#1375 とってもいい、八王子にある小さな洋菓子屋さん、ハナユラカヒミ。

 フリーライターというか、出版業というか、マスコミという職種を希望した動機は、多くに何かを伝えるという仕事がしたかったからでした。ところがですね、いざ、情報を発信できる立場になってみると、いつしか、意図的に発信しないというスタンスも取るようになりました。ま、表現はチープですが、分かりやすい表現を使うならば、教えたくない情報は、外へと発信せず、知人にもあまり伝えない、と。それは、このページをご覧いただければ、一目瞭然だったりしますが、そんな教えたくなかった情報のひとつに、近所の小さな洋菓子屋さんがあります。ここではあえて、その店のことを記しますが、それは今月で閉店してしまうから。書こうと思ったのは、もう閉店だから知られてもいいや、ではなく、ここに残しておきたかったからです。
 引っ越すといつものことなんですが、その街を探ろうとあちこち走り回り、歩き回ります。で、この店舗の前も、そんな時に通過したのか、目にしていました。ただ、地味とも異なる大人しい雰囲気が感じられる店構えから、ちょっと入りづらさを感じながらも、そこには何かあるに違いないという勘が湧き上がっていました。そう、何か、ある、と。
 ハラユラカヒミという店名の意味は、いまもって聞いたこともありませんし、聞くことにあまり意味もないかなと思っています。少なくとも、ご自身の名前との関連性はないようですが。ま、覚えやすいようで、覚え難いというか、どっかで聞いたことある歌い手の名前に似ているなといった印象がありますが、物覚えの悪い自分でもそうそうに店名を覚えられました。店内は、今どきのシンプルさとはちょっと異なる、また、何もないことを気取ったとも違う、まさに素がそのままに表現されていまして、ショーケースに並べられた生菓子、棚に並べられた焼き菓子も、飾り気のないシンプルさがあり、その飾り方もまた飾り気のないシンプルなものでした。
 このハナユラカヒミは、作る、そして売ることを、すべてひとりで手がけています。それは自分の責任とか、人に任せたくないということからではなく、作り手がお客様の手に渡すまで、つまり、最初から最後までに携わることでその洋菓子は完結するという、まさに壮大な世界観があるから。で、それを演出しているのが、店舗の雰囲気であり、ディスプレイ、である、と。ま、そんな感じ。いうまでもなく、作り手は、洋菓子との対話を愉しんでいますし、それがストレートに洋菓子に表現されています。
 そんな洋菓子ですから、着飾っていません、直球的に飛び込んできます。そう、飛び込んできますので、食す時も、こちらは覚悟というか、準備が必要です。味わうという、準備が。で、その味わいは、イマドキな都会のオシャレな店舗の、よく分からない雰囲気勝負のお上品さではなく、いい素材を使って、丁寧に作っている感にあふれたもので、なんていうんでしょうかね、味そのものにレイヤーがないわけではないんですが、作り手の想いによって素材の良さが引き出されて、それがこちらにドンッと伝わってくる感じ。ま、簡単にいいますとね、カスタードクリームなんて、もう最高でして、味わえば味わうほど底へと落ちていく、いや、落とされていくような奥深さがあります。毎回、驚かされる。いや、引き込まれる、いやいや、底のほうへと落とされる。そして、その底は、どんどん深まるばかりって感じの底。簡単な表現ではなくなりました、簡潔にいうとですね、それはごまかしのない本質で勝負しているといった味わい、でしょうかね。焼菓子は、どっかで聞いたことある名称のものであっても、強いんだけど柔らかいという不可思議な個性を与えていました。なので、むしゃむしゃとは食べられない。ひと口かじっては味わって、驚いて、味わって、驚いて、味わって、驚いて、そしてふた口目へいく、と、まぁ、そんな感じ。
 ですから、その分、価格は正直いって、品の良さに比例して高めの設定でしたので、自分用に購入することはあまりなく、お世話になる人へのご挨拶、お世話になった方へのお礼、はたまた、親友へのお土産として利用していました。残念ながら、6月いっぱいで閉店だそうで、とても寂しい限りです。
 あ、左の写真は、昨年末に、知人宅で行われたクリスマスパーティで持っていたブッシュドノエル。こういうリクエストにも応えてくれるスタンスも、ハナユラカヒミを気に入っていた理由のひとつでした。

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