#836 適度な距離感がもたらす、八ヶ岳とのとても心地よい関係。


それにしても、我が家のV8/4.7L(グランドチェロキー)は相変わらず上機嫌で、ダンパーの減衰も低温ゆえか適切でして、アクセルをちょいと踏み込んでの走りが愉しい、愉しい、愉しい。シャシーのふんばりっつーのは、こういうもんだよなとひとりつぶやいてみたり、ヨー→ロールへの流れはスピードよりもその流れが大切であることを再認識して、頭の中であれこれとそんな文章を考えてみたり……。と、いつものワインディングルートを駆け抜けてきました。
八ヶ岳の春は、もう少し先となりますが、周辺では春らしさが始まっていました。甲府盆地では、桃が満開を迎えていまして、まさに見渡す限り、桃の花といった感じで、どこまでも続く春の色に桜よりも春らしさを覚えたりしましたが。あ、桜は、あちこち、どこにでも咲いていまして、わざわざ公園などへ立ち寄ることもなく、ただ、漠然と走っているだけで満喫できるという、例のごとく。ただ、さくら祭ののぼりに誘われて何となく立ち寄ってみれば、江戸彼岸桜ごしに甲斐駒ヶ岳が見えたりして(写真4番目)、公園という整備された場でありながら、それはそれで見所になっていましたが。何よりも、誰もいないこと、つまり、独り占めであることが、ポイントだったかとは思いますけども。
今回の八ヶ岳は、いつものルートを巡りつつも、ここではまだ書けないことが、たくさんありました。たくさんの新しい出会いとでも、言っておきましょうかね。八ヶ岳ってのは、飽きることがないというか、通えば通うほどに深みが増していく場です。ただ、言われて再認識したのですが、居を構えることなく、通っていることにキーがあるのだ、と。八ヶ岳とのこの良好な関係は、距離感があって成立しているもの。なくてはならない存在、でも、終の棲家としては考えていないことも、なんとなく認識したのですが。どうなんでしょうか、ね。