#810 これまでに2度ほど人生にきっかけをあたえてくれた、アスキーの話。

 プライベートを公にするのもどうかなと思いつつ、ましてや、Google上ってのも考えものだなやと思いつつ、ま、いいや。意外な吉田シリーズ第何弾だっけか。今ではフリーライターを名乗っていますが、職歴は出版社からスタートしています。転職も3回ほどしましたが、いつもクルマ関係とは限らず、一時期、アスキーに在籍していたこともありました。そう、あのアスキー。最初の転職先でした。転職の理由は、今思えば、若かったなと思うようなもの。学生時代にテレビ局でバイトしていたため、同じマスコミながら出版社とのギャップに何かが違う……を感じ、あえて自動車雑誌という特殊な枠から抜け出してみたくて、アスキーへと飛び出しました。
 といっても、実はアスキーとのつながりは転職が初めてではなく、高校生時分、いや、浪人生時代だったか、から。友達がプログラムのコンテストで入賞して、その後に自分がDTMのコンテストで賞をもらって、……中略……、その後はぱたりとつながりも切れたこともあり、転職ではそんな過去は隠したままにしていましたが。
 で、その時、8名が採用されたのですが、その後に合流した仲間も含めて、皆、過去の職歴はマスコミ系とはいえ、通信社の記者からバイク雑誌編集者までバラバラで、コンピュータ知識といえばコンピュータ雑誌に通用するような編集者レベルにはなく、バラエティに富んでいる人たちばかりでした。それゆえに編集部では浮いていましたし、それゆえにまとまり感がありました。って、後で聞けば、あえてそんな人たちを選んだようで、実際、いわゆるコンピュータ雑誌担当になったのは1名だけ、か。そんな過去を振り返ってみると、未熟さゆえに迷惑ばかりを掛けていましたが、今、思えば、仲間に恵まれ居心地のとても良かった職場でした。といいつつ、やはり、何かが違うと感じて、1年経たずにアスキーから飛び出しているんですけどね。
 あれから20年近くが経過しましたが、あの頃の仲間とは今でもたまに集まっていまして、昨夜も集まりがありました。なんでしょうね、感覚が似ているからでしょうか、とっても心地いい。ひとりをのぞいて、皆、iPhoneだったり、皆、Facebookを利用していても仕事上でのつながりには積極的ではないとか、皆、当時はDTPの最先端にいたはずなのに、今更に写植の話をしたりとか、新しいモノに対する見方と古いモノに対する捉え方とか、そういったところの感覚。
 そんな感覚に触れて、そこに愉しさを見いだしてしまうと、今、立っている場所に違和感を覚えるのも事実で、またも、何か違うかもといった戸惑いが顔を出します。そう、これまでの人生は、そこに戸惑いを覚えると、その場所から移動することを繰り返してきました。ただ、今においては、これまでどおりの戸惑いを感じながらも、居場所を確立しつつあることも感じていまして、今を捨てようとも思っていません。成長した証でしょうかね。って、遅いか、45歳では。
 あ、画像は、昨夜集まった西麻布の隠れ家的スポットにて。流行って欲しいんだけど、知られたくないんだよね、って、そんなところ。こういうセンスもとても心地いいものなのです。
 業務連絡:連絡が取れなくなっている、齋藤くんと上野さん、もし、これを見たならば連絡ください。って、見ていないよね、きっと。

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