#265 出会えないのも、出会えるのも、そのすべては時機であるか、どうか。

 本日の長野県内も、当初、天気は良くないと予報されていましたが、一変して、快晴の秋晴れを飛び越えて、夏のような陽気でした。そんな連休の1日、なんとなくで目的地を設定してちょいとクルマで走り回ってきました。走行距離は320km。ちなみに下道のみ。
 最初の目的地は、約7年前に辰巳出版刊・プジョースタイルの取材で訪れた山の中の僻地。カメラマンさんの案内で訪れた場所だったこともあり、正確な場所はうるおぼえでしたが、まぁ、そうそう間違えるわけもないと、おおよその場所を推定して出掛けてみれば、そこは全く違う場所。あちこち走って、探せども、見当たらず。雲隠れしたかのよう。たぶん、今は、行かないほうがいい、行く時機ではないということなのでしょう。
 こうした雲隠れといいますか、場所であれ、モノであれ、見つからなくなることは多々あります。でも、それは、時機じゃないからと思うようにしています。自分の成長が足りないとか、受け取れないとか、まぁ、いろいろと。その逆で、意図していないのに、繋がったり、見つかったり、出会ったりすることもあります。これも、また、時機なのかなと思ったりしておりますが。
 なので、なんていうんでしょうね、適当にしがみつきつつ、流されるかのような、たゆとう人生とでもいいましょうか、そんなスタンスを心掛けようかなと。それを、今日のドライブで確信しました。
 画像は、本日、後半に訪れた姨捨山(おばすてやま)から見た長野市内。そう、あの姥捨て山の話に出てくる地。秋を感じさせるすこーんと抜けた空(遠くには入道雲もあったけど)と、稲穂が垂れてまさに実りの時期を楽しませてくれる棚田も相まって、そこにはとっても心地よい秋の景観が広がっておりました。

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