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#1639 春先に能登へとやってきたのは初めてです、ってな話、その2。

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 能登まで来て、何しているかって、原稿書きしています。目の前に広がる日本海は、時にクリエイティブなひらめきを与えてくれるんですが、昨日は、特に気を散らすという誘惑ばかりで執筆は進みませんでした。でも、今日は、執筆も進んだと思いきや、午後から青空が広がりまして、誘惑に駆られてドライブへと出掛けてきました。やっぱりね、青空は気分いいですな。花粉も飛んでいたみたいですけど。昨夜の雷雨によりクルマが汚れていたため、軽く水を流したこともあって、写真を撮ると、爽快な青空とのコントラストが実に美しく、あちこちで写真に収めてきました。  MINI ONE 3doorのインプレッションについては、後ほどにまとめますが、実は往路は、おや? というか、違うを感じ、なんとか納得できる着地点を探していました。んが、好印象であるはずの、ミシュラン・エナジーセーバーのフィーリングも良くないし、サスペンションもなんか違う感にあふれていましてね。能登で乗り込んでいるうちに変わってくるかなと思ったんですが、今日は、突然にその印象が良くなりました。なんなんだろうと思ったんですが、たぶん、ドライバーの気分ですな、これ。  クリックと表現するとちょいと古いんですが、まさにクリック音がしてスイッチが入った途端に、ストローク量は少ないけど、しなやかに動くサスペンションやら、グリップ力は不足しているけどグリップ感はしっかりと存在しているエナジーセーバーに感心したり、パンチはないけど、トルク感にあふれる1.5Lガソリンターボエンジンやら、ONEたるバランスに自らが飛び込んでいないだけだったことに、気付きました。そうなんですね、乗り味を勝手に想定して、そことのズレに悩んでいただけのこと。  能登にいると、気分というか、スタンスというか、すべてがリセットされて、素直に何事も受け入れられるようになります。これを求めて足繁く通っているんですが、東京(八王子)に戻ると、ついついそれを忘れてしまいます。というわけで、メモに残しておくのです。

#1638 春先に能登へとやってきたのは初めてです、ってな話、その1。

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 能登に来ています、と、唐突ですが、計画は唐突ではありませんでした。そのうちに記しますが、来なければならなかった理由があったからですが、それもあって、仕事を大量に持ち込んでの能登となりました。考えて見ると、能登の春は初めてで、といっても、桜はまだ蕾の状態。最低気温は八王子とそれほど変わらないんですが、最高気温がやっぱり違いますやね。  というわけで、午前中に、花が終わりかけている椿の群生地を歩いてきました。この椿、自生ものだそうで、まぁ、もちろん、散策路として整えられてはおりますが常緑樹が日本海側で見られるとは思っていませんでした。って、単純に思い込みではありますが。実はこの散策路、2回目に来た時だったか、宿のノルディックウォーングに参加した際に歩いた道でした。道なんですが、周回になっている道をどういう方向から歩いたか、を、すっかり忘れていました。たった5年前のことなんですけどね。  話変わって、この宿、ヒノキを洗面所に贅沢に使っており、玄関(!)の戸を開けただけで、ツンといい香りが伝わってきます。今回も、それがありました。5年経っているんですけどね。って、今回の部屋、初回に泊まった部屋と同じ部屋なんですが、鍵を開けて中に入った瞬間に、そのヒノキの香りとともに、最初に訪れて、部屋に感激しまくったことを思いだしました。匂いは、記憶に紐付いているもんですな。  今後、覚えておきたいことは、匂いとともに覚えておくことにします。ちなみに、今日書いたラングラーの原稿に、そんなこともあって、匂いの下りを含めました。記憶を思い出すと直接的には書きませんでしたが。そうそう、いつまでいるか、もう、去ったか、は、記しません。今朝は居ました。

#1628 改めて気付いた先代ジムニー(JB23型)の、デザインの素晴らしさ。

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 とうに自宅に戻っていますが、4連泊した能登は、なんとも充実したものでした。といっても、後半は1日半、こもって原稿書きをしていましたが……。いずれにしても、早々に来ますと、約束して去ったものの、やはり帰路は寂しさがありますな。  という能登話はさておき、今回というか、実は、最近、薄々感じていたんですけどね、セカンドカーのジムニー、そう、先代ジムニー、デザインが秀逸であり、新型を見かけるようになった今、いい味を出しているなぁ、と思うようになりました。実は所有するまで、もちろん20年前のデビュー時には、まったくそれを感じなかったのですが、新型との比較もあってか、よく練り込まれたデザインだったんだなと、ひたすらに感心を覚えています。ひとことでいえばオリジナリティがある、と。  実は、三栄書房刊の新型/歴代ジムニーのすべてでも書きましたが、新型のデザインにオリジナリティを感じません。最初は新型に対する僻みと捉えていたのですが、どうやらそうではないようです。まぁ、最近のスズキ車のデザインの多くに言えることなんですが、なんかね、違う。そして、先代のジムニーは、その流れに乗る前のスズキデザインであり、ジムニーをモダンに昇華させていました。ブリスターフェンダーの存在や、丸みを帯びたといってもスクエア感をしっかりと残しているところ、そして4輪がしっかりと踏ん張っている感、さらには、ヘッドランプユニット内にデザインした寄り目フェイスなど、ほんといいデザインをしています。  まぁ、走りの世代は完全に過去していますが、曖昧さがある分、不足がある分、ドライビングで整えてあげなければならないところが多くあります。ありますけど、その整えが、ドライバビリティに繋がっており、つまり、愉しさになっています。そうなんですね、ドライバーが懸命に整えたところで、良さが出てこないモデルって、あるんです。それこそが、対話性があるか、ないかのベースとも言えるんですけどね。  あ、話は変わって、能登からの帰路、富山は晴れ渡っていまして、立山連峰がキレイに見えました。下の写真ね。

#1627 最果ての地(!)でも、元日注文でも、翌日に届いたAmazonな話。

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 当初は、もう自宅へと戻っている予定でした。というのも、宿の延泊が叶わなかったもので。この宿、これまでは年越しのみ満室で、それ以降はどこかしらが空いていまして、ほら、帰路の降雪の心配もありますから、延泊するか、帰宅するかは現地で決めていまして、今回もそうしようと思っていたんですが、早々に埋まってしまっていました。ところがですね、運というのは唐突に訪れるもので、前日にキャンセルが出まして、結果、延泊が叶いました。  ということで、知人たちを見送った後は、ひとりきりとなったわけですが、何をしているかって、結局のところ、引きこもって仕事しています。そうなんです、珍しく、というか、これ、初めてか、年明け早々に締め切りを設けられた依頼がありましたね。つまり、自宅へ戻ったところで執筆、能登に滞在していたところで執筆……、ならば、日本海を見ながら書いたほうがよかんべーとばかりに、居残ることにしたわけです。といいつつ、あれですな、能登風味が出るような内容ではないんですけども。  それにしても、最果ての地にいても、あれやこれやとどうにかなるもんですね。実は、宿のエアコンによって乾燥を強いられていたため、加湿器が欲しいと思いまして……、でも、まぁ、Amazonで注文したところで翌日に届くんだろうか、しかも、元旦にと思いつつ注文してみました。ら、翌日に届きました。考えてみますと、ここ、スーパーやコンビニ、ついでにホームセンターはちょいと遠い(20km)ですけどないわけじゃないし、宿にはネット回線もありますし、意外と不自由はありません。それどころか、今日も午前中に、郵便局へと出掛けたり、ホームセンターであれこれと買い込んだり……、街へと出掛けることに、愉しさが生まれていることに気付きました。八王子にいるとそこまでの感心はないんですけどね。  

#1626 今年も能登のポストへと投函した年賀状の話から、と。

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 今年も年賀状の解説からスタートしましょうかね。ここのところ、自らの後ろ姿をテーマとした写真を用いてきましたが、今回は、シンプルにしました。しました、……、というより、実は後ろ姿を撮影するのを忘れており、はてどうしようかと迷いましたが、能登の写真から選ぶこととし、上のような写真を使うことにしたのでした。  撮影場所は奥能登、時期はお盆休み前後……、と最初書きましたが、違いました、4月下旬の連休のものでした。いずれにしても、まったくもって正月していないのですが、まぁ、いいでしょう。青いボディに、青い空に、青い海ですから。さて、と書きつつも、お送りした方の手元には、まだ、届いていないと思います。というのも、大晦日の夜に奥能登のポストに投函したもので。昨年といい今年といい、能登で年賀状を書いています。なんかね、東京の自宅で書くよりも、よっぽどはかどるといいましょうか、よっぽど書いていて心地よいといいますか、なんかね、気分がね、違うのですよ。  というわけで、この年越しも能登で過ごしました。もはや、恒例となってきましたが、どうやら、恒例にはならなくなりそうな、話も……。ちょっと変化がありそうです。まぁ、なんど来ても、驚かしがある地です、能登ってのは。

#1613 やっぱり、奥能登、なんだかんだで、奥能登。夏休み編。

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 ここを放置したままに、気付いたら9月になっていました。ということで、いまさらではありますが、8月の話をあれこれと。まずは、能登から。そもそもひとりで出掛けていた能登ですが、宿の方針もあってひとりだと割高になるとか、平日になかなかまとまった時間を先読みしてまで確保できないってこともあって、ここのところ、一般社会人の方々の長期休みに合わせて、知人と一緒に出掛けていたりします。  で、このお盆休みも出掛けてきました。なんだかんだ言いながらも、やっぱりですね、ひと気のない奥能登がいいとつくづく思いました。たぶん、そこらの観光スポットよりは少なかったと思いますが、それでも煩悩はあちこちに散見され、自らもいつしかそれに巻き込まれていまして。単純にですね、クルマの走らせ方がもうダメ。奥能登は、基本的にお互いさまがありましてね、道を譲るシーンにしても、お互いを遠くから認識した際からアクセルコントロール(ブレーキじゃないんだな)を行い、美しくすれ違うんです。ところが。我が者顔で走りまくる他府県ナンバー、いや、県内ほかナンバーもかな、は、自分優先であって、さらには追い越しにしてもこれ見よがし。怏々にして、そういうオーナーに限って、運転に過信しているところがあって、あまり上手とは言えないところもあります。なんつーんですかね、簡単に言いますと、直線だけ速い、つまり、コーナーは遅い、と。そういうことを目にして、なんだかなぁを感じてしまっていることに気付くと、やっぱり平日強行軍がいちばんだなと思いました。  と、なんだかいきなりマイナスなことを書き連ねましたが、やっぱりですね、奥能登はいいです。その良さをこれだけ足繁く通って分かっているつもりであっても、東京へ戻ってくると忘れてしまうものです。あの、わずらわしさがない何もないことの心地よさ、そこにただ暖かいだけの気遣い、笑いの絶えない人とのつきあい、素を生かした食の数々。そして、幾度も足を運んでいるのに、毎回発見や驚かしがあります。今回は、能登集合当日に、愛知県在住の知人が出発時にマンションを出る際にこけて、そのまま入院ってなイベント(失礼!)があり、そこからあれこれとイベントが続きました。あっちとこっちの奥能登の人間関係をさらに知ったとか、そして、昨年秋に出掛けた、奥能登国際芸術祭に出品された作品に再び巡り合ったり、実は前回見ていたよう

#1597 今日も能登で釣りしていましたが、スーパーで魚を購入しました、って話。

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 というわけで、本日も釣り竿を持って、海へと出掛けてきましたが、昨日からの底の探りもあって魚が集まっているところを発見。もちろん、フグも集まっていましたが、そのポイントをメインに狙ったところ、アイナメに加えて、メバルも釣れました。ただ、夕食にするには小さいかなということもあって、リリース。ま、リリースしたのは、昨日から合流した知人が、本日は別行動で能登半島をドライブしていましたので、ついでにスーパーで魚を購入してきてもらったこともありまして。  左の写真は、スーパーでのもの。都会では見かけることのないマダイやらクロダイが、小さなサイズとはいえ、これだけ並び、しかもその価格たるや200円台から……。以前触れましたが、時期が来ると、ここにウミタナゴも並んだりします。なんてことを目の当たりにすると、都会ってのは何でも揃っていると思っていても、実は、都合いいように、知らぬ間に削除されているものが多くあることに気付きます。まぁ、モノそのものでなくても、リーズナブル感とか、新鮮さとか、本来の美味しさとか、そういった面までも。そう考えると、なんでも都会を基準に考え、それ以外を切り捨ててしまうというスタンスに対して、なんだか寂しいな、もったいないなと思います。話は少し移りますけども、テレビ番組で、地方にロケに来ておいてその第一声が何にもないとか、食事処がないこと(探すこと)をネタにするとか、もはや、地方を下に見ることを前提にしていて、もう、意味がないったらありゃしない。というか、止めて欲しいとつくづく感じます。ま、それもまた自分(東京)が中心であり、そして、それ以外を体験したことがないから、なのでしょうけども。  話は変わりますけど、大型連休の能登は、やはり金沢ナンバーはもちろん、県外ナンバーが多数。すれ違うクルマを見ていると、まさに押し寄せてくるといった感があります。でも、ふと気付きました。奥能登にいると、都心で見かけるような、高級車をほとんど、見かけません。なぜなんでしょうね。

#1596 去年から1年、その前30年、釣りの感覚を忘れていなかった、話。

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 まだ能登にいます。昨日は、夕方から眼下の海で釣りしてきました。昨年のこの時期に復活した釣りですが、結局、あれから釣り竿を握ることもなく、1年が過ぎていました。ただ思うに、少年時代に覚えた釣りの感覚は全く衰えることなく、竿さばきから、エサ付け、針外しまで、30年以上のブランクを自らまったくを感じずで、ちょっと驚きました。そういえば、今使っている竿とリールは、それこそ35年ぐらい前に、お年玉で購入したもの。竿はクロダイ用、リールはルアーにも使えるようにと小型のちょっとお高いシリーズ、そこに当時流行っていたストレインの蛍光イエローを巻いて。幼少時代、堤防で、大人に混じって、でも、大人に負けない竿捌きの披露と、釣果を期待して、中学生がもつには不相応なものでした。今どきの道具を使っている人からは時代遅れそのものに見えるんでしょうね。見えるんでしょうけど、それらは、釣り少年ヨシダくんにとっては自慢の釣り道具でした。  で、なんでしたっけ、昨日は、棚(魚のいる層)が上手く読めなかったこともあり、また、エサ取りのフグが増えてきたので、最後は40年近く前に購入したブラクリを使って根魚を狙うことに。昨今のブラクリは知りませんが、そのパッケージは昭和な感じで、ただ、まぁ、針は錆びていませんでしたから大丈夫だろうと使ってみたところ、釣果はしっかりと。ただですね、エサを底まで落としているのに、そこまでフグが食らいついてきまして、そんなフグの"食への追求"に驚きを覚えましたが。  やっぱりね、釣りは愉しいです。釣れても愉しいですけど、釣れなくても愉しいものです。風景を眺めながら、天気の変化を感じながら、水面の動きを見とれながら、考え事をしながら、まったくもって贅沢な時間を感じます。というわけで、今日ももう少ししたら、海へと出掛けます。

#1594 したいこと、やることが、どんどん広がって、派生していく、奥能登。 その2

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 したいことが次から次へと積もっていきます。時間ばかりがどんどん過ぎていきます。今日は、絵はがき手に入れて、切手買って、ポストに投函して、読書して、昼寝して、と思っていたのに、読書までまだたどり着いていません。それどころか夕暮れをタイムラプス撮影しなきゃいけなかったり、夜ご飯の支度をしなきゃいけないとか、もはやドタバタ。ここの更新なんて、とっとと終わっている予定だったのに……。今日の予定がどこでおかしくなったかをふり返ってみると……、まぁ、手に入れたいと思っていた絵はがき販売所が、宿から約50km離れていて、時間が掛かかった……、いや、原因は距離によって費やすことになった時間ではなく、タイヤ空気圧を整えたらあまりにフィエスタの乗り味が良くなって、感激して、写真をあれこれ撮影し、ワインディングを走るべ、と、あちこち寄り道をしたため。そうなんですね、派生しまして、予定外の時間を費やすことに。  ま、それでも、切手を買って、宿へ戻って、あて先とひと言を記して、素直に、近所のポストへ投函すれば良かった。ところがですね、近所のポストまで約2km。郵便物集荷時間まで1時間半ほどあったので、たまには歩いていってみようと思い立ち、出発。で、出発してすぐに、そういえば海岸沿いに遊歩道があったぞと思い、宿のスタッフにあれこれ聞いて、遊歩道経由に。ところが、海を見下ろす断崖絶壁やら、自生している木々に感心を奪われ、砂浜での歩みはスローになり、気付いたら、集荷時間にわりと近くなっていたりして。無事、ポストに投函しましたが、ま、帰り道も同様にのんびりと散策し……。   で、ここまでの今日の一連の事柄報告と、合流は明日だけど能登半島入りした知人とのチャットやらあって、おっと、夕暮れタイムラプスの撮影準備、そうだ、アップする写真のセレクトと加工と……、ドライブレコーダーで撮影したデータをDLしなきゃ、と思ったら、タイムラプス撮影をはじめたiPhoneが落下。iPhoneを再設置して、もう18時だからご飯炊きはじめなきゃと支度して、で、今に至ると。忙し過ぎます、ほんと。  いったい明日はどうなるんでしょうか。と書いていたら、タイムラプス撮影中のiPhoneに電話が掛かってきました。仕事関係者からだったのでiPad側で出たものの、ポケットの中かどこかでゴソゴソしている落としか聞こえてこないし…

#1593 したいこと、やることが、どんどん広がって、派生していく、奥能登。

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 能登にいます。今日の朝7時に出発して、18時に到着しました。ただ、これでも寝坊しまして、当初予定していた、八ヶ岳のパン屋さんへ立ち寄ることを諦め、すべて下道の予定だったのに少しだけ高速道路を混ぜて、それでも18時に到着。ま、約500kmですから。18時までのチェックインタイムギリギリに着きましたが、着きましたけど、その分、クタクタ。それは姿にも現れていたようで、凄く疲れてるから今日は早く寝たほうがいいよ、と宿のスタッフから言われたんですが、21時を過ぎても、やること、することが多くて、まだ、風呂にも入っていません。  何もない地で、何をしているのだ、と思われるかもしれませんが、何もないからこそ、やりたいことがたくさんあるのです。ぼけっとするとか、本を読むとか、音楽聞くとか、そして、それを起点として、次から次へとやりたいことがあふれてくる。あ、これ、あれだ、あの人に似ている、テレビ朝日のバラエティ番組のディレクターの行動に似ているかもしれません。今日は、とりあえず時間までに到着することだけに固守しましたが、それでもトイレ休憩で立ち寄ったスーパーでとりあえずみそ汁の具材にと購入した生ワカメがあまりにも新鮮で、美味しかったので、明日はタケノコとあえよう、そのために明日はまずはタケノコ探しをしなければ、とか、そんな適当な、でも愉しい、広がりがあります。景色やら、食やら、人やら、そんな出逢いを記録に残そう、誰かに伝えよう、そんな忙しさとでもいいましょうかね。  ですから、本を読もうと持参しても、読んでいるヒマがない。釣りをしようと道具を持ってきましたが、明日はその時間も取れなさそう。まぁ、ここを更新しようというのも、そういった流れから。最近、東京にいると、ここを更新しようと気がおきません。やっぱりですね、刺激が足りないんですな、きっと。というわけで、今宵はやらねばならないことがたくさんあるので、ここらで、終わります。

#1591 デリカ50周年イベントで、自分も今年50周年だったことに気付いた、話。

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 三菱のデリカがデビューから今年で50周年を迎えたそうで、本日、一部改良モデルと特別仕様車の発表があり、東京本社での歴代モデルの展示もあって、出掛けてきました。自分にとってのデリカの想い出は、やはり幼少期になぜか惹かれた2世代目の丸目モデルと、最初に勤めていた出版社所有の3世代目後期モデルでしょうかね。特に後者については、イヤな想い出、いや、違うな、辛かった、それもまた違うか、まぁ、若いがゆえのあれこれの想いが重なり、近寄りたくない、でも、懐かしい、そんな気分となりました。あとは、あれだ、4世代目の価格表を作るのがたいへんだったという想い出もありますやね。あの頃は新人でしたから、価格表なんぞ担当していましたが、数種類のルーフ、駆動方式、エンジンラインナップを、決まったフォーマット内にキレイに落とし込まなくてはならず、あれやこれやと苦労した覚えがあります。当時は、DTPではなく、写植でしたから、初校前に、文字を打ち出してもらって、切った貼ったして指示した覚えがあります。あとはあれだ、フロントエンジンとなった4世代目をベースに前面衝突についてのあれこれを書いた覚えもあります。いずれにしても、思うのは、やっぱりですね、何ものにも似ていない、独自の路線を貫くことの、大切さ、これがブランド性を作り上げるに必要なことなのだなと感じました。  そうそう、今日のイベントで配布された資料の中にあった50周年記念ステッカーを見て、がく然としました。そこには、SINCE1968って書かれていましてね。そうなんです、このプレス向けイベントに出掛けるまでは、ほぅ、デリカも50年か、凄いなぁ、と、かなり他人事に思っていたのですが、実は、自分がSINCE1968でして、自らも50周年を迎えるのです、今年。なんかですね、とってもショックでした。50年掛けて、デリカというブランドを築き上げたモデルに対して、自らはまったくなにも為し得ていないという、この情けなさというか、なんというか。5世代のデリカを長めながら、強い衝撃を受け、ショックから唖然と、がく然としてしまいましたが、まぁ、帰りの電車の中ではそんなこととっとと忘れて、連休の能登行きのことをあれこれ妄想してワクワクしていましたから、まぁ、この先も変わることはないでしょうね、きっと。あ、肝心なデリカについては、今後、取材、執筆がありますので、

#1575 そこそこの性能だけども、安いがゆえに大満足な、アクションカメラの話。

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 さて、今回の能登行きで、なかなか使えるデバイスであることが判明した、アクションカメラの話です。ま、あれです、簡単に表現すれば、持ち運びをイージーにした録画機。コンパクトゆえにあちこちに取り付けられることをアドバンテージとしており、さまざまなスポーツアクティビティやらで使えるデバイスですな。ただ、こやつ、衝撃によるデータロックや、重ね録りといったドライブレコーダー機能も備えていまして、個人的にはそれと、オフロード走行での記録を期待して購入しました。ところがですね、実際に使ってみたら、ドライブレコーダーとして使えるし、さらには思ってもみなかった愉しさがありました。たとえば、皆でドライブに出掛けた後にワイワイと観る、旅の記録といった、そんな愉しみ方が。あ、基本的にこれ、GoProを模した商品であり、ケースやら含めて互換性をデザインしてあるため、その愉しさから使える感までGoProそのもの。そのものなんですが、GoProの1/10ともいえる価格で手に入ることがポイントです。しかも、ただ撮影できるだけではなく、WiFi機能によるスマートフォンでの操作や4K撮影まで可能という性能を有している上に、防水ケースから自転車用アダプターやら、豊富どころか、これ、全部つかわんぞといわんばかりのオプション込みですから、ちょっと驚きです。  となると、肝心の映像は期待できない、使い勝手が相当に悪い、なんてことを思われるかもしれませんが、これが、悪くない。アップした動画(フルHD、音声なし)は、ジムニーにて、年始の能登で撮影したものですが、意外なまでの露出補正と意外なまでのブレ補正が、この価格のおもちゃとしては、想定以上レベル、か、と。ま、UIに関しては、スマホを介そうとも、使い辛さはあるし、和訳におかしなところがあります。映像も、フルHDとて、昨今のスマホのカメラ機能には届いていません。しかしですね、4000円台という価格から、全てを許せてしまう。いや、逆に4000円台で4Kで撮影できるし、さらにはドライブレコーダー機能まで有していることを考慮すると、こんなに遊べるおもちゃはありません。この手のデバイスが、その手の価格で買えるとは、なんとも凄い時代になったもんだなとつくづく感じたりもしました。  ただ、このアクションカメラ、困ったことがひとつ、ふたつありました。動画撮影ゆえ

#1574 ドライバーの力量が安定感に左右する、ちょっと前のスタッドレスタイヤの話。

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 能登からひたすらに下道を走り、アルプスを越えて、というよりも、アルプスを通過して、東京へと戻ってきました。山越えとて、それなりのクルマの往来と除雪によって、路面はそれなりに整えられておりまして、苦なく帰宅。圧雪路の上に降雪といった感じで、溝が深い4WD用スタッドレスにとってはそれなりに愉しいスノードライブとなりました。そう、それなりに。ただ、今回、感じたのは、って、雪が降っていたエリアの気温は−7度程度、つまり、路面は凍結し、その上に降雪といった感じでして、そうなんですね、気を許してたら凍結してたってシーンがいくつかあり、おっとどっこいがありましたが、そこで感じたのは、このタイヤ、荷重を載せることを意識したドライビングをしないとグリップ抜けが結構あるということ。ま、以前のスタッドレスタイヤだったら、当たり前の性能なんですが、よくよく考えると、昨今のスタッドレス+昨今のモデルからは感じ取れなくなった部分。つまりですね、昨今のスタッドレスタイヤって、ただグリップ力、感が豊かなだけではなく、だれでもその性能を手に入れられるところにキーがあることを、あらためて感じた次第。ま、そこに愉しさがあるんですけどね。   そんなあれこれは、また、雪が降ったら試してきてみましょうかね。

#1573 荒れた日本海を後にして、アルプス越えの帰路にワクワクしている、話。

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 能登も年明け早々に寒波と低気圧の来襲で荒れてます。宿は、海からのダイレクトな風に耐えられるように作られているとはいえ、地震かのような揺れに時々はっとしながらも、いつしか、こんなもんさと慣れてしまいました。ただ、訊いていたとおり、宿泊している地域は、そもそも雪は強くは降らずかつ積もる前に強風で吹き飛ばされるがゆえ、明け方まで降雪の予報にもかかわらず、路面はうっすらと白くなっている程度でした。完璧なる雪景色を期待していたところもあったので、ちょっと残念。  さて、5泊しましたので、さすがに今日帰ります。帰りますが、実は帰りたくないという気持ちが強い半面、帰ることへのワクワクもまたあります。そうなんですね、内陸はしっかりと降雪があったようで、期待のスノードライブが待っております。さきほども安房トンネルのライブカメラを眺めていたら、雪シーズンなりの降雪量。まだまだ降り続くようで、そんな雪を眺めながらのドライブは格別ですから。  そうそう、そのうちに語りますが、最近、アクションカメラという、小型ビデオカメラの愉しさを教えてもらいまして、この旅でもあれこれ撮影してきたんですが、愉しさを知った仲間は能登からAmazonにて購入するほどのもの。というわけで、帰りもあれこれ撮影して帰りますが、、って、万が一、何かあったら、このアクションカメラに録画されている動画を再生してみてください(許可)。どうぞよろしく。

#1572 今年もまずは2018年年賀状の解説からはじめましょうかね。

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 新年を迎えましたので、恒例となっている年賀状の解説からスタートいたしましょうか。今回も、後ろ姿シリーズ、かつ能登で撮影した写真をベースに、印刷所にてオフセット印刷してもらいました。その写真の題材は、実は昨年の元旦のもの。ただ、年賀状を意識したものではなく、後ろ姿を撮ったものがこれしかなかったというのが、その採用たる理由ではありますが。  ただ、廃線となって、廃駅となったプラットフォームから、途切れている線路の先を見つめる姿は、ま、なんとなく先を見ているような、そんな雰囲気もあっていいのではないかとも感じましてね。ただ、少々及び腰になっているところは、自分らしくもあり、また、それもいいのではないか、と。  もちろん、今日も能登にいますが、大晦日から合流した知人たちが去り、再びひとりに。ただ、昨年と違って、4人部屋から2人部屋へと移りましたので、昨年のような寂しさといいましょうか、その場に置き去りにされたような感覚はありません。なんていうんでしょうかね、日常に戻った、そんな感じとでもいいましょうか。  本当に日常に戻るのはもう少し先になりそうですが。

#1571 能登にて年賀状を書き、矢野顕子を聴いて過ごす、かなり贅沢な年末。

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 奥能登へ来て、2日目。昨夜からボチボチ書きはじめていた年賀状書きをしぶしぶに完成させたまでは良かったんですが、用意しておいた記念切手を自宅に忘れてきたことが発覚。いや、いわゆる年賀切手は用意していたんです。していたんですが、それだけでは足りないので、不足分として記念切手を用意してあったのです。切手なんぞ郵便局で揃えればいいだけのことなんですが、ま、年賀状ですから、まさか普通の52円切手を使うのもはばかられ、かといって、この時期、郵便局の窓口に並ぶのも、ちょいと面倒、と。というわけで、すみません、会社宛のいくつかを後回しとして東京から出すことにして、自宅宛を優先して、無事、本局へ投函しました。ただ、いくら本局ったって、能登半島の先端からですから、いつ到着するんでしょうか。東京から後出しした分のほうが、早く着くんじゃないかと思ったりもしますが。  ほかに今日したことといえば……、って、もともと何もする予定はなかったのですが、郵便局へ出掛けたついでに雪がまだ残る山の中をあちこちと走ってきました。実は、奥能登の山中には尾根沿いに舗装された道が走っています。って、以前、ここで触れた覚えもあるのですが、かつて、山野を開発して牧場なり畑なり果実園なりを展開するという国の事業計画があり、そのためにある程度が調えられており、尾根沿いに切り開かれた土地が点在し、それを繋ぐために道が走っています。ただ、頓挫。つまり、道も人気がない。こういう計画って高度成長期に重なる昭和30年代を想像しますが、この事業は平成にひっかかっていまして、なんともかんとも、わりと最近。  というわけで、そんな界隈を巡るのがわりと好きで来るたびにウロウロとするんですが、今回は雪を被った風景を眺めようとアタック。轍はいくつかありますが除雪されておらず、雪道としてはハードではないんですが、まったく踏み入れられていない枝道もあれこれとあって、わずかとはいえアドベンチャー気分を体感できました。わずかね、ほんの、わずかに。  それにしても、尾根から望む能登半島は、なんとも言えない良さがあります。ダイナミックには届いていないんですが、山林も市街地も海も、そして、風力発電と、こじんまりとしたパッケージが、なんとなくいい。というわけで、しばし眺めた後は、重苦しさあふれる日本海を眺めながら宿に引きこもってみようと、戻りました

#1569 現地集合、現地解散、現地フリー行動な、雑談会@奥能登。

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 今年も、知人たちと能登にて、年越しをすることにしました。ちなみに、この会、基本的に現地集合、現地解散、現地自由行動、という実にいい加減なもの。いい加減ゆえに、ワザワザ来るような人は、ほとんどいません。もちろん、告知はしますけど、基本、誘いはしません。それは、行くためにはどうすればいいんだろうかと自分で考え、そして、無鉄砲含めて行動してしまう人でないと、吉田流能登は愉しめない、という理由から。って、文字にすると、すごく上から目線のようスタンスですが、実際のところ……、書けば書くほどにうまく伝わらなくなっていきますので、このあたりで、やめておきましょうか。  それでも今回は4人が集まります。しかも、2名は初。しかも、4台で。まったくもって不経済ですが、わざわざ来てしまう、その勢いが大切なのです。正直、この時期の能登、しかも、奥能登って、ワザワザ来るような地ではありません。それじゃなくても距離はあるし、冬はまさに天候に大きく左右されますから。しかしですね、そのハードルの高さが、また、ドキドキを誘うと言いましょうか、楽しい。行けるかな、行ってみようかなという、ワクワク感があるんです。そして、到着してみれば、ほー、へー、そうですか、スゴイじゃん、が待っている。宿から見える景色は、気持ちが沈み込みそうなどんよりとした曇り空に、大荒れの日本海だったりするんですが、これが、いい。もちろん、青空に青い海が嫌いなわけではありません。ありませんけど、こういう景色もまた趣があるやね、と感じられる感覚がないと、ワザワザに見る価値はないのかもしれませんな。宿もいい。人もいい。ご飯も美味しく、ああ、これで十分、こういうのいいよね、という感覚がないと愉しめないのかとも思います。  今回の能登は、ひとりだけ先に入りました。4人部屋にひとりだけ。いつもは、何もせず、本を読んだり、音楽聴いたりを愉しむのですが、今回は、やることがあるのです。それが、年賀状書き。準備だけしてきましたので、明日は大荒れの日本海を眺めながら、年賀状書きをします。というわけで、皆さまの手元に届く年賀状、少々遅くなります。ただ、能登の郵便ポストから投函しますので。って、消印ないから、そこまでは伝わらないかとは思いますけど。  ちなみに、今、外は大荒れ。建物は揺れるし、音も凄くて、ひょっとしてジムニー飛ばされないだろうか

#1561 奥能登にいました。今回は奥能登国際芸術祭が目的で、って話。その4

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  振り返ってみますと、#1560でも書きましたように、この手のイベントはアートによって、地域と人とが新しい関係を作りとか、結びつくことにひとつの意義があったことに気付きました。だから、アートの評価も様々でいい、アーティストの表現もいろいろでいい。でも、大切なのはアーティストの理解であり表現力、そして、見る者の受容性……、っていうと大げさか、ニュートラル加減といいましょうか、素直というフィルターをいかに意識するか。  上の写真は、廃線になった能登線の駅と線路とアートと。国鉄から第三セクター路線へと変更を余儀なくされてから、しばらくは走っていたようですが、12年前に廃線。そのままに残された線路やホームだけではなく、実は車両も線路に残されたまま、といった風景が奥能登では見られます。なんていうんでしょうかね、自分にとっては、観光ガイドに載っているスポットよりも、よっぽど奥能登らしい風景だと感じていました。で、今回、この線路を歩いたり、駅で当時使われていた券売機を目にしたり、過去の賑わいを聞いて、なんでしょうね、これ、懐かしいではなく、もったいないでもなく、こうして時代は移り行くことの儚さ、いや、違うな、儚いではなく、移り行くことの事実、違うな、……、えっと、まぁ、レイヤーとしてのヒストリーのひとつを感じ、なぜだか、心に温かさを覚えた、ま、そんな感じでした。  一方、右の写真のアートは、漁の網を扱っていた? 修繕だっけかな、ま、そんな会社の倉庫にて。中央にクレーンがあって、2フロアにしきられている、建物。現在は、倒産して、使われぬままに放置されていたのですが、そこにあったカゴやら網やらを使って、表現。かつて活躍していたクレーンに吊るされたランプが上下を繰り返し、その前に広げられたスクリーンに網やら、何やらの影を映し出すんですが、それら小物だけではなく、建物の鉄骨やら手すりやらも映され、ランプの上下によってカタチを変えていく。まさにですね、時の流れを強く感じさせるもので、しばし、足を止めてしまいました。  今回の奥能登国際芸術祭は、当初の来場者数を3万人と見積もっていたようですが、結果、6万人を突破。どこへ行っても、駐車場はほぼ満車といった感じ。ま、そこで感じたのは、この手のイベントは、やはり交通機関をどう利用するか。瀬戸内では渡し船だったようですが、ここ珠洲市では

#1560 奥能登にいます。今回は奥能登国際芸術祭が目的です、って話。その3

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 #1559では書ききれなかったので、こちらに分けます。屋内で表現されたアートよりも、屋外にある作品のほうに惹かれるのは、たんなる興味なのか、趣味なのか、好みなのか、よくわかりませんが、そんな傾向がありました。その最たるのが、#1559のメイン写真、そして、次がこの鳥居。日本海の海岸線は大陸から含めて漂着物が多く、そのため漂着神にまつわる言い伝え(寄神伝説)も数多く残っており、それを奉った寺社も多くあるとか。ということで、そんな歴史ある土地柄を表現したのが、この漂着物を使った鳥居。青空ではなく曇り空であったこともありますが、このモノトーンたるコントラストも、現代版、漂着神を奉っているかの場を作り出していて、岩場の荒々しさ含めて、神々しさの手前の雰囲気がありました。   と、屋外の作品がいいといいながら、実は屋内のアートに心惹かれたものもありました。それが、次のふたつ。ひとつ目は、珠洲市に伝わる揚げ浜式製塩法に刻まれてきたストーリーを表現したもので、実際に使用されていた砂取船を用いて、赤いアクリルの糸で紡ぐんだ空間を作り上げています。これがですね、手間かかっているな、という以前に、教室に足を踏み入れた途端に押し寄せる、なんていうんですかね、衝撃というか、ショックがあって、でも、押し戻されないで、足を踏み入れなきゃならんという、不可思議がありました。そして、隣の部屋で、地元のおばあちゃん(作者ではない)に揚げ浜式製塩法についてあれこれと訊いたんですが、これまで知らなかったあれこれを教えてもらいました。奥能登の外浦の海岸線って、昔、道はなかったそうで。ですから、輪島へ行くためには、海岸伝いに岩場を歩いていったそうで、そこで波にさらわれて命を落とした人もいたとか。いやはや。そう、まさに山椒太夫の世界ですな。そうなんですね、先ほどの砂取船は、陸路ではなく海を利用して輸送するための船だったと。でも、ここで疑問が。何故に砂を運ぶ必要があったのか、ということ。実は、塩をとるためには、輪島付近の河口の砂が理想だそうで。ならば、輪島で揚げ浜式製塩法をすればいいのでは? と思いきや、実は輪島にはそれに必要な平地が少ないことから、平地の多い珠洲(外浦)まで運んだのだそうです。そして、専売公社ができてからは塩の生産はできなくなり、そのほとんどは田んぼに転用したという歴史があったのだと。いや

#1559 奥能登にいます。今回は奥能登国際芸術祭が目的です、って話。その2

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 今日は存分にアート観賞三昧の予定でした。作品は全部で40弱、残りは20と少しだったので、ほぼ網羅できるかなと思いきや、途中で疲れ果てました。作品は市内のあちこちに点在しているんですが、って、市内ったって、広いわけですよ。能登ったって、海だけじゃなく、山もありますから、移動だけでひと苦労。しかも、それら作品も、すべてが自分の好みとは限らないし、理解しようにもいろんな意味で難しい作品もあったりして、そこで頭を使ったりすると、疲れを感じてしまう。昨日はアートって感じ方次第なんて、軽く言い放ちましたが、アートってなかなかに難しいです。いや、ほんとに。  実は今日はスタートから、いいアートが続いたもので気分爽快だったんですが、期待をしていた人里離れた地の作品がどうにもこうも期待から大きくかい離しており、その前に強烈にノイズを感じさせる作品があったこともあって、もはやクタクタに。遅い昼食を挟んで残りを……と思ったものの、もういいかなという気分になり、地元で揚がったブリを夕食用に買って15時頃には宿へと戻ってきました。考えたら、今回、部屋からの夕暮れを見ていないなと思ったこともありましたしね。  そういえば、作品巡り、コマ地図的な案内どおりに走ってはいきましたが、その道には、都会のドライバーがクルマがすれ違いできないと言い放ちそうな能登の山道も含まれており、ビックリされた方も多かったのではないか、と思われました。自分は、なれていますから、なんてことなかったんですけど。で、上の写真は、細い道に入る手前にて。  というわけで、ここからは心に何か響いたアートを。まず、いちばん上の写真、クルマと共に写っていますが、意外にこれができなかった。って、まぁ、来て分かったというか、巡って分かったというか、当たり前のことなんですが、クルマを一緒に撮影できるような位置にアートがない。そうなんですね、撮影しちゃいけないってんじゃなくって、作品のそばまでクルマで近づくことができない。ただ、この作品は屋外にあって、道路近くにあったことも手伝って、撮影、と。この作品、かつて砂浜に打ち上げられた破船やクジラが人々に吉祥をもたらしたという言い伝えをもとに、クジラと破船を一体化した構造物を表現したもの。流木で作られたというクジラの骨がなんとも言えないリアリティと鳥居的な役割かつ、包み込む感じを生み出してお