#286 忘れていたことを思い起こさせ、あれこれ考えさせてくれた、シャッフル機能。

 なんだかおかしいとは思っていたのです、iPhoneのストレージ残量がいつもギリギリで。音楽ファイルをごっそりと減らそうとも16GBギリギリ使い切っていました。やっぱり、持ち出して聴いてみようという楽曲の曲数(容量)は16GBなのかな、と思いつつ、それ以上は調べようとはしませんでした。したらですね、iTunesの音楽同期に空き容量に曲を自動的にコピーなんて項目(画像)がありまして、いつの間にかチェックが入っていました。チェックしたつもりがありませんでしたから、どこかのバージョンからデフォルトでチェックが入っていたのでしょうかね。で、そのチェックを外したら、空き容量が一気に4GBにまで増えました。
 でも、今、考えてみたら、おかしなことがありました。音楽再生で全曲シャッフルにした時に、同期させた覚えのない曲が入っていたのです。チェックしてあったんですから当たり前のことですが、でも、どうせ同期時に間違えてその曲にチェック入れたのだろう程度にしか思っていませんでした。ところが、その中に中島みゆきの曲がありまして、それがバイタなんて言葉が出てくる歌だったもんですから、入れ間違えではないと、その時に気付いたのでした。で、その曲ですが、あらためて聴かされると凄いものがありました。そう、聴かされたんです、意識せずに。これが、iTunesの勝手にコピー&シャッフルの凄いところだと思います。
 で、それから歌についていろいろと考えました。そもそも、音楽やら演劇やらに対しては、自分の人生を重ね合わせるような共感を覚えたり、求めたりすることはなく、分かりやすく言えば、その表現に心打たれることに、価値といいましょうか、良さを感じ取っています。で、ですね、歌ってのはそもそもコミュニケーション手段であり、表現のひとつだったという論がふっと浮かびました。昔の恋唄にしても。人に何かを伝える時に、何かを記す時に、そこに並べた言葉により深い意味合いを与えるために、大げさにしたり、オブラートを包んでみたりと、つまり、そんな技巧を響き(メロディ)として加えたのではないかと。だから、そこにはとても深い表現力があるわけです、というか、なくてはならないんですな。なるほど、とひとりで納得していますが、そう考えると中島みゆきの言葉遊び的な音楽のスタイル、というか、言葉遣いそのものはとても表現力豊かだなと思ったりもします。根本的に中島みゆきの世界感には共感いないものの、何故、惹かれるのかがよく分からないでいましたが、その点も納得できたかなと。つまり、クリエイティブであると。
 と書いていて、イマドキの楽曲が耳馴染まない理由も見えてきました。そういう見方をすると、その本質を見失っているからですな。直接的な表現がこっ恥ずかしいというレベルを超えて、やめてくれと言わんばかりとでも言いましょうか。でも、まぁ、今の時代、分かりやすさが求められていますから、そう考えると、イマドキの歌にも、単刀直入の分かりやすさが求められているのかもしれません。なんだか、凄い流れになって、偉そうなまとめになりましたが。

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