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#953 馬ありきだけど、馬だけではなかった、WarHorse。

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 War Horseを観てきました。しかもフロントローで。馬だけではないことはなんとなく気付いていましたが、やはり、馬だけではありませんでした。もちろん、馬ありきなのですが、馬を引き立てつつも、目立ち過ぎない、そんな加減の演出がとても良かった。飾り気のない舞台、鉛筆書きのモノクロアニメーション(言い方知らないんだけど、これでいいのか?)で表現した背景と、そんなシンプルさも良かった。  馬については、おもしろいもので、最初は馬を操作している人が目に入ってくるものの、いつしか馬しか見えなくなっていました。この引き込み方は、マジック的であり、とてもおもしろく。ストーリー的には、尺を意識しすぎた感があって、詰め込みすぎならぬ、早すぎる流れを感じましたが、ま、いいんじゃないでしょうか。感動の嵐って評はどうかと思いますが、ま、いいんじゃないでしょうか。  何はともあれ、クリエティブたるレベルに、驚かされたって感じでしょうかね。チケット代1万3000円も安くはないけど、高くはないかな、とも思えました。  写真は、会場のシアターオーブから眺めた渋谷駅方面。意外に高い建物がなかったんですな、渋谷って。

#934 後先を考えなかったから、手に入れることができた、今更のiPhone5C。

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 というわけで、iPhone5Cを手に入れました。いまさら。なぜか、どうしてか、どうするのか、って、その理由は、MVNOが一体どこまで使えるかのテストを兼ねて。下手なモデルよりも、よっぽど安かったし、ま、何よりもiPhoneだし。そして、このiPhone5Cは、最終的に妹のところで使われる予定でもありますし。  auを出ますって話は、 #929 にて話しましたが、その理由はとうとうと語った支払い金額だけではなく、イマドキに適った使い方をしたい想いもあってのこと。データ通信網がこれだけ広がり、そのスピードも速いのですから、音声通話も変わっていくべきでしょう、ってなスタンスとでも言いましょうか。なんて書くと、それっぽく聞こえるかもしれませんが、そもそも、親友のほとんどはiPhoneユーザーゆえにFacetimeで十分ってのが現状ですし、仕事関係で固定電話にかける際はIP電話を使えばいいかなと、そんな結論に達しましてね。  この携帯電話の件を含めて、最近、わりと後先考えずに行動しています。揺るがない結論を出すことって、実質的に無理なことだと思います。たとえ、考えに考え抜いて、自己防衛しながら、結論めいたものにたどり着いたとしても、その間に、とっとと行動して、ひとつひとつ確かめたほうが、結果、早道になっているものですし、違う結論に達しったとしても、結論として、コトは良い方向へ進んでいるもの、と考えています。ま、能登の影響ですな、これ。もちろん、時には失敗もするでしょうけど、ま、いいじゃん、自分で決めたんだからって、軽いノリですな。いい加減とか、ちゃらんぽらんとも、いうかもしれません。いやはや。

#888 クリエイティビティというセンスに、居心地の良さを感じた話。

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  探し当てたのではなく、連れて行ってもらったカフェは、 シンプルというカタカナ4文字では語り尽くせぬほどに、こざっぱりとしていました。その装いをひと言で表現するならば、古民家風。ただし、梁がドーンとあり、いろりがダーンとあるような、今はやりの古民家ではなく、端的な表現を用いると、“古”い“民家”をこざっぱりとさせただけのこと。過去のあれこれを集めつつも、空間を作り上げていましたが、そこには古いだけではないオーナーのセンスがここぞとばかりに表現されていました。  で、このカフェ、何故か居心地がいい。そこに置かれたアイテムやソファーやテーブルと、自分の中の想い出がリンクしたわけではないのに、居心地がいい。もちろん、 自分には、そんなセンスも、あんな感覚も持っていないのに、居心地がとてもいい。生地は破れ、腰のないクッションのソファーであっても、そこに腰を落ち着けると、ほんわりとした居心地の良さがある、と。なんだろう、どうしてだろう、何故なんだろうか。深煎り のコーヒーをひと口、で、少し間をおいてひと口と、ちょっとカフェの雰囲気に似せてみようと意識して口にしながら、ちょいと考えてみました。ま、見渡しつつの、分析タイムですな。 最初に書きましたが、このカフェを簡潔に表現すると寄せ集めであり、かっこ良く表現すれば、まさにクリエイティブにあふれる空間……、というところで、なんとなく見えてきました、分かりました。  そもそも、クリエイティブとは、 日本語で書き記すと新しい何かを作り出すことをイメージします。しかし、存在する事象であり物質 を組み合わせること(どこかで読んだ)こそが、本来のクリエティブ。そう、人が作り出すモノも、音楽もアートも、料理も、本も、そのすべては自然の中にあるピースを、それに基づく体験を、張り付け、再構成していくこと、それが、クリエイティブであると。  つまりですね、このカフェで感じた居心地のよさとは、まさに カッコイイ・クリエイティビティそのもの。そして、そんなクリエティブについて、こうして あれこれ考えたり、妄想したり、会話したり、それらを愉しめることに、心地良さを感じ取った、と。 なるほどね、なるほど、なるほどねー。と、納得できる理由にたどり着いた頃には、コーヒーもなくなっていました。

#858 クリエイティブだから愉しい、いや、クリエイティブが愉しい、って話。

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 さて、デリカD:5ディーゼルな話。こちらは、5月末に発売されるデリカカスタムブックVol.5の巻頭取材のための試乗でした。あれです、好き勝手、思うところを書くことができる、いやいや、思いの丈をこれでもかと書ける、あの企画の取材です。で、書き終えています、あれやこれやと。  この企画、カメラマンの向後さんと一緒なんですが、この取材は実に愉しい。年に数回ということもあって、互いに積もる話もあるんですが、なんていうんですかね、現場そのものも愉しい。お任せ過ぎで失礼なところもあるんですが、阿吽の呼吸での現場は、驚きにあふれています。 って、同じ撮影現場にいるんですが、仕上がってきた写真を見て、こう来ましたか、と、いつも驚かされる。だから、原稿も深みを増し、広がりを見せます。と、そんなクリエイティブがあります、この企画には。だから、愉しい。  ここに掲載した写真は、その風景。もちろん、吉田撮影。掲載されるのは、こんな写真ではありませぬ。ちなみに、横にいるのは、見知らぬ人のメルセデス・ベンツの初代Aクラス。フォルムは異なりますが、デリカD:5と親子のように見えたものですから、写真に入れ込んでみましたが。  あ、デリカD:5の話を書かねば、って、また、後日……。

#854 たかが文字、されど文字、だからこそ、素が見えてしまう、文字。

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 今回の八ヶ岳滞在では、清里のガイドブックやらに載っている、有名なカフェを訪れました。清里って観光地が、以前のような活気に満ちていないことは周知ではありますが、とはいっても、多くの人で賑わっていました。なんでしょうかね、これ、と感じつつ、もう少し先まで足を伸ばせば、もっといい場所がたくさんあるのに、と思いつつ、まぁ、東京から気軽に来られる距離感や、観光地としての分かりやすさという意味合いからすれば、まさに“丁度いい”場所なんでしょうな、清里ってのは。  さて、そんな、もう少し先まで足を伸ばせばもっといい場所であるはずの、小海町では、昨年とはその様相が大きく変わっています。先日、ちょいと触れたように、小海町高原美術館に併設されていたカフェ花豆は営業していません。画像の張り紙は、美術館に貼られていたお知らせですが、 そこに記されていた都合とやらを、知り合いが美術館に訊いたところ、町との契約が問題になっているようで詳細は分からずとのコメント。そして、美術館のレストランそのものの営業も全く白紙だそうで。 都合とは、まったくもって都合のいい言葉だなと思いつつも、 そんな都合はさておいて、ニュートラルなスタンスから、つまり、お客さんとしての立場から感じるのは、取り残された 感が強くあること。都合を知りたいという以前にある、がっかり感とでも言いましょうか。  ただ、美術館に貼られていた 両者の文面を眺めていると、そこに違いがあり、肝心なスタンスの違いを読み取れます。 特に、その締めの文言ですな。美術館側は、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたしますと締めているのに対して、カフェ花豆側は、せっかくお越しいただいたのに誠に申しわけありません、としています。 契約云々という都合はさておき、この騒動によって、誰がいちばん残念に思っているか、そして、そこを考えているのか、考えていないのかが、ここに表現されています。  そんな細かなことを、と思う人もいるかもしれませんが、たかが文字、されど文字、だからこそ、その心持ちや気遣いが簡単に表現できる、そう、読み取れてしまうものなのです。それは、メールでもツイッターでも同じ事。とは、20年、文字を紡ぐことを生業としてきた、フリーライターの弁です。

#831 衝撃的なショックを受けた、あの頃の奥志賀スーパー林道の話。

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 昔を懐かしんでしまうのは、今に不足があるから、ってなことは、ここで書いた気がしますが、心理学的にはそういうもんなんだそうです。最近、やたらと過去のことを触れるのも、今に不足があるからだということは自覚していますが、それは、不満とはまた異なるものです。不満ではなく、不足ね。  てなわけで、過去話。写真は91年のもので、奥志賀スーパー林道にて。総延長70kmの林道と訊いて、ワクワクを覚えて冒険気分で出かけたことを今でも鮮明に覚えています。林道をあちこち走ってはいましたが、スーパー林道へ出かけたのはこの時が初めて。ちなみに、当時は有料で全線走ると2420円。しかも、上信越道も出来ていませんでしたから……、ってアクセスはとてもたいへんでした。その頃の奥志賀スーパー林道は舗装が始まっていましたが、まだ未舗装路のほうが長くもあり、どこまで走っても砂利道、かつ整備されすぎてフラットな路面、そして、雄大な景色に、ひたすらに打ちのめされた覚えがあります。  ただ、それだけではなく、この行動が今に大きく影響しています。 この時、林道にて車中泊するつもりが嵐接近との予報から、途中にあるロッジに宿泊。それがきっかけで人々に出会い、自然保護のなんたるかを教えられ、そしてブナ林に出会いました。翌日には、野沢温泉の雪捨て専用の側溝にクルマを落として、ここでまた人と出会います。当時、 大学3年生。将来の話どころか、目の前の卒論をどうすればいいのかも分からず、日々の愉しみをテレビ局でのアルバイトに見い出し、これからに対しても 何を戸惑っていいのかすら分からずに漠然と過ごしていた頃。ですから、この、人 だけではなかった、 出会いのあれこれにショックを受け、そして、 自分が感じ取った何かを伝えたいという想いが、職業としてなんとなくカタチとなって見えたことに、ショックを受けました。そう、ショックだらけ。って、かなり略していますが。 最初に書いた今に不足があるという表現は、そういった衝撃的なショックの不足を意味しているからで、その不足を埋めるために必要なのは昔のような無鉄砲さであることは分かっています。 つまり、今を変えたいという不満とは少々違うと。  話は脱線しますが、今に不満を抱くことや、それを口にすることは、あまり気にしません。その解決策は簡単で、他にその要因を求めるのを止め、自らを省みるだけ

#818 いいインタビューが多いので、Podcastにまとめようか、という話。

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 新型車のとりまとめを行った方にインタビューするという仕事をいただいています。一般社団法人全国軽自動車協会連合会が発行している軽自動車情報という、書店では販売していない月刊誌での企画なのですが、まぁ、これが、おかげさまで、仕事を超えて、とても愉しい。といっても、笑っちゃう愉しさではなく。それはインタビューたるおもしろ そさのこと。  本日は日産デイズ ルークスを担当された方へのインタビューでしたが、実は少し前に、 三菱のeKスペースを担当された方にも行っており、ともに、同月の誌面に掲載、と。つまり、書き分けねばなりません。 ブランド違いのモデルではあっても、商品としての違いは大きくないために、インタビューは上手くできても、それをまとめるのは難しくありましたが、まぁ、それゆえに愉しかったかなと、思うところもあります。それがインタビューの醍醐味とでも言いましょうか。ま、上手く書き分けられたから、こう言ってられるのですが。すでに納品済みですし。  たいがい、インタビューは、関係ない方向へと暴走します。意図的とは言いませんが、結果的にそうなっています。でも、 何らかの結論を導き出すに至っていますから それでいいと思っていますし、以前にも書きましたが吉田インタビューアーの味になっています。もちろん 、事前に訊くべきこと、話の流れは考えていきます。でも、そのとおりになりません。何か引き出そうと思いつつ話を訊いていますが、何かを言わせようとは思っていない、とでも言いましょうか。 なんていうんでしょうかね、 他人ってのは、 自分が思っているとおりではなく、というか、予想外だらけで、だから、おもしろい。そして、想定外のやりとりがあるから、おもしろい。 逆に、予定したとおりになった時はインタビューもおもしろくはなかったりするものです。  ちなみに、インタビューアーたるスタートは、アスキー時代からでした。月に3本あるインタビュー記事の担当で、今、思えば、かなりの未熟者でしたが、ラフさがウリの企画ゆえに、そこに助けられつつ、いろいろと学ぶことができました。  先日、レヴォーグのインタビューを文字にまとめましたが、録音した音声を聞き直したら、インタビュアーとしてもなかなか。相変わらず流れはないんですが、話の引き出し方がなかなか。自画自賛することはあまりないんですけどね。で、そんなレヴ

#812 執筆に必要なモチベーションを上げるための、あれこれ話。

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 なかなか進みません、原稿書き。理由はいろいろありますが、自分に対してゆるゆるな性格ゆえ……といういい訳がぴったりかと。創作活動ってのは、いやいやにするものではなく、モチベーションといいますか、湧き上がる泉が大切なのです……、って、書けば書くほどにいい訳になっていくので、止めておきますが。いや、今回は、内容に対して興味が持てないとか、まとめようがないといったマイナス要素はないんですが、なぜか、なぜだか、進まない。  というわけで、昨日は、気分転換も含めて、iPhone5Sの一括0円リサーチに出かけました。好条件があったらサブ回線のスイッチを考えていましたが、いい条件は見当たらず。しかも、量販店では、今週末は9800円が限界( docomoね )と教えてもらったので、週末も原稿書きに徹することを決意したのですが、したのですけどね……。でも、原稿書きは進まない。  今朝方にいただいた電話で、原稿書き頑張ってと言われて、少しばかり奮起したものの、なぜだか進まない。  で、ここでつまらんことを、こうしてだらだらと書いていたりして、原稿書きは進まない。  何かきっかけを作ろうと、小銭入れを再び干してみたり、バルコニーの掃除をしてみたりしても、進まない。  ダメだ、こりゃ。進みません と公言しつつ、自営の方々が、日々仕事をしている姿に感心しつつ、皆さん、どうやってモチベーションを上げているんでしょうか、八ヶ岳の、あのパン屋さんとか、あのパイ屋さんとか。朝起きた時に、仕事したくないとは思わないのでしょうか。きっと、思わないんでしょうね。あ、お客さんが待っているからか。そうでしたな、誰のためにか、それを忘れていましたな。  と、何かを掴んだ気がしつつ、まずは、おやつだ。ということで、写真は、 Walkersのショートブレッド(スコッティドッグバージョン)。知人宅を訪れる際のお土産にと用意しておいたもの ですが、その必要がなくなった途端に、開封。で、執筆前に一頭、……中略……、54頭は、こうして消えていきました。消えた頭数と書き上げた文章量は比例するどころか、書き上げた文章量のほうが少なく……。あ、画像は最後の3頭。1頭、頭がない状況となっていますが、これ、どうしても頭から食べてしまうもので。すみません。このショートブレッド、よくよく見るとまゆげも描かれています、なかなか

#812 雪と氷ですべてを表現していた、FROZEN(邦題:アナと雪の女王)。

 FROZEN、評判があまりにもいいですし、オスカーも受賞しましたから、どんなもんかと、見てみることにしました。そもそも、ディズニーのアニメーションは嫌いではありません。それこそアスキー時代にディズニーのデジタルに触れる機会があったのですが、まぁ、あの頃はデジタルディズニーが始まったばかりで、ディズニーたる世界観をデジタルで表現するには無理があるような、でも、何か違った表現ができるような、どうなるんだろう感がありました。……中略……、で、このFROZENは、素直にいい作品だなやと思います。ストーリーとしては、Iceを溶かせるのはTrue Love、というストレートなものですが、最後に、あ、そっちのTrue Loveかいな、ってところにオドロカシがあり、そこがキーになっている作品でした。  で、ストーリーはさておき、スゴイなと思ったのは、やはり表現力でしょうな。CGといってしまえば、それまでですが、CGらしくない、でも、CGじゃないと作れない表現力。まぁ、レンダリングしきれていないというんでしょうか、ポリゴンテイストが見えたところもあって、えっ!? と思ったりもしましたが、それはおいといて、今回のトピックは、もう、完全に雪、雪、雪、あと、氷も。雪たる軽ろやかさと、氷の冷たさとを、疑いを感じさせないほどまでに作り上げていまして、とにかくスゴイ。崩れゆく雪はもちろんですが、吹雪のシーンは、あの雪ひとつひとつにアルゴリズムがある(ま、アルゴリズムとしてはひとつか)と考えると、とんでもないことですし。さらに、雪といっても様々な雪があるわけで、そんな雪らしさを表現しつつ、時に雪でありながらも、時にそこに暖かさを表現していたり、出てくるすべての雪がスゴイ、と。ストーリーを複雑にするのではなく、ストレートともいえるシンプルとしながら、この表現力を用いることで、ディズニーたるあの世界観を完成させてしまうという、その手法にはまさに感服。今回は、2Dで見ましたが、3Dで見たら、さらにズンと来たでしょうな、こりゃ。  あ、少々、気になったのはKristen Bellが、そのまんまKristen Bellだったこと。ま、いいのか、ああいうキャラクターの役だから。一方、Idina Mentzelのほうは、上手くはまっていた気がしますが、いかんせん、Let it go(→ ■ You

#810 これまでに2度ほど人生にきっかけをあたえてくれた、アスキーの話。

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 プライベートを公にするのもどうかなと思いつつ、ましてや、Google上ってのも考えものだなやと思いつつ、ま、いいや。意外な吉田シリーズ第何弾だっけか。今ではフリーライターを名乗っていますが、職歴は出版社からスタートしています。転職も3回ほどしましたが、いつもクルマ関係とは限らず、一時期、アスキーに在籍していたこともありました。そう、あのアスキー。最初の転職先でした。転職の理由は、今思えば、若かったなと思うようなもの。 学生時代にテレビ局でバイトしていたため、同じマスコミながら出版社とのギャップに何かが違う……を感じ、あえて自動車雑誌という特殊な枠から抜け出してみたくて、アスキーへと飛び出しました。  といっても、実はアスキーとのつながりは転職が初めてではなく、高校生時分、いや、浪人生時代だったか、から。友達がプログラムのコンテストで入賞して、その後に自分がDTMのコンテストで賞をもらって、……中略……、その後はぱたりとつながりも切れたこともあり、転職ではそんな過去は隠したままにしていましたが。  で、その時、8名が採用されたのですが、その後に合流した仲間も含めて、皆、過去の職歴はマスコミ系とはいえ、通信社の記者からバイク雑誌編集者までバラバラで、コンピュータ知識といえばコンピュータ雑誌に通用するような編集者レベルにはなく、 バラエティに富んでいる人たちばかりでした。 それゆえに編集部では浮いていましたし、それゆえにまとまり感がありました。って、後で聞けば、あえてそんな人たちを選んだようで、 実際、いわゆるコンピュータ雑誌担当になったのは1名だけ、か。そんな過去を 振り返ってみると、未熟さゆえに迷惑ばかりを掛けていましたが、今、思えば、仲間に恵まれ居心地のとても良かった職場でした。といいつつ、やはり、何かが違うと感じて、1年経たずにアスキーから飛び出しているんですけどね。  あれから20年近くが経過しましたが、あの頃の仲間とは今でもたまに集まっていまして、昨夜も集まりがありました。なんでしょうね、感覚が似ているからでしょうか、とっても心地いい。ひとりをのぞいて、皆、iPhoneだったり、皆、Facebookを利用していても仕事上でのつながりには積極的ではないとか、皆、当時はDTPの最先端にいたはずなのに、今更に写植の話をしたりとか、新しいモノに対する見方と古い

#802 異字同訓を使い分けられているか、再確認しました、って話。

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 先日、文化庁から、異字同訓の使い分けについて、その用例の報告書が発表されました(→ ■ )。ひととおり目を通しましたが、文字を扱う仕事をしている者としては、すべて頭に入っている……、わけではなかった。逆に勘違いしていることがありました。あれです、乗り味が固いは、硬いだそうで。軟らかいの反意と考えると、そうでしたな。あらためます。魚をとるは、手で掴む意から、捕るではなくて、取るでもいいそうで。影は、光が遮られてできる黒いもの、陰は光の当たらない所と言われると、なるほどね、その漢字から判断できますな。  もちろん、出版物、たとえ雑誌であってもそうした指針に従いながら、出版社や編集部それぞれに基準を作って、表現しています。といっても、朝日新聞社刊の“朝日新聞の用語の手引き”に準じているところが多いのかな。たとえば、形式名詞はひらがなを使います(手引きには漢字にしてもいいとありますが)。時→とき、事→こと、ってな具合に。それをちょっといじって、一時期、こと→コトなんて表現をしたこともありましたが、はたと行きすぎを感じて止めました。あとは、一般には気にされていないことかもしれませんが、送りがなく、音訓ともに読まれる漢字の場合、異なる読み方をされないようにひとつを開きます。たとえば「方」。あちらの方(ほう)から来ました、と、あちらの方(かた)からいただきました、といったように、2つの読み方(意味合い)が考えられる場合は、「ほう」と読むほうを開きますな。あちらのほうから来ました、となるわけですな。って、書きながら、読み方とか、読むほうとか、すでに文章中に使っていたりしますが。  そうそう、朝日新聞のそれによると、人の数は、名ではなく、人を使うようにとありました。でも、自動車雑誌的には4名乗車と表記しますから、4人乗車って、なんか違うようにも思いますな。名が好ましくない理由をさぐってみればいいのか。なんてことを書いていたら、一つをひとつと開くと教わったのはどこでだったんだろうか、と思ったりしつつ、いずれにしても、あれこれと再確認するとおもしろいものです。  ということで正しい表現をしてみましょうかね……、便宜を図って、時間を計りながら、長さを測ったり、重さを量ったり、そんなことを審議会に諮るなんてことを、謀ったりはしないよね、でも、小回りは利くし、ブレーキは効く……、って、

#778 ふと届いた手紙にあの頃を思い出しつつ、原稿書きに挑もうとしている話。

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 試乗会の旅から帰ってきたら、手紙が届いていました。差出しは、とある自動車メーカーの、とある実験部の方から。最近、世に出たクルマを担当し、いかに力を注いだかが簡潔に書かれていて、文字選びのひとつひとつに、生真面目過ぎる性格がそのままに表現された手紙でした。その文章からクルマがとてもいい仕上がりであることがストレートに伝わってきました。まだ、乗っていませんから、わからないところもありつつ……。  そもそも、この方との付き合いは、新型車試乗会だったか、交流会だったか忘れましたが、つかつかと近寄ってきて、吉田さんですよね? と訊かれ、はいそうです、と答えたところから始まっています。お話をしたかったんですと言われ、ふと、執筆した内容に対しての抗議か? と思いきや、その逆で、執筆したインプレッションについて、実験部内でコイツ分かってんじゃんってな話があり、一度話をしてみたかったのだとか。 自分の見方が間違っていなかったこと、そして、わざわざ話をしたかったと言われたことがとてもうれしかったと、今でもはっきりと覚えています。もちろん、彼のなんでも興味を持つスタンスと、その行動力に感心したことも、しっかりと印象に残っています。こうした手紙を送ってくれるところにもキャラクターが出ていますしね。  ふっと、その褒められた文章を読み返してみたのですが、まぁ、インプレッションの内容はともかく、上手く書けていました。06年の文章ですが、クルマに対しての自分なりの評価軸(なんて偉そうに言えるものではありません)が見えてきた頃であり、また、大手出版社にて意味不明と指摘されてきた文体に対しても、それを味であると捉え、自信をもって執筆をはじめた頃。 文章に自信に基づく勢いが表現できるようになり、それと同時に、 仕事の内容も変わりつつあった 頃で、来る依頼に対して自らステップアップを果たさなければならなかった、つまり、毎回がチャレンジだった時期でもありました。だから、なおさらうれしかったんでしょうな。  と、今を散々に肯定しておいて、原稿書きに取りかかります。ちょいとモチベーション上がらず状態にあり、奮起しようと、こんな文章を書いてみたのですが。さて、と。

#774 全部を見せつつも、詰め込まない加減がいい、今月号のMacPeople。

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 同業者の作品をベタ褒めすることは多くないとは、以前にも書きましたが、今月号のMacPeople(画像はamazonのアフィリエイトが張ってあります)はなかなかいい特集となっていましたので、ここでピックアップしておきましょうかね。といってもその特集とは、Mac誕生30周年記念をベースに過去から現在までマシンを全部見せってな、乱暴な言い方をすれば、ただそれだけのこと。もちろん、月刊誌の特集ですから深くは突っ込めず、全体的には広く浅くとなっていますが、そんな全部見せをしながらも、詰め込みすぎない感と、デザインと文章量と、つまり、構成がとてもいい感じになっています。そう、情報の抜き方が丁度いい。見開きで5、6台といったところに止めて、それぞれのマシンのネーム量はMaxで400w、写真も多くて2点。 そもそも、Mac本体のビジュアルってのは、誌面上の空きスペースを必要とするデザインゆえに、このくらいの加減がむしろ必要なのかもしれませんな。  で、そのままの流れで続く第2特集は、Macpro。こちらは、もう少しビジュアルにこだわってもいいのではないかと思いましたが、MacPowerではなくって、MacPeopleですから、こんなもんでいいのかな。それでも、見開きな扉で底面のアップ、次のページで筐体とカバーを外した写真で1ページずつを割いていますから、十分か。まぁ、いずれの特集にしても、AD(Art Directorね)がいるからってのもありますが、ま、デザインにもブレがない分、分かりやすさがありましたし、そこに資料性を感じました。  つまりですね、そういうことなんだと思います。雑誌における資料性という見せ方は、深くだけではなく、広く浅くであっても方法はある、のだと。そして、そこに今という視点があること。つまり、それは過去からの単純な流用ではなく、新たに編纂していること、イマドキの見せ方をしていること。編集会議ってのは、使えない企画を挙げるのではなく、使える企画の見せ方をどうするかを考える場であるとは、常々言ってきましたが、ま、そんな感じですな。  というわけで、このMacPeople、購入してしまいました。深く読み込まずにふらっと雑誌を購入するのは、かなり久しぶりのこと。ちょっと自分でも驚きましたが、ま、そういうことです。

#770 心を落ち着かせ、そして豊かにしてくれる溝口 肇サウンド。

 音楽つながりネタってことで。チェリストである溝口 肇のサウンドも好きです。 世界の車窓からのテーマ曲(右はYoutubeより) といえば、ああ、あの曲ね、と分かるかと思うのですが、その曲を作られた方です。 そもそもの出会いは、 1本の販促用カセットテープでした。 80年後半だったかに、ソニーミュージック(CBSソニー時代か)が、和製でNew Age(Musicって言葉はつけていなかった気がする) をピックアップしました。手にしたカセットテープはその販促用で、 これも記憶があやふやですが、“真っ白”ってキャッチと、相原コージのかってにシロクマのイラストが描かれており、たしか、それぞれの作品がフルサイズ収録されていました(これも曖昧ですが)。  そこにあった溝口 肇の曲が、タバコのPeaceのCMに使われいた曲で、タイトルも「P・e・a・c・e」(→ ■ Sonymusic視聴)。嫌煙なスタンスはその頃からでしたが、タバコとは関係なく、この曲を聴いた途端にショックを受けました、まさに、落ちました。適度なリバーブとチェロのソロの奏でによって作られた不可思議な空間が、頭に浮かんでくる、そんなクリエイティブ感を初めて味わい、 音楽ってのはメロディだけを追いかけるのではなく、その音が響く空間を想像させることが大切なんだな、なんてことを知りました。そして、そのCMも、Peaceってタバコに与えたかったイメージをダイレクトに表現しているなと、その演出を含めて、強く感心したことを今でもはっきりと覚えています。  さて、長くなってきた。ま、そんなきっかけから溝口 肇を聴くようになり、コンサートにも足を運ぶようになりましたが、その 音楽的な表現は、 広くに受け入れられるにつれて、明らかに変わっていきました。もちろん、何かに影響されながら、影響を与えながら、変わっていくものですし、 多くの人が望んでいるのは世界の車窓からであることも含めて、それを否定するつもりはありません。そもそも 、この人が音楽を書くようになったのはコマーシャルベースではなく、自らが眠るための音楽にベースにありましたから、たぶん、誰のための音楽か、そんな視点が変わっていたんだろうなと眺めていますが。 そう、好みの問題。 ただ、最近ですね、震災をきっかけにふたたび眠るための音楽を作られ、なんと無料で配信さ

#634 20代でやっておいたほうがいいけど、40代でやってもいいと思ったこと。

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 TED Talksの日本語訳版とも言っていいのか、NHK教育で放送しているスーパープレゼンテーション。ってタイトルはいいんですが、そのタイトルと番組構成と意図にずれがあるような気がしています。プレゼンなのに、云々。といいつつ、やっぱり日本語訳は必要ですから観ております。ふーんという内容もありますし、ほほぅという回もあります、そして、へぇーというトークもあってのこと。   先日放送したMeg Jay(→ ■ )は、最初はふーん、でしたが、後半はほほぅ&へぇーと、かなりの感心となりました。そういうスロープになったのは、たぶん、この方、語り方がとても弱く、そういう意味で人を惹きつける力も弱かったからかなと。内容はすばらしいのですが。って、難しいですな、プレゼンってのは。  で、彼女が語ったのはWhy 30 is not the new 20で、日本語に訳すと30代は20代みたいなものじゃありませんとなっていましたが、どこかニュアンスが違うような気がするんですが、まぁ、20代でやっておいたほうがいいこと、ってな、そんな内容でした。下の3つは、彼女がとあるクライアントに話したことですが、強く印象に残った言葉だったので、メモしておきます。  ・アイデンティティを築くこと     なりたい自分への投資を惜しまないこと    意味のない自分探しは、現実から逃げているだけ   ・親友とつるむのはほどほどに    同世代の仲間といると、新しい出会いは減り、仕事のチャンスも減る    新しい経験や出会いはたいてい離れたところにある  ・理想の相手を自分から探しに行くこと    周囲に流されることなく、まだ早いと先延ばしにせず  自分としては、なるほどね、と、何となく感じていた、ではありましたが 、こうしてあらためて言葉にされると、やはりショックを受けます。再認識しましたとでも言いましょうか。ただ、これを20代に訊いていれば良かったなぁ……、とは思いませんでした。番組ナビゲーターはそれっぽいことを言っていましたが。  もちろん、20代で実行できていたら、どんなに素晴らしい40代になったかは分かりません。しかし、これって、年齢関係ないような気がするんですな。20代向けの表現を40代向けに少々修正して、自らに言い聞かせると、うーむと思うことがたくさんとあります。個

#614 アーティストたる表現力を生かしていって欲しい、華原朋美。

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  #613 で書きました、才能はあるのに、なかなか理解されづらいというか、タイミングが悪いなと思う、つまり、惜しいなと思う方々がいます。いや、勝手に思っているだけですが、そのひとりが、華原朋美ですな。彼女が、アーティスト的な一面を表現できたのは、まさに、一時休業する直前だったような気がします。つまりですね、ファンの方とは意見がかなり違うんですが、立て続けにヒットを出していた時代ではなく。これはそのうち述べますが、それこそ、あの頃は、声が悪い意味で、楽器の一部になっていた気がします。 あのハイトーンはたしかに彼女の特徴ではありますが、ただ、発しているだけであって、何かを表現するために使われていたとは感じませんでした。まぁ、それを逆手に取った戦略(商売)だったんでしょうけども。  ところがですね、あの頃から決別してから、彼女と、彼女を取り巻く環境は、随分と変わったようで、 2006年には、表現力をめいっぱいに注ぎ込んだ、 「華」という曲(視聴はiTunesでどうぞ→ ■ )を発表しています( 右上のジャケットは掲載のために、amazonアフィリエイトが張ってあります)。 この曲では、音域をきっちりと合わせ、そして、あのビブラートを生かせる曲として、詞を含めて、豊かな表現がつまった作品に仕上げられています。そうなんです、やっぱりプロデューサー次第なんだなを感じましたが、それを含めて、彼女のいいところを最大限に引き出し、そして生かしてくれる、そんなスタッフに恵まれたことが、自然と見えてくる、そんな曲だと思います。この後に、活動停止の前に、中島みゆき作詞作曲の曲を発表していますが、あの頃とは違う意味で、また、彼女らしさを上手く表現しきれていないような気がしました。で、そのあと休業ですな。  最近、活動を再開したようですが、 歌い手さんとして、 こういった、心に残るような、心を打つような曲を歌っていってほしいものです。次の一手に注目しています。

#502 久しぶりのロングドライブで再確認した、ジムニーの良さ。

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 6月末発売号の雑誌の締め切りが重なっています。公言してしまうと、レガシィとジムニーです。というわけで、しばらくはレガシィとジムニーネタが続くと思います。  で、ジムニー。昨日、巻頭の写真と文章で攻める企画の取材を早々に行いました。走行距離は1日で600kmと少し。天気は下り坂で、夕方には雨が降り出すというあいにくではありましたが、翌日の今日は、気分は爽快、疲労は蓄積といった感でいっぱいです。で、 #459 と同じようなことを書こうとしていたら、カメラマンさんからアタリ写真が届きました。 まぁ、これも過去と同じで、いずれの写真もそう来ましたかといった感に打ちのめされております。ただ、選ぶに選べない状況で、さて、どうしたものかと、考えること、見比べること数時間。決断できません。ちなみに、右の写真は、ヨシダ撮影であり、掲載される写真は、とんでもないハイレベルのものですので。  どの写真をセレクトしたかは、6月末発売の本を見ていただくとして、ジムニーの話ですな。えっと、車高が上がったジムニーであることはさておき、ジムニーはやっぱり愉しいのひとことに尽きますな。もちろん、高速道路ではかったるさがありますし、煽られるといったイジメに会うこともしばしばでしたが、気張らず走ろうという気にさせるところは、ビートルに似たところであり、そういう点からもいいクルマだなと感じました。これもまた唯一無二っていうんですか、ね。  ただ、ビートルと違うのは、やはり軽自動車であることが、妥協となってしまっている、と感じたことでしょうか。その設計は10年以上も前のモデルですから、最新の軽自動車とは比較できないのは承知の上ですが、静粛性にしても、走りにしても、パワーにしても、そして燃費にしても、あと少しが欲しくなる。でも、軽だしさ、軽だから、とついついフォローしてしまう。そこにウィークポイントがあるような気がします。たぶん、次期モデルは、それを払拭すべく、開発進行中だと推測されますが。って、次期モデル、どう仕立ててくるんでしょうかね。ATはどうするんでしょうか、フレームやらローレンジは……。

#497 工業製品の評価とは、優劣だけを指すのではない、って話。

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 というわけで、下の #496 にて、最初に #493 で書いたASGの行のみをピックアップして、ちょっとばかり手を入れてみました。   #493 を書いた当初、 その内容に対して、激しいなんだかなぁ感を抱いていました。なんとなくフツー、で、はっきり言っておもしろくない、と。いや、クルマが、ではなく、自分の書き方が。自分らしくない。 で、気づきました。自動車雑誌的だな、って。いや、自動車雑誌的な文章を否定してるわけではなくって、ここらしくないな、と。そして、読み返すこと数秒、その要因がASGの行(くだり)にあることが分かりました。マイナスだけを書きつらね、そして放置してあったところですな。  で、手を加えたら、 上手いまとめになったね、と自画自賛。やはり、しっくりこない、文章は、何かが無理をしているんですな。と、反省を含めて。  それはさておき、モノゴトは捉え方次第と、そんな書き方をし ましたが、個人的にはup!を評価しています。しかし、それはBMW3シリーズに対する評価とは、軸が違います。ただ、両車に共通しているのは、コンセプトが明確であり、それを製品に表現していること、そして、それらすべてが乗る人を豊かにしてくれることに帰結していること。 2013年次RJCカー オブ ザ イヤーで両車が、同点1位と評価されたもの、そんな見方からではないか、と感じています。  もし、工業製品の製作過程において、心につかえがあるような、迷いがあるならば、評価軸を換えてみることをオススメします。

#490 コピペはあまりに寂しすぎる、やっぱり愉しいのはクリエイティブ。

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 連休前のドタバタな仕事のひとつが、無事、本になって発売されていました。三菱のデリカをターゲットとした、ムック本(画像・アフィリエイトリンクは張ってあります)です。カスタムブックというタイトルが付いていますが、カスタム以外のクルマのベースのあれこれを執筆しました。その内容の細かなところはさておき、本になってあらためて感じるのは、スタッフとのあれこれのやりとりが密にできたことで、自らの意図を上手く表現できたことでしょうか。 想い→対話→新しいアイディア→表現とでも言いましょうかね。 意思疎通がしやすいスタッフとの仕事は、もちろん時に衝突もありますが、最終的にはいい結果にたどり着くもので、作品はもちろん、仕事としての満足度も高かったりします。  たとえば、P19からのDelica de Trekは、1日で相当な距離を走るという、かなりハードな取材でしたが、気心知れたカメラマンとのふたり旅だったこともあり、早朝出発も苦になりませんでした。P23の、石ころの地を撮影するためだけに走った200kmも愉しくもあり、それもまた上手い具合に原稿にも反映されています。  しかし、原稿に表現できたのは、そんなロケの愉しさだけではありませんでした。あの写真の数々に刺激を受けたとでもいいましょうかね。もちろん、現場では、撮影しているシーンを見ていましたが、自宅に戻り、オンラインで送られてきた写真を見たら、これがイメージしていたテイストと全く違う。まさにいい意味での裏切れたかのよう。そういう風に切り取ってきましたか、とショックを受け、まさにその刺激を受けて、原稿を書き上げています。このカメラマンとの仕事ではいつものことなのですが、あらためて眺めて感じるのは、自分では想像ができない作品を見せられ、それに刺激を受けることに、クリエティブの醍醐味があるってこと。  クリエイティブとは、コピー&ペーストではなく、取材という刺激によって、人と作り上げるというコラボレーションによって、作り上げられるものです。ですから、世間にあふれるコピー&ペーストを目にすると、それが意図的なのか、それともそうではないのか、と考え込んでしまうこともありますが、いずれにしても、とても残念に似た、寂しさを感じてしまいます。  なんだっけか。というわけで、デリカカスタムブック、いい仕上がりになってます。手にとってご覧く

#460 センスが合う仲間がいてこそ、良質な作品が生まれる、ってな話。

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 最近、ラフまで書く仕事が増えましたというか、増やしました。まぁ、編集を経験していますから、何のことはないのですが、ライターという立場で、その作業まで手を出すかどうかはまた別の話。理想は、編集者が担当することなんでしょうけども、現場に編集者がいない取材の場合、ラフ書きはやはり現場にいた者がするべきだと思います。手渡した材料と現場の説明だけでは、やはり現場を表現しきれていない構成になってしまいますから。いや、取材前に完璧なラフが仕上がっていて、それに合わせた材料を集めてくる場合は違うでしょうけど。  そして、現場にいた者が考えていたのとは違う構成になってしまうと、そこに流し込むべき文字を書く作業は、はっきりいって辛い。いや、書けなりますし、無理矢理書いたとしても、全くもってつまらない文章に仕上がってしまいます。ということから、ラフ書きを買って出ることが多くなったというわけです。いや、編集者がダメとか、デザイナーがセンスないとか、そんなことを言っているのではありません。  やはり、クリエイティブという作業は基本はひとりですが、そこにほかの人が関与することで、ひとりでは想像もつかなかったような大きな変化が、 乗算というスタイルで 起きるものです。ゆえに、互いのセンスが、相対的にプラスとマイナスに振れている場合、作品はマイナスになってしまうもの。さらに、そこにマイナスを掛け合わせればプラスになるかどうかは分かりませんが……。もちろん、テイストは違っていてもいい。センスが合う仲間、これこそクリエイティブに不可欠なことのひとつだと思うのです。