARCO。

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 今日は今日とて、ふらりと東京にある調布市を訪れたのですが、駅前にあった建物群は、地下へと埋められており、そこには駅などなかったのではないか、と、思えてくるフラットシーンが作り出されていました。今日は日曜日だったからなのか、工事はまだ施工中なシーンがありながらも、そこにはかなりの人々が訪れていました。何か、イベントがあったのか? と思われるような人ばかりでしたが、だからといって、海外から来られた方が特別多かったといった印象は受けませんでした。  さて、そんな調布駅前にあるPARCO(写真上)ですが、改めて目にするによくできた建物だなと感心しました。もはや、昭和だから建てられた建築であって、今、技術があるとかないとか関係なく作ることはできないだろうな、と、思わせてくれました。なんていうんでしょうかね、角が美しい。この緩やかなコーナーは、昭和な時代だからこそ……、と、書こうとしたら、なんと、完成したのは平成元年ではないですか。あれ……、おかしいなぁ……、絶対に昭和な味だと思っていたのですが、ま、完成は平成になってからでした。ただ、さらに観察していくと、そのコーナーリングは外側だけではなく、内側にも抉られていまして、上手く作ったなぁとひたすらに感心させてくれます。それにしても、この壁色の美しさと、そこを横切らせている黒の入れ方、さらにその磨き方に恐れ入りましたといった感を受けたのでした。いや、すばらしいね、ここは。  ちなみに、PARCOではありますが、ここは駅前にあるPARCOですので、ほかの建物とは違うと思われます。といいつつ、店舗のチェックをしてきませんでした。どうなっているんでしょうかね。

#1909 お鷹の道・真姿の池湧水群から流れ往く小川に群を作っていた、アジアンタムとクレソン、と。

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 今日は、東京は西にある国分寺近辺を歩いていました。そして、ふと気付くと、そこにある「お鷹の道・真姿の池湧水群」から流れ往く透明度のすこぶる高い川面ではホタルが出ることもありますと書かれており、え? ホントなの? と思いながらも、眺めていました。でも、どうしたって、これだけの都市になってしまうとホタルは出ないでしょ、といいますか、ホタルを見るためには表には見えてこない相当な努力が必要ではないかと思われます。まずは、タニシをどうするとか、そんなところから始めなければなりませんから。  ま、そんなことを考えながら、散策していましたが、川面では影ができたところに、アジアンタムが成していました(写真上)。一部だけではありますが、環境がすこぶるアジアンタム向きになっているんでしょうね。そもそも、野生で生えていてもなんらおかしくはないのですが、そういえば、最近は、国内のこうした地でアジアンタムが生えているシーンをよく目にします。それだけ、地球の環境も変わってきているんでしょうかね。不思議ですが。そして、その少し下流では、クレソンがこれからは自分たちの季節といわんばかりに勢いを強めつつ生えていました(写真左)。しかしですね、こちらは、どなたかが植えて、そして生えてきているんじゃないかな、とも推測されました。ま、実態はわからないわけですが、こうした川面は、じっくり眺めていると、意外にも、愉しさにあふれていたりもしますな。

#1908 陽当たりはとってもよかったのですが、寂しさは極められていた、外苑前のいちょう並木。

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 今日の神宮外苑にあるいちょう並木は、いつしか、葉をそぎ落とし、そして、地面には落ちた葉は潰されて、すっかり冬景色を迎えていました。太陽の陽射しはそこそこにありましたが、空気がツンと冷たく広がっており、寒さを感じさせました。もちろん、木によってはまだ紅葉といった立ち木もありましたが、枯れている感のほうが強かったかなといった印象があります。それにしても、約10日前に訪れた時には、紅葉は盛りを迎えており、撮影している日本人はもちろん、海外の方も多くいらっしゃって、平日ではありましたが、まさに賑わいを見せていました。あの時は、なんで、こんなに人が集まっているんだろうか、と疑問を持ちましたが、考えてみると紅葉な盛りでしたから、ま、当たり前か。それにしても、日本人はまだしも、海外の方がよく紅葉がいちばんイイ時期を抑えていたなぁと、ちょっと感心したりもします。  考えてみると、このいちょう並木を訪れたのは、30年以上前のこと。ただし、その日付は11月の連休だったと記憶しています。しかも、その連休とは11月3日であって……、あれ、そんな早いわけはないか、いや、でも、その時期に、仕事で河口湖方面を訪れた時に路面が凍っていて、クルマを滑らせてしまった覚えもありますから、その時期だったと記憶しています。いずれにしても、紅葉の時期すらかなり遅れてきていますので、もう少し時間が経過すると12月末ごろにこんな景色になっているような気もしています。左に掲載した写真は、その10日ほど前に撮影したものを、再掲しています。拡大するとすぐに分かりますが、もはや、その木陰は、人、人、人……、と、人ばかりとなっています。

#1907 中央線を高架にしたことで、その下スペースに効率のいい住居を作り上げた、学生さん向け物件。

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 中央線の東小金井駅を西側へと歩いていたら、このあたりは、いわゆる2階建てとなった中央線の真下に、物件を並べた「中央ラインハウス小金井」がありました。ここは、東小金井駅と武蔵小金井駅の間にあるのですが、詳しく観察していくと、どうやら貸し出しを行っている様子。あー、なるほどね、こういう形態で貸し出して、そして、利益を得て、経営を成り立たせているのか、ってなところまでも、見えてきました。ターゲットは、バスルームや洗濯機をそれぞれに備えたイマドキを展開しており、また、大きな窓の組み合わせもあって、広くはないんだけど、これで十分じゃない? ってな広さを展開していました。  で、検索したところ、若い人向けは正しかったのですが、さらに学生さん向けに展開されていたことが分かりました。この東小金井駅の近くに意図的に配置したことで、どの大学、専門学校へも通いやすいことをアピールしており、たとえば、文字にて東小金井駅から近隣の駅までの所要時間が書かれ、さらに、大学の配置図もイラストにて掲載されています。ちなみに、その練りに練られたイラスト類は、武蔵小金井駅と東小金井駅から東側しか掲載されておらず、八王子方面にある大学の紹介はありませんでした。ふっと考えてみますと、住むところは地方、でも、大学は都心にあるっていう都心ならではの組み合わせは、この地域では昔から当たり前となっており、電車で移動できることまで含めて、展開されていることも見えてきますな。  この中央ラインハウス小金井の家賃は4.7〜7.7万円までですが、普段はあまり見馴れない経費系が付いてくることもあり、支払い総額としてはそんなには安くはない様子。ただ、ぱっと見た限りですと、一部レイアウトをのぞいては、角部屋を基本としていますし、また、ホワイトをベースにした清潔感ある設計もあって、ふーん、いいんじゃないでしょうか、といった観じも漂っています。そして、イマドキ装備としては、宅配ボックスやオートロックもちゃんとついていますし、食事(朝と夕)は別料金となりますが、皆で食すというスタイルもしっかりと作られています(写真左)。つまり、孤独になりそうだけど、ならなくてもいい、というカタチも作っています。ふーん、なるほどね、イマドキのグループホーム状態、といった感もあります。ちなみに、この物件は高架下にあるんですが、果たして、音はどこまで響い...

#1906 立て替えているなぁと思ったら、すっかり美的になっていた「駐日韓国大使館 韓国文化院」。

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 テクテクと歩いていると、いろいろなモノを目にします。なんていうんでしょうかね、周りを見ながら歩いていますから、目にしながらも、あーでもない、こーでもない、と、いろいろと考えているから、ってのもあるのかもしれません。というわけで、新宿通りでみかけた「駐日韓国大使館 韓国文化院」。あれ、ここって建て直しをしていたような気がしつつも、ここを歩くのはかなり久しぶりのこと。いつしか、随分と立派な建物になっていますが、建物を見ていると、その構造がなんだか複雑そう。どうやったら、左側にあるところへ行くのだろうかと、不思議が漂っていますが、なかなか難しさがあふれている感じでもあります。  それにしても、建て直す前って、時代を観じさせた建物だった気がしているのですが、実際にどうだったかはよく覚えていません。そうそう、この白いロゴは、背景に紛れないように白を採用しながら、さりげなく存在感を示しているサイズ感はすごくいいなと思いました。ちなみに、写真を撮影した際は、道路を挟んで対面にいたので、そこが入りやすいのか入り辛いのかもわからぬまま。ただ、入り口のところは大きく入りやすいサイズ感を作り上げていますから、きっと入りやすいんでしょうね。といいながら、ここには一体なにがあるのか、何ができるのか、まったくもって分かっていなかったりもしますが。

#1905 いい感じに広さをもった公園は、だだっぴろさに加えて遊具もあるようですな。

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 小公園とでもいいましょうか、いや、遊技器具があるので、そこそこに広いながら、遊び具が揃った公園が12月12日にできようとしています。たまたま通りがかって見つけたのですが、その公園内にはちゃんとトイレもありますし、さらには小山もあって、さらには広い面積が付いていて、まさに遊べるところになっています。果たしてどんな公園として展開されていくんでしょうかね。ちなみに、養生期間のため立入禁止と書かれた掲示もありますが、これは開園後も続いていくのでしょうか。それとも公開してしまうのでしょうか。  ちなみに、この公園ができる前は、どんな敷地だったのかは分かりません。ただ、住宅街の中にある地に作られた公園ですし、それでいながらいわゆる閉じこめるようなゲートはないために、かなりフリーな使われ方も想像されます。つまりですね、子供だけかと思いきやも、スケボーとか来てしまうんではないか、と。ちなみに、この公園名は「南文化公園」とのことでしたが。

#1904 病院なのに、なぜに、ダーマトグラフを使っているのか、さっぱりわからない、ってな、話。

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 今日も今日とて通院してきたのですが、この病院だけでしょうかね、ここではDERMATGRAPH(ダーマトグラフ)が超多用されています。上の画像の真ん中に記されている、この赤いPenのことなんですが、どこの受付へ行こうとも、そして、どの会計口へ行こうとも、必ず皆さんで使っています。しかも、この赤いモデルが。さすがに、ここまで統一されているとなると、誰かの指令があったからにほかなりません。ちなみに、このダーマトは非常に書きやすく、とっても使いやすく、編集部時代に超愛用していました。個人的には、写真やネガやらを入れておく袋に上書きするのに使っていましたが、そもそも、色合い抜けもしないですしね。言い方を変えると、まさにオールマイティなペンであって、適度な太さがまた気持ちいい走らせ方ができますので、まさにグー、かと、思います。  それにしても、このダーマトグラフは当たり前に思っていた油性だけではなく、水性タイプも用意されているとか。この水性ならば、なんと後から水を使って消すことができるといいます。え? 消せるの? 使う人いるの? とか思ってしまいますが、実際にはいるんでしょうね。ちょいとびっくりではありますが。

#1903 ふらふらと歩いていたら、ビックリなクルマが続けて出てきた、ってな、話。

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 今日もテクテクと歩いていました、ら、いわゆる名車に届かない、いや、届いていると思うモデルが続きまして、ビックリしました。上の写真は、ゴルフなんですが、Ⅰ でして、しかも、カブリオ。さらに、赤いボディ。で、幌は後ろ部分が朽ちており、水が入ってしまっている状況でした。こうして眺めていると、たぶんわりと最近まで走っていたんだろうなぁと思われます。それにしても、この後、どうされるんだろうか、しっかりとメインテナンスしてくれるところもないので、たいへんだろうなぁと思ってしまいます。  そして、もう1台は、2世代目となるRX-7。すっかりホコリを被ってしまっていますが、タイヤの溝やらを見ると、まだまだ走りそうな雰囲気。ヘッドランプユニット下にあるランプからすると、これは前期モノかな、と思えるのですが、フロントのサイドフェンダー部にウインカーランプってあったんでしたっけか、なかったんでしたっけか、そんな悩みも同時に披露してくれています。移植しただけなのかな、違うのかな。そして、ボディカラーはブラックですが、これもまた、FC3Sならではのカラーリングではないかと、つくづく思ってじっと見てしまいますな。  と、ふらりと歩いただけで2台を見つけましたが、振り返ってみると、80年代は、カッコイイクルマが多かったように思います。車検制度の緩さが許したためなのか、逆に技術が多くなかったから作り上げられたモデルなのか、いろんな捉え方ができると思います。思いますが、やはり、当時を若者として過ごしてきた者としては、あの頃の時代の流れがまったく違っていたような、そんな気がしています。バブルという言葉は、よろしくない意味合いで捉えられていますが、あの中にいると、そんなマイナスな意味合いは感じなかったですしね。

#1902 歩いていたら偶然に発見した、PlayPlaceまで備えていたマクドナルドな新店舗。

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 時間ができると、あちこちへとテクテクと歩いて出掛けていますが、先日は、マクドナルドのリニューアルをしようとしている試みに出会いました。ここは、もともと店舗があったところなのですが、いつしか、すべてを壊して、駐車場を広げて(たぶん広げてる)、イマドキな店に仕上げていました。実は、この店舗がある通りは、交通量はそれほどは多くはないのですが、でも、少なくはないという、ちょうどいい混み具合となっていますので、きっといい商売をしそうだなと、そんなことを予感させてくれます。ただ、冷静に考えると、その横を走っている、大きな市どおしを直結するルート沿いに作ったほうが、きっとさらに儲かるだろうに……、と、思うところもありますが、これはこれで、いろいろな事情があるんでしょうね。  その新店舗に、その完成日は書かれていませんでした。しかし、冷静に考えるとですね、店舗が完成する前に、まずは、看板たるマクドナルドマークとドライブスルー時間を表記してしまうのは、なんともスバラシイ戦略ではないか、と。ドライブスルーは6時から24時まで展開することがわかりますし、店舗側に目を向けると、PlayPlaceと呼ばれるコーナーも付随していることも分かります。この子供向けなシーンは、利用料やらを取られるわけではありませんが、とっても有効そうです。  そうそう、別店舗で、ポテトの写真と、バーガー系の写真だけを、いちばん高い位置に、しかも切り取った状態で展示し、しかも、マクドナルドたるキャッチはなにも入れていない状況で。それなのに、つまりは写真だけなのに猛烈に惹かれることがあり、ちょっと面食らってしまっていたりもします。それにしても、そういった写真を用いた広告では、そこにマクドナルドたる何かを加えておくものだと思うのですが、ああいう戦略を貫くスタンスも、また、マクドナルドたる戦略なんでしょうな。

#1901 絵画館って名称までは思い出せたけど、正式名称は知らなかった、その、絵画館。

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 ふと明治神宮外苑へと出掛けてきました。んが、ここの道路は散々に走りまくったはずだったのに、今では、さっぱりわからないルートへと変わりつつあり、はっきり言って、どういうルートにされるのかは不明ですが、あれ以上の整え方はできないだろうな、と思うことがたくさんあります。たとえば、外苑なルートは、大きな楕円を巡りながら、適度に規制された信号の配置によって、途中はものすごく走りやすさがありました。なんていうんでしょうかね、あのルート内は渋滞になることはなく、すっと車線変更ができた、そんなイメージとでもいいましょうかね。でも、今は、車線の制限が激しいこともあって、実に走りにくさとなっていまっています。  そして外苑内に目を向けたんですが、あれ、外苑内にあるあの古い建物の名称ってなんだっけか、って分からなくなり、散々に考えましたが、結局、分からなくなっておりました。あ、そうか、絵画館って言ってたよなと思い出しましたが、正式には聖徳記念絵画館と名乗るそうで、どうやら明治神宮外苑に囲われたスタイルとして展開されています。この絵画館は写真右側でおわかりのとおり手が加えられていますが、同時に駐車場にも制限が加わっているとか。ここもまた大改良なのでしょうかね。それにしても、ここの正式名称はどうして「せいとく」という呼び方をするのでしょうか。「しょうとく」ではダメだったのでしょうか。それもまたさっぱり分かりませんが……。  ちなみに、上で触れた聖徳記念絵画館を訪れる方はほとんどおりませんでしたが、その南側に広がっているいちょうの並木(写真左)には日本人よりも海外の方がたくさん訪れていました。平日でしたが、それこそびっくりするぐらいの人がたくさん。そして、この分かりやすすぎる「観光地」って表記はどうにかならないものでしょうか。もはや、観光地以外では海外の方々を目にしないんですけどね。と同時に、自分が海外へと出かけた際に、そうならないように気をつけねば、と、再度、思ったりもしました。はい。

#1900 ほんのり暖かい味わいがパンに広がっている、クリームパンと、そのほかなパンの話。

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 シンプルで、完結なパンを扱っているパン屋さんがあります。コテコテにするんじゃなくって、しっとりとした味わいをパンへと焼き込んだ不思議なお店でして、正直、使っている食材は、高級というよりは、本質にこだわりをみせたものばかり。結果として、高くなりますが、そこに後から味を加えた感覚は見当たらず、とってもシンプルで、かつ広がり往く味わいが、もはやストレートだったりします。  メインの写真に掲げているクリームパンは、まさにシンプルかつストレート、そして、完結。甘すぎることがないクリームを適度に詰めこんだ感がそこにはあって、実は、詰めこみすぎたクリームパンのようなただ甘いだけではなく、それととは異なる味わいがそこに成り立っています。なんていうんでしょうかね、まさに、丁度いいクリーム量を備えていて、ちょっと小さめかなと思うところもありますが、これ以上の分量は不要ですといったところがあって、すごくいいです。ちなみに、自分はクリームパンがいちばん好きだったりします。理由は、なんでしょうね、シンプルに作れてしまうから、かな、と。    写真左は、「飛べ! くまパン」。お腹部分がちょっと凹んでしまっていますが、なんともかわいらしいコンビネーションとなっています。この店舗にしてはちょっと大きめなサイズとなりますが、なんと顔と体とで異なる味わいを作り上げており、購入する時にはちょっと高いかなと思ったものの、この組み合わせは食べた後にとっても満足できるもの。残念ながら、今日で終了だった様子ですが、次はいつ出てくるのでしょうかね。そうそう、今日購入したパンは、数そのものは多くはありませんでしたが、価格は1000円を超えておりました。これもまた当たり前かな。

#1899 今日は今日とて、びっくりした1車両貸し出しスタイルな、広告展開話。

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 昨日、千葉へ帰った時のことを書きましたが、今日は、おそるべしと思わせたJRの車両に乗りました。中央線だけなのか、それ以外でも展開しているのかはわからないのですが、1車両(たぶん、そこだけだと思われる)を乗っ取ったといわんばかりに広告を広げているモデルを目にしました。内容は、8日間だったか、とある局で卓球をフューチャーした番組を放送していく、というものでした。ただまぁ、乗っ取るにしても、ひたすらに広告を並べるだけではなく、まず、動画パートではその様子を流しまくりまして(いわゆるJR系の広告はなし)、続いて広告紹介のところでは、コート内たる雰囲気をぼかしながら、ごまかしながら使って、その上にカタカナ文字をドカンと載せていたり、はたまた、見開きが2枚重ねられるところでは、選手を大きく使いながらもその横にカタカナ文字を大きな文字そのまんまで置いてみたり。すごいなぁと驚かされたと同時に、勢いというのでしょうか、やる気満々な雰囲気に圧倒されてしまいました。  そして、その電車では、中刷り広告のところに、上をクリアとして見せないようにしながら、下方にネットを取り付けた「だけ」という、超最高な激技まで見せておりまして、感服(写真上部)。しかも、よく見たら、このネットには、Nittaku(ニッタク)というメーカーがタグを打っていましたから、彼らが持参した本物しきりなものであり、さらに、そのクリア版のほうには、テレビ局名まで書かれていました。なかなかスゴイなを感じさせながらも、さらによく考えてみると、クリア部分とネット部分との接続は、白い丸ピンで止められていまして、さらに深く考えてみますと、横に貫かれている白に含めるのではなく、あえて、別枠で止めています。ここにはきっと語るに語れないほどの理由が存在しているんだろうな、なんてことも感じさせてくれました。  あ、このネットの後側(下側)に、選手とバコッという文字が並べられていました。ただ、冷静に考えるとですね、この「バコッ」という音をよく使えたなと、思ったりもします。ちなみに、卓球に対しては、実は好きとか、嫌いとか、そんな受け取り方すらしていませんでしたが、あえて、素人向けにも捉えることができる、この広告展開には、ただ、ひたすらに、やられたなーを感じ取りました。

#1898 千葉駅で折り返すだけなんだけど、ふらりと撮影してみた、とある車両。

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 都心発の電車は千葉駅止まりで、そのまま、東京へと折り返しを行うために、ホームに停車していました。あ、千葉へと戻るための電車選びでしたが、いずれにしても、千葉から先へと繋がる電車は15分後に発車だったこともあり、また、到着ホームにまだ電車が来ていなかったこともあったので、そのまま、しばらくは発車しないという車内で待つことにしました。そもそも、乗ってくる方もいらっしゃいませんでしたので。  そしたらですね、それこそ自分が乗る電車が千葉駅に到着するシーンに出合いまして、さらに、車掌席に誰もいなかったこともあって、辱めを感じながらも、上の写真を激写しました。いや、別に、車掌として誰かがいたとしても、オープンになった空間でしたから、撮影したところで、なんら問題はなかったのですが。といいますかね、車掌さんって、折り返しになる時に誰かに新しい方に引き継ぐのではなく、車掌さんがいないままに放置されていることってあるんですな。昔を考えてみると、そんなような放置な感じだったことも思い出しますが……。

#1897 3連なモニタ配置には、異なる動画を流すことで効果を与えつつも、実は手前の手すりが邪魔だった、という話。

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  先日、実家へと帰っていました。帰りの電車内では、 #1850 にて記載したあの事実を再確認してきましたが、まさに、快速ではそれなりに広告掲載があったものの、千葉発となる各駅停車となるとほとんど広告がない、という状況となっていました。ただ、あれこれと観察をしてみると、その快速で掲載されている広告は、中央線やらで目にしたことがあるものが主体で、さらに、モニタ表示されているものには、見たことがあるものだけではなく、見たことがない動画もありました。どうして、そんな展開をしているのかまでは見出せませんでしたが、いずれにしても、媒体側が探っている感が奥深くに何かがある、そんなイメージを受けました。  ちなみに、動画表示部は、3つのモニタが並べられていますが、広告効率を考えたブランドではその流れの中に、同じ画像を使いつつも、時にバラバラにし、さらには3つ別々の動画を流しているところもありました。ふーん、なるほどな、と思ったのですが、思ったのですが、上の画像のように、手すりというんでしょうかね、動画手前に配置されている手すりが大きく邪魔をしてしまい、動画そのものが見辛いというシーンも作り出していました。こうなってくると、手すりそのものの改良だな……、と、そんなことまで考えさせてくれましたが。

#1896 施設がいろいろと集められていた立川市側、こちらもまた発見は多し。

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 このあたりは、歩いてみると、いろいろな施設があることが見えてきます。たとえば、この写真は東京都農林総合研究センターの中なのですが、そこの中は一部だけとはされていますが、僕らが歩くことができますし、逆にいえば、北と南が繋がっておりまして、中を散策することすら許されていたりします。しかも、その横には多摩テクノプラザとか、多摩職業能力開発センターなどもあり、賑やかしといいましょうか、「施設」感がありふれていますな。  で、東京都農林総合研究センターですが、ちゃんと整備されていて、つまりは、道はきれいに調えられており、また、雑草たるや生えていなかったりもしますので、心地よさがあふれています。後から調べてわかりましたが、中には東京都病害虫防除所ってのもあって、意味合いの強い施設のよう。ちなみに、クルマが出入りできる口は南側にあるのですが、そこには大きめのロータリーがあり、その横にはロータリーのままに駐車場がずらっと並んでいます。全体としてはそれほどに大きな面積を与えられたわけでもないのですが、逆にいえば、ずいぶんと立派な門構えだなと思ったりもしました。上の写真は、そのセンター内にあったいちょうとそのほかで仕立てられた並木。そして、この左側は、モミなのかな、かなり大きな樹に育っていました。サイズ感は伝わらないかと思うのですが、それなりの大木になっていました。しかも、整えられたというよりも、下部を整えていったら、こんなスタイルになりました、って仕上がりとなっていました。ちなみに、この広場に佇んでいる家族がいたりして、そもそも人が少ないってこともあったんでしょうけど、のんびりとしていました。

#1895 ふらりとやってきた多摩川沿いに、運動公園や多摩川上流水再生センター、そして、プールまである、ってな話。

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 テクテクと歩いて、ふらりと多摩川沿いへとやってきました。近隣には、多摩大橋があり、少し北側へ行くとJR八高線が渡っていますが、何かを見学したり、目に収めるには、なかなかいい地域だなと、あらためて思いました。この写真は西側を写していますが、この右手の少し入ったところに、多摩川上流水再生センターがあります。この右手にあるガチャガチャとしたブロックはセンターから流れ出してきた多くの水を受け止めていますが、その先はのんびりとした川になり、そしてセンターへと繋がっています。距離にして1kmもなく、すぐそこにセンターがあるって感じです。ちなみに、ここは、青梅市・昭島市・福生市・羽村市・瑞穂町の大部分、さらに立川市・武蔵村山市・奥多摩町の一部から取水を行って、そして処理した水を多摩川へと放流し、さらに、そこからろ過した水は機械の洗浄や冷却、そして、トイレ用水に用いられているとのこと。また、砂ろ過装置とオゾン処理によって、野火止上水、玉川上水、千川上水へと送り、かつての昔の清流なスタイルを取り戻そうとしているとしているところにも、やる気を感じさせてくれます。ま、地味な存在ではあるのですが、この地域にとっては必要とされる施設なんですな。  ちなみに、この多摩川上流水再生センターの中には、多摩川ふれあい水族館があり、無料で公開されているのですが、足を運んだことはありません。ちなみに、ここは河川が4つに区分けされており、上からニジマス、カジカ、クチボソ、フナやらが泳いでいるとか。ふーん、おもしろそうなところだと思いつつ、近隣には運動公園や多摩川がありますから、それだけで愉しそうな雰囲気はあります。また、それこそ多摩川上流水再生センターの真横には、昭島市市民プールがあったりもします。って、書いているとさらに愉しそうな地域に思えてきます。

#1894 乗り換えのために、表へと出た銀座は、新しいビルができていました、ってな話。

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 ふらりと、銀座へ出掛けることがあります。かつては通っていた時代もありましたが、昨今は、地下鉄から出て少し歩いて、再び地下鉄に乗ってしまうというパターンばかり。ということもあってか、銀座へと顔を出すたびに驚かされることは多くあります。たとえば、左手に見えている銀座松屋は、中に入ることはありませんが,商売は好調なんでしょうかね、と思いながら、眺めていたりします。では、実際はどうかといえば、今では、浅草とこの銀座の2店舗しかないようで、しかも、浅草の店舗では多くを貸しつつ経営されてしますし、これって、銀座もこういった経営を強いられるに間がないんじゃないかなとすら思えてきます。ま、中に入ったことはないんですが……。  で、過去の松屋なwikipediaを眺めていたら、東武百貨店と伊勢丹に頼ったことがあると書かれていましたが、今では、その気配は見せてはおらず。どうやら、ほかの業界の方々へと幅を広げながらも、たとえば、今年に入ってから、東京大神宮での婚姻宴会事業を他行に譲ったと書かれていましたので、いわゆるホールディング会社ってのもたいへんなんだなぁってことを感じさせました。そもそも、1987年から引き受けてきた東京大神宮でのイベントごとを1976年からスタートさせた企業に手渡すってのはやはり相当に厳しいんだなってことを痛感させましたが、まぁ、振り返ってみると、あの頃はバブル景気もありましたからね。こうして企業ってのは、その持っているイメージを変えることなくほかへと引き継がれていくんだなぁ、ってことも感じさせました。

#1893 東京から来た車両専用かと思いきや、貨物車両は逆方向に入ってくる、不可思議な線路の話。

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 ふらりと立川周辺を歩いていたらですね、不思議な線路を発見しました。ここは、青梅線なんですが、この1レールだけ別扱いになっており、このほかにも2レールが存在していまして、全部で3レールあります。ちなみに、立川から西立川までの間にあります。いずれにしても、この路線はてっきり、一方向に走っていく線路かと思いきや、なんと、逆方向へ走り往く電車がおりました。写真に収めた車両は、なんと向こうから手前へと走ってきまして、これが、いわゆるお客さんを乗せて走るモデルとは逆方向に走っていきました。まぁ、考えてみますと、貨物系車両とて、行き来をしなければなりませんから、こうした走らせ方をするのは当たり前のこと。歩いていたら、気付かないシーンに出会った、といった感じでしょうかね。ふーん、そうなのかといった発見がありました。  ちなみに、立川駅では、青梅方面と立川とを行き来するのには専用の線路を用意し、さらに東京からやってくる青梅線には別ホームを設定して出発させています。つまり、立川始発のモデルと、東京方面か青梅方面出発の中央線直通モデルとでは、ホームを変えていたりします。どうしてこういうホームの構成にしているかといえば、南武線から走ってきたモデルが、そのままに青梅線内を走ることができるようにしたもの、となっているんですが、実は、立川駅で乗り換えをする者にとっては、あやふやな情報に右往左往させられていたりもします。もちろん、その情報は、ホーム上にある掲示板に表示されるのですが、あの小さな面積しかない掲示板に無理矢理に表示させようったって無理があります。つまり、ホームに立つ者としては、次の青梅線下り線はどのホームから出発する車両が先なのか、読み取りづらいところがありますな。  さらに、そのホームそのものが、いわゆるストロークがとられていないために、狭い。とにかく、狭い。そこに高尾方面行も来るわけですから、わやくちゃになります。そして、日中でも狭さを感じさせるほどに、狭い。どこに立っていればいいんだか、さっぱりわからないほどに、狭い。もはや、中央線にもグリーン車を無理矢理に入れてしまったがゆえのことですが、もう、狭いったらありゃしない。そこに特急たるモデルが入ってくるので、なおさらに、狭い状況となっています。これって、解消される……、わきゃないな、と思いつつ、ホームに佇んでいたりしますが。

#1892 国営昭和記念公園そばに広がっていた、のんびりがあふれている風景。

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 近隣にある東中神駅の北東側に広い土地があります。最近、工事の関係の音が響かなくなり、周囲の取り囲いも外されて、広い空き地となっています。ちなみに、工事関係の音は、路面をひっくり返して、そこに埋まっている何かを掘り出して、どこかへと運んでいましたので、それなりに大きく響き渡っていましたので、近隣ではかなり迷惑だったのではないかと推測されます。で、今では、その音がなくなりましたが、一方で土地のほうはひたすらに平らにされ、何事もなかったかのようにシーンとしています。ただまぁ、業者への手渡し中な雰囲気があり、やがてはうるさくなっていくんでしょうかね。ちなみに、写真の奥に見えているのは、最近、建てられたURの物件のようです。  で、検索してみましたら、現在の所有はUR。ただし、なにか物件を建てるわけではなく、ここはモール街もしくは、あきしまの水を扱うような店舗が並ぶとかで、やはり、こののんびりとした雰囲気は消し去られてしまうようです。それにしても、もしモール街ができようものならば、規模はそれほど大きくはないんでしょうけど、この地域から出入りするクルマの量はそこそこにありそうですし、面倒な地域になりそうな予感もしています。写真の左側にある舗装路のさらに左に青梅線(進行方向は西向き)が走っていますが、この写真の奥側に東中神駅があり、すぐ横に踏み切りがあります。ただし、ここはアンダーパスを道路側で使うことになり、やがては踏み切りは廃止されてしまうとか。使い勝手は良くなるのかな、よくわかりませんが、そんな変貌を見せ往くようで、そうなってくると、がらりと風景は変わってしまうことも予感させてくれますが。

#1891 2026年次RJCカー オブ ザ イヤー最終選考会が終了しました、そして、その結果は。

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 昨日、2026年次RJC カー オブ ザ イヤー最終選考会が終了しました。早いもので、と、毎回書いていますが、昨年、開催してから1年が経過していますので、もう、なんともかんともこの1年の経過は早く感じています。結果は以下のようになりました。  2026年次RJC カー オブ ザ イヤー最終選考会     RJCカーオブザイヤー(国産車)       日産 ルークス / 三菱 eKスペース、デリカミニ     RJCインポート・カーオブザイヤー(輸入車)       BYD シーライオン7     RJCテクノロジーオブザイヤー(技術)       スバル ストロングハイブリッド     RJCカー オブ ザ イヤー 特別賞       スズキ e ビターラ     RJCパーソン オブ ザ イヤー       増岡 浩 さん  三菱自動車工業  賞は、パーソン オブ ザ イヤーも入ったので、5賞となりました。いろんな賞があって、あれこれと表彰されることはとてもいいことではないかと思います。賞の数が多すぎると、わやくちゃになってしまいますが、このくらいだと丁度いいんじゃないかな、なんてことも思ったりします。ちなみに、下から2つのRJCカー オブ ザ イヤー 特別賞、RJCパーソン オブ ザ イヤー、の肩書きにはしっかりと半角が組み込まれています。どうしてこうなったかといえば、そもそも、あらかじめ半角を入れられて、ロゴが作られていたから。つまり、昔、昔は、こうして作られていたんですが、いつしか、半角ごときは、省かれて、今はこういうスタイルになっているんですが、なかなか理解してもらえません。なんども、いくども、伝えていますが、だれも聞いてくれません。いやはや、いやはや。

#1890 ジャパン モビリティショー2025へと出掛けてきましたが……、って話、その5。

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 さてと、日産です。え、復活するんですか? といわんばかりにフルモデルチェンジを受けたエルグランド。デビューは来年を予定しているそうで、ひぇ〜、だ、大丈夫かな、と思うところはたくさんはあります。もちろん、どこまで理解してもらえるのか、そこに開発陣とユーザーとに、違いが存在しているような気もありますが、ありますけども、ライバルとしているアルファードとヴェルファイアが狙わなかったポジションを取りに行ったことは、吉と出るかなとも思えてきます。個人的にはもちろん売れてほしいとは思ってしまうんですけどもね。  今回のモデルは4代目となりますが、現行型であった3代目はヒップポイントを少し低めにしてしまったがゆえに、ほかからのぞかれるかのような視線が気になっていたという話が聞こえていたと、取りまとめをされた方からうかがいました。その高さを世代別で比較していくと、たしかに下がっており、そういった話が出てくるのもなんとなく理解できます。そして、さらにドライバーズシートでも、乗員であっても、つまりはどのシートに座っても、愉しさにあふれんばかりというドライバビリティが提供されているといいますから、訊くだけで愉しさが伝わってきます。はて、価格がいくらになるのだかさっぱり分かりませんが、そこそこに固定客を広げつつ認知を広げていくんだろうなぁ、と眺めています。  そういえばですね、中国から発売されたN7(写真右)は、それにしてもなぜ売れるのだろうか、と不思議がたくさんありました。ところが、モビリティショーの日産ブースで、こうして実車を目にすると、広々とした室内となっていますし、ひとつひとつがラグジュアリィと呼べるような逸品に見えてきますから、これは売れることも、見えてきます。あ、そもそも道幅が広いというのもあるのでしょうかね、なんなのだろう。あとは、セダン系がまだ売れているというのも、ちょっとオドロキのような気がしています。北米はもちろん、欧州でも、セダン系の人気は落ちてきていますので。  そして、この左の写真はマイクラですが……、デカイです。これまでのマーチたる雰囲気やセグメントを大きく超え、あらたにEV化されたことも手伝って、大型化となっていますが、やっぱりデカイ。このサイズになると、このぐらい走らねばならないという目標値も高くなるのでしょうかね。まぁ、そう考えると、ヒョンデからデビューし...