#1561 奥能登にいました。今回は奥能登国際芸術祭が目的で、って話。その4
振り返ってみますと、#1560でも書きましたように、この手のイベントはアートによって、地域と人とが新しい関係を作りとか、結びつくことにひとつの意義があったことに気付きました。だから、アートの評価も様々でいい、アーティストの表現もいろいろでいい。でも、大切なのはアーティストの理解であり表現力、そして、見る者の受容性……、っていうと大げさか、ニュートラル加減といいましょうか、素直というフィルターをいかに意識するか。 上の写真は、廃線になった能登線の駅と線路とアートと。国鉄から第三セクター路線へと変更を余儀なくされてから、しばらくは走っていたようですが、12年前に廃線。そのままに残された線路やホームだけではなく、実は車両も線路に残されたまま、といった風景が奥能登では見られます。なんていうんでしょうかね、自分にとっては、観光ガイドに載っているスポットよりも、よっぽど奥能登らしい風景だと感じていました。で、今回、この線路を歩いたり、駅で当時使われていた券売機を目にしたり、過去の賑わいを聞いて、なんでしょうね、これ、懐かしいではなく、もったいないでもなく、こうして時代は移り行くことの儚さ、いや、違うな、儚いではなく、移り行くことの事実、違うな、……、えっと、まぁ、レイヤーとしてのヒストリーのひとつを感じ、なぜだか、心に温かさを覚えた、ま、そんな感じでした。 一方、右の写真のアートは、漁の網を扱っていた? 修繕だっけかな、ま、そんな会社の倉庫にて。中央にクレーンがあって、2フロアにしきられている、建物。現在は、倒産して、使われぬままに放置されていたのですが、そこにあったカゴやら網やらを使って、表現。かつて活躍していたクレーンに吊るされたランプが上下を繰り返し、その前に広げられたスクリーンに網やら、何やらの影を映し出すんですが、それら小物だけではなく、建物の鉄骨やら手すりやらも映され、ランプの上下によってカタチを変えていく。まさにですね、時の流れを強く感じさせるもので、しばし、足を止めてしまいました。 今回の奥能登国際芸術祭は、当初の来場者数を3万人と見積もっていたようですが、結果、6万人を突破。どこへ行っても、駐車場はほぼ満車といった感じ。ま、そこで感じたのは、この手のイベントは、やはり交通機関をどう利用するか。瀬戸内では渡し船だったようですが、ここ珠洲市では