#252 捨てられる運命だったジャガイモ1個が考えさせた、事故(自己)責任。
収穫の秋ならぬ、収穫の夏がやってきました。本日、我が家ではジャガイモを収穫。前に書いたような気がしていますが、こやつ、春先に芽が出てしまって食せなくなったジャガイモを植えておいたものでして、途中、放置しておいたにも関わらず、それなりの収穫量となりました。ただ、種芋を植えたのは、震災前でしたから、たぶん、いろいろと被ってますし、あれやこれやと吸収しているはずです。確認すべき手段がないので、どうしようもないんですが、だからといって食さないのももったいないし、どうしようか、正直思案中です。
何が安全なのか、何が安全でないのか、が、さっぱり分からない、いや、分からなくされている昨今ですが、だからこそ、自分での判断が必要なような気がしています。あれやこれやとさまざまな情報に流されることなく。
最近、近所にある、でもホットスポット指定されてしまった大きな公園へと自転車でよく出掛けるんですが、広々とした園内に、あふれかえんばかりの緑を見ていると、何もなかったかのように見えてきます。しかし、現実に戻って、目には見えないものを、景色に重ね合わせると、ズンと、悔しさがこみ上げて来るんですが。
何が安全なのか、何が安全でないのか、が、さっぱり分からない、いや、分からなくされている昨今ですが、だからこそ、自分での判断が必要なような気がしています。あれやこれやとさまざまな情報に流されることなく。
最近、近所にある、でもホットスポット指定されてしまった大きな公園へと自転車でよく出掛けるんですが、広々とした園内に、あふれかえんばかりの緑を見ていると、何もなかったかのように見えてきます。しかし、現実に戻って、目には見えないものを、景色に重ね合わせると、ズンと、悔しさがこみ上げて来るんですが。