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#459 机上では湧き出さず、行動によって湧き出す、クリエイティブなキー。

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  今、アタマの中はデリカD:5一色になってます。クルマを買うって話ではなくって、仕事の話。近々発行されるデリカD:5のムック本の執筆最終段階なもので。ここのところ、ナルハヤにまでに締め切りは追い詰められ、目の前にあることをこなすので精一杯という日々を過ごしていますが、そんな最中の昨日、ロングドライブ取材がありました。いや、突然ではなく、当初から予定はされていたんですけどね。こうしたバタバタというのは、仕事をテキパキとこなせる人にとっては、たいしたことないスケジュールなのでしょうが、ギリギリまで追い込まれることを不得意とする者には、逃げ場が見えない状況に対して少々パニック気味となってしまうものです。  そんな話はさておき、デリカD:5ですな。昨日は海から山まで、風情を撮影しながら移動。走行距離にして500kmオーバーですから、単純にクタクタになっているはずなんですが、充足感はとても高かった。まぁ、いつものことですが愉しかった。単純にドライビングが楽しいというのではなく、モノづくりをしている感にあふれていて、とても愉しかった。もちろん、撮影する風景はあらかじめ決めてから出かけていますが、いつも予定どおりには行かず、でも、いつも、いい方向へと転がる。で、東京へ戻って写真を見たら、これがもう想像以上。現場にいたのに、そこに切り取られていた風景は想像以上。こうした刺激に浸っていると、自然に文章がわき出してくるものです。まぁ、これぞクリエティブの醍醐味か。だから、この仕事を諦めきれないんでしょうな。  写真は、最終撮影地点にて。ここでのワンカットを撮影するために、200kmを走りましたが、経費で語るならムダ、クリエティブの観点から語るなら意義あり、となりますな。あ、この写真はヨシダ撮影であって、掲載される写真はレベルが違いますので、あしからず。  さて、冷めないうちに文字にしないと。

#458 不安定、…中略…、でも快適な、Macminiライフ。

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 PowerMacG5からMacminiへ移行して、…中略…、快適です。そう、ここまで来るのに、実はあれこれありました。細かいネタではありますが。  まずは、外部接続のSSDの起動不調。 …中略…、ケースを換えて終了。いや、そもそも外付け起動を考えていなかった時に購入したケースだったために、起動したり、しなかったりと、かなり不安定。やっぱり外付け起動は危ういかなと思いつつも、起動するらしいという情報をもとに新しいケースを購入。結果、起動についての不安定さは消え去り、さらにSATA3対応だったこともあって、 スピードもアップ。ごくたまに見失うこともありますが、対策方法はわかっていますし、まぁ、いいでしょ。  次が、まさかのブラックアウト。多発しているトラブルと同じように一時的に信号を見失ったかのように画面が消え、そして復活。まぁ、戻って来ますから……、と、ここまでは良かった。その後、幾度か症状が出た後に、完全に信号を見失うという事態に。原因をさぐるべくあれこれと、 …中略…、Appleのサポートに電話しながらあれこれ試していたところで突然に復活。そこからはエラーログを拾うこともできず、原因不明のまま、終了。というわけで、いちおうひと段落。  素直に使えばいいんでしょうけど、あれこれ画策するがゆえのことで、こうした外部機器との相性というのは、考えてみれば当たり前なのかなと。以前よりも、外部機器との対応を広げたAppleにとっては、面倒な時代になったんだなぁと思ったりもして。  画面は、デュアル起動状態。いわゆるデュアルディスプレイ状態ではなくて、2台が起動している状態。左がPowerPC、右がMacmini。なかなかいい使い方かもしれません、これ。いや、ほとんどしませんが。

#457 壊れたiSightを眺めながら、ついつい振り返ってしまう、あの頃。

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 くだらないことを書いた後は、すぐに何かで被せない(トップに来ないようにしない)と。というわけで、えっと、モビリティパーク云々につながるような懐かしさネタをもうひとつ。  ここ最近、活用していなかったんですが、Macmini移行にあたって、あれこれ配線を整えたついでにiSightもつなげました。ところが動かなくなってました。そもそもこのiSightは、WWDC2003で発表されたiChatAVを活用するために発売されたWebカメラでビデオチャットを体験したいがために、速攻で購入した覚えがあります。振り返ってみると、あの頃のWWDCでは、毎回、まさに度肝を抜かれる新しい何かが発表され、ワクワク・ドキドキしていた覚えがあります。で、それを体験したいがために、速攻で注文というのも、いつもの流れだったな、と。  YoutubeにアップされていたWWDC2003のKeynote ( ■ ) を観ながら、これを書いていますが、まさにあの時のドキドキがよみがえってきます。いやー、良かったですな、あの時代は。ってか、あの時代に、 すでにこのレベルで、UIとクオリティ備えたビデオチャットを提案していたことを考えると、まさにいやはや、ほんとにいやはや(ほかは、動画というより紙芝居レベルのカクカクレベルだった)。ちなみに、このWWDC2003の時に、PowerMacG5も発表されてます。いやー、衝撃が大きかったWWDCでしたっけね、とても懐かしい。  iSightは、トータルで2台購入したのかな。今回、使えなくなったのは、最後の1台。こうして、故障によって、その役割を終えたiSightを眺めていると、やはり、同時にひとつ時代が終わった感を覚えたのでした。

#456 ラジオを聴いてて完全にフリーズしてしまった、ポニーテールリボンズ。

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 先日、伊豆取材からの帰り道、ラジオを聴いてて、とてつもない衝撃を食らってしまいまして。開いた口がふさがらないというか、鳥肌モノというか、まさにフリーズしてしまった感とでもいいましょうかね。  番組は、インディーズを紹介するってな内容で、最終回ゆえに最も話題になった人(たち)を呼びましょう的な構成でした。 で、そこで出てきたのがポニーテールリボンズって沖縄の方々。スタジオライブってなスタイルでしたが、流れてきたのが「おじさん おばさん」って曲。 いや、ひたすらに、おじさん、おばさんを連呼するという、なんともな曲なんですが、これが、もう、いい。ひたすらに、いい。どこがいいって、忘れたいのに、耳から離れないっていうレベルの、良さ。 言い換えれば、くだらないって表現もできるんでしょうけど、自分的には、このマジメなくだらなさ、というのが好きでして。今風にいえば、ヤバイってやつですな。 似たところでは、イカ天のブラボーとか、ムーブメントとしてはMuneo House的な。でも、初音ミクじゃないって感じ。ああ、コミックバンドね? それだと、米米CLUBとかでしょ? と思われるかもしれませんが、自分的には別物といわんばかりに違うんです。はい。  ちなみに、帰宅してからあれこれチェックしたら、CD版はちゃんとスタジオ録音サウンドになってて、この作り込み感も好印象。アルバムには、さよなら草食系男子とか、モアイ大好き金城さんとか、もう、タイトルでやられまくりな曲も揃っていまして、もう脱帽もの。で、さらに調べていくとどうやらライブがかなりおもしろいようで、と、探ってみたら、Youtubeにライブ動画を発見。ところが、そこで観たのは、まさに振り切れた感あふれるパフォーマンスぶりでして、かなりの恥ずかしさを覚えてしまいました。なんか、観なければよかったかなって気分に……。  あ、聴いてみたと思った方はクリックあれ。 →  ■  (iTunesでの試聴、非アフィリエイト)  そうそう、アルバムジャケットには著作権があり、やたらに貼れないないんですが、アフィリエイト経由にすると、OKになるそうで。というわけで、右上の画像には、Amazonのアフィリエイトが張ってあります。ご了解あれ。

#449 伝えるという意図は同じでも、手段が違う、語るという仕事の話。

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 ムービーにて語るという仕事の依頼が来ました。そもそも、フリーになった時、こうなれたらいいなという理想3本柱がありました。ひとつはインタビューされること、2つ目は動画や講演会やら語りを求められること、3つ目は自身の名前で単行本を出すこと。これで3つ目以外はすべて実現できたことになりますが、ここまで、長かったなぁと振り返りつつも、まぁ、良く実現できたもんだと感心したりもしています。こういう書き方をしますと、誤解を生む可能性があるのですが、そもそも書くことは苦手です。共通一次試験の国語(マークシート)の現代文(200点中100点配分)にて漢字以外すべて外したことがあるほどに。  では、何故、ライターをしているかといえば、端的に言えば、自分が感じたもの、発見したものを、他の人に伝えるという仕事がしたかったからに尽きます。まぁ、いつしか書きますが、ただ、その手法は文字ではなく、動画だったので、道は少々ずれていたりしますけども。といっても、語り手になろうとは思っていなかったかな。  そんなこんなで依頼があった語りの仕事ですが、不思議なもので、最初に就職した会社からのオファーでした。フリダシに戻ったとは違う、なんていうんでしょうかね、縁というか導きというか。で、そのコンテンツですが、新型クラウンについてあれこれと語りました→ ■ (クリック・別ページにて)。 ちなみに、台本やらは考えずに、行き当たりばったりで話はじめてます。その割には いいんじゃないかと自分で思ったりもするんですが、いかんせん、体がぐにゃぐにゃと動き、頭がぐらぐらとしており 、かっこよくない。これは昔からなんですが、意識しないといかんですね。 そうそう、17インチがベスト的な発言をしていますが、かなり個人的な意見からすれば16インチがいいなと感じてたりもします。はい。

#361 音声認識文字入力を使って分かった、今の自分に適した原稿書きスタイル。

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 モノゴトを考え、そして表現する時に、PCのキーボードが不可欠となっていることに気付きました。というのも、新しいMacOSにも採用された音声認識入力を使って原稿を書いてみたのですが、これがなかなか上手くいかない。いや、変換に期待はしていません。どうせ、校正しなきゃいけないのですから。 あくまでも、メモ的に、そして、キーボード入力よりも速く入力できればいいと。ちなみに、これまで キーボードでの入力の不満として、ミスタッチをした瞬間に 頭で思い浮かんだ言葉が 消えることがありました。ですから、音声入力によって、頭に浮かんだままに文章が書ければいいな、と期待していたわけです。つまり、イージーさよりも、表現手段としてって意味合いですな。  で、結果ですが、そういう観点からすると、音声入力システムは使えますが、自分が慣れていないので、そこになかなかの苦労がありました。頭に思い浮かんだ言葉ながらも口にする前に、頭の中で再考してしまうのです。たぶん、これって、 原稿書きが鉛筆からワープロへと変わった時、キーボード上で文字を探してしまった、あの感覚と同じです。なんてことを考えていたら、自分に最適なのはキーボードのような気がしてきました。少なくとも現時点では。頭で思い浮かべながら、それが直結してキーボードを叩くことができますので(この文字入力はキーボード)。あ、実は、キーボードを叩きながら、人と会話することができます。もちろん、違う内容を。特技ではないんですね、これ。あれです、ピアノを弾きながら、会話するのと同じ感覚といえば、分かりやすいか、な。  ちなみに、画像の右下にあるのが文字入力直後の原稿。まるで、誤訳したかのような文章となっていますが、本人は内容を理解していますので、修正することに戸惑いはなく。ちなみに、3000文字を30分ほどで完成。コストダウンの世の中ゆえに、と考えると、音声認識による文字入力は有効な手段かもしれません。

#360 いい加減とは異なるラフさ、から生まれる、クリエイティブな愉しみ。

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 ここのところ、どたばたと日本各地を訪れつつ、久しぶりにのびのびとした気分でできる仕事が続いています。それは心地よい仕事とでもいいましょうか。久しぶりに、本を作るという作業の歓びを再確認しております。いや、最近の仕事がつまらなかったとは言っているわけではありません。あしからず。  その、のびのび感とは、お任せという意味合いのフリーがベースなっていますが、適当とかいい加減さがあるわけではなく、 緊張感が付きまとうものだったりします。初体験や初対面はもちろん、どうにかなるんだろうかといった不安がありつつも、スタッフ頼みも含めて、どうにかなるさも、どこかに感じつつの緊張感。で、結果として、どうにかなり、その仕上がりは期待を越えるものになっています。これぞ、心地よい仕事であり、クリエイティブな醍醐味。  で、こののびのび感は、企画の構成を他人に伝える時に書くラフにも表れています。画像は、今回のラフのひとつ、一部ですが、いい加減ギリギリです。でも、この加減が重要。デザイナーさんに、デザインする余地を与えつつ、編集者(ライター)としての意図を伝える。この場合、キーとなるのは、クルマを意味する落書きから引き出された、「ジムニー  ね.」、の、「 ね」の部分。「ね」の前は半角空きとなっており、これが重要。この文字面から、意図を引き出してくれるかは、デザイナーさん次第ではありますが、引き出されると最終的に意図しないような、いい仕上がりとなります。まだ、デザインは上がってきていませんが。  フリーで仕事をしていると、ついつい個に陥りがちですが、やっぱり、ほかの人との共同作業によって想像以上になることが、この仕事の醍醐味。イマドキのカタカナを並べるならば、 コラボして、ケミストリーして、シナジー云々とでもいいましょうか。  さて、このラフの作品はどう仕上がるでしょうか。9月末発行だそうです。って、間に合うのか、な。自問。

#338 省みることで発見できる、誤植、じゃなくて、自らのスタンスとこれからの姿。

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 本日、執筆したクラブレガシィが一冊の印刷物となって、手元に届いたのですが、これ、あの時はまだ校正紙でしたっけ。今となっては遠い昔のことのように感じるのですが、あれは先週のこと。 というわけで、現行型D型レガシィが大特集されている今号のクラブレガシィですけど、あれやこれやと思うこと、思い付いたことありましたので、そんなことを書き連ねてみようかなと。こういうのは初の試みかな。いや、反省点とか、言えなかったこととか、そういう内容ではなくってさ。  まず、あれですな、94ページの「今いま直ぐすぐ」って、タイトル書こうとしたら気付いた、これ誤植? 校正見たのではないか? えっと、ま、いいや、えっと、その、中古車調査云々企画のとこですが、これ、取材したのは、WWDC2012が開催された日でして、RetinaのMacbook proが発表になって、すごいぞ、これと興奮したままに、ほとんど寝ずに朝7時には取材班と集合しています(上の写真はその朝の撮影のもの)。というわけで、ここで使われているメイン写真に写っているワタクシは、ほぼ徹夜明け、かつ、頭の中はRetinaのMacbook proが渦巻いています。その割にまともに写っているから不思議なのですが。まぁ、写真といえば、特集中のコメント部分で使われている写真、なんと数年前と同じ服を着てました。できるだけ重なることがないように気を遣っているつもりなのですが、ダメですな。アウトバックのところのシャツは初、でも、アウトレットで1500円だった。なんてことはどうでもいいや。  今回のクラブレガシィは原稿納品した後に、編集部を訪れて校正作業をお手伝いすることを試みました。校正しながらも、半ば自分の中ではひたすらに反省会になっておりましたが、作業しながら編集長とあれやこれやと、こうしたほうがいいとか、あれはこうだったとか、その場で話をしたことで、この本とどう携わっていくべきか、まぁ、つまり書き方やらが見えてきたような気がしました。というか、自分が見えたというか、再確認できたといったほうがいいのかな。そう、時にではなく、必ず省みることは大切です。冷めないうちに。すると発見が多いですから。 というわけで、明日はFJクルーザーな反省会なのでした。  あ、下の写真は、編集部にて。手前は自前のMacbookAir、奥は編集長のPowerbo

#315 まさにいやはやしか言葉に出てこない、最新のgleeとSMASH(本国)。

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 海外ドラマネタです。この前、気付いたのですが、ERやらCSIやらHOUSEやらを見ていたら、そこにあふれている 解剖やら死体やら血といったシーンを目にしながらでも、ご飯を食べられるようになっていました。まぁ、実物は、こんなに整った姿、カタチではないでしょうから、実際にそれができるかと言えば、それは違うような気もしますが。とはいえ慣れとは恐いなと思ったりもしましたが。慣れといえば、最近の海外ドラマに必ずといっていいほど登場するゲイについても同じ。でも、これがアメリカの今なのか、と思ってしまうのは、先と同じように違うんでしょうな。こういうのは、慣れじゃなくて、思い込みとも言うのか。  さて、海外ドラマ。先日、本国でgleeのSeason3前半が終了しましたが、生徒の自殺→地区大会→カークラッシュ(その瞬間で終了)と、ちょいとイベントを盛り込み過ぎな気がしました。ここから後半再開までは数週間空くようなので、こういうネタ振りもありなのかもしれませんけど。それはさておき、Lea Micheleは、その安定感を含めて、なんだかんだいいながらもいいと思いました。West Side Storyの時にA Boy Like Thatにてハイトーンを出したことにも驚きましたが、今回のHere's to usでの、力強さあふれる高音域と、転調時のスムーズな移行やら、その幅広い表現力は恐れ入りましたと感じまして。この人、これだけの表現力を、この先、どうするんでしょうか。勝手な心配ではありますが、その収まりどころが見えてきません。映画よりも、やっぱりミュージカルなのか。  で、一方、3回目を終了したSMASHは、回を重ねるごとに視聴者数を落としつつあるようですが、質は落ちていないように思います。むしろ、gleeとの違いといいますか、SMASHが目指したところが見えてきまして、やるなぁと唸るところ多々。その中でもオリジナル曲の質にはまさに脱帽。歌い手が上手いだけではなく、作り手がいろんな意味で上手い。前に書きましたけど、情景を音や詞に表現し、それをアレンジで演出しています。ミュージカルっぽいのは事実ですが、そこには作り手の顔が見えてきますからして、そのクリエイティブという 意味でも、やられた感はとても強く。……。  いやはや、まさにいやはやなのです。あ、その2曲のリンクを張っておきます

#308 前評判以上に、おもしろさ(笑いじゃなくって)があふれていたSMASH。

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  ここについて、おもしろいんだけど、たまにヘンなこと、意味不明なことを書くよね、と言われたことがあります。たぶん、それはマイナス的な意味合いで。なんとなく思い当たるんですが、それを意識すると、それじゃなくても浅い、自分の深みが消え去ってしまうので、気にしないようにしています。と言いながら、気にしていますが。 さて、今回は思い切って、そんな意味不明なネタを。ちょっとばかし、言葉があふれて止まらないものですから。  常日頃、海外ドラマに浸っています。アメリカものに。それが最近のカジュアルな外出を妨げる要因ともなっているのですが。ただ、見方として、制作側の立場から、かっこよく言えばクリエイティブな面から見ており、そのストーリーにはまるような見方ではありません。制作側の、凝り方とか、練り方が実におもしろいのです。と、ここまで前置きしましたので、この先は、聞いたことないような言葉を羅列させます。 ○  いよいよ、アメリカ本国でスタートするSMASHの話。いわゆるミュージカルテイストを用いたということで、gleeの二番煎じ的に捉えられていましたが、実際はかなり違っていました。なんていうんでしょうか、こちらはリアリティが強く、見せるべきところをごまかさずに、ストレートに表現しているところは、 正当派とでも言いましょうか。 その観点からすると、 カット割りを細かくすることで、揃っていないダンスでも勢い出している gleeは逆。いや、gleeを否定してはいません。gleeには非現実的な楽しさや遊び心があって、別物だということ。まさに、gleeがあるから SMASH が成立したかのような存在かなと感じます。  で、 SMASH ですが、配役がとてもいい。American Idol後、生き残れそうながらもポジションが曖昧だった(と感じていた)Katharine McPheeを採用しながら、Wickedでglindaを演じた、つまり正当派 Megan Hiltyも起用。 Katharine McPheeだけだったら、彼女のよいしょ作品になっていましたが、良い意味で両者が引き立てられてまして、 このバランスも絶妙。 すべて、計算ずく。いやはや。 で、 さらに、 Debra Messing( Will & Graceのイメージが強く残ってて、これからの仕事を心配していた。ちなみ

#286 忘れていたことを思い起こさせ、あれこれ考えさせてくれた、シャッフル機能。

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 なんだかおかしいとは思っていたのです、iPhoneのストレージ残量がいつもギリギリで。音楽ファイルをごっそりと減らそうとも16GBギリギリ使い切っていました。やっぱり、持ち出して聴いてみようという楽曲の曲数(容量)は16GBなのかな、と思いつつ、それ以上は調べようとはしませんでした。したらですね、iTunesの音楽同期に空き容量に曲を自動的にコピーなんて項目(画像)がありまして、いつの間にかチェックが入っていました。チェックしたつもりがありませんでしたから、どこかのバージョンからデフォルトでチェックが入っていたのでしょうかね。で、そのチェックを外したら、空き容量が一気に4GBにまで増えました。  でも、今、考えてみたら、おかしなことがありました。音楽再生で全曲シャッフルにした時に、同期させた覚えのない曲が入っていたのです。 チェックしてあったんですから当たり前のことですが、 でも、どうせ同期時に間違えてその曲にチェック入れたのだろう程度にしか思っていませんでした。ところが、 その中に中島みゆきの曲がありまして、それがバイタなんて言葉が出てくる歌だったもんですから、入れ間違えではないと、その時に気付いたのでした。 で、その曲ですが、 あらためて聴かされると凄いものがありました。そう、聴かされたんです、意識せずに。これが、iTunesの勝手にコピー&シャッフルの凄いところだと思います。  で、それから歌についていろいろと考えました。 そもそも、音楽やら演劇やらに対しては、自分の人生を重ね合わせるような共感を覚えたり、求めたりすることはなく、分かりやすく言えば、その表現に心打たれることに、価値といいましょうか、良さを感じ取っています。で、ですね、 歌ってのはそもそもコミュニケーション手段であり、表現のひとつだったという論がふっと浮かびました。昔の恋唄にしても。人に何かを伝える時に、何かを記す時に、そこに並べた言葉により深い意味合いを与えるために、大げさにしたり、オブラートを包んでみたりと、つまり、そんな技巧を響き(メロディ)として加えたのではないかと。だから、そこにはとても深い表現力があるわけです、というか、なくてはならないんですな。 なるほど、とひとりで納得していますが、 そう考えると中島みゆきの言葉遊び的な音楽のスタイル、というか、言葉遣いそのものはとても表現力豊

#250 作り手の顔と思いが見えてくると、そのすべての作品に安堵できるって話。

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 夏なのに、おでん屋さんに誘われました。と言いますか、正しくは夏だから、おでん屋に出掛けたともいうんですが。おでんの季節といえば冬なんでしょうけど、おでんの旨さは冬に関係ないような気がしていたので、連れて行ってもらうことにしました。  店内に入ってみれば、いきなりカレーパンのポスターが飛び込んできまして、ああー、夏のおでん屋って苦労してて、自らの看板を否定してしまうような余計なことまで手を出してしまうのか……、そんなことを感じました、最初は。ところがですね、こちら 、なんとクリエイティブなおでん屋さんでしてね。  すべては出汁をベースにして、合う合わない、いや、合わせているんだそうで。写真上のメニューを見てもらうとわかるんですが、想像つかないなものがいくつか。焼きとうもろこしですらおでんへと仕立て、大根やタマネギ、さらには牛すじは涼風なおでんに。ちなみに、涼風といっても冷やしただけではありませんし、茄子そうめんといっても、素麺に茄子をのっけただけではありません。  この創作ぶりと、クオリティの高さを感じると、もはや何を頼んでも楽しめる状態でして。もちろん、あれやこれやと会話あってのことなんですが、作り手の思いがふっと見えてくると、そのすべてを信用できるようになるといいましょかね。  そして、気が付けば、映画を前にかなりの満腹に。映画で寝たことは言うまでもありません。