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#1447 Hello againには届いていないけど、製品としてはいいと思う、Macbook pro。

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 さてと、Apple新製品発表会についてあれこれを。ま、予想どおりだったと言いましょうか、ガッカリだったと言いましょうか、そんな感は否めません。簡潔にいいますとね、Macbook proの善し悪しは別にして、あのレベルで、hello againを使ってしまったことは、もはや取り返しがつかないことをしてしまったと言いましょうか。もはや、今後のAppleに対して、かつてのようなとんでもない驚きを期待することはないかな、と、そんなことを感じました。  で、登場した、Macbook proですが、いいんじゃないでしょうか。おいおい、さっきと言っていることが違うじゃないかと思われたかもしれませんが、製品としてはとっても興味深いと言いましょうか、ゆとりがあるんだったら欲しいと思いましたし。しかし、それはhello again レベルには届いていないってだけ、って話なんです。  最大ともいえるトピックのTouch Barは、タブレットの操作性をうまくMacへと落とし込んでいます。落とし込むもなにも、Surefaceのように、タブレットにキーボードを加えてしまえば、そんな面倒なことしなくてもいいのではないか……、ってな考え方もあります。そもそもですね、タッチパネルを採用したタブレットの操作性の利点は、ポインターを指先で指定できることやら、スライダーのコントロールやらにあります。ま、そのほかにもあれこれ。前者については、モニタへと直接指示することになるんですが、考えてみるとですね、surface含め、キーボードとモニタという2面によって構成されるノートタイプにおいて、キーボード、モニタにアクセスする際、手首の角度が違います。つまりですね、そこには異なる2系統の操作があり、少々とはいえ無理を感じます。ま、慣れてしまえば、とも言えることですが、モニタ(のヒンジ)にタッチした際にモニタがヒンジを中心として動くようでは、操作性としてはイマイチですから、そこにそれなりの強度が必要となります。つまり、デザインに美しさがなくなっていきます。  Appleでは頑なにモニタを触らせることはせずトラックパッドの採用によって、タブレット流の操作性を得ていました。で、今回は、そこにアプリケーションによって変化するビジュアルを加え、さらにその操作性を引き上げた、と。たとえば、スライダー機能にしても、モニ

#1446 簡単に使っちゃならないhello againを使ってしまった、Appleの覚悟。

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 今日はこれで4本目になるのかな、あれこれと書いていますが、その内容はマイナス的といいましょうか、いいことを引っ張り出すというプラスがないことばかりで、書き終えてもすっきりしません。しないんですが、また、そんなことを。いや、このタイミングでしか、書けないもので。って、あれです、昨今のAppleの新製品について。といってもですね、やっぱりSteve Jobsがいないと……、なんてことは思っていません。いたからといって、どうだったかは分かりませんし、時代もあれから変わっていますし。ですから、製品については、あれこれあっても、仕方ないと思うわけです。  しかしですね、感心しないのは、かつてのような期待を持たせる手法を新製品発表に用いながら、結果は、どってことないという、肩透かしを与えること。最たるのは、以前にも書いた、iPhone7発表前に、Tim Cookが、これなしでは生活できないような新機能をiPhoneに搭載するって発言。この手の表現ってのは、Apple製品に期待される、見たこともない、触れたこともないような、革新を搭載することを期待させるものであって、どこかですでに製品化されている機能を採り入れることとは違う。で、iPhone7のそれは、どうやら耐水性のことだったようで、まさに、唖然。そして、もはや期待を打ち破ってくれる(いい意味でね)ブランドではなくなったことを、強く感じました。  そしてですね、明後日の新製品発表会のキャッチに、よほどのことがなければ使ってはならない、hello againを掲げてきました。ま、よくよく考えてみますと、iMacの時に使ってしまったフレーズですから、さらなるひねりが欲しかった気もしますが、それ以前に、このキャッチを使うならば、iMacレベルの革新あふれる製品のデビューが期待されます。期待されますが、出せるんでしょうか、果たして。やたらとリークが多い新しいMacbookproに、そこまでのレベルはないと思いますが……。  なんだかんだ言いながらも、少しばかりの期待を持ってはいます。いますけどね、どうなんでしょうかね。あ、Airという名称を引き継ぐモデルチェンジだったら、それはそれで、ガッカリ。それは、マーケットに押されて、Airというサブネームを捨てたというスタンスを押しきれないことを意味しますから。そして、かつてのAp

#1445 サービスの善し悪しは、その量(数)ではなく、塩梅にあるって、話。

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 リスクを恐れるがあまりに情報をコントロールする、って話とは、少々異なるのですが、なんか、違うんだけどなを感じたことが、本日、ありました。いや、どってことはない、簡易書留の再配達依頼なんですが。最近は、宅配でも郵便でも、インターネットから再配達依頼ができますよね。配送業者側によっては、瞬時に反映されないところもありますが、多くは瞬時に反映されて、なかなか便利。ま、電話代がかからないってもありますし。というわけで、そんな再配達依頼ですが、配送業者によっては希望日時だけではなく、連絡事項を任意の文字列で伝えることができます。今回は、10時頃に数日前分の不在連絡票の存在に気づいたものですから、指定できる最も早い時間帯も午後枠に。しかしですね、こういうのって律義過ぎるぐらいに、その時間帯に配達してくれるじゃないですか。以前、時間になるまで待っているっていう配送人の姿を見かけたことがありましたし、今日はずっと自宅にはいる予定でしたから、指定は12〜14時、でも、午前中でもかまいませんよ、と、付け加えて、送信。  したら、1分も立たずして郵便局から電話が。何ごとかと思ったら、すみません、午前中の便はすでに出てしまっているので午後になりますけど、いいでしょうか? というもの。えっとですね、午前中でもかまいません、なのに、どうして、そういう受け答えになってしまうのだろうか、と思ったんですが、ま、これ、まさに、過剰な配慮によるものなんですな。サービス業は、配慮は不可欠だと思いますけどね、それが過剰であってはならないと思っています。そうなんですね、サービスの善し悪しってのは、量ではなく、その塩梅にあるもんだと思います。まさに質ですな。  今回は、そんな電話、わざわざ掛けてこなくていいように、午前中でもかまいませんと記したんですけども、難しいですな。って、最近、郵便局の窓口に対しては、そういった過剰をあれこれ感じます。その前に、配達員のバイクのドライビングのラフさをもう少しどうにかして欲しいと、個人的には感じますが。  なんかね、違うんだよな、が多いと感じます、最近。プレミアムやまじめ、そしておもてなしは、自らがアピールするものではないような気がしますし、むしろ表面だけの演出をそこに感じ、逆に映ります。はい。  

#1444 再度確認しましたが、やっぱり良くできていました、日産・セレナ。

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 さてと、再び、日産・セレナをロングドライビングする機会がありましたので、セレナのことをあれこれと。といっても、今回のテストドライブはロングとは言えない、100km程度で、しかも、大半が、高速・有料道路ではありましたが。で、印象は変わっていません。 #1242 で感じたよくがんばりましたね感と、 #1417 にも書いたミニバンに求められる家族というキーワードにぶれがないこと、やら。ということもあって、今回はそれらの再確認といった意味合いもありましたが、ま、変わりません。プロパイロットのあれこれについてまで。ただですね、ひとつ気になったのは、あまりに発進時のトルクがない的なという評価が聞こえてきたこと。それは、トルクがないのではなく、アクセル開度とパワー(トルク)発生に緩さを与えるだけのことであって、つまりは、ゆっくりというよりは、ゆったりと発進させることで快適性とはこうあるベキというフィーリングを作り上げただけのこと。ですので、外部の意見に惑わされることなく、あのフィーリングを変更しなければいいなと、そんなことを感じました。  ま、思うにですね、このあたりは考え方ですので、いろいろと意見があっていいと思うのですが、そういう意味では、ブレーキペダルの踏み込み量と制動力も、ペダルストローク量をもっと使うと、そのあたりのスタンスは随分と整えられるのではないか、と感じた次第。初期制動を弱めなさいと言っているのではありません。踏んだ分だけ、制動が立ち上がる、そして、踏み込ませることでそれを意識させる、そんな仕立てにしてはいかがですか? という提案ですな。ま、アクセル側はそういう提案になっているわけですから。それを言い出すと、減速させるためのブレーキペダル操作ではストローク量を減しながら、アイドリングストップではストローク量を必要とするという、異なるかのような2つの手法が混在しているところに、煩わしさを感じたりもしました。わかります、その理由。完全停止が、クルマによるものか、ドライバーによるものなのか、それを勘違いさせないための手法であることは。そして、それは慣れであることも。でもね、……、と感じるわけです。ちなみにスバルも大きめですな。  それにしても、改めて、このセレナは、ミニバンに求められる要素に富んでいる、アドバンテージが多くあるなぁと感じました。プロパイロット

#1443 人は多いけれど、その分、情報が少ないと感じる、都会での話。

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 昨日、夕方羽田着の便で東京へと戻ってきたのですが、都心へ出たついでとばかりにその後に仕事の打ち合わせを入れていました。しかしですね、考えてみれば、その時刻って、帰宅ラッシュ。出発時に軽かったかばんは、土産やらを買ったわけでもないのに、重くなっており、膨らんでかさばって、邪魔な存在になっていましたから、地下鉄での移動はひたすらに面倒でした。運良くイスに座れたものの、かばんを膝に抱えながら、肩をすぼめながらで、立っているよりはマシとはいえ、窮屈でしたし。で、編集部の最寄り駅へと到着してみれば、雨。なんだかなぁと思いつつ、打ち合わせを終了して、新宿駅から京王線で帰ろうと、到着していた次発の電車ではなく、座るべくホームにて次々発の電車を待っていたところ、なにやら電車の中でアナウンスが。その直後、車内から、まさにわらわらと人々が降りてきました。  ホーム側には放送が届いておらず、次の電車を待っていた人たちは、はて、何があったのだろうと、不思議そうに周囲を見渡していましたが、ようやく、ホーム側でもアナウンスされてみれば、先の駅で、人身事故があったとのことで、すぐには出発できず、運転再開は1時間後になるとのこと。ま、新宿はターミナル駅ですから、多くの方は、代替となる路線(帰宅方法)がありますし、自分の目的地である高尾駅へは、京王線だけではなく、JR中央線も利用できますから、自分も、わらわらと人の波に乗って、改札口へと向かいました。定期券を持たぬSF利用者は、振替輸送票をもらうだけでは済まず、入場してしまった記録を消してもらわねばなりませんから、これもまたかなり面倒。しかも、改札口は人だらけで動きが取れないほど。とりあえず、ホームへと戻って、このままに改札口人の群れに翻弄され、さらに激混みの中央線に、この荷物を持って乗ったほうがいいのか、1時間待って京王線で帰ったほうが楽かを考えながら、ホームをうろちょろしていたら、丁度、停まっていた電車に座っていた人が席を立ちましてね。で、席を確保して待つことに。やがて、運行が再開され、新宿駅を発車したのは、ほぼ1時間後である59分後のことでした。  ほほぅ、人身事故であっても運行再開時間が見通せてしまう、この対応の早さはさすが都会ゆえのことか、と感心しつつ、思ったんですね、人身事故って、その程度や、内容をアナウンスしない、ことを。ま、内容

#1442 やっぱり、ガラパゴスであることに残念を感じた、日本版Apple Pay。

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 ちょいと九州にいましてね、利用しました報告をいただいてから、気づきましたさね、日本でのApplePay開始を。というわけで、自分も試してみようとカードを登録しようとところ、右の画面が。がーん。使えるとどうどうと謳われている携帯キャリア系のカードなのに、こう来ましたか、って感じ。ってか、iPhone7なら追加できるってわけね、ふーん、そうですか。ちなみに、ほかのカードはそもそも非対応と言われて、却下。  ま、Appleの新製品、というか、新サービスってのは、こうした使える使えないといったことを含めて、混乱は付き物ですので、言っていることと違うじゃないか、とか、情報が少な過ぎるとか、そんなことは不満に思っていません。いや、むしろ、情報が少ないからこそ、あれこれ試して、その手法といいましょうか、システムといいましょうかを、自分なりに理解していく過程に愉しさを見出していたりしますもので。  ただですね、Apple側の問題というよりは、この妥協とも、亜流ともいえる、日本版ApplePayに対して、そもそもに、NFC-Fだけで対応させようとした無理に、ナンダカ違うんだよなぁを感じました。日本におけるあれこれを眺めていると、Appleが日本にすり寄った的な表現を見かけますが、個人的には逆じゃないかと思うところ、しばしば。いや、iDとQuicpayと、そして、何よりもsuicaによる、ユーザー囲い込みでしょう。日本でかなりを占めている端末の決済をいただけるのですから。というわけで、個人的には、ガラパゴスApplePayと捉えていますが、将来的にどうするんでしょうかね。ちゃんと、このまま貫くつもりなんでしょうか、それとも、これが突破口となるんでしょうか。  といいながらも、やはり、体感してみたいものですから、AppleWatchで改札通過を実現すべく右腕にAppleWatchをするようにして、大分慣れました。ただ、その場合、竜頭をどっち側にするのが理想なのか、よく分からなかったのですが、時計好きな方に聞いたら、どっちでもいいとのこと。いずれにしても、慣れたのは腕へのフィット感だけで、付ける際の戸惑いやら、操作の戸惑いはまだ残っています。  そうそう、話、変わりますけどね、その時計好きな方、同年代のおっさんですけど、ローズゴールドのiPhone7を持っていました。クリアケ

#1441 クロスしたポロなんだけど、ワインディングがとっても愉しいって、話。

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 ほほぅ、FFモデルで、クロスオーバー的なスタンスであっても、クロスカントリーランを楽しめるのか、ってことを、先日行われましたプジョー2008の試乗会で感じ、それならば……、ではなく、そもそもの昨今のクロスオーバーモデルって、どうだっけかなとばかりに、復習を兼ねて、比較を兼ねて、フォルクスワーゲンのクロスポロをテストドライブすることにしました。ちなみに、ポロが最新世代へとスイッチしてから、クロスポロのロングドライブはすでにしております。で、そこで感じたあれこれは #1079 に記していますが、読み返してみると、絶賛していますな。もちろん、今回のロングドライブで、あの時に感じたことと基本的に同じことを感じました。しかしですね、あれから、あのクルマが改良され、そのクルマがデビューしていますし、何よりも、Bセグってことで言いますとね、自分がユーザーになっていますから、その見方はかなり厳しいものになっていることも、テストドライブしながら、強く感じました。  まず、感じたのはベースとなったポロが大改良を受けているとはいえ、世代の古さのような、今どきの最新Bセグモデルに届いていないこと。いきなり厳しい意見ではありますが、これが、すべてのベースにあります。特に感じたのは、クロスポロに採用された215/40R17サイズのタイヤを抑えきれていないところ。とても細かいレベルの話ではありますが、大きな入力をシャシーでいなしきれていないところがあり、それがボディを振動させていましてね、ゴトゴト手前のコトコトではあるんですが、ストローク量が大きくは確保されていないこともあって(多分、レギュラーモデルと変わらないと推測)乗り心地にあと少しを感じてしまいました。このあたりのいなし方は、最新のBセグモデルは、うまくこなせるようになっていますし、何よりもロープロファイルタイヤでそれを実現していますから、比較してしまうと、惜しい。って、以前、書きましたが、GTIになれば話は別ではありますが。  ハンドリングも、SUVフィールではないキャラクターをもつタイヤと、ポロ由来、かつクロスオーバー専用となったシャシーとのバランスにあと少しを覚えました。シャシーにおいて緩さを消しきれていないところがあり、ステアリングを操舵した際のフィーリングに緩さがもたらす余計な動きがありましてね、日常域で強調されるかの