#1921 歩いていたら突然に出会ってしまった「浅川兄弟の遺した道」の話。


 テクテクと歩いていたら、たまたま、KOREA CENTERの横道から甲州街道へと出てきました。そういえば、この施設って、なにかを見学できたりするんだろうかと玄関前へと行くと、「浅川兄弟の遺した道 〜朝鮮の自然と文化、そして人間を愛した伯教と巧〜」が開催されていましてね。浅川兄弟を辿ることで韓国をさらうことができるなぁ、と思い立ち、立ち寄ってきました。兄は伯教、弟は巧と呼ばれ、ふたりとも、母親とともに朝鮮へと渡っています。朝鮮で何を求めて活動してきたかはなんとなく知っていましたが、日本にいる間に何を学んできたのかを知ることができる構成になっており、それもまた上手く作り込んでいました。また、山梨県の八ヶ岳ふもとで育っていたこともあり、そこにも興味を強く引かれました。


 ふたりの年の違いは5歳ほど。兄は教師を目指し、弟は営林署へ勤めており、それぞれに目指した道が違ったこともあったのでしょうね、その後、互いに互いを意識していったことも暮らしぶりから見えてきます。朝鮮へと移った時代は、兄が1913年、弟が1914年から。多くの日本人が朝鮮へと溶け込もうとはしない中、あえて、朝鮮式家屋に住み、そして、朝鮮語を話しながら暮らしていたといいます。人間的な関係は語られてはいませんでしたが、そういったスタイルからも、朝鮮の人たちに溶け込もうとした環境も見えてきます。芸術に長けていた兄は多くの画を残し、また、弟は林業技術者として活躍をしながらも、ふたりともに、朝鮮白磁に惹かれ、やがては朝鮮民族美術館を造るとまで発するようになりました。残念ながら、弟は40歳で風邪をきっかけとして急性肺炎で亡くなっていますが、と、同時に、残された日記にはさまざまなことも書かれていました。なるほどなぁと思うところだけではなく、そして、より深く知ることができたこと、そんな「おもしろさ」がそこにはあふれていました。

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