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#417 整備解説書(英語版)を眺めていて気付いた、輸入車の日本への導入の苦労。

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 あのですね、車検を終えてみれば、違うトラブルが顔を出してくれました。って、あれです、11年目に突入したうちのグランドチェロキーです。走ることができないトラブルならまだしも、っていうか、それもイヤですけど、走れるけど、室内灯が消えないという少々恥ずかしいというトラブルゆえに、これがまたやっかい。昼間でも夜でも消えない。走り出しても消えない。強制オフにする方法はあるんですが、メーター類の明かりまで全部消えてしまうという始末ゆえに、やっかい。そう走れないわけじゃないんです、でも恥ずかしい。  ちなみに、ドアが完全に締まっていないのではないかと思われるかもしれませんが、しっかり締まっていますし、何より締まっていない時に表示されるアラートが表れない。これ、やっかい、かなりやっかい。どこかセンサーひとつの話だったらいいんですが、なんとなくあちこちが複雑に絡んでいそうな気配。 というわけで、整備解説書を引っ張り出しましたが、分からず。  なんてことをさっきやっていたんですが、ふっと思ったことがありまして。えっと、所有している整備解説書はアメリカ版、つまり英語なんですが、日本に導入されたモデルにはちゃんと翻訳された日本語版があるわけで。ってことに気付いたらば、輸入車を日本へ導入するってのは、とてもたいへんなことだなと。この厚さ8cmほどの整備解説書を全部和訳しているわけですから、その労力たるや凄いことだし、費用も相当に掛かっているはず。しかもイヤーモデル毎にあるから、相当にたいへんかと思われます。  というわけで、これからは、あれ日本に導入しないんですか? したほうがいいですよ、とか気軽に言えなくなりました。ひたすらに反省。

#416 いつしか、どうせ見かけ倒しでしょという目をもっていたってな話(反省)。

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 知人いわく、鳥肌がたったと表現していましたが、メガーヌGTラインはまさにそんなクルマでした。ってことは、昨年に書きましたが、それを上手く分析しきれておらず、また、表現出来ていなかったので、年を越しながら、なんだかなぁ感が残っていました。で、年始にもう少し深く乗りつつ、あれこれ思案していたら見えてきました。いや、あれです、シャシーが締め上げられたことによって固さが生まれているのに、それをマイナスとは感じないことについて。答えは簡単でした。接地感です。もはや修復を諦めたといわんばかりのデコボコなアスファルト路面を通過しようとスピードを落としたら、タイヤの接地感が強くあることに気付き、少しアクセルを踏んでみたのですが、そのフィーリングが変わらず。もちろん、シャシーの各部のレートがアップしている分、ボディはフラット感を失いますが、接地感だけは変わらない。タイヤのサイズだけではなく、その性格も、固さを意識させますが、接地性だけはダイレクトに伝わってくる。つまり、シャシーとしてのバランスが取れておりまして、ただ、締め上げただけではなく、そこには基本的にしなやかというベースがあります。そして、 速度域が高まれば、シャシー剛性を強く意識させられますし、そして自然とフラット感も強くなっていきます。つまり、スポーティ。そして、確実にタイヤを路面に接地させることで安心感が生まれており、まさにそういう点から、GT的とも言えます。つまり、快適。答えは単純。  ただ、訊けば、このフツーのメガーヌ(GTライン)シリーズは苦戦しているとか。それは分かりづらいさだけはなく、勘違いされている面も起因しているような気がしました。 でも、ふと振り返ってみれば、こういうハイパフォーマンス手前のスポーティモデルって、本来、うちら世代が喜んで語っていたモデルだったはず。いつからでしょうかね、相手にされなくなってしまったのは。 って考えていたら、“どうせ、また” という目で見てしまっていた自分に気付きました。 GTラインとは、名前ばかりだろうとか、17インチ? また、固いんでしょ、と。これまでの、日本におけるルノーの展開、日本車における名ばかりのスポーティグレードのイメージやら、ハイパフォーマンスモデルの台頭やら、含めてのことだとは思いますが。そう考えると、スポーティを語れるモデルは少ない。というか、BM

#415 2012年と、何も変わらない、変わっていない、何も変えようとしない2013年。

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 若かりし頃は、 大晦日やら新年をネタにして楽しんだものですが、最近はクリスマスやらまで含めて、日本流のカタチだけのイベントごとに違和感を覚え、逆にいつもと変わらず過ごしたいと思っていたりします。いや、単純にひねくれ者なだけのことなのですが。というわけで、今年の年越しはひさしぶりにひとりで自宅にて過ごしました。誘いがなかったとも、招きと風邪が重なった年末の混乱がそのままに流れ過ぎただけ、か。まぁ、 紅とか白とか聞こえて来ないだけでもほっとした感がありました、なんて書くと日本人らしくないなぁと思われるかもしれませんが、 年賀状はちゃんと出しています。これはもはや習慣、習慣。そう考えると、年越しやらクリスマスやら誕生日会やらのイベントは、自分にとって習慣ではなく、持ち合わせていないだけのことかもしれません。育った家庭環境からでしょうね、これは。  で、画像ですな。これは新年の挨拶に使った写真で、昨年の広島取材の時にカメラマンさんに撮ってもらいました(裁断前のフルバージョン)。ポーズを決めたというよりは撮られたというほうが正しいのかな。ポストカードとして印刷所に出すようになってから一貫している、この“後ろ姿シリーズ”ですが、そこに特別な 意図やら思いは込めていないこともあって、賀状に場所やら日時やらの理由も書きません。でも、こうして眺めてみると、今のスタイルが自然とにじみ出ているような気もします。今年の場合 はなんだろうか、この橋が渡れるかどうかではなく、先にある何かに期待を寄せている姿とでも言いましょうかね。とか適当に意味づけしつつも、なんていい表現なんだろうかと、ひとり酔いしれていたりいますが。まぁ、振り返るのもなんですけど、昨年も楽しかった。金銭的ゆとりには恵まれなかったけど、楽しかった。今年もこのスタンスを変えるつもりはあまりなく、この写真でお伝えしたかったのは、そんなことだと受け取ってもらえたら、これ、幸いかと。  というように、話がまとまらなくなってきたのも、昨年と変わらず。というわけで、昨年と同様、今年もよろしくお願いします、と、まとめてつつ、何か思い付いたら加筆しましょうかね。  あ、年明けの瞬間はそれに気付かず、映画を観てました。tedって、中年になったぬいぐるみ云々の映画。最初はCGに感心してましたが、あまりの悪態ぶりとストレート過ぎるストー

#414 クルマはデザインありきをダイレクトに表現している、ルノー・メガーヌ。

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 まぁ、クルマに限らず、デザインってのは善し悪しはないと思いつつ、秀逸であるかどうかは、あると感じています。なんていうんですかね、理由など必要のない、ダイレクトに訴えかけるモノがあるかないか。それは好き嫌いとはまた異なるものだと思っています。自分はアート系の人間ではありませんが、デザインに対してはそう考えているので、デザインについて頭ごなしに好き嫌いを語られてしまうと、その後の会話がぎくしゃくとして続かなかったりします。そもそもクルマをアートとして捉えるかって話もありますけど、そこにはアート的センスが込められた作品もありますし、中には実用品的なポジションのクルマもありますから、一概に云々は言えないように思いますが。  さて、で、ルノーのメガーヌですな。なんていうんでしょうかね、好き嫌いは別にして、心に訴えかけるデザインとはなんぞやを知っている人がデザインしていることだけはすぐに理解できました。個々を見ていくと、インパネやらグリルやらにチープさはあります。でも、夕陽の中で眺めていたら、それを感じさせませんし、こうしてついつい写真を撮りたくなる。ってことを考え、あれやこれやと撮影していると、デザインがどんどん自分の中にリンクしていくのが感じられますから、これがまた不思議。さらには、走りまでそこにリンクしていく。いや、無理矢理つながるというよりは、すべてのベクトルが同じ方向を向いていて、その統一感に気付くと、軽いショックを受けるとでもいいましょうかね。チープさを含めて、妥協はたくさん見られます、でも、バランスがとてもいい。以前、ルノーにて、そこまで計算していると訊きました。クルマはデザインありきと言いますが、それは見た目だけを指していません。デザインがクルマのすべてを表現していること。だから、クルマはデザインありき、なのですな。  で、その走り。このGTラインは、日本仕様的な取って付けた感はなく、ルノースポールが手がけたシャシーを特徴としたスポーティモデルでして、これが破綻していなかった。たしかにシャシーは締め上げられており、パフォーマンスレベルは高くなっており、その分、日常では体が揺すられるという非フラット感がある。ある、あるんですが、気にならない。同乗者がいたら気になるかな。その加減がとてもいい。ステアリングも先代のような電動パワステフィールは消え去り

#413 時代は変わっていったとしても、風景に宿っている心は変わらない、ってな話。

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  #412 で、久しぶりに訪れた崖っぷちですが振り返ってみたら、足繁く通っていたのは20年前のことでした。昨夜、たどり着いて、変わっていない風景に懐かしさを感じ、当時と変わっていない自分を発見したり、変わってしまった周囲に現実を感じたりと、とても不思議な、でも豊かな時間が流れていきました。周囲に民家がないことからカーオーディオから音楽を大音量で流し、断崖絶壁の下から聞こえてくる磯に打ち付けられる波音が上手く混じって、なんていうんでしょうかね。自分だけの世界に浸れるというよりは、自然の中に身をおくことを愉しんでいるとでも言いましょうか。まぁ、素直になれるんです、この場所は。 振り返ってみると、ここに来るのは夏が多かったような気がしますが、暑いとか寒いとかって印象は残っておらず。昨夜も 気温は2℃でしたが、寒さを感じることなく、小一時間ほど海を眺めておりましたが。  画像は、昨夜のもの。月明かりに海がキラリと照らされ、それを眺めているとやがて目が慣れて、周囲が見えるようになってきます。 昔は、この景色を簡単に残すことが出来なかったのですが、簡単に持ち帰ることができましたので、雰囲気だけでもと、アップしておきます。見えているのは太平洋です。

#412 多くの発見と出会える上に充足感がとても高い、直感ドライブのススメ。

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 えっとですね、ルノーへと広報車を借りに出掛けたんですよ、昨日。横浜まで。でも、年末の27日ですから、道路は大混雑。それを避けようと午前中には動いていたんですが、横浜でクルマを受け取って戻ろうと思った時にはすでに遅く、都心まで12kmの渋滞が。1時間も渋滞にはまっていれば抜けるだろうから、いいかなと思ったんですが、思ったんですが、気付いたら、渋滞を避けて、房総半島へ。そう、アクアラインを走っていました。千葉を回ると、距離は増えますし、時間的にも渋滞にはまっているのと大差なくなるわけですが、それでも千葉を回って帰ることを選びました。まぁ、特に急ぎの予定もありませんでしたし。  ところがですね、東京湾の上を快走していたら、せっかくだから木更津のアウトレットに立ち寄ってみようと向かいましたが、目的のないアウトレット訪問ほどつまらないものはなく。で、ハラヘッタなと思いつつ、アウトレットで何かを食べる気も起きず、魚を食べに行こうと、房総半島を南下することに。途中で高速道路に乗る予定でしたが、ふらりと誘われるかのように久しぶりの国道127号線をちんたらと走ることに。かつて、中学生の頃に、釣り竿をかついで歩いた道やら、釣り糸を垂らした堤防を懐かしみつつ走っていたら、ひとりゴハンするなら、やっぱりばんや(写真左:珍しいサワラの刺身)が気楽かなと立ち寄ることに。そして、ここまで来たならセロリを買って帰ろうと南房総市まで足を伸ばし、したらiPhoneのバッテリーが危うかったので充電器を買うべと100円ショップを求めて館山市街地へとさらに南下。  館山まで来たのだから、例のミニ水族館(画像右)を訪れなければと足を運んでみれば石鯛が増えていて、バルコニーへと上がってたら夕景がとても美しかったので、そうだとばかりに沖の島へ。それがいちばん上の画像ですな。 で、夕景ドライブをもっと愉しもうと、房総半島を南下しつつぐるりと巡り。陽が落ちてみれば、今度は月明かりが強く海をきらきらと照らしてまして、こうなったら、もう、あそこでしょ、と、免許取り立ての頃に良く訪れていた勝浦の崖っぷちへと。   どう考えても、横浜から首都高の渋滞にはまって帰ったほうが早かったですし、安かった。 ちなみに、総走行距離は300kmオーバー、燃費は15km/Lオーバー。あれ、あれだけアクセル踏んだのにと思いつつ、途

#411 バッテリーに続いて、ギリギリまで使い倒した、フロントブレーキローター。

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 そういえば、この前、訊かれました、自動車雑誌にあれこれ書いている人なのだから、所有しているクルマは、いつもピカピカに磨き上げられて、メンテナンスもばっちりなんですよね? と。そんなことはありませぬ、きっぱり。クルマの洗車は、オフロードコースを走った後のみ、つまり年に2回だし、消耗パーツはギリギリまで使い倒します。いや、分かっているからというスタンスゆえのことですが。  で、そんな消耗パーツのひとつ、ブレーキローターを、本日、交換しました。とりあえず、フロントのみ。いや、リアも交換時期ではあるんですが、フロントからジャダーが感じられるようになってきたのもので、今回はフロントのみ。で、結論。とんでもなく滑らかなフィーリングとなりました。特別なものは入れてません。日本では考えられないような価格の、アメリカで販売されている汎用品です。なんていうんですかね、これまでは ただ食いついていた感があり、なんだかなぁ感があふれていたフィーリングが、踏み込み量に応じて美しく制動力が立ち上がりまして、まさにブレーキングにもしなやかさがあふれてきましてね。止まるようになったではなく、止まりゆくその様が実になめらかで美しい。だから、ついついブレーキを踏みたくなるとでも表現できましょうかね。一般にブレーキ性能というと、利く利かないで語られてしまいますが、実はどのように利くかも、大切。そして、それも相まって、止まるという安心感を生み出すものですから。  というわけで、ここ1年ほど、うちのクルマへ乗られた方、失礼しました。美しく止まっておりませんでした。これからはきれいに止まります、是非、ご試乗ください。 ってか、グランドチェロキー(2世代目)って、ほんと、良く出来ているなと感じました。こういうところのフィーリングが絶妙で、とにもかくにもバランスがとてもいい。  写真は、今宵の試走。気温は0度。ダンパーからギシギシ音が響いていましたが、そのほかはすべてがハイバランスしており、もう、それはうっとりなドライブとなりました。