#854 たかが文字、されど文字、だからこそ、素が見えてしまう、文字。

 今回の八ヶ岳滞在では、清里のガイドブックやらに載っている、有名なカフェを訪れました。清里って観光地が、以前のような活気に満ちていないことは周知ではありますが、とはいっても、多くの人で賑わっていました。なんでしょうかね、これ、と感じつつ、もう少し先まで足を伸ばせば、もっといい場所がたくさんあるのに、と思いつつ、まぁ、東京から気軽に来られる距離感や、観光地としての分かりやすさという意味合いからすれば、まさに“丁度いい”場所なんでしょうな、清里ってのは。
 さて、そんな、もう少し先まで足を伸ばせばもっといい場所であるはずの、小海町では、昨年とはその様相が大きく変わっています。先日、ちょいと触れたように、小海町高原美術館に併設されていたカフェ花豆は営業していません。画像の張り紙は、美術館に貼られていたお知らせですが、そこに記されていた都合とやらを、知り合いが美術館に訊いたところ、町との契約が問題になっているようで詳細は分からずとのコメント。そして、美術館のレストランそのものの営業も全く白紙だそうで。都合とは、まったくもって都合のいい言葉だなと思いつつも、そんな都合はさておいて、ニュートラルなスタンスから、つまり、お客さんとしての立場から感じるのは、取り残された感が強くあること。都合を知りたいという以前にある、がっかり感とでも言いましょうか。
 ただ、美術館に貼られていた両者の文面を眺めていると、そこに違いがあり、肝心なスタンスの違いを読み取れます。特に、その締めの文言ですな。美術館側は、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたしますと締めているのに対して、カフェ花豆側は、せっかくお越しいただいたのに誠に申しわけありません、としています。契約云々という都合はさておき、この騒動によって、誰がいちばん残念に思っているか、そして、そこを考えているのか、考えていないのかが、ここに表現されています。
 そんな細かなことを、と思う人もいるかもしれませんが、たかが文字、されど文字、だからこそ、その心持ちや気遣いが簡単に表現できる、そう、読み取れてしまうものなのです。それは、メールでもツイッターでも同じ事。とは、20年、文字を紡ぐことを生業としてきた、フリーライターの弁です。

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