#1560 奥能登にいます。今回は奥能登国際芸術祭が目的です、って話。その3

 #1559では書ききれなかったので、こちらに分けます。屋内で表現されたアートよりも、屋外にある作品のほうに惹かれるのは、たんなる興味なのか、趣味なのか、好みなのか、よくわかりませんが、そんな傾向がありました。その最たるのが、#1559のメイン写真、そして、次がこの鳥居。日本海の海岸線は大陸から含めて漂着物が多く、そのため漂着神にまつわる言い伝え(寄神伝説)も数多く残っており、それを奉った寺社も多くあるとか。ということで、そんな歴史ある土地柄を表現したのが、この漂着物を使った鳥居。青空ではなく曇り空であったこともありますが、このモノトーンたるコントラストも、現代版、漂着神を奉っているかの場を作り出していて、岩場の荒々しさ含めて、神々しさの手前の雰囲気がありました。
  と、屋外の作品がいいといいながら、実は屋内のアートに心惹かれたものもありました。それが、次のふたつ。ひとつ目は、珠洲市に伝わる揚げ浜式製塩法に刻まれてきたストーリーを表現したもので、実際に使用されていた砂取船を用いて、赤いアクリルの糸で紡ぐんだ空間を作り上げています。これがですね、手間かかっているな、という以前に、教室に足を踏み入れた途端に押し寄せる、なんていうんですかね、衝撃というか、ショックがあって、でも、押し戻されないで、足を踏み入れなきゃならんという、不可思議がありました。そして、隣の部屋で、地元のおばあちゃん(作者ではない)に揚げ浜式製塩法についてあれこれと訊いたんですが、これまで知らなかったあれこれを教えてもらいました。奥能登の外浦の海岸線って、昔、道はなかったそうで。ですから、輪島へ行くためには、海岸伝いに岩場を歩いていったそうで、そこで波にさらわれて命を落とした人もいたとか。いやはや。そう、まさに山椒太夫の世界ですな。そうなんですね、先ほどの砂取船は、陸路ではなく海を利用して輸送するための船だったと。でも、ここで疑問が。何故に砂を運ぶ必要があったのか、ということ。実は、塩をとるためには、輪島付近の河口の砂が理想だそうで。ならば、輪島で揚げ浜式製塩法をすればいいのでは? と思いきや、実は輪島にはそれに必要な平地が少ないことから、平地の多い珠洲(外浦)まで運んだのだそうです。そして、専売公社ができてからは塩の生産はできなくなり、そのほとんどは田んぼに転用したという歴史があったのだと。いやー、いつも、なんで、海岸沿いに田んぼを作ったんだろうと不思議に思っていましたが、理由がわかりました。
  なんてことがあると、もはやアートそのものではなく、アートが繋げてくれる縁のほうに興味を示し、使われた建物やその歴史やらをやたらと訊くようになっていました。ただ、ここだけは、何も訊くこともなく、作品に圧巻されながら、ひたすらに感心していました。ってのが右で、人がいなくなった民家に残っていたものが、塩の海原にたゆたっているというアート。そうなんですね、それぞれの会場となった場、過去に小学校だったり、保育園だったり、地域の人が集う施設だったり、民家だったり、工場だったりしまして、そのいずれも、かつて、人による賑わいがあった場でした。そんな風景も重ねていくと、なるほどね、この手のアートイベントはこうやって理解すると、いいのか、と分かってきました。
  さらに、思うのは、その地のことを、知っているようで意外に知らないことだらけ。そういった意味でも、より深くを知ることができる、広めることができる、そんな役割がこの手のイベントにあることを、知りました。そうなんです、初めて、ね。

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