投稿

ラベル()が付いた投稿を表示しています

#950 リフレッシュってのは、日々の楽しさの再認識に意義がある、ってな話。

イメージ
 無謀というか、大胆というか、今年の夏休みは、八ヶ岳の貸別荘を5日間連続で借りまして、知人たちと過ごしてきました。  それにしても4泊5日は……、短かった。ほんとにあっという間でした。日々、イベントを予定してはいましたが、それほど大掛かりなものではなく、1日ごとにひとつずつ、お祭り、お招きに与って出かける、焼き肉屋、花火、程度。文字にすると、たったそれだけなんですが、それぞれがとてもとてもとてもとても濃いものだったので、その充実感と充足感とは、かなりかなりかなりかなり深く。何もないようですることは多く、そこには楽しさがあふれていた、ってな、そんな日々を過ごしてきました。  ここに掲載した写真は、そんな八ヶ岳でのシーンのあれやこれや。センスある人の手にかかると、食卓はこうも変わるかと驚かされ、ビートルカブリオレをオープンにしておっさん4人で乗って 、信州の奇祭に驚きを覚え、停滞する前線が作り上げた美しい景色に見惚れ、雨のために会場へ出かけること断念していた花火大会が行かずして別荘から見えたり、なんだかんだいいながらも青空が時折のぞいたり……。  写真から伝わってくるあれこれは、個性あふれる知人たちと、キャラクターの強いクルマと、大量のとうもろこしと地元の新鮮な素材とおいしいパンと、シェフの腕前と体験をベースにした深い話と、天気はイマイチでしたが、八ヶ岳という場所と、ま、そんなあれこれがもたらした相乗的な楽しさとでも言いましょうかね。  で、あらためて感じるのは、連泊という遊び方と、それを心に残るものへと引き上げるためのスタンスの大切さ。なんてことは、幾度となく語っていますが、ま、そういうことなんだと思います。簡潔に表現するならば、とことん遊ぶこと。後先ばかりを考えるのではなく、後先を後にして、とことん遊ぶこと。その、とことんぶりが深ければ深いほどに、得るものは相乗的に大きくなるものです。  リフレッシュとは、体力的な疲れを癒すことだけを意味せず、人生の過ごし方、楽しみ方を、再認識することに、その意義があるように思います。あとは、日常は持ち込まないほうが、より豊かになれることも再認識。テレビであるとか、東京でも買える加工食品とか。   あ、個人的には、体力的に無理を強いたとしても、得るものがあるのならば、それもリフレッシュと呼べるんじゃな

#912 結局さ、山形県の米沢まで、牛肉どまん中弁当を買いに行った、って話。

イメージ
 翌朝の新潟はゲリラ豪雨状態。この降り方だと帰路に予定している山道は通行止めになるなと思いつつ、とりあえずは、山形県は米沢へと向かうことにしました。何故に米沢か。理由は単純で、弁当を買いに行っただけのこと。いや、米沢にいる友達が勤務しているお弁当屋さんがテレビで紹介されたもので。しかも2回も。しかも、友人が出演していたし。ということで、一度は食べてみなければと思い 、出かけたわけですよ。  ただ、友達は日曜日ゆえに多忙のようでメールしても返信なし。ま、弁当を買えたらいいやぐらいに思っていたら、偶然に駅へと配達に出たところ(新幹線が到着する度にできたてを運んでいる)に出くわしたりして。互いに驚いたんですが、ま、これもまた縁というか、タイミング。不思議なものですな。ほんと、不思議。  こういうことがあると、そこから一気にいい方向、愉しい方向へと連鎖していくのが常。景色を見ながら弁当食べるべぇと思いつつ山道を走っていましたが、曇っているし、ガスも出ていまして、いい場所はなく。なので適当に停めて弁当を食べ始めたら、 なんと晴れた。それが2枚目の写真ですが、 青空がどんどん広がり、陽差しも強くなって、まさにドライブ日和になりました。  その後は疲労から予定とは異なるルートへ入ったものの、それはそれで良かったりして(写真3、4枚目)。もうこうなるってくると、エコスポーツとの一体感も完璧になり、なかなか決まらなかったシートポジションもぴたりと決まり、ちょいとハイスピード気味で疾走したりして、気分も爽快。  勢い余って、そのまま下道を走ったら、月曜朝の届けに向かって動き出したトラックの群れに巻き込まれ、それでもそのままに走っていたら、なつかしのスキー場を目にして一気に想いがあふれてきたりして。気付いたらトラックの群れは湯沢ICから乗ってしまったようで、 苗場を通過(写真最後)する際には、爽快ドライブになっていました。  あ、米沢から東京へ向かう時って、普通、苗場は通過しない? そうですね、そうでした。ということで、本日の走行距離は600km、そのうち下道が470kmほど。なんかさ、ETCの休日割引の率が減るからと、出かけたはずなのに、それほど高速道路を使わなかったというオチに……。総走行距離900kmに対して、高速350km、下道550kmか。ま、いいや。

#906 とうとう諦めて、苗を購入してしまった、今年のバジル。

イメージ
 それはある意味、屈辱的でもありました。というわけで、バジルの苗を購入。あれだけ種を蒔いたのに、あれだけ発芽したのに、なぜだか育たない。なぜ? どうして? 原因を突き止めたつもりが違っていたようで、あれからも育つことなく枯れてしまいました。もはや、気温も上がり始めていますし、種を蒔くことを諦めて、苗を購入してしまいました。ひたすらに悔しい……。でも、バジルがないと困りますので。っていうか、これでは、今年分には到底足りなかったりするのですが……。  画像はクルマのカップホルダーに収まる、2株の苗(バジル+セロリ)。ポッド系の苗をクルマで運ぶ時、ここがいちばん安定するのですよ。

#875 ポテトチップスとAQUANOMEと高尾山と春菊とテントウムシの話。

イメージ
 5月中に取材&執筆と予告されていた仕事が、すべて6月にずれ込みました。そもそも6月はクラブレガシィの発売月でありますし、レガシィの年次改良が行われる時期でもありまして、毎年忙しいのが常でした。なのに、そこに仕事が大量に。ま、仕方ないですな。  というわけで、大混乱が予測される6月を前にのんびりと5月を過ごしています。今日は、 夕方になんとなくポテトチップスが食べたくなって ジャガイモをスライスして揚げ、そしたらば、なんとなく高尾山を見ながら食べようという気分になり、そうだと思い立って友達からもらった台湾のお茶を入れて、バルコニーに座ってぼけらっと。いいジャガイモを使うと、そこに塩は不要だなとか、やっぱりいいお茶は心を和ませてくれるな、なんてことを感じつつ、そんな 幸せな時を過ごしていることにひとり酔いしれていました。まぁ、こういうシーンにはEPOの AQUANOME (iTunesへリンク)のMかAQUANOMEあたり がぴったりでして。なんていうんでしょうか、流れてくる曲のどこかが、今であったり、昔であったり、これからであったり、イヤなことであったり、愉しかったことであったり、そんな自分の中の何かとリンクして、 豊かな気持ちにしてくれるもの。全てをプラスに転じてくれるというか、肯定してくれるというか、これでいいんだを感じさせてくれます。  そうそう、高尾山から目の前のプランターで終焉を迎えている春菊に目を移したら、とある変化に気付きました。少し前から、アブラムシの天敵であるテントウムシの幼虫が住み込んでいたのですが、いよいよ変態の時期を迎えたようで、何匹かがサナギになっていました。ただ、 まだまだ動き回ってアブラムシを追いかけているヤツもいましたから、同じ兄弟であっても、その成長には差があるようです。  ちなみに、 都内に住んでいた時は、テントウムシを見かけることはほとんどなく、もちろん、我が家のバルコニーにやって来ることもありませんでした。ですから、アブラムシの駆除はひたすらに歯ブラシをもってはねのけていました。なんてことを考えていたら、やっぱり、自分にとって都内は住みにくかった地だなと、あらためて思ったりしましたが……。

#860 食材に力があるならば、調理方法は簡素でいい、ってな話。

イメージ
 とてもいいパン屋さんがあるからと友達に誘われて、八ヶ岳を一周してきました。というか、八ヶ岳の北側にあったので、結果、一周していました。そのパン屋さんは、 分かりにくいことこの上ない場所にあるんですが 道案内も出さず、って、あえてのことだそうで。  そんな店舗ですから、ご想像のとおり、 分かりやすくいえば、イマドキなオーガニックテイストにあふれており、店員さんの言葉使いにおや? を感じて、ふっと訊いてみれば、やはり東京からの移住だとか。いやはや、そんなライフスタイルにうらやましさを感じましたが。  写真上は、そのパン屋さんでのランチプレートなるもの。よくいえばオーガニックテイストにあふれ(この言葉しか出てこない)、悪くいえば簡素。質素とは違う簡素。ただ、こういう質素、いや、簡素は大好きだったりします。素材をそのままに生かした調理方法と言いましょうか、調味料はあくまでも脇役たる存在に止める、そんな調理方法。パンに何も付けず、野菜にも味を大きく加えずに食すことを好む者としては、これで十分、というか、これがいい、と。もちろん、そこには食材そのものが持つ、力強い味があるってことが前提ではありますが。  なんてことを考えると、都会で売られている、力(味)のない野菜以外を手に入れられる幸せを、いまさらに再認識しました。

#842 タケノコの、心ほどいてくれる春の味わいに、心ほぐれた話。

イメージ
 今日は静岡にいましたが、一昨日は京都にいました。さらに、その2日前は静岡にいました。で、明後日は再び静岡にいます。1日おきに東名高速道路を走っていますが、狙ったわけではなく、偶然に続いています。それぞれの走行距離も400km/日を超えていますが、苦にはなっていません。  今回、京都では季節を愉しんできました。いや、桜は終わっています。でも、まだ、春は残っています。画像は、そんな京都での春のシーン。説明することもなく、おわかりのとおり、タケノコ。ほんわりと笑みを浮かべたくなる甘さと、わずかに残されたアクと、硬さの中にあるしなやかな食感による、心をほぐしてくれる味わい。 作り手の繊細さが感じられるような味も手伝って、まさに、春の香があふれていました。それにしても、タケノコってのは、どうして、こうも春を感じさせるんでしょうかね。あ、心ほぐすってのは、春にも、タケノコの味わいにも共通していることであり、だからそれがリンクして 、そう感じさせるんだな……、なんて無理矢理に繋げてみますが。  いずれにしても、こうして豊かな時を過ごすと、モノゴトの見方もふっと変わるものであり、そうなると、感じたことを口にできるものです、素直に。そして、こういう流れって、とってもいいことだなと感じます。ということで、今回の京都も、親友のおかげで、あれやこれやと発見が多いドライブとなりました。ま、そんなあれこれは、そのうちに、心落ち着いたらば。

#841 今年は無理かと思っていたけど、出会ってしまった、省きなイチゴ。

イメージ
 新しく完成したという墓地の見学へと静岡まで出かけたのですが、って、そんな理由はいつの日かするとして、その墓地のそばにあるイチゴ農園で、省きなイチゴに出会いました。写真がそれなんですが、こぢんまりとした粒に見えるかもしれませんが、これが超大粒。カタチが不格好ゆえに省かれたイチゴですが、味は変わらず、1箱500円だったもので、ついつい買い占めを。といっても、残りは2箱でしたが……。  そういえば、たまたま昨夜、友人より「イチゴがたくさんあったらどうする?」と訊かれて、答えたばかりでしたが、我が家では、やはり砂糖で煮込んでおきます。ジャムにしてもいいのですが、料理にも使えるようにと、その手前で火を止めて、で、冷凍なり。  気付いたら、冷凍庫のジャム(手前も含め)も、残りわずかになっていました。この先、どうしようかと思ったのですが、あと3か月もすれば、ブルーベリーも桃も始まります。季節を感じ、そして、慈しむって、とてもいいなと思った次第で。

#834 元を取れるかどうかにポイントがある、バルコニー家庭菜園の極意。

イメージ
 最近、よく訊ねられます。バルコニーにおける家庭菜園にて、手軽に作れるものは何でしょうか、と。この場合の手軽とは、たぶん、ビギナーでもとか、多少の世話をしなくても、を意味すると捉えていますが、まぁ、あれこれとあります。  家庭菜園において、オドロカシが大きいのは、やっぱり茄子でしょうな。それこそ手間が掛からないわりに、それなりのサイズを収穫できますから。ただし、個人的には勧めません。なぜか。それは買ったほうが安いから。家庭菜園は基本的に季節に従うことになりますが、茄子の収穫時期は早くて夏前、そしてなんだかんだで夏以降。まぁ、これが自然の流れでして。つまり、スーパーで5つで100円とかで売っている時期。まぁ、適当に育てても、最初の花芽と別れた芽から1つずつ、合計3つはなりますが、失敗するとそこで終わります。つまり、苗代を考えると、 買ったほうが安くなると。 そうなんです、ヨシダの家庭菜園は、簡単に作れるだけではなく、購入する以上の利点を見いだすことにあります。家庭菜園で採れた野菜は美味しいからいいじゃないか? いや、たぶん、それ、新鮮なだけだと思います。だったら、採れたてを売っているところを見つけたほうが、とっても効率いいと思います。 すみません、冷めていまして。  というわけで、そんなヨシダオススメのいくつかを紹介しておきましょうかね。  って、ずばり、ししとう、ミニトマト、インゲン、唐辛子。いずれも、栽培が簡単で、いずれも鈴なり状態になります。つまり、苗代やら種代を大きくクリアできる作物です。ししとうとミニトマトってのは、言い換えれば、ピーマンと普通のトマトの代わり。いずれも、実がそれなりの大きさになるため、木に対する負担が大きくなり、先ほどの茄子同様に、元を取れるほどは収穫できません。 トマトは、特に病害虫に弱いことやら、仕立て方やら、ちょいとクセがありますので、なおさら。でも、ミニトマトならば、そこまで負担を掛けずに、簡単になります。ミニとはいえ、単価が高いですから、それなりの量で元が取れます。 ししとうは、同じく数がなりますので、元を取れます。ちなみに、どう使えばいいか? って、まぁ、ピーマンと思えばいいわけですよ。そのサイズから肉詰めはできませんけど、何なりと使えます。  インゲンは、バルコニーでしたら、つるなしにしておけばいいかなと。こやつは、苗

#814 関西の春の風物詩、いかなごの釘煮が送られてきた、話。

イメージ
  京都より、手作りのいかなごのくぎ煮が届きました。(抜いた)釘に似ているから釘煮だそうで、そんなネーミングにセンスを感じます。関東だといかなごそのものに馴染みがありませんし、ましてやその佃煮になればなおのこと。まぁ、今回の原発事故で福島・茨城沖のこうなご(いかなごの別称)漁の話が出て、いかなごの存在を知った人も多いかと思われますが。ちなみに、きびなごとは違います。  さて、その釘煮。まぁ、味付けが上品でありまして、サイドビジネスで佃煮屋さんを開いても十分に通用するものでした。なんていうんでしょうかね、ちゃんと手間を掛けないと、生臭が顔を出したり、山椒やら生姜やらの強さだけが目立ってしまうのですが、佃煮でありながら、魚であることがわかり、佃煮でありながら、複雑な味わいにあふれているという、不思議な味付け。ま、ご本人のセンスゆえのことでしょうな。って、O型らしいですが。  それにしても、この釘煮、佃煮なのに季節があるそうです。って、佃煮ってのは、保存食であるがゆえに、季節感とは無縁だと思い込んでいました。関西(瀬戸内海)では、材料となるいかなごは、この時期のみに獲れるのだそうで、それゆえに、 関西、特に神戸周辺では、この時期の風物詩となっているのだとか 。  こういう季節感って、とってもいいですな。そんな風物詩を送ってくれるという心遣いも、また、とてもいいものなのです。

#806 値上げしつつも、ちゃんと続けていた、不二家ケーキ食べ放題。

イメージ
 かなり以前、不二家のケーキ食べ放題の話をしましたが、あれっきりチャレンジすることなく時は過ぎておりました。いや、特にチャレンジしたいとも思っていませんでしたが。で、久しぶりに不二家を訪れてみれば、まだ、やっていたんですな。ただ、親友によれば、ケースに並んでいる全てではなくなり、いくつかは選べなくなっているようで、ちょっとだけ変わっているようです。で、ふっとその価格を見て、何かが違うと感じたのですが、まぁ、消費税増税分の前段階の値上げかね、なんて話をして帰ってきました。  が、調べてみれば、やっぱり価格は変わっていました。スタート当初は税込みで1180円(食事すると880円)→今では税抜きで1380円(同1090円)ですから、かなりの値上げとなっていました。4つ食べれば、元を取れるという計算になりますが、そのラインは簡単に超えられ、 不二家側の思惑とは違ってしまったんでしょうな。  不二家といえば、たまたまですが、生まれは九州、関東へ出てきて横浜住まい、でも、今は九州に戻ったという友達(ひとつ下)と、本日、不二家話になりました。共に知っていた店舗は、今はもうないって内容だったんですが、やっぱり、幼い頃の 憧れであり、大人になってからも特別感は変わらなかったって。だから、そんな不二家のケーキを食べ放題できることに、叫びたくなるようなワクワク感を抱いてしまうわけです。今の子どもたちに、こういうワクワク感あってあるんだろうか。何でも簡単に手に入るようになってしまった時代ゆえに。  とか書いていたら、不二家ケーキ食べ放題、再びチャレンジしたくなってきましたな。

#789 牡蠣からもらったのは、ノロウイルスと、考え方次第って捉え方。

イメージ
 雪かきした直後まではよかったんですが、その日の夕方からなんか胃がもたれるのとは異なる、消化しない感があり(いつもだったらたらふく食べても30分ほどでハラヘッタという)、なんとなくの異変には気付いていました。しかし、雪かきしたからだろうと思って、ちょっとスパイシーに作ったカレーをたらふく食べてみれば、さらに消化しない感が強まって……。  結論、ノロウイルスにやられていました。振り返ってみれば、その2日前に牡蠣料理で愉しいひと時を過ごしてきましてね。ま、それが直接の原因かどうかは不明ではあるんですが、いちばん怪しいのがこの牡蠣。いや、以前に広島取材で訪れたことのある店舗であり、とーってもいい店で、とーっても美味しかったのですが、見事に“当選”してしまったようです。しかも、自分だけ。  ま、ノロウイルスは過去にも経験があったので、ひたすらに耐えるしかないことを覚悟していましたが、さらに雪かきの筋肉痛も相まって、まさに動けぬ状態。そこへ山梨の状況があれやこれやと伝わってくるもんだから自分が動けないことが悔しいと言いますか、ま、動けたところで国道も高速道路も閉鎖されていますからどうしようもないのですが、まぁ、ひたすらに耐えた1日となりました。  牡蠣はもうしばらくは食べたくない? そんなことはありませぬ。むしろ、あれこれと考えるきっかけになりましたし、何より、牡蠣を囲んでの雑談がとーても有意義だったので、牡蠣を責める気などありませんし、以後、牡蠣を食さないつもりもありませぬ。やっぱりね、考え方次第なんだよなって思うわけですよ。誰かのせいにするのは簡単、でも、そうしないことで得られるものがあるってこと、とでも言いましょうかね。  たかが、牡蠣、されど、牡蠣なのです。意味不明ですな。

#772 ひとりよりふたりのほうがいいけれども、鍋はひとりでもかまわない、話。

イメージ
 ひとりでいることは嫌いではありませんが、ふたりでいるほうがいいとは常々思っています。そう、思っています。でも、ひとり鍋は割と好きだったりします。単純に、自分が食べたいものだけをひたすらに食べていられるからという、つまらない理由からです。こうして文字にすると恥ずかしい気分になってきますが、単純にそんな理由だけのこと。  ちなみに、そんなひとり鍋の具材はとっても単純。葉物野菜だらけ。あとは、大根とにんじんがあれば幸せ。タンパク質として併せるのはコストパフォーマンスから鶏肉。って、水炊きと言えば少しだけ上品に聞こえるかもしれませんが、素材の味を愉しむという意味合いと、簡単だからというただそれだけのこと。で、美味いポン酢があれば十分となもし。逆にいえば、いい素材と、いいポン酢がなければ、成り立たないとも言えますが、我が家には探しに探してたどり着いたポン酢がありますし、我が家のバルコニーで栽培している野菜もありますし、JAの農産物売り場が近所にあることから、それらに困ることはありません。  もちろん、いろんな味付けの鍋も好みですが、ひとりの時は面倒が先に来てしまうので、ついついこうなります。といいつつ、これだけ野菜を詰め込める鍋ってのも、贅沢といえば、贅沢だったりもしますな。

#768 釜飯を食して45歳の悩みを話しつつ、その値段に不思議を覚えた、話。

イメージ
 昨夜は、突然に知人(同い年)が来訪しまして、野菜系というか、農業系な人だったので、野菜だらけの鍋でもいいかなと思ったのですが、 ずっと気になっていた近所の釜飯屋へと出かけ、45歳どおしで悩みなどを語ってきました。いや、悩みってほどではありませんけど、賃貸がいいのかとか、将来どうするのかとか、そんな話。毎度のことで、結論は出ないんですけどね。  話の内容はさておき、その釜飯屋というか、釜飯の話。いや、そもそも、釜飯の単価って、なぜに高めなのでしょうねって、ふと思いましてね。ま、注文が入ってから炊くとか、季節の素材を入れるとか、味付けがとか炊き方がって、ちょっと特殊なのかもしれませんが、冷静に考えると、全く特殊ではなく。具材を入れて放置という調理方法はとっても単純。火加減ったって、ワタクシのは焦げず、張り付かず、でも、焦げの風味ありというジャストな炊き加減でしたが、知人のは強い焦げ付きがあるってな具合。そう、炊き加減に完璧を極めるのはもはや釜をスケルトンにして見られるようにするしかないわけで、つまり、特殊技能代にはなり得ないと。ま、味わいに通じる炊き方ってのはあるか。  あとは、雰囲気代。そもそも、店舗は、街灯のない道の奥にひっそりとたたずみ、テーブルは掘りごたつで、品格は別にして適度に手入れされた庭やらの、雰囲気。あ、釜飯の味は悪くなかったんですよ。というか、美味しかったし、お客さんがあった時に、連れていける食事処でした。でもね……、って、話です。

#724 抜いても抜いても、食べきれない、贅沢な葉物野菜の悩み。

イメージ
 葉物野菜が高騰しているそうで。我が家では、野菜は直売所で購入することが多くて、 スーパーの野菜売り場はあまり立ち寄らず、その相場が分かっていなかったりします。で、なぜだか、昨夜、電話で春菊の価格の話になったんですが、最近は300円を超えているそうで。いやー、高い。というか、12月に248円だったとか、そんな話を年末にした覚えもあるんですが、さらに高騰ですか。いやはや、いやはや。なんて話を 、40歳過ぎたおっさんどおしで夜な夜な語り合っているのって、どうなのさって思うわけですが、まぁ、いいでしょう、こういうおっさんってのも。  さて、我が家の春菊は、手抜きビニールハウス化によって大暴走。ハウスの中でもはや成長するスペースがなくなり、手が付けられなくなっています。本来、春菊は、根っこごと抜かずに、ある程度で切って収穫して、そこから芽が出てきて、また収穫してを繰り返すのですが、我が家の場合は種を蒔きすぎたもので 引っこ抜きまくってます。 いつになったら、刈り取るなんて穏やかな収穫ができるんだろうと思いつつ、ドシドシと抜いてます。 画像は、春菊に気を取られていたら、やはり暴走していたほうれん草。こちらも種を蒔きすぎて、たいへんなことになっていますが、もはや、雑草を抜くように採るしか方法はなく。  ま、いずれにしても、高騰分以上を収穫しており、種代を考えると、満足できるんですが。そうそう、こちら高尾は、週末には最低気温-7度という予報が出ております。さて、どんな寒さになるやら。ってか、さすがにアロエをどうにかしないとまずいかな。

#721 年始早々から、豊かな食に出会えましたという、自慢話。

イメージ
 たまにね、なんでも お任せしてしまうというスタンスが、相手に悪い意味でのプレッシャーを与えていないかなと考えることがあります。いや、意外に考えていたりするんですよ。空回りも多いですけど。こちらは、何でも愉しんでしまえる性分ゆえに、お任せしていますからして 、それが珍しいでもいいし、地元産であってもいいですし、安いでもいいですし、高いでもいいですし、もちろん、美味いでもいいですし、その場の雰囲気でもあっても、作り手との会話でもあってもいいのです。結果として、その食をともにする人と何かを語れて、そして、そこから話が膨らんでいくような、つまりは、お腹を満たすだけではなくて、その時を豊かなものへ導い てくれる、そんな食を 期待してのお任せといえましょうかね。  という表現をしますとね、ますますにハイレベルを要求しているように思うやもしれませんが、結局のところですね、 あれこれと懸命に 考えてくれること、それがいちばんうれしいのです。それさえあれば、こちらはしっかりと受け取って、ストレートに、そして、ニュートラルに、応えられるもの。 ちなみに、食べ物に対しての嫌いがないことも、それを助長しているのでしょう。  年始のあれこれでは、そんな心遣いにもてなされてきました。 ここに掲載した写真はその一部 。これも何度も書いていると思いますが、食は生きるためのすべての基本。それは有機物を取り込むという従属生物的な意味合いだけではなく、心を豊かにするための基本であって、何かを学ぶ基本であって、人とのつながりを愉しむためのベースです。もちろん、作業であってはならないし、妥協してしまうのは理想ではない、と。 まぁ、そう堅苦しく考えさんなと思われるかもしれませんが、こうしてあらためてもてなされ、そこから広がりを感じますと、やはりですね、食の大切さを実感するわけです。  ということで、美味いものに出会ったことはもちろん、そんな豊かな時をもてなしてくれたことに対しての感謝と、そして、自慢な話でした。