#666 食には、人が豊かになれるすべてのベースがある、って、大きな話。

 実は、というか、いつもなのですが、ここでは書き切れないほどに、八ヶ岳では豊かな時間を過ごしています。って、自分ひとりで過ごしているわけではないんですが、って、別にパートナーといるとか、そういう意味でもなくって。八ヶ岳ライフを愉しんでいるご夫妻とあれこれとご一緒させてもらっています。って、言葉にすると、すごくずぅずぅしいですな。ま、いいや。豊かなのライフスタイルを送っている方ゆえに、食事処もあれこれいいところをご存知であちこちと誘ってくださいます。で、今回は、日本料理を(画像はその一部)。
 過去と同じことを述べますが、食は、人が人として生きていくために、とても大切なことです。大事というより、大切。それは、人は有機化合物を作り出せない独立栄養生物だから食べないと云々……とか、そういう理科の話ではなくって。食には、人が豊かになれるすべてがあると思うのです。なんて偉そうに語っていますが、これは自分で考え出したものではありませんが。そもそも、食とは、人すべてに共通する話題のひとつですから、そこから会話が生まれるのはごく自然なことであり、コミュニケーションも簡単にできるものです。といっても、それは味をどうやって偉そうに表現するか、ではありません。食をベースにして、その時間をどう豊かに過ごせるかってこと。そのためには、食は美味しいことが理想ですし、愉しい仲間と一緒のほうがいいわけです。ということから、ひとり飯はできるだけ避けたい……、につながるわけです。

 またも、話が飛んできましたな。軌道修正しましょう、軌道修正。えっと、何が、言いたいのか。たまにですね、食べることが作業になってしまっている人を見かけるのですが、これ、とてももったいない、ほんとうにもったいないと、感じます。ゆっくり味わうこととは、結果的に食べるスピードを落とすことになるのかもしれませんが、その本意は速度とは違うところにあります。それは、場を愉しみ、会話を愉しみ、そして、理解を深め、知を得ること。なんか、違うか。とにかくですね、食べることはとても深くて、だから大切なことだと思うのです。
 知人を食事に誘うこともそうです。ひとりで食べるのがつまらないから、寂しいから誘うのではなく、食を通じて、一緒に豊かな時を過ごしたいから誘うのです。これは、一方的な押しつけたる食べさせたいとも違うニュアンスですな。というわけで、誘う時は、これでも懸命に考えています。ベストとは限りませんけど、ベターではあるつもりで、これでいいやなんてちっとも思っていません。また、話がぶれてきた。えっと。今回、誘っていただいた日本料理屋さんでは、それはそれは豊かな時間を過ごすことができました。それはやはり誘ってくださった方の想いがベースにあり、そして、食事が美味しく、そして、お店の方々も良かったから。そういう食に誘っていただけることに感謝しつつ。

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