投稿

ラベル(八ヶ岳)が付いた投稿を表示しています

#1148 クルマの一部になってしまったかのような愉しさにあふれるMINI ONE。

イメージ
 唐突に、MINI ONEです。 #1014 にてロングドライブ記を、 #1085 にて再会記を書きましたが、三度の顔合わせとなりました。そう、同じ車両に。なんでしょう、これ、縁でしょうか。 久しぶりに出逢ったONEは、走行距離1万kmを超えていましたが、シャシーの引き締め感は相変わらずでありながら、すべてに柔軟と表現したくなるしなやかさがあふれていました。つまり、乗りに乗っているって感じでしょうかね。  まぁ、細かな印象は以前と変わっていませんが、あらためてシャシー を観察してみたところ……、って、改めてこの車両のオプションを確認したらスポーツサスを採用しているのかと思ったら、ダイナミックダンパーコントロールでした。すみませぬ。あれこれ書き直しておきました。となると、この硬さは、16インチゆえか……。  って、15インチに試乗したことないんですが、この16インチ+ダイナミックダンパーコントロール、ひとつのバランスを作り上げています。 初期の硬さたる入力を確実にいなした上で、リバウンドに制限を与えつつ、最後にスッと抜ける。路面を離さないしなやかさと、無駄な動きをさせないという規制をハイバランスさせながらも、乗り心地において 突き上げを感じさせないという、天晴れなこと、天晴れなこと。 まさに、これぞMINIテイストであり、それを愉しみたいという人にはオススメです。となると、気になるのは標準の15インチとの相性。どうなんでしょうかね。  やっぱり、シャシー部の剛性(フィーリングだけではなく取り付け)がハイレベル。まぁ、ミニゆえに手を抜くところではないとはいえ、おや? を感じさせないテイストにちょいとオドロキ、そこに国産モデルのあれこれとの比較をついついしてしまいます。 それでいながらこれだけの快適性を手に入れているってところも天晴れですな。価格に割高感はあります。現にとある道の駅で、このMINIを見て、欲しいけど高いんだよね、と言っていたスイフトオーナーがいました。でも、それなりの価値もあるし、あとで述べますけど、価格以上の価値も持ち合わせています。  今回は、ちょいと奥多摩へのつもりが、いつしか八ヶ岳をかすめ、そして気づいたら、乗鞍にて温泉に浸かっていました。そうなんですね、ついつい、もう少し走りたくなるんですな、帰り道のことなど考えずに。それが、先に述べたも

#1131 桜が咲き、クレソンが芽吹き、ようやく春が訪れた、八ヶ岳山麓。

イメージ
 いよいよ八ヶ岳も春を迎えていました。山麓でも4月に入ってから雪が積もったとかで、標高1000mを境に、上はまだ冬、下は春がやってきたという、そんな風景が広がっていました。そして、もはや 山麓といえない下界では、 桜は満開を迎え、花桃やらあれこれも花開き、菜の花や水仙までも咲いていて、まさに、一気に春がやってきた、そんな雰囲気がありました。 個人的には東京の春よりも、この一気に春が来るという山里の春のほうが好みだったりします。なんていうんでしょうかね、その一気って感じが、春の歓びを存分に表現しているとでもいいましょうか、そんなところが。  桜の写真は、23日に撮影したもの。植えられたソメイヨシノと、そこに混じった山桜と、交配した雑種とが、あれこれと入り交じって、また、桜見物する人も少ないという好条件もあって、暮れ行く一日に懐かしさに重なるような名残惜しさを感じつつ、これからやってくる新緑の季節に心躍らせるという、不思議な空気感を愉しみましたが。  八ヶ岳を横断する国道299号線は、23日だったかに冬期通行止めを解除したようで、走りはしませんでしたが、八ヶ岳を眺めている限りでは、それなりの雪が残っているようです。今年は、雪壁を見に行くことはありませんが、って、それもまた久しぶりのことか。ま、この次で、あれこれと書きますが、今年の大型連休は、久しぶりに、ほんと久しぶりに東京で過ごすことになりそうです。  そうそう、クレソン群生地を見に行ったら、ようやく芽を出したところでしたが、すでに刈り取られていて、無残な姿となっていました。写真いちばん下は、そんな群生地の中でも、知られていない群生地ゆえに、もちろん、手付かずでした。あと、サクラソウの群生地も、ようやく地を這いつくばるように葉を広げたところ。クレソンの刈り取り頃、サクラソウの見頃は大型連休明けになりそうですな。

#991 共感と再認識とひたすらに自分の不足を感じた、C.W.ニコル氏の講演会。

イメージ
 昨日、C.W.ニコル氏の講演会があったので足を運びました。片道150kmほど走って。締め切りが迫った原稿を抱えながら。もちろん、ニコル氏のことはもちろん存じていましたが、自分の知っているニコル氏というのは、その風貌にも表現された、そのなんとなくの雰囲気のみ。  講演は、さすがはプロですから、話術もなかなかですが、何よりもその内容がとても濃かった。話は、故郷であるイギリスや他国と比較しつつ、日本は自然がとても豊かであることを再認識しなさいという話からスタートし、生態系を崩すことで不利益を被ることへとつなげ、そして、自然を再生することの大切さを自らの体験をもって紹介し、自然の中にいることで人は幸せになれること、いや、自然の中にいなければならないことを説き、まとめとして、東日本大震災で被害を受け、復興を目指す東松島へのアドバイスを、最新プロジェクトのひとつとして紹介するという流れとなりました。これで1時間。ムービーを使ったり、イギリス人であったことを上手く表現に採り入れるなど、途中、笑いと拍手とが入り交じるほどに、集った人を引き込んでいました。この 説得力を含めた、話術は、たんに話が上手というよりは、やはりそのベースには 経験や体験をもとにして、そこで自らが何を考えたかを、ストレートに話しているだけのこと。だから、人々の心を打つのでしょうな。  なんてことを感じつつ、もちろん、話の内容のあれこれに、ショックを受けました。自然の中に身を置いた時、涙が勝手に流れ出したというくだりがありましたが、自らも同じことを体験しています。ただ、ニコル氏の場合は故郷の自然破壊に対する想いとの比較があってのこと、とのことでしたが、自分の場合は、単純になんかいいなー、ここが居場所のような気がするー、ってな感じでしたから、そのレベルは全く異なるものであり、そこに自分の、人としての不足を感じましたが、 自然の中にいて何か感情を覚えたことは同じです。それが出来ていただけでも幸せなのだな、と思ったりもしました。  それこそ講演で感じたすべてを書き出したいのですが、ま、それは追い追いに。で、強いてあとひとつピックアップするとしたら、「森は心のふるさとであり、文化の基(漢字は勝手に当てはめました)である」というフレーズかな。そうなんですね、心のふるさとってところまでは誰しも分かっているのですが

#950 リフレッシュってのは、日々の楽しさの再認識に意義がある、ってな話。

イメージ
 無謀というか、大胆というか、今年の夏休みは、八ヶ岳の貸別荘を5日間連続で借りまして、知人たちと過ごしてきました。  それにしても4泊5日は……、短かった。ほんとにあっという間でした。日々、イベントを予定してはいましたが、それほど大掛かりなものではなく、1日ごとにひとつずつ、お祭り、お招きに与って出かける、焼き肉屋、花火、程度。文字にすると、たったそれだけなんですが、それぞれがとてもとてもとてもとても濃いものだったので、その充実感と充足感とは、かなりかなりかなりかなり深く。何もないようですることは多く、そこには楽しさがあふれていた、ってな、そんな日々を過ごしてきました。  ここに掲載した写真は、そんな八ヶ岳でのシーンのあれやこれや。センスある人の手にかかると、食卓はこうも変わるかと驚かされ、ビートルカブリオレをオープンにしておっさん4人で乗って 、信州の奇祭に驚きを覚え、停滞する前線が作り上げた美しい景色に見惚れ、雨のために会場へ出かけること断念していた花火大会が行かずして別荘から見えたり、なんだかんだいいながらも青空が時折のぞいたり……。  写真から伝わってくるあれこれは、個性あふれる知人たちと、キャラクターの強いクルマと、大量のとうもろこしと地元の新鮮な素材とおいしいパンと、シェフの腕前と体験をベースにした深い話と、天気はイマイチでしたが、八ヶ岳という場所と、ま、そんなあれこれがもたらした相乗的な楽しさとでも言いましょうかね。  で、あらためて感じるのは、連泊という遊び方と、それを心に残るものへと引き上げるためのスタンスの大切さ。なんてことは、幾度となく語っていますが、ま、そういうことなんだと思います。簡潔に表現するならば、とことん遊ぶこと。後先ばかりを考えるのではなく、後先を後にして、とことん遊ぶこと。その、とことんぶりが深ければ深いほどに、得るものは相乗的に大きくなるものです。  リフレッシュとは、体力的な疲れを癒すことだけを意味せず、人生の過ごし方、楽しみ方を、再認識することに、その意義があるように思います。あとは、日常は持ち込まないほうが、より豊かになれることも再認識。テレビであるとか、東京でも買える加工食品とか。   あ、個人的には、体力的に無理を強いたとしても、得るものがあるのならば、それもリフレッシュと呼べるんじゃな

#918 ドタバタと動き回っているのは、言葉と想いを湧き出させるためのこと。

イメージ
 あれこれと、ドタバタと日々を過ごしていますと、ついつい言葉があふれ出てくるもの。そんな言葉のあれやこれやを、ここに記したいのですが、こういう時に限ってそんなゆとりもなくて。昨日も、朝に八ヶ岳を出発して、ひたすらに下道を走って、山を2つほど越えて、小田原で行われているプレス向けコペン試乗会へと向かい、で、帰宅して、あれこれとまとめようと思いつつそのままバタリ。ま、そんなもんなんですな。  以前にも書きましたが、 泉は 汲めば汲むほど湧き出でるものだそうで、こうして湧き出てくる言葉も、ひたすらに汲み続けてることで、湧き出してくるものです。って、たいしたことない小さな泉ではありますけど、ま、小さくても、湧き出してくるあれこれは、おもしろいものばかり。文字を紡ぐって、こういうことなのです、って、アート的クリエイティビティに共通することですが。  話を戻して八ヶ岳。立ち寄りはありましたが、訪れたのは久しぶりでした(といっても3週間ぶり?)。なんだかんだいっても、居心地のよさにあふれていまして、美味しい料理を愉しみながら土産話に花を咲かせ、左手だけで奏でられるピアノに感銘を受け、あれこれの深い話もあって、云々。写真は、沖縄旅行からのお土産、もずく。いわゆる居酒屋的メニューのような三杯酢でちょぴっとではなく、蕎麦のようにずるずると食しました。  あ、そんな八ヶ岳は小海町にて、C.W.ニコル氏の講演会が行われます。なんと無料だそうで。平日ですけど、是非。  C.W.ニコル氏講演会(案内にはタイトル、テーマは記載されておらず)  日時 2014年9月11日(木) 14時より  会場 未定(以前ヤルヴィホールと書きましたが、使用できなくなったそうで)

#887 いつもどおりの夏至祭と、いつもとは違うカフェ花豆の話。

イメージ
 毎年夏至が近くなると、八ヶ岳山麓の小海町ではフィンランド夏至祭が行われています。ただ、夏至はもう少し先なのですが、梅雨と重なるゆえに少し早めに行われており、今年は先週末の土曜日に開催されました。そう、あの雨の中。梅雨を避けたはずが、梅雨に入り、よりによって雨の被害をあちこちにもたらした日に。  で、当日の朝に出発すれば、いきなり中央道は通行止め、さらに並行して走る国道20号線も峠にて通行止め。ゆえに、さらに並行して走る県道は超渋滞で動けず、さらにさらに迂回して入った山道も、国道413号線方面も途中で通行止め。なので、クルマ1台がようやく通れる道を走り、……中略……、小海町へとたどり着きました。よくぞ到着したといった感がありました。  そんな話はおいといて、今年の夏至祭ではカフェ花豆がキッチンカーにて復活していました。ここでも書きましたが、今年のカフェ花豆は、 町とのいざこざから、 これまでどおりに営業できなくなり、がっかりしておりました。ですから、 たった1日だけとはいえ、この復活はうれしく、久しぶりのカレーに、やっぱり美味しいやねを感じました。  雨ゆえに、夏至祭に集った人たちは例年よりも少なかったのですが、雨に打たれつつもコッコ(大きなたき火)に暖かさを感じ、こじんまりとしたイベントににつかわない立派な花火に歓声を上げ、例年と同じような盛り上がりがありました。でも、 このイベントが終わると、カフェ花豆のカレーもしばらくは味わうことはできず。そんなことになん だかなぁ感を覚えた、今年の夏至祭でした。

#860 食材に力があるならば、調理方法は簡素でいい、ってな話。

イメージ
 とてもいいパン屋さんがあるからと友達に誘われて、八ヶ岳を一周してきました。というか、八ヶ岳の北側にあったので、結果、一周していました。そのパン屋さんは、 分かりにくいことこの上ない場所にあるんですが 道案内も出さず、って、あえてのことだそうで。  そんな店舗ですから、ご想像のとおり、 分かりやすくいえば、イマドキなオーガニックテイストにあふれており、店員さんの言葉使いにおや? を感じて、ふっと訊いてみれば、やはり東京からの移住だとか。いやはや、そんなライフスタイルにうらやましさを感じましたが。  写真上は、そのパン屋さんでのランチプレートなるもの。よくいえばオーガニックテイストにあふれ(この言葉しか出てこない)、悪くいえば簡素。質素とは違う簡素。ただ、こういう質素、いや、簡素は大好きだったりします。素材をそのままに生かした調理方法と言いましょうか、調味料はあくまでも脇役たる存在に止める、そんな調理方法。パンに何も付けず、野菜にも味を大きく加えずに食すことを好む者としては、これで十分、というか、これがいい、と。もちろん、そこには食材そのものが持つ、力強い味があるってことが前提ではありますが。  なんてことを考えると、都会で売られている、力(味)のない野菜以外を手に入れられる幸せを、いまさらに再認識しました。

#854 たかが文字、されど文字、だからこそ、素が見えてしまう、文字。

イメージ
 今回の八ヶ岳滞在では、清里のガイドブックやらに載っている、有名なカフェを訪れました。清里って観光地が、以前のような活気に満ちていないことは周知ではありますが、とはいっても、多くの人で賑わっていました。なんでしょうかね、これ、と感じつつ、もう少し先まで足を伸ばせば、もっといい場所がたくさんあるのに、と思いつつ、まぁ、東京から気軽に来られる距離感や、観光地としての分かりやすさという意味合いからすれば、まさに“丁度いい”場所なんでしょうな、清里ってのは。  さて、そんな、もう少し先まで足を伸ばせばもっといい場所であるはずの、小海町では、昨年とはその様相が大きく変わっています。先日、ちょいと触れたように、小海町高原美術館に併設されていたカフェ花豆は営業していません。画像の張り紙は、美術館に貼られていたお知らせですが、 そこに記されていた都合とやらを、知り合いが美術館に訊いたところ、町との契約が問題になっているようで詳細は分からずとのコメント。そして、美術館のレストランそのものの営業も全く白紙だそうで。 都合とは、まったくもって都合のいい言葉だなと思いつつも、 そんな都合はさておいて、ニュートラルなスタンスから、つまり、お客さんとしての立場から感じるのは、取り残された 感が強くあること。都合を知りたいという以前にある、がっかり感とでも言いましょうか。  ただ、美術館に貼られていた 両者の文面を眺めていると、そこに違いがあり、肝心なスタンスの違いを読み取れます。 特に、その締めの文言ですな。美術館側は、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたしますと締めているのに対して、カフェ花豆側は、せっかくお越しいただいたのに誠に申しわけありません、としています。 契約云々という都合はさておき、この騒動によって、誰がいちばん残念に思っているか、そして、そこを考えているのか、考えていないのかが、ここに表現されています。  そんな細かなことを、と思う人もいるかもしれませんが、たかが文字、されど文字、だからこそ、その心持ちや気遣いが簡単に表現できる、そう、読み取れてしまうものなのです。それは、メールでもツイッターでも同じ事。とは、20年、文字を紡ぐことを生業としてきた、フリーライターの弁です。

#853 ハイキングにでかけて、先延ばしはいかんと、思った、ってな話。

イメージ
 歩くルートがたくさんあるのだから、歩きましょう、と、八ヶ岳でお世話になっている方々と一緒に、清里・野辺山近くにある 飯盛山へとハイキングしてきました。過去に、途中まで“クルマ”で登ったことのある山ですが、頂上まで歩くのは初めてのこと。気軽ゆえに、いつでも歩けるがゆえに、歩いたことがありませんでした。  当日は、天気にも恵まれて、気分爽快な景色を愉しんできたわけですが、こうして登って良かったという気分に浸ると、なんだかいって、 意識的に行動しないといかんなと、またもや思った次第で。さらに、 東京へと戻ってみれば、 さきほど、隣にお住まいの奥さんから、50代にして、クルマの免許を取得したって話を、聞きまして、なおさらのこと。  45歳という年をいい訳として、あれこれを諦めたことを、言葉にしている自分を、情けなくも思い、まだまだかなとも思い……。なんてことを書いてばかりいてはいかんのですが、こうして書かないと、残しておかないと、なかなか行動に移さなくなってしまっています。  いつまでも元気でいられるとは限りませんし。というわけで、少し先の締め切りである、原稿書きも、とっとと終わらせねば。

#852 23年目にして、手がかりが見えてきた、車中泊をした、あの場所。

イメージ
  この時期に、 23年前に初めて八ヶ岳を訪れた時に巡ったルートを、あれやこれやとあってトレースしているってな、話を書いたことがありますが、今年も訪れました。いつも同行する知人は、途中でクルマがエンコしたため代車で来ることになり、顔を合わせた後は即名古屋へと帰っていきました。つまり、一緒には走らず、珍しく、ひとりでのドライブとなりました。  まぁ、振り返ってみれば、23年前に乗っていたエスクード(1型)は、1.6Lで、MTなのに、中央道の談合坂ではスピードをキープできず、登坂車線を走ることを余儀なくされ、100km/hを超えそうになると、アラートがピーピーと鳴り、コーナーでアクセルを踏み込めば、リアがブレイク気味になるなど、まぁ、今考えると、スゴイクルマでした。まぁ、そんなクルマで八ヶ岳まで行ったり、北信まで出かけていたことを思うと、自分のこともスゴイなと思うわけですが。  あれから23年が経過し、クルマはV8/4.7Lとなり、 ずいぶんとラクチンになったものだと感じつつ、 その味わいに豊かさがあふれるパンをかじりながら、 八ヶ岳へのルート を走りました。って、実は、当時のルートをたどっているとはいいつつ、1か所だけ、どこだったが分からない場所があります。あの時は、前日夕方に出発して野辺山のどこかで車中泊したんですが、そこ、朝起きたらなんと飯盛山への登山道の途中の広場。いや、そこまでのルートが工事中だったもので、分からずに進入していたと。  で、その場所だけが、いまだにわからない。今回、飯盛山へのハイキングにより何か発見はあるかと期待していたのですが、見覚えのあるシーンは、見当たらず。あれは、一体どこだったのだろうと思いつつ、ムービーを見直して分かったのは、思っていたのとは全く異なる場所(方向)でした。あ、そうでしたか。そこでしたか。  それにしても、記録ってのは大切ですな。こんなふうに役立つとは思いもよらず、でした。

#836 適度な距離感がもたらす、八ヶ岳とのとても心地よい関係。

イメージ
 ぼんやりとした執筆依頼と、連休進行ゆえの前倒しな締め切りから、何となく構えてはいましたが、待っていても具体的な指示は来ないような予感がしたので、八ヶ岳へと出かけてきました。 あちらでは、 雪解けは確実に進んでいまして、 ふらりと入っていった 林道では、雪解けの荒れ加減に春らしさを感じたりもしましたが、 朝は−5度まで落ちるなど、東京のような春は見当たりません。さらに 例年以上の残雪も。たとえ予定どおりに24日に麦草峠の通行止が解除されたとしても、今年は峠付近の雪壁はそれなりの高さになると推測されます。2枚目の写真は、1600m付近ですが、ここでこれだけ残っていますので。  それにしても、我が家のV8/4.7L(グランドチェロキー)は相変わらず上機嫌で、ダンパーの減衰も低温ゆえか適切でして、アクセルをちょいと踏み込んでの走りが愉しい、愉しい、愉しい。シャシーのふんばりっつーのは、こういうもんだよなとひとりつぶやいてみたり、ヨー→ロールへの流れはスピードよりもその流れが大切であることを再認識して、頭の中であれこれとそんな文章を考えてみたり……。 と、いつものワインディングルートを駆け抜けてきました。  八ヶ岳の春は、もう少し先となりますが、周辺では春らしさが始まっていました。甲府盆地では、桃が満開を迎えていまして、まさに見渡す限り、桃の花といった感じで、どこまでも続く春の色に桜よりも春らしさを覚えたりしましたが。あ、桜は、あちこち、どこにでも咲いていまして、わざわざ公園などへ立ち寄ることもなく、ただ、漠然と走っているだけで満喫できるという、例のごとく。ただ、さくら祭ののぼりに誘われて何となく立ち寄ってみれば、江戸彼岸桜ごしに甲斐駒ヶ岳が見えたりして(写真4番目)、公園という整備された場でありながら、それはそれで見所になっていましたが。何よりも、誰もいないこと、つまり、独り占めであることが、ポイントだったかとは思いますけども。  今回の八ヶ岳は、いつものルートを巡りつつも、ここではまだ書けないことが、たくさんありました。たくさんの新しい出会いとでも、言っておきましょうかね。八ヶ岳ってのは、飽きることがないというか、通えば通うほどに深みが増していく場です。ただ、言われて再認識したのですが、居を構えることなく、通っていることにキーがあるのだ、と。

#829 景色は変わっても、その意は何も変わらない、八ヶ岳の話。

イメージ
 八ヶ岳を訪れました。何よりも優先して、足を運ばなければいけなかったので、出かけてきました。グランドチェロキーにて。で、何故だかわかりませんが、この日のグランドチェロキーは先日よりもさらに絶好調で、軽快そのもの。エンジンの吹け上がりはいいし、アイドリング時のエンジン回転数はぴたっと安定しているし、どうしたんだろうと思うほどでした。  ってなわけでクルマ、オーナーともにご機嫌で、八ヶ岳へと向かったのですが、そんな気分の時は、あれこれと寄り道をしたくなるもの。夕方前に、もう、売り切れかなと思いつつもパン屋さんに立ちよれば、まだ、いくつか商品が残っていたり、 圧雪すらされてしない道に誘われて入っていって、スタックしかかって戻ってきたり、と、まぁ、その寄り道もまた愉しい道中となりました。 写真いちばん上はそんなヒトコマから、野辺山から夕暮れ手前の八ヶ岳。周囲の風景はまだまだ冬のままでしたが、 もう少し先とはいえ、その力強さを増した陽差しから、春の近づきを覚えました。  あ、2枚目の焼き魚は御馳走になったえぼだい。山の中だから干物か、と思ったら大間違い。なんと鮮魚として売られていたそうで。海が遠い地において、鮮魚のえぼだいに出会えるとは……、鮮魚として見かけることはあまりない魚ゆえに、ちょいとびっくりしました。もちろん、笑顔になれるほどに美味だったことは言うまでもありませぬ。

#825 呼ばれてスタートした八ヶ岳のあれこれと、カフェ花豆のこれから。

イメージ
 画像は、やはりビデオからのキャプチャーで、 92年の4月29日のものです 。この年の夏に八千穂キャンプ場にて大勢でキャンプをするという計画があって、その下見に訪れた時のもの。実は、 初めて八ヶ岳を訪れたのがこの時でして、ここから八ヶ岳との付き合いがスタートしています。 まぁ、振り返ってみると 、キャンプ場のすぐそばに家を借りることになろうとは思わず、また、 カフェ花豆 を手伝うようになるとは思いもよらず……。なんでしょうかね、今思えば、呼ばれたんだろうと思っていますが。  キャンプの後、この下見を共にした親友が亡くなり、その後、 4月29日に麦草峠を越えるルートを巡るようになりました、 キャンプに一緒に参加した名古屋の親友とともに 。いや、なんとなく。カフェ花豆と出会ったのは 9年ほど前。夏に、立ち寄ったこともない美術館へふらりと引き寄せられ、人気のない美術館の入り口にあったカフェの看板に、何かを感じ、ふらりと入ってみたと。丁度、何でも前向きに行こうとスタンスを切り替えつつあったことも、そのきっかけにプラスになっていたんだな、なんてことを思います。で、 気がつけば、いつしかカフェ花豆へ出かけることが主目的になり、気がついたら顔を覚えてもらうようになり、いつの間にか手伝うことになり、日々を遊び、そして愉しむことがいかに人生に大切かを、とことん教えてもらいました。  そんなカフェ花豆が、今年より東京とは日野市へと場を移すそうです。  そうそう、画像はすべて92年当時のもの。いちばん上は、八千穂のキャンプ場までの道(いちばん上)で、まだ舗装されていませんでした。2番目は麦草峠へ向かって上っているところ。3、4番目は長湖と松原湖付近。風景はあまり変わっていないように見えますな。  新しいカフェ花豆で感じたあれこれは→ ■(Neutral#1141)  カフェ花豆の 最新 情報は、 Twitterにてアナウンスされています → ■  

#808 ふらっと八ヶ岳、ほろっと八ヶ岳、だから、やっぱり八ヶ岳。

イメージ
 波長が合う人っていますよね、それは相性とはまた別なところで。顔を合わせてはいなくても意思疎通ができる不思議な人。 #714 で書いたニューヨークからムービーを送ってくれた親友もそのひとりで、心を読んだかのように、突然にふっと連絡してきます。  で、最近、仕事と私生活とあまりうまくいかない(先方)がゆえに、ご飯するのはもう少し先にしようってメッセージが届きました。が、こちらも 思い悩むことがあれこれとありまして、それを 見透かして延期しようと言われたように感じました。そして、これじゃいかんと思って、ふっと出かけることに……。そうなんです、切り替えが早いんです。 仕事の予定やらが変更になったこともありましたしね。  候補地はあれこれあったのですが、結果、八ヶ岳。やっぱり、八ヶ岳。とりあえず、心地よい時を愉しめるパイ屋さん(画像いちばん上)と、ほろっと豊かな気分にさせてくれるパン屋さん(画像2番目)へ向かうことだけ決めて、あとは、テキトーな放浪と。あ、名古屋のコペンの親友を誘いました。  八ヶ岳は、あの大雪の2週間後とはいえ避けられた雪はまだまだ残っており、いつもとは異なる表情ばかりでした。 野辺山の国立天文台の見学コースは、これだけの雪が残る中でも公開していました(画像3、4番目)。直径45mの電波望遠鏡は、雪の中にたたずんでいたこともあって、いつもよりかっこよく見えたものの、どことなくその姿にくたびれを感じ、なぜだかそこに自分を重ねつつ、さてと頑張るかねと思ったりと、ちょっと不思議な気分に……。まぁ、そんな気分になってくると、もはや、そこからは無謀というか、暴走となりそうなのですが、どこかでブレーキが掛かっており、コペンの親友と別れた後は、長野県内のスーパーにて牛乳を求めて、……中略……、八ヶ岳を1周するに止めました。あちこちと立ち寄りながら距離にして200kmほどか。  無謀なドライブではなく、定番を巡るドライブとなりましたが、なんでしょうかね、このふーっと落ち着ける感は……、なんてことを考えつつ、帰りは、山道の国道を走っていました。ただ、思い返してみれば、2週間前には、この国道で多くのクルマが立ち往生していたわけですから、自然に対しておごっちゃいかんのだなとつくづく思うわけで、今回のドライブのように自然から得るコトも多

#804 神宮前の納豆チャーハンと、iPhone5S一括0円祭と、東京、と。

イメージ
 最近、東京の生活に慣れてきました。毎年、この時期はそんなことを感じつつ、八ヶ岳を忘れていることにはっと気付きます。そして、こうして東京に慣れてしまうと、東京から離れられるのかなと思うことがあります。ほら、この今週末のようなiPhone5S一括0円+多額CB祭やらを見ると、やっぱり、東京だよな、って思うことありますから。そのほかにもあれやこれやと。  話がずれてきた。えっと、写真は、仕事関係で親しい人と、お礼をしたい人とで、先週にご飯した時のもの。写っているのは、チャーハンに納豆を採り入れたメニュー。まぁ、納豆に翻弄されることなく、チャーハンらしさを見失っていなかった、そんな逸品です。こうした感覚ってのは、やっぱり東京なのかなと思いましたし、やっぱり今の仕事を続けていく上では、東京から離れることはできないし、なんてことを考えつつ、この納豆チャーハンにパクついていましたが。あ、この日は3回もタクシーに乗りました。なんか、これってさ、東京の人っぽいなぁーと思ってしまいました。

#736 八ヶ岳まで、各駅停車に乗って、答えを探しに行ってきました、ってな話。

イメージ
 連休は唐突に行動しました。で、今日は思い立って、八ヶ岳へ。ただ、いつもと変わったことをしようとばかりに中央線の各駅停車に乗って出掛けました。といっても、山梨県内で、山梨出身の同じ学年のおっさんと待ち合わせをしてゴルフ6に同乗してのドライブではありましたけど。ま、珍しいですな、運転しないで、助手席に乗るってスタイルは。  朝の高尾駅は、登山手前のトレッキングスタイルな乗客が多く見られ、始発電車が到着するとあっという間に席は埋まりましたが、相模湖あたりでほとんどが下車してしまい、車内は写真のようにガランとなりました。待ち合わせ場所の甲府駅近辺までは2時間弱ほどでしたが、途中、寝落ちしてははたっと起きて、窓から見えゆく景色の変化……、ではなくって、まさに起きたらばがらっと切り替わっていた景色を眺めながら、時に深く考え事をして、時に浅く結論を出していたら、あっという間の到着となりました。  行く当てを定めずのドライブとなりましたが、いつものとおりをなぞりつつ、結局のところ、いつものままでいいを感じとって帰ってきました。八ヶ岳パイ工房のパイは、いつものようにもろく崩れましたが格好つけようとしなくていいことを教えてくれていましたし、人から教えてもらったけどほかには教えたくないパン屋さんでは、そこに集う人たちまで包み込んでくれるかような穏やかな日差しと、誰かを喜ばせるためだけにたたずんでいるかのような素直さあふれるパンたちとに、それでいいんだ、これでいいんだを教わり、やっぱり以前に訪れたことがあった洋食屋さんでは、あの時と同じ場所なれど、あの時とは全く別の時にいることを再認識。なんて、書き方をすると、すべてに無理矢理に理由付けしたかのようですが、ま、そんな感じでした。  そうそう大殺界の件は、それに振り回されなさんなよってことと、受け取りました。それが、おみくじの優柔不断にならぬように、へと繋がっていることを含めて、そんなあれこれを八ヶ岳から教えてもらってきました。大丈夫です、突っ走って、振り切ります。吹っ飛ばしますっていったほうが、ニュアンスとしては、近いかな。  ちなみに八ヶ岳はもちろん雪を被っていましたが、山麓は場所によってはごらんのとおり、雪が多く残っていました。雪がないところでも、日陰はアイスバーンがちらほらと。もちろん、帰りも中央線の各駅停車と