#700 夕暮れに広がる豊かさと空港にあふれる想いに浸るのは愉しいって話。
やっぱり、緊張感がもたらすあれこれでしょうな。到着口から突然に放り出されるかのように出たものの、迎えはいったいどこにいるんだろうかと戸惑っている、あの姿がなんともいえず、とてもいい。これ、新幹線では改札口の向こうから互いを確認できてしまうがゆえに無理なこと。空港では互いを見つけられると、そこでおかえりとただいまやらが一瞬に交錯して、互いを自然と笑顔にしてくれます。そんな表情を見たくて、そんなシーンを愉しみたくて、わざわざに迎えに出かけますし、待たせるのではなく、こちらが待つようにしています。で、その待ち時間もとてもいい。と言いますか、そもそも空港という空間そのものに緊張感(#684参照)があって好きで、自らが飛び立つ時も含めて割と早めに行って、目の前を過ぎる人やら作業車やら飛行機やらを見ながら、あれこれと想いにふけるのが愉しい。妄想とは違う、過ぎゆく時に想いを馳せるとでも表現しておきましょうか。もちろん、俗っぽさがないところにて。
だから、見る人によって表現が違うわけですし、そもそも感じ方が異なる。だから、その印象も、心境によっても違うし、心持ちによっても異なってくる。それは、つまり豊かさを感じ取れるスタンスが、あるかないか、もてるかもてないか、もとうと思うか思わないかであり、キーはそこにあるわけです。
で、空港での見送り後に駐車場で豊かなグラデーションに出会ってシャッターを押したのですが……、とあれこれ振り返ってみると、停められなかったからたまたま屋上へ停めたことも、何か意味があったのかなって思ったりもします。
随分と、空港の話と離れましたが、実は離れていない気もしています。つまりね、豊かさとは、感じるだけではなくて、それを共有できることで増していくもの、ではないかと。だからでしょうか、今回の空港での見送りは、いつものモノ悲しさだけが残る見送りとは、ちょっと違っていました。それでもそそくさと空港を後にしましたが。