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8月, 2011の投稿を表示しています

#262 あっという間に過ぎ去っていった夏、そして、逃れることができない原稿。

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 気が付いたら、8月が終わろうとしています。お盆休み以降の不安定な天気も手伝ってか、すでに夏は過ぎ去ってしまったかのようにすら感じています。もちろん、八ヶ岳も、夏空は消え去り、くずくずした天気が続いていました。そもそも、あちらにいますと、皆もよく口にしますが、お盆を過ぎるとあっという間に夏から秋へと変わっていくと。なんていうんでしょうかね、空気感ががらりと変わるんですな。景色には夏がたくさん残っていたとしても。  上の写真は、8月15日の空。青空が広がっていましたが、どことなく秋が感じられるのは、空がやたらと抜けて高く感じたためでしょうか。でも、こうしてみれば、雲にもなんとなく秋の気配が見られるような気がします。  個人的に、八ヶ岳にいて、夏が終わったと感じさせるのは、灯籠流しとともに行われる湖上の花火大会でしょうか。周囲約2kmというこじんまりとした湖にて行われるのですが、花火については、近くで見られる、全体を見渡せる、そして場所取りなど必要のない、そんな緩さがとっても心地よいものだったりします。個人的には隅田川の花火大会よりも好きですな。と言いながらも、それなりの内容。下にムービーとしてアップしておきましたが、湖面ギリギリで展開される花火(ムービー内、下半分は湖面に写った花火)はダイナミックさはもちろん、夏の最後って雰囲気も重なって、 ちょっとした興奮を覚えます。  というわけで、自分の中で、今年の夏は過ぎ去りました。さて、これから秋に向けて野菜がさらに味を深める季節となります。そういう意味からすると、楽しみはまだまだ。 ただ、とっても重いことがのしかかってまして。8月中締め切りの大量の原稿書きがあるのですよ。これ、いままでに体験したことのないほどのプレッシャーと文字量/時間でして、いつもなら何とかなるだろうと、実はどこかで思っていたりするのですが、今回はそんな考えは全くなく。そうなると、おもしろいもので、その原稿において、執筆内容はもちろん、スケジュールまでも、すべてについて考えることを遮断してしまうんですね。こんな感覚はフリーになってから初めてかも。逃げ出すんでしょうか。そういう意味では、一体自分がどういう行動をするのか、 客観的に見て、 楽しかったりするんですが。いやはや、冗談になっていません。

#261 都会を基準としたスローライフって、実はたんなるナチュラルライフって、話。

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 八ヶ岳にいる時ってのは、ぼけっとしたり、あたふたとしていたり、いろんな意味で忙しかったりします。八ヶ岳にいることをスローライフだね、と言われますけど、実は忙しさという意味合いからすれば、実はスローじゃなかったりします。  今宵は、別荘内で行われているクラシックなコンサート(これが無料)に足を運ぶ予定が、なんとウトウトとしてしまって、気付いた時には間に合わず。で、外を見れば満月にほど近い月が目に入ったので、月明かりに照らされた八ヶ岳を見に行くことにしました。 八ヶ岳は、人気(ひとけ)を感じられるものが周囲に少ないこと、なだらかな斜面に牧草地やら畑が広がっていることも手伝って、夜の景色がとてもいいのです。シーンと静まりかえった畑の中で、月に浮かぶ八ヶ岳を見ながら、カーオーディオから音楽を流しつつ、その場に突っ立っていると、つまらんことやら、ひっかかっていたことが、さらっと流れていったりします。これって特別なことのようですが、ただ、ぼけっとしているという意味合いからすれば、特別感はないんです。  でも、こういうスタイルやら感覚をスローというんでしょうか。いや、どこか違うと思います。一般的なスローライフってのは、時間の流れやら雰囲気を、 都会ライフを基準にして 比較したものではないかと。ゆえにですね、その都会ライフ=絶対的基準というニュアンス漂うスローライフという言葉は、どうにも好きになれません。実際、忙しくって、スローじゃないんですから。  画像は、今宵の八ヶ岳。いろいろと撮影したんですが、簡単に補正してみたら、空は青く、牧草は緑となり、昼間に撮影したかのよう。たんなるアンダーな写真かと思ったら、ちゃんと色がのっているんですね。いやはや、 おそるべし、最近のコンパクトデジタルカメラ。

#260 あったほうがいいけど、ないことにもメリットがあるって、テンキーな話。

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 母親用MacMiniを、昨日、セッティングしてきました。まぁ、HDDが5400rpmであること以外は、ストレスフリーでして、我が家もMacMiniでよいかなと思えてきました。新旧どちらにするかは迷うところですが。  で、実家ですが、MacMiniですからキーボードとスピーカーとカメラを新たに用意して、いざ配置してみると、 写真には見えないところにあれやこれやありまして、画像のような モニタのセンターよりも左側に座るというポジションとなりました。美しくない。ところが、それよりも気になったのは、純正テンキー付きキーボードの幅が意外にあったもんで、 マウスが果てに追いやられてしまったことでした。 と、ここでテンキー付きキーボードのマイナスポイントに気付き、同時に Appleが標準キーボードをテンキーレスにした理由も見えてきました。  人とキーボードの位置関係ってあまり気にしたことないと思いますが、腕を真っ直ぐにできるポジションをとろうとすると、キーボードの文字パートがセンター(GやHがセンター)になるものです。そして、その分、テンキー部は、体のセンターよりも右へはみ出すかのような位置になると。つまりですね、モニタとキーボード、さらには座り位置までシンメトリーにしたいと思ったらば、テンキーは邪魔となってしまうのです。テンキーがないことの不都合は重々承知ですが、ないことによって腕やら体をひねらずに済むと思えば、それはプラスになるのかなと。 画像真ん中はAppleのiMacの商品写真のひとつですが、まさに先の理想なスタイルですな。テンキー付きキーボードでは、マウスの位置はこうはいきませんから。  いわゆる「パソコンデスク」の商品写真で、iMacが使われているものを見かけますが、あれらが美しくないのは、やはりテンキー付きキーボードを使っているから。 テンキー付きゆえに、iMacの幅内にマウスを入れて撮影しようとすると、キーボードが極端に右端へと追いやられてしまうんですな。  たかが、キーボード、されど、キーボード。奥深いもんです。 ちなみに画像いちばん下は我が家。手前にスペースがあるので、テンキー手前にマウスを置いていますが、手の移動量が多いのがネック。そう考えると、ノートパソコンは理想なスタイルを実現しているもかもしれません。モニタ、キーボード、トラックバッド、そして

#259 バラしてわかった、グランドチェロキー(WJ)のありがたみ(よさ)。

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 アメリカからパーツが届き、なんとか時間も出来ましたので、グランドチェロキーのウインドウ落ち(レギュレーター不良)を修理しました。途中、空が暗くなって雨が降りそうな気配があったりして、ちょっと慌てましたが、雨に降られることなく終了。過去に運転席側を交換しましたが、その時は8万kmで、今回の助手席側はその倍の距離(使用時間)はもったわけですから、まぁ、良しとしましょうかね。  さて、今回の発見ですが、ドアトリムの中に貼られている防水用のシートにありました。グランドチェロキーの本国修理マニュアルでは、 WATERDAMと書かれていますが、あれって、正式名称は何て言うんでしょうか。まぁ、いいや。そうです、あれです、あれ。で、これまで目にしてきたのは、いわゆる薄い透明なビニル素材で、まさにゴミ袋を切り裂いて代用できそうなもの。まぁ、 考えてみると、自分のクルマでドアパネルを外したのは、ワゴンRとエスクードとファミリア、あとは会社の ジムニーですから、そんなもんだったのかもしれませんが。  ところがですね、 グランドチェロキーの WATERDAMは薄手のゴムのような素材(画像)でして、重量にして1kg弱(大げさか)はあったんじゃないかと。なんだかんだいってもジープのフラッグシップモデルであり、また、今ほどの軽量化が叫ばれていなかった時代のクルマゆえに、こんなところにコストを掛けて快適性は作り上げられているようです。まぁ、ちょっと驚いたとともに、なんとなく愛着が増したと言いましょうか。ふーん、って感じを抱きました。  肝心なウインドウ落ちは元通り。あ、でも、取り付けたら、スイッチ方向と逆に動きまして……、スイッチを押し上げると、ウインドウは下に下がり、また、その逆。本国仕様は配線が逆なのか? と一瞬迷いましたが、輸出/国内用で共用しているパーツゆえに、そんなわけはない。と思ったら、コネクター部の配線ミスだったようで、ちょちょいと分解して、配線を逆にして、事なきを得ました。まぁ、こういうなんとかできるミスやら、発送ミスを含めて、海外通販の時はこういう小トラブルは承知の上なので、別に怒ったりはしません。それどころか、左右を間違えて発送されたら後が面倒だからと、左右セットで注文したりして。いずれ、運転席側もまた落ちるでしょうから。いずれにしても、 こうしたトラブル時のフォローま