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#1164 ゴンチチのライブにあふれていた、理想たる緩さ、の話。

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 気がつくと、クルマの話題ばかりが続いていましたが、まぁ、刺激的なクルマばかりに触れているためですな。って、ほかにも刺激的なあれこれはあるのですが、まとめてそのうちに。  で、今日も、刺激的なことはあれこれとありましたが、そのひとつが、ゴンチチのライブでした。ライブに出かけるようになったきっかけは、まだ、 新人だと言い張れる頃、トヨタのキャンプイベントでの取材にて、満点の夜空の下で聴いたゴンチチの野外ライブでした。満点の星空の下、草むらに座って聴くというユルユルなスタイルで、肩ひじ張らない感にあふれたサウンドに酔いしれた覚えがあります。ただ、最近、ちょっとゴンチチから離れていまして、ライブからも遠のいていました。  が、ちょっと気になっていた新しいホールでライブするっていうので、出かけてみました。ら、良かった。今回は、生音ライブだったのですが、ホールそのものは、生音を響かせるというよりは、サウンドの豊かさをより増す設計といったほうが的確といった感じで、とにかく素晴らし かった。って、 サウンドそのものも良かったし、ライブももちろん良かった。そして、そのライブに浸っていられるという心地よさは、時に眠りへと誘うこともありますが、気を張らなくていいという緩さにあふれたもの。やっぱりライブっていいなぁと思えるものでした。  って、言葉にするとなかなか伝わりづらい。あ、ゴンチチのライブ感を表現するには、チチ松村氏が言ってたこの言葉がピッタリかも。「僕らのしゃべりや音楽は人のやる気を削ぐんですね」って。たしかに、削いでくれます。でも、削いでくれるのは、不要なやる気であって、必要なやる気ではないところが、ポイントかと。そうなんですね、不要なやる気を取り除いた状態を、"緩さ"っていうんだと思います。イー加減(≠良い加減)とは異なる、緩さですな。  あ、写真は、そのホールのテラスから、代々木公園を望むの図です。

#1011 荒々しさと穏やかさと、自然が発する無言という語りかけ。

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 台風一過と言いつつも、雨が上がったのは夜半のことでした。ただ、見えていた星空も明け方には再び曇って土砂降りとなりまして、写真のような爽快な青空が広がったのは今朝のこと。  それにしても、何もしないでいることの、この無責任さと言いましょうか、このストレスフリーと言いましょうか、この素直さと言いましょうか、脱力感とは異なる力が抜けゆくこの感じに浸ってしまうと、もはや東京へは帰りたくありません。東京と言っても、高尾ですけど。  今朝方に話をしたスタッフは、東京出身で、大学卒業後に間を置くことなく能登へ移住したそうで。その年齢で、豊かさとは何かを知り、そして、それに浸るというライフスタイルを送っていることが、とてもとてもとてもうらやましく思いました。 宿は、まだまだこれからが多いようですが、そんなイチから作り上げようとしているスタイルも、あれやこれやとまたうらやましく。  昨日とは異なる表情を見せる海を眺めていたら、そこから語りかけが聞こえてきました。って、無音、無言という語りかけなんですけどね。

#1010 雑念から離れると豊かな時間は自然と訪れるものなのです、という話。

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  Neturalな感覚になっている時、つまりは、たゆたっている時、突然に 勘が働き、流れに身を任せていると、とてもいい方向へと導かれることが多々あります。 今日の宿は、まさに導かれて、辿り着きました。この秋に完成したばかりの宿ですが、今年の夏に建設途中を目にした時、あの場に何かを感じ、 心強く惹かれ、 訪れようではなく、来なきゃ行けないと感じました。 そして、来てみたら、想像以上。 何もないがたくさんあって、時間が足りない。テレビなんぞもちろん不要で、ちょっといい音を奏でてくれるオーディオがあればいい、そんな宿です。  今回、台風とバッティングすることは想定外でしたけども、ま、それもまた縁と捉えています。実は、過去に、天候が荒れた日に、あれこれと出会いがありました。ブナ林もそう、京都もそう、そして、今回も台風が来るからどうしようかなと戸惑ったものの、むしろ、行かきゃならない、行くと何かあるを感じ、足を運びました。  詳細はあえて書きませんが、スタッフの方にあれこれ訊いたら、この過ごし方たる提案やら、その志やらに、とてもとても感心しました。まぁ、商売っ毛の少ないところが、少々心配だったりします けども……。  こういう感覚に浸っていると、すべてがクリアになり、感覚がシュンと研ぎ澄まされるものです。そして、自分に何が必要で、何が不必要なのか、どれを捨てるべきか、どれを残すべきか、つまりは、今、何をすべきなのかが、はっきりと見えてくるものです。そう、おもしろい。とてもとてもおもしろい。  原稿書きを抱えての滞在も、それはそれで愉しそう。近いうちに、連泊しようと企んでいます。

#1000 だから、能登は、居心地がとてもいいのです、ってな、話。

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  お、ここ、アーティクル毎をカウントする方法に変えてから、1000アーティクルですか。ほほぅ。ということで、少しはまじめなことでも書いてみようとしましたが、わざわざそういうことをするのもどうなんだろうと思って……。というわけで、能登の話の続きです。  昨年からやたらと出かけるようになった能登半島ですが、何故、それほどまでに能登なのかと、よく訊かれます。その回答はとても簡単。いつも快く受け入れてくれるから。受け入れてくれるならどこでもいいのか、って話になりますが、それは微妙に違う、また来たか! と言われているような受け入れている感とでも言いましょうかね。  もてなしてくれるとは異なる、まさに迎え入れてくれる、っていう、そんな感じ。イヤな表情を見せることなく、心広く受け止めてくれる、っていう、そんな感じ。来たい時に来て、帰りたい時に帰りな、っていう、そんな感じ。いきなりでも、計画立ててでもいいから、とりあえず来なよ、っていう、そんな感じ。  写真は、今回の1枚で、大好きな風景のひとつ。拡大してもらうとわかりますが、向こうの半島までずっと道が続いています。この景色に、わかりやすいダイナミックさはありませんが、ここに来ると、すべてが打ち砕かれ、張っていた意地が一気に崩れていきます、力みが抜けていきます。そして、突然に涙があふれ出します、抑え込んでいた感情が湧き出してきます。自分の中の何がリンクしたのかは分かりません。でも、それは、恥ずかしいことでもなく、間違ったことでもなく、むしろ、それこそが、人として自然であることだと感じていますし、それができることを喜ばしいことだと思っています。ま、そんな地なのですよ、能登ってのは。  能登は、豊かさとは、何事もまずは受け入れるスタンスがベースになっていることを教えてくれます。そして、豊かに生きる方法は、自然の中にキーがあることを教えてくれます。だから、能登は、居心地がいい。とても心地いい。そして、そのことを誰かに伝えたくなり、突然に写真を送ったりします。そして、一緒に行こうと誘います。  ま、そんな感じなのですよ、能登ってのは。ただ、誰しも共感を覚えるとは限りません。ただ、今の生活に”何か違う”を感じていたならば、是非ご一緒しましょう。これでいい、これがいい、を再認識させてくれますから。

#950 リフレッシュってのは、日々の楽しさの再認識に意義がある、ってな話。

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 無謀というか、大胆というか、今年の夏休みは、八ヶ岳の貸別荘を5日間連続で借りまして、知人たちと過ごしてきました。  それにしても4泊5日は……、短かった。ほんとにあっという間でした。日々、イベントを予定してはいましたが、それほど大掛かりなものではなく、1日ごとにひとつずつ、お祭り、お招きに与って出かける、焼き肉屋、花火、程度。文字にすると、たったそれだけなんですが、それぞれがとてもとてもとてもとても濃いものだったので、その充実感と充足感とは、かなりかなりかなりかなり深く。何もないようですることは多く、そこには楽しさがあふれていた、ってな、そんな日々を過ごしてきました。  ここに掲載した写真は、そんな八ヶ岳でのシーンのあれやこれや。センスある人の手にかかると、食卓はこうも変わるかと驚かされ、ビートルカブリオレをオープンにしておっさん4人で乗って 、信州の奇祭に驚きを覚え、停滞する前線が作り上げた美しい景色に見惚れ、雨のために会場へ出かけること断念していた花火大会が行かずして別荘から見えたり、なんだかんだいいながらも青空が時折のぞいたり……。  写真から伝わってくるあれこれは、個性あふれる知人たちと、キャラクターの強いクルマと、大量のとうもろこしと地元の新鮮な素材とおいしいパンと、シェフの腕前と体験をベースにした深い話と、天気はイマイチでしたが、八ヶ岳という場所と、ま、そんなあれこれがもたらした相乗的な楽しさとでも言いましょうかね。  で、あらためて感じるのは、連泊という遊び方と、それを心に残るものへと引き上げるためのスタンスの大切さ。なんてことは、幾度となく語っていますが、ま、そういうことなんだと思います。簡潔に表現するならば、とことん遊ぶこと。後先ばかりを考えるのではなく、後先を後にして、とことん遊ぶこと。その、とことんぶりが深ければ深いほどに、得るものは相乗的に大きくなるものです。  リフレッシュとは、体力的な疲れを癒すことだけを意味せず、人生の過ごし方、楽しみ方を、再認識することに、その意義があるように思います。あとは、日常は持ち込まないほうが、より豊かになれることも再認識。テレビであるとか、東京でも買える加工食品とか。   あ、個人的には、体力的に無理を強いたとしても、得るものがあるのならば、それもリフレッシュと呼べるんじゃな

#942 iPhone5C3台導入は、能登でのほほんとしていた時に決めた、って話。

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 後先をあまり深く考えずに行動しました。というよりも、今しかないとばかりに、後先を考えることを止めて、勢いに乗ってみました。今、iPhone5Cが手元に3台あります。すべてMVNOにて運用して、携帯電話の支払いを大きく下げるために手に入れました。そのために、今日もau回線をひとつ解約してきました。そう、MNPではなく解約なんです、もはや。  ちなみに、今回の行動は、ある意味、後先を考えてのことでもありました。実のところ、3台のうち2台は両親用。今、両親分は3円/月で運用しているんですがデータ通信契約をしていないために、外でインターネットできず、不便を強いています。で、2年縛りがあと1年で解けますので、そのタイミングでどうにかしようと思っていました。しかし、先日、ふと、1年ってのは、彼らにとっても、自分にとっても、それぞれに意義のあるものであり、先延ばしすべきではないことに、気付きまして。そしたらですね、たかが月々1000円程度をケチることに、大きな意味合いがないと思うようになり、そして、後先を考えることを止めて、踏み切った、というわけです。ま、これ、能登をドライブしていて思ったことなんですけどね。  さて、そんなiPhone5Cですが、データ回線のみとして電話はIPで対応するか、それとも緊急電話がかけられることと、SMS利用のために電話番号付きとするべきか、どっちがいいんでしょうかね。詳しくない者が使うほどに、後者なのかなと思いつつ……。そこにはたかが600円/月の迷いがあるんですが。

#927 抵抗すること10年近く、とうとう降参することになった、厚型テレビ。

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 我が家に来たことある方はご存知かと思いますが、テレビは厚型のまま。そもそも、日本のテレビ番組を見ないこともありますが、デジタル化によるメリットを見いだせず、アナログのほうがいいという言い訳をあれやこれやと掲げて使い続けていました。で、ここ数年、色合いをうまく表現できなくなっていたのですが、先日、とうとうビシッ、バシッという音をともなって閃光が走り、もはや調整できないほどに色合いが狂ってしまいました。というわけで、もう諦めます、抵抗するのは止めにします。何よりも火災でも起こしたら怖いですし。ということで買い替えました。写真いちばん上は、厚型テレビの上に乗っかる、薄型テレビの図。サイズは32インチ。実質的なサイズ感を落としました。  振り返ってみると、この厚型テレビは江戸川区へ引っ越した際に、部屋が広くなったのを気に購入したもので、あれは98年のこと。南林間の電気屋に勤める知人のところで購入して、ランクル70で運んだことを覚えています。重かったので知人に手伝ってもらって。それにしても98年製ですか(写真二番目は厚型テレビのもの)。ということは、16年前のモデルか、いやはやいやはや。  まぁ、よくぞがんばってくれたなといった感がありますが、我が家にはロングライフの家電がほかにもあります。いちばん下の写真は電子レンジのものですが、そうですか、93年製ですか、って、20年超えか。ということは、同時期に購入した洗濯機と掃除機も20年を超えていることになりますな。もちろん、性能が劣っていることも、消費電力が多いことも承知していますが、買い替えようとは思いません。理由は単純、それらに固執しているわけではなく、買い替える理由が乏しいから。壊れない限り、次は買わない、逆にいえば、壊れたら買い替える、それが白物家電たる定義なのかもしれませんな。グランドチェロキー? それらとは違います。壊れても乗ります、いや、壊れたら直します。  最近、よく考えるんですよね、あと、何台乗るんだろうかとか。ということで、残りの人生、テレビはあと何台買うことになるんでしょうかね。ちなみに、テレビはこれで3台目、電子レンジと洗濯機は1台目、クルマは……、あ、10台目だった。

#917 演出されてはいない生活感あふれる街並みがとてもきれいな、能登の話。

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 まだまだ続きます、能登の話。これは以前から感じていたことなんですが、どこを走っても能登ってのは街並みがとてもきれいで、それにいつもいつも感心しています。どうしてだろうを考えつつ。ちなみに、 ここで語る街並みとは、いわゆる観光スポットではない、日常にあふれている街並みのこと。ですから、それは観光客は立ち寄らないような小さな漁港であったり、3ナンバー車はあえて走らないような細い路地でのこと。つまり、生活感にあふれている街並みのこと。一般的にこうした生活感がべったりの街というのは、ある意味日本的センスにあふれているものですが、能登の場合はそれがありません、見当たりません。  もちろん、観光を目的として演出された統一感やら、旧さを表現したテイストはなく、つまり、あえて見られることを意識した整えもありません。電線を地中に埋めたり、そんなあれこれはありません。ならば、そこに何があるのかと言えば、 清潔感に通じる美しさですな。見苦しいものが目に付かないし、妙な色合いの看板がない。そして、ゴミも落ちていない。下手すると、雑草すら生えていない。そんな街並みゆえか、たとえ赤いコカコーラの自動販売機があろうとも、ちゃんと街並みの風景に溶け込んでいる。かといって、美的センスに優れていると表現するには届かない、ただ、汚していない、崩していない、そんなスタンスとでも言いましょうか。  これ、住人の方々は意識していないようなのですが、意識しなきゃ、ここまでのことはできないと思います。といっても、行政が絡んでいる様子もなく。集落たるまとまり感が強いだけ、でも、住人はそれを意識していない、ってなことのような気はしているのですが。  今度、訪ねた時に、もう少し深く訊いてみることにしましょうかね。

#914 能登に来る理由に出会い、そして、それを自然に言葉にした、話。

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 能登半島を一周しようと思うと、丸1日ないと足りません。ってか、1日でも足りません。今回は輪島から東側を巡り(能登島より北側ね)、夕刻に半島の西側にて夕陽を眺められたらいいやと、そんな軽い気分で向かいました。行きはズルして、のと里山海道を終点まで走りましたけど、それでも、金沢発ー金沢着で400km。8時前に出て、20時過ぎに帰着。単純にのと里山海道の往復100km分を除いて、下道300km。いつもより少ないじゃんと思われるかもしれませんが、今回の下道は漁港やら民家やら、そんな海岸線の下道でして、疲労レベルはかなりのものになりました。  ただ、出会いは数多く、いちばんの収穫は、気付いたら地元の方に対して、“また、能登に来る理由が見つかりました”と、自然と言葉にしていたこと。場所が見つかったことだけではなく、そんな表現を自然にできるようになっていた自分が、いちばんの収穫でした。ま、そういうことなんですよ、そういうこと。素直でいると、全てをすんなりと受け入れられ、そして自然と自らを表現できる、表現したくなると。そう考えると、能登は、とっても居心地がいい地である気がしてきました。素直になれる、素直にさせられてしまうという意で。ただ、冬は避けたいものですが。って、冬も来てみないとわからんですな。  いちばん下の写真は日没を待ちつつ撮影した夕景。ここは、地元の人しか知らぬ場所ではなく、わりと有名なスポットなんですが、いたのは犬の散歩に来た人ぐらいで、ほかは誰もいなかった。住んでいる人々にとっては、あえて見るべき景色ではないんでしょうね。とても、もったいない気がしつつ、それゆえに独り占めできたのも事実なんですが。ちなみに、太陽が沈むところは見られませんでした。クルマの写真を撮るのに夢中で、気付いたらば、沈んでいました。

#902 後先を考えずに、気の赴くままに走った、気分爽快能登半島ドライブ。

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 よく走ったもんだと自分でも感心します。金沢を後にして、能登半島を巡るルートへと出たのですが、今回は、海岸線を徹底的にトレースしました。なので、自動的に、なぎさドライブウェイやら、なんたら岬やら、定番スポットも巡ることになりましたが、とても良かった。まず、天気が良かった。で、平日なので景色をほぼ独り占めできたことも良かった。ビートルデザインも良かった。と、良かったことだらけ。この良かった加減をどうまとめようか、どう結論づけようかと思ったのですが、ここでは写真を用いた表現としておきましょう。クリックして拡大してみてください、言葉不要であることを感じ取ってもらえると思いますので。  翌日に東京での予定がありましたので、早々に戻らなければならなず、能登半島1周は無理だろうなと思っていましたし、輪島までもたどり着かないだろうと思っていました。が、結局、引き返し予定時間をオーバーして、輪島まで足を伸ばしました。何故か。いや、単純に愉しかったから。表現を変えますと、こんな豊かな時を終わらせたくなかったから。走れば走るほどにあれこれに出会い、時を共に過ごした分だけ愛着が湧いてくる。そんな愉しさ、そんな豊かさ。  先に挙げた、良かったあれこれがあると、どこまでも走って行きたくなるものです。計画を立てて、計画どおりにことが運ぶことも、それはそれで愉しみ方のひとつですが、無計画なままに、気の赴くままに、時には無鉄砲になることで、愉しさは増していくものです。ま、ドライブだけではなく、人生も同じですな。今回は、無鉄砲さを意識しつつ、勘で行動しましたが、こういうスタンスになると、全てが良い方向へと転がるのが常。というか、転がるとかいうレベルではなく、乗算的に愉しさが増していくから不思議です。  この日の総走行距離は600kmオーバーでしたが、そのうち8割近くは下道でした。その理由は、ETC割引(深夜)が始まるまでひたすらに我慢したこともありますが、まぁ、気分のいいドライブだったがゆえに、自然とそうさせただけのこと。高速を使うよりも、あえて下道を走りたくなる、そんなドライブルートって、とってもいいと思います。そう考えると、東京−能登半島は、途中にアルプスがありますから、下道を愉しめるルートと言えます。そう、避けるのではなく、あえて、突っ込むのです。  最近書いた原稿で、いいク

#901 国道な酷道を走り抜けて、日本海側へと到着して、洗車した話。

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 地図上では国道と記されていたので入っていけば、写真のような道でした。クルマ1台幅しかない道で、路面のあちこちではアスファルトが剥がれ、雨で流れてきた土砂が路面に……。まさに国道ならぬ、酷道。ただ、このぐらいの道は慣れていますし、何よりも地図に載っている道ですから、気にすることなくずいずいと進んでいきました(地図に載っていない道を行く時はドキドキする)。まぁ、唯一心配したのは、17インチアルミホイールへのダメージのみ。いや、傷つけるような走りはしていませんし、何よりも 汚れそうなシーンはちゃんと避けるように走りました。  で、日本海側へとたどり着いてみれば、ボディは泥はねだらけ。 というわけで、雨があがったばかりで誰も利用していない洗車場にて、洗車しました。普段なら、そのままですが、このクルマにはあまりに似合わない汚れだったもので。気分的には明日のドライブに備えてってのもありました。普段だったら気にしないのですが、何故でしょうかね。ま、明日にも何かを期待しているからでしょう、きっと。  東京へ戻って、あれこれ書きますが、今回も不可思議なドライブです。雑感が予感を導き、勘が出会いを連れてくるとでも言いましょうか。明日の行程は700kmの予定。そのうち500km以上は下道。って 、大丈夫なのでしょうかね。大丈夫でしょう、きっと。

#897 卵と牛乳を買いに行くと、その後、何故だかダム湖にいる、その理由。

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 牛乳と卵を買いに出かけました、……中略……、ダム湖にいました。まぁ、近いってこともありますが、通り道ではありませんし、何故なんだろう、なんてことを、菓子パンをかじりつつ、湖を眺めながら考えていました。 ひとつは、明日締め切りの原稿が少々あり、家へと帰りたくないという明白な理由があります。しかし、それだけではない、あたかも導かれるかのような、何かがあります。なんだろうか。  と、考えること数秒。分かりました。手に持った菓子パンと、不二家ネクターです。いや、卵は農産物売り場で買うのですが、牛乳はスーパーで買っています。で、そのスーパー、日々あれこれとお買い得商品を用意しているのですが、レジへ向かう最後の通路に、特売の菓子パンコーナーしてね。そう、もはや、広く市販されている菓子パンなど食わないと断言しつつも、気付くとその特売の菓子パンがカゴにぽつりと入っているのです。ただ、それは持ち帰ってからではなく、スーパーから家までの7kmの道のりで食べようと思ってのこと。そして、帰宅途中にパンを食べながらノドに詰まらせたらいかんと、不二家ネクター求めて、 レジを目の前にしてUターンしてしまうのが、常。そう、常。  で、会計を済ませて、駐車場から出て、交差点での信号待ちをしている間にサンルーフを開けると、ウチへと帰るには直進するはずの交差点を、左折していると。そう、あたかもサンルーフオープンスイッチと、左折ウインカーとステアリングを左に回す機能が、同時に作動するかのように左折しています。で、気付いたら、ダム湖にいる、もしくは、ダム湖巡りをしています。そうなんです、スーパーの菓子パンがいけないのです。いや、買わなきゃいいだけの話なのですが、あのスーパーの作りは、相当に練られていて、あの誘いを断るには、相当に相当に硬い硬い意思が必要です。いや、ほんとに。  なるほどねー、と理由が分かったので、今日は、ダム湖1つで早々に帰宅。あ、この買い物ルート、ひとつだけ残念なのは、お気に入りのあのパン屋さんがルート上にないこと。ってあったらば、あのパンに見合う風景まで走っていってしまいそうなんですが。って、八ヶ岳ね。

#871 雨の上高地で見つけて、あれこれと重ねてみた、現在進行形の生。

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 上高地へ出かけてきました。この話は、計画的ではなく、前日に決まってのことでした。当日は晴れとの天気予報は見事に外れて雨模様でしたが、そのしっとりとした風景はとても心に残りました。もちろん、The 上高地と言わんばかりの、手前に池、背後にアルプスってな風景は見られませんでした。   以前から思っていたのですが、上高地ってのは、生を感じる場で、といっても、それは生きているという現在進行形ではなく、生まれたというその始まりのほう。ただ、今回は、現在進行形のほうの生を感じ取りました。なんていうんでしょうかね、水が流れゆく強さに命を感じ、そこにたたずむ風景にも縁(理由)を感じ、雨に不条理に近いイベントを感じたとでも言いましょうか。まさに生きている全てが表現されているってな感じ。もちろん、それは負ではなくて、正としての生ですな。   右の写真は、個人的に印象に残った風景。 上高地って、本来は神垣内と表記していたようです。あ、そうでしたかって、感じがしています。

#869 育ちは横浜ですと語っていますが、出生地は静岡だったってな話。

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 静岡にいました。いや、ふらりとではなく、ちゃんと事前に計画があっての話。お墓の話と、墓参りと。ま、いろいろと。静岡は母親の実家がある地ですが、妙に馴染める地だったりします。なぜかは、よく分かりませんが、馴染めます。といっても、県内の西方面ではなくって、静岡市周辺の話。その理由は簡単で 、生まれですな。実は、育ちは横浜とあちこちで言い放っていますが、出生地は静岡でした。いや、母親が実家へ戻って出産しただけのことなんですけどね。新宿の駅前の病院で生まれたとばかり思っていたので、出生地が静岡である事実を知った時にはちょっとショックでした。  写真は、沼津のSAにて、本日の雨去っての駿河湾+伊豆半島の景色。悪天候がだんだんと晴れゆく様に、この先の静岡ライフ(自分ではない)を重ねつつ、静岡へ出かけた理由を見つけ、そして、静岡である理由をあれこれと知りました。 あとで分かったのですが、どうやらこの沼津辺りで、京都より東京へと日帰り出張していた親友とすれ違っていたようです。行きも、帰りも。これにも あれやこれやを見つけました。

#851 春菊とタイムが花を咲かせ、バジルが相当に芽吹いた、想定外のできごと。

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 5月ってのは、まさに気分爽快な季節で、いちばん好きだったりします。木々の芽吹きに自然の強さを感じ、心も前向きになれるとでも言いましょうかね。ま、そんな連休ですが、気がつけば、こうして自宅にて過ごしているのは10年ぶりぐらいのような気がします。来客があったり、仕事があったりと、予定はあるものの、家にいるのは、久しぶりのこと。ま、仕事がひと段落している時は、毎日が連休みたいなものですから、特別変わった感がないのも事実ですが。  さて、我が家のバルコニーでは、春菊(写真上)とタイム(写真中)が花を付けました。いずれも、花を愉しむことを目的に植えてはいませんでしたので、この状況は予想外というか、予定外。というか、春菊の花って意外に色があって、これはこれできれいだったりしますな。タイムもしかり。 もちろん、両者とも、放置しておいたもので、前にも書きましたが、放置しておいたほうが、育ちが良かったりするものです。  さて、いちばん下は、バジルの芽吹き。発芽率が低い作物ゆえに、ちょいと多めに種を蒔いてみたらご覧のありさま。頼まれて作っている分もあってそもそも鉢数も多いのですが、それを越えそうなほどにたくさんの苗ができそうですので、ご希望の方あれば、どうぞ。

#841 今年は無理かと思っていたけど、出会ってしまった、省きなイチゴ。

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 新しく完成したという墓地の見学へと静岡まで出かけたのですが、って、そんな理由はいつの日かするとして、その墓地のそばにあるイチゴ農園で、省きなイチゴに出会いました。写真がそれなんですが、こぢんまりとした粒に見えるかもしれませんが、これが超大粒。カタチが不格好ゆえに省かれたイチゴですが、味は変わらず、1箱500円だったもので、ついつい買い占めを。といっても、残りは2箱でしたが……。  そういえば、たまたま昨夜、友人より「イチゴがたくさんあったらどうする?」と訊かれて、答えたばかりでしたが、我が家では、やはり砂糖で煮込んでおきます。ジャムにしてもいいのですが、料理にも使えるようにと、その手前で火を止めて、で、冷凍なり。  気付いたら、冷凍庫のジャム(手前も含め)も、残りわずかになっていました。この先、どうしようかと思ったのですが、あと3か月もすれば、ブルーベリーも桃も始まります。季節を感じ、そして、慈しむって、とてもいいなと思った次第で。

#811 風はまだまだ冷たいけれど、陽差しに春を感じた、ってな話。

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 年4回の季刊誌への執筆をしていると、そこに季節感も重なって愉しい執筆になる……、とは限りません。いや季節感を紹介する執筆ではなくって、クルマの年次改良に伴っていた季刊誌なもので。ということで、そんな季刊誌向けの原稿執筆のため、引きこもりが続いていますが、そうなると愉しみはご飯とバルコニーの植物だけだったり……って、言葉にすると、かなり暗いイメージを受けるかもしれませんが、ま、そんな感じです。人との会話もほとんどありませんし。  さて、そんな愉しみのバルコニーですが、ここ数日、気温はなかなか上がらなくとも、陽差しは日に日に強さを増しており、それに に応えるような勢いが感じられるようになりました。 大雪でダメージを受けた春菊はあの賑わいを復活させようとわき芽を懸命に伸ばし、一部ダメージで済んだほうれんそうも光を受けようとここぞとばかりに一気に葉を広げていますし、消え去ったかと思ったニンニクやネギも出番を待っていたかのように芽を出していました。バルコニーではありませんが、室内に入れておいた クロッカスのつぼみが急に膨らんで開花しそうな勢いになっていました。  ただ、春といえば、スギ花粉。 去年、症状が出なかったので完治した と思っていたら、今年は、早々に目がかゆくなり……。治ったとばかりにはしゃぎすぎたせいでしょうかね。反省。  ということで、原稿執筆に戻ります。

#804 神宮前の納豆チャーハンと、iPhone5S一括0円祭と、東京、と。

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 最近、東京の生活に慣れてきました。毎年、この時期はそんなことを感じつつ、八ヶ岳を忘れていることにはっと気付きます。そして、こうして東京に慣れてしまうと、東京から離れられるのかなと思うことがあります。ほら、この今週末のようなiPhone5S一括0円+多額CB祭やらを見ると、やっぱり、東京だよな、って思うことありますから。そのほかにもあれやこれやと。  話がずれてきた。えっと、写真は、仕事関係で親しい人と、お礼をしたい人とで、先週にご飯した時のもの。写っているのは、チャーハンに納豆を採り入れたメニュー。まぁ、納豆に翻弄されることなく、チャーハンらしさを見失っていなかった、そんな逸品です。こうした感覚ってのは、やっぱり東京なのかなと思いましたし、やっぱり今の仕事を続けていく上では、東京から離れることはできないし、なんてことを考えつつ、この納豆チャーハンにパクついていましたが。あ、この日は3回もタクシーに乗りました。なんか、これってさ、東京の人っぽいなぁーと思ってしまいました。

#799 トラブルなしのまま10年働き続けている我が家のAirMacExtreme。

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 画像の物体を見て、これは何? と訊かれたことがありました。あまり有名ではなかったのかと思いながら解説しましたが、あれですApple謹製のWiFIベースステーションのAirMacExtreme BaseStationです。初代は99年にグラファイトカラーでデビューして、これは03年にデビューしたその2世代目。あ、使い続けて10年か。こんなに長持ちしたApple製品もなかなか珍しいのですが、周囲ではグラファイトモデルを含めて2名がまだ使っていました。そう、過去形でして、最近、二人とも乗り換えていました。いずれも壊れたわけではなかったようですが。  そんな話を訊くと、我が家もそろそろかなと思うわけですが、不便を感じないので買い換える理由がなく。そもそも、通信スピードにしても不満なく。ほら、AppleTVにしても、我が家はアナログモニタのままゆえにSD画質で十分ですから、スピードアップの必然性はありませぬ。MBAirとMacminiでデータのやりとりをするといっても容量はたかが知れていますし。iPhoneだって4Sのままだし、iPadだってもはや見限られた初代のまま。TimeCapsule的に使えたら便利だけど、Mac miniとTimeMachine用HDDを直結しているから、その必要もなく。  と思いつつも、買い換える理由を懸命に考えたのですが、やっぱりない。と思っていたら、整備済製品が新旧ともに大量に出ていました。んー、困ったね。何か、理由ないものでしょうか。あ、TimeMachine用のHDDを増設しなきゃいけないから、その費用分を考えて、TimeCapsuleをと思ったのですが、素直にHDDを購入したほうが安く上がります。  ま、iPhoneとiPadを新調した時でしょうな。と言いつつ、まだ、理由を考えていますが……。

#786 遙かに予想を超えた降雪量と想定外の挨拶なしと、まだまだなヨシダの話。

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 雪は積もったかい? なんてメールをもらっても、そんな簡単に積もったと返せないほどに積もりました。昨日クルマの雪を払ってありましたが、朝、駐車場へと行ってみたら、ごらんのとおり(写真いちばん上)。これ、テールランプ。うちのクルマは車高と地上高のあるクルマゆえに、テールランプもそれなりの高さにあるのですが、まぁ、そんな感じ。吹きだまったのもありますが、それでもそんな感じ。もちろん、そのままではドアも開きませんし、クルマも出せません。雪を払ってラッセルしつつ足場を踏み固めたものの、轍が膝近くまであり(写真2,3番目)、押し固めつつ走れそうだったのですが、地固めだけしてそそくさと駐車場に収めました。  で、ちょっと歩いてきたのですが、幹線道路は動けないと言いますか、動かないクルマが並んでいる状態(写真4番目)で、皆さん、そのままに、一晩を過ごしたかのようにも見えました。1台もエンジンをかけていなかったのは、相当以前からそこに停まっていたから。動くことを諦めたためなのか、一酸化炭素中毒のおそれを避けてか、ガス欠を避けてのことからでしょうけども。もちろん、救急車も動けず状態でしたから、バスケット型のストレッチャーで、まさにソリを引っ張るかのように搬送されゆくシーンも見かけました。 もちろん、歩道は雪で埋まっていますから、人は車道を歩く歩く。で、駅方面から歩いてきた方々とすれ違ったものの、たしか寄り駅発着の電車は停まっていたはず。聞いてみると7kmほど東京よりの駅から、この雪道をノーマルシューズで歩いてきたそうで。いやはや。  そういえばですね、朝から率先して敷地内の雪かきしている方々がいまして、9時の時点でいちばん下の写真のような道筋ができていました。なかったら駐車場まで膝上まで潜りつつのラッセルを強いられましたから、 とても助かりました。 ということで、早々に帰宅して準備して自らも歩道作りに参加してきました。で、雪かきをしつつ歩道を作っていたのですが、そんな道をですね、何も気にしないかのように歩いていく人がいまして、ちょっとショックでした。いや、お礼が欲しいというわけではありませんが、云々……。なんて話をしたところ、そんなもんだよ、って、言われまして、ふっと気付きました。そんなことを口にしている時点で自分がまだまだであるのだと。自分への見返りを期待して