#626 再び京都を訪れた理由は、京都だからではなく、京都だったから。

 なぜに京都再びだったかも書いておきましょうかね。って、最近から過去まで、訪れる場所のあれこれを思い出すと、その目的地に知人がいることがベースになっているような気がします。つまり、人に会いに行く。で、その人のセンスにまかせるがままに、地を紹介してもらって、場を愉しんでくると。ゆえに#593で書いた、ひとりご飯できないへとつながるわけですが、あれですね、できないというよりは、したくないと表現したほうが的確ですね。というわけで、ひとりご飯はしたくありません。
 で、話を戻して……、というわけで、京都でした。つまり、京都にいる知人を訪ねるために、京都を再びに訪れました、1か月ぶりに。今回は、ふたりと一頭を訪れました。ひとり目は、昔の同僚。出身は京都ですが、現在は東京住まいの女子。ただ、今、ご両親のことで京都に戻っているとか。そんな人に京都を紹介してもらったら、どうなんだろうと訊ねました。ら、早めに台風が来襲。比叡山まで上がってみれば、霧と風の中で、やがて下界も見えなくなり、客もおらず、まぁ、こんな比叡山もなかなか体験できませんから、これはこれで愉しかった。
 京都の人は、それぞれに地元に対する、それぞれの愛があって、それを訊きだしたり、それを案内してもらうことがとても愉しくあります。皆、異なるし、重ならない。だから、あれがしたい、これが食べたいと、リクエストしない、したくないわけですが。だから、いいんです、寒々しい比叡山であっても。
 もうひとりは、京都育ちではないがゆえの視点があって、そんな京都感もなかなか。そうなんですね、人とのコミュニケーションとは、やはり面と向かってこそ豊かにできるもので、音声だけでは伝わりきらないものですし、動画をもってしても伝えきれないことが多くあります。ましてやテキストだけでは。だから、クルマを走らせて、会いに行くわけです。だからこそ、クルマが必要なわけです。でも、クルマは単なる移動手段だけではなく、こういった会うことを愉しめる、そんな気分に見合った乗り味がなければなりません。その話は、次あたりに書きますが、ま、そういうことです。
 で、1頭。知人が飼っている柴犬ですが、ま、若いこともあって、愉しい。もちろん、相手は犬ですからコミュニケーションを取れるわけもなく。ただ、眺めてみるだけではありますが、そのとぼけぶりと、愛嬌ぶりは、飼い主とはまた違ったおもしろさがあります。ペットたる愉しさとでも言いましょうかね。ならば、自分で飼えと言われそうですが、他人のペットだからおもしろいわけで、自分のペットだとまた違うような気がします。そうなんです、世間に広がっている、あの愛玩たるスタンスは、あまり好きではないもので。

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