#706 知人たちのマメさぶりには感心しつつ、マメではない自分を振り返ってみた、話。

 連休が終わったら、急に年末感が出てきたような気がします。単純に、今年納品分の原稿が書き上がっただけなのかもしれませんし、今日、訪れた郵便局で、年賀状販売所があって、そこに人々が並んでいたからか、それとも、駅前でクリスマスケーキやらを盛大に売っていたからか、ま、わかりませんが、年末を感じています。
 で、帰宅してみたら、四国は高知より包みが届いていました。あ、この時期だからユズだなと思ったら、違った。パウンドケーキでした。ちなみに、ホームメイド。でも、焼いたのは、柔道とかやっていたような、おっさん。意外に繊細といいましょうか、細やかなようで。周囲にはなぜだか、こういうおっさんが多くてですね、連日、自宅の鍋をレポートしてくれるおっさんもいます。ちなみに、ヨシダは自炊派ですが、別に作るのは上手くありませんので。テキトーです。切り方から味付けまで、ほんとにテキトー。なので、彼らのレベルには到底届いていませんので、誤解なきよう。
 なんで、食の話へと持ち込んだかというと、先日、Eテレで放送していた「こころの時代」で、「食(じき)は禅なり」と題して、京都・妙心寺の塔頭東林院住職の西川玄房さんに、あれこれとインタビューしていたんですが、簡単にいうと、食というのは命のありがたさを実感することだそうで。……中略……、番組の構成はともかくとして、話としては、素材を味わうことの大切さやらがキーになっていたような気がします。そもそも、野菜にはクセがあって、そのクセが生命をいただいているというありがたみを実感できるものであり、精進料理の基本はそこにあるのだ、と。つまり、薄味には理由があるのだ、と。最近の野菜はね、って話にもなるんですが、さらに自分で作ることで、そのありがたみも増すものなんですよ、と。分かってはいましたが、こうしてあらためていわれると、なるほどなと、やっぱりなが交錯します。
 ここでも書いていますが、基本的に我が家は薄味です。というか、それが極端かもしれません。素材を生かすというよりっは、素材を食べるとでもいいましょうかね。だから、ヨシダの料理はテキトーであって、どうにかなるんです。つまり、素材に助けられているってことなんです。

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