#1182 ”何もないこと”を愉しむために奥能登へと来た、という話。

実は、能登がとても良い場所であることは覚えていたのですが、あれだけ来ていながら、何が良いのか、どんなふうに良いのかは、すっかり忘れていたように思います。ということすら、忘れていました、到着するまでは。で、来てみれば、ダイナミックというよりは風光明媚といったほうがピタリと来る景色やら、人やクルマが少なく、雑多があまり目に付かないという、ストレスのない風景やら、そういう意味での"何もない"という良さがあることを、思い起こしました。
ただ、波が打ち寄せ、ただ、太陽が沈み行き、ただ、風が吹いていく、それだけのことなんですが、これがいい。普遍という刺激といいましょうか、日常という当たり前に気づくといいましょうか、ま、そんな感じ。なので、ただただ、その場に浸っているだけで、幸せが湧き出してくるようなそんな感じ。非日常というと、よく癒されるという言葉が使われますが、それとは明らかに違います。癒されるのではなく、これでいいんだを気づかせてくれる、そんな感じ。それは、リフレッシュでもなくて、どちらかといえばリセットに近いかな。
というわけで、夕ご飯のおかずは、夕景(写真)。いや、そこまで詩人ではありませぬ。今日はひとりだったので、夕食は、ちょちょいと作って。で、夕景を眺めながら、あれこれ考えごとをしながら。テレビやスマホなんてもの、必要ありません。というか、ここには不必要なのです。