#888 クリエイティビティというセンスに、居心地の良さを感じた話。

 探し当てたのではなく、連れて行ってもらったカフェは、シンプルというカタカナ4文字では語り尽くせぬほどに、こざっぱりとしていました。その装いをひと言で表現するならば、古民家風。ただし、梁がドーンとあり、いろりがダーンとあるような、今はやりの古民家ではなく、端的な表現を用いると、“古”い“民家”をこざっぱりとさせただけのこと。過去のあれこれを集めつつも、空間を作り上げていましたが、そこには古いだけではないオーナーのセンスがここぞとばかりに表現されていました。
 で、このカフェ、何故か居心地がいい。そこに置かれたアイテムやソファーやテーブルと、自分の中の想い出がリンクしたわけではないのに、居心地がいい。もちろん、自分には、そんなセンスも、あんな感覚も持っていないのに、居心地がとてもいい。生地は破れ、腰のないクッションのソファーであっても、そこに腰を落ち着けると、ほんわりとした居心地の良さがある、と。なんだろう、どうしてだろう、何故なんだろうか。深煎りのコーヒーをひと口、で、少し間をおいてひと口と、ちょっとカフェの雰囲気に似せてみようと意識して口にしながら、ちょいと考えてみました。ま、見渡しつつの、分析タイムですな。最初に書きましたが、このカフェを簡潔に表現すると寄せ集めであり、かっこ良く表現すれば、まさにクリエイティブにあふれる空間……、というところで、なんとなく見えてきました、分かりました。
 そもそも、クリエイティブとは、日本語で書き記すと新しい何かを作り出すことをイメージします。しかし、存在する事象であり物質を組み合わせること(どこかで読んだ)こそが、本来のクリエティブ。そう、人が作り出すモノも、音楽もアートも、料理も、本も、そのすべては自然の中にあるピースを、それに基づく体験を、張り付け、再構成していくこと、それが、クリエイティブであると。
 つまりですね、このカフェで感じた居心地のよさとは、まさにカッコイイ・クリエイティビティそのもの。そして、そんなクリエティブについて、こうしてあれこれ考えたり、妄想したり、会話したり、それらを愉しめることに、心地良さを感じ取った、と。なるほどね、なるほど、なるほどねー。と、納得できる理由にたどり着いた頃には、コーヒーもなくなっていました。

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