#1071 クラブレガシィを振り返って思うあれやこれや、その1。
#1062にて、一時休刊となったクラブレガシィを振り返って書くといいながら、何も書いていなかったので、今度こそ、クラブレガシィについてあれこれを。
編集後記にも書きましたが、付き合いは2号目(01年)から。フリーになりたての年で、って、確認したらフリーになったのは02年4月。つまり、最初の1年は会社として受けていましたっけね。最初の取材は、単一グレード徹底解剖学という連載で、3世代目のGT系を取り扱いました(Vol002・p44)。
初期のクラブレガシィで強く印象に残っている取材は3世代目D型の試乗会。大改良たる内容に取材であたふたした覚えがあります。その時の記事を掲載したクラブレガシィ(Vol003・p16)を眺めていたら、そこに、5世代目とレヴォーグのPGMの熊谷氏を発見。おっと、この時にお会いしていたんですね、忘れていました。ちなみにこの号(Vol003)の表紙の撮影は向後一宏氏ですが、撮影に立ちあったこともあって、好きな表紙のひとついだったりします。
クルマとして、自らのあれこれ含めて、衝撃的だったのはやはり4世代目でした。事前撮影会で訪れた栃木にあるスバルのテストコースは強い雨。で、初めて目にしたのが、アトランティックブルー・パールのTWで、天気が悪かったこともあって、垢抜けない印象を持ちました。特に、ヘッドランプユニット下部へとアクセントを与えた"目"の表情に、当時のオデッセィのヘッドランプが重なってしまい、なんだこれは? を覚え、原稿にも書いた記憶があります。すみません。
そんなデザインもすぐに納得できましたし、何よりもクルマとしての進化が素晴らしかったことを強く覚えています。そして、このタイミングから増田年男さん(4代目PGM)との付き合いを強く意識するようになりました。といっても、それは遅れてデビューした3.0Rの撮影会(写真二番目)から。ご自身も購入したという6気筒エンジンであってのことでしょうか、そこに表現したかった、されていたグランドツーリング性能に対する想いに、感銘を受けたというか、ショックを受けた覚えがあり、その時の会話や表情をよく覚えています。何よりも印象的だったのは、3.0Lエンジンのトピックだったスイッチャブルタペットをニコニコしながらポケットから取り出して、細かに解説していただいたことでしょうかね。その時に感じたことやら、雰囲気やらは、インタビュー(Vol012・p64)として文章にまとめていますが……、あ、読み返していたら、増田さんは、この3.0RからPGMになられたんですね。そうでしたか。
そして、レガシィに対して、チューニングベースという捉え方ではなく、そこに強く表現したというグランドツーリング性を読み取ろうというスタンスを持てるようになったのも、この時からでした。
ちなみに、自身は、この頃、BMWのムック本にて新車試乗記を書いており、自然とブランド性を意識するようになっていました。そうなんですね、当時のレガシィはそのブランド性を明確にするために、ストーリー作りを懸命にしていた頃であり、その過程にも"おもしろさ"がありました。そして、年次改良毎のトピックに驚かされ、また、記事にはできない裏話を訊き、レガシィから何かを読み取ろうとするスタンスもさらに深くなっていきました。
だからなんです、レガシィに対して、厳しい目を持ってしまうのは。そして、細かな"あと少し"が気になってしまう。ここさえクリアできていれば、ブランド性を語れるのに……と。そう、BMWに届くのに、ではなく、レガシィが目指しているグランドツーリング性能が皆により分かりやすく伝えられるのに……、と。
それが原稿に強く出ているのが、C型デビュー時の増田氏へのインタビュー(Vol022・p20)。翌年のD型(大改良モデル)がすでに動き出していたことを密かに知っていたとはいえ、そのまとめに「レガシィのブランド性に迷いが見える」なんて言葉を使っており、そのあまりにストレート過ぎる表現に反省しつつも、飾り気のない、そして冷たい言葉遣いに、むしろ、目を離すことなくしっかり見ているという、愛情を表現したつもり……、なんですか。ダメですかね。
#1072へ続く……。
編集後記にも書きましたが、付き合いは2号目(01年)から。フリーになりたての年で、って、確認したらフリーになったのは02年4月。つまり、最初の1年は会社として受けていましたっけね。最初の取材は、単一グレード徹底解剖学という連載で、3世代目のGT系を取り扱いました(Vol002・p44)。
初期のクラブレガシィで強く印象に残っている取材は3世代目D型の試乗会。大改良たる内容に取材であたふたした覚えがあります。その時の記事を掲載したクラブレガシィ(Vol003・p16)を眺めていたら、そこに、5世代目とレヴォーグのPGMの熊谷氏を発見。おっと、この時にお会いしていたんですね、忘れていました。ちなみにこの号(Vol003)の表紙の撮影は向後一宏氏ですが、撮影に立ちあったこともあって、好きな表紙のひとついだったりします。
クルマとして、自らのあれこれ含めて、衝撃的だったのはやはり4世代目でした。事前撮影会で訪れた栃木にあるスバルのテストコースは強い雨。で、初めて目にしたのが、アトランティックブルー・パールのTWで、天気が悪かったこともあって、垢抜けない印象を持ちました。特に、ヘッドランプユニット下部へとアクセントを与えた"目"の表情に、当時のオデッセィのヘッドランプが重なってしまい、なんだこれは? を覚え、原稿にも書いた記憶があります。すみません。
そんなデザインもすぐに納得できましたし、何よりもクルマとしての進化が素晴らしかったことを強く覚えています。そして、このタイミングから増田年男さん(4代目PGM)との付き合いを強く意識するようになりました。といっても、それは遅れてデビューした3.0Rの撮影会(写真二番目)から。ご自身も購入したという6気筒エンジンであってのことでしょうか、そこに表現したかった、されていたグランドツーリング性能に対する想いに、感銘を受けたというか、ショックを受けた覚えがあり、その時の会話や表情をよく覚えています。何よりも印象的だったのは、3.0Lエンジンのトピックだったスイッチャブルタペットをニコニコしながらポケットから取り出して、細かに解説していただいたことでしょうかね。その時に感じたことやら、雰囲気やらは、インタビュー(Vol012・p64)として文章にまとめていますが……、あ、読み返していたら、増田さんは、この3.0RからPGMになられたんですね。そうでしたか。
そして、レガシィに対して、チューニングベースという捉え方ではなく、そこに強く表現したというグランドツーリング性を読み取ろうというスタンスを持てるようになったのも、この時からでした。
ちなみに、自身は、この頃、BMWのムック本にて新車試乗記を書いており、自然とブランド性を意識するようになっていました。そうなんですね、当時のレガシィはそのブランド性を明確にするために、ストーリー作りを懸命にしていた頃であり、その過程にも"おもしろさ"がありました。そして、年次改良毎のトピックに驚かされ、また、記事にはできない裏話を訊き、レガシィから何かを読み取ろうとするスタンスもさらに深くなっていきました。
だからなんです、レガシィに対して、厳しい目を持ってしまうのは。そして、細かな"あと少し"が気になってしまう。ここさえクリアできていれば、ブランド性を語れるのに……と。そう、BMWに届くのに、ではなく、レガシィが目指しているグランドツーリング性能が皆により分かりやすく伝えられるのに……、と。
#1072へ続く……。