#608 素直になったから、素直に歌を詠み、素直に発表した、五行歌。

 今日は、五行歌の歌会がありました(参加してきました)。ちなみに歌会は、うたかいではなくて、かかいと読むそうです。そうそう、歌を読むではなく、歌を詠むですし。もう、そこからして難しいのですが、それでもだいぶ慣れたような気がしています。それでも、毎回、歌会はドキドキしているんですが。
 今回はいつもとは違う感じの歌(画像)を提出しました。実は少し前に作ったもので、わりとスラスラっとできたんですが、我に返って読み返した時に、なんて偽善者っぽい歌なんだと思って、お蔵入りにしていました。なんだか、狙いすぎで……。いい子チャンぶってると表現すると80年代っぽいですが、まさにそんな感じがありまして。ところが先日、いい加減に持ちネタも尽きたので、と、五行歌メモ帳をすべて眺めていたら、この歌を提出してもいいんじゃない、と思えるようになっていましてね。もはや、こっぱずかしさもないし、自分でいうのもなんだけどいい歌だと感じたし、何より、今、堂々とこの歌を提出できる自分が、なんだか誇らしげに感じ、そういう時機が来たことを実感したこともあって。
 自分を好きになりなさいとは、過去に人から言われて、はっとしつつ、そうなれるようにありたいものだと意識してきました。そういう観点からすると、今回、こういう歌を他人に見せられるようになったことは、恥ずかしくもあり、うれしくもありますな。
 まぁ、そんな自分の歌はさておき、この歌会は豊かな時間を過ごすことができる会で、最近のお気に入りのひとつとなっています。歌会といってもその場で歌を詠むのではなく、事前に提出した歌について皆で語るわけですが、そこではマイナスな意見が飛び交いません。それどころか、作者の意図とは異なる見方や、おもしろい、ためになる意見が交わされるので、表現することを職業としている者としても、人としても、とってもプラスになります。たとえば、原発の汚染水漏れをテーマにした歌もあったのですが、それに対して、許容量とは利益を追求する者が作った言葉であって、本来は安心度たるでなければならない、とか、幸せとは相対的な表現であって、その実態たる表現は幸せ感になるとか、そんな意見に、なるほど、ほぅ、そうか、へぇ、と、感心させられるばかり。いちばん、ズンと来たのは、もう、マスコミを信用しないって話でしたが、戦争中にいかにダマされたかを経験した者ですから、って、この発言は、もはやその時代を生きた人たちでなければ語れない言葉であり、まさに、ずっしりと重みがあり、ちょっとしたショックを受けたほど。
 というわけで、ここ最近のヨシダは、そんな歌会に参加していますので、あれやこれやと吸収して、とってもいい人になっていると思います、たぶん。とか書いていたら、ふっと思いました。やはり、比叡山へ行くべきなんでしょうか。で、お坊さんになる修行(比叡山とは関係ない話)をしてくるべきなんでしょうか。ふっと、そんなことを思いましたが。

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