#496 up!を愉しめるか否かは、ASGの受け取り方次第、って話。
まずは、あえてマイナス的な観点から眺めてみましょうか。渋滞のようなシーンでは、クラッチのつなぎ方も含めて、トルクの出し方が唐突な面があり、首都高の渋滞ではひとり(1台か)ギクシャク、尺取り虫のような動きをしておりました。そして、発進後のベタ踏み加速では、1→2速スイッチ時の間がかなりのロスになり、完璧に流れをリードしたいような乱暴な走り方ではストレスになります。あとは、住宅街などでの急な上り坂、かつ右左折といったシーンでは、クラッチのつなぎに間を感じ、唐突なトルクに驚くこともありました。
と、マイナスをピックアップしましたが、いずれもオートモードでの話。つまり、オートモードが完璧と考えなければ済む話なのかなとも思いました。つまり、マニュアルモードをベースだと考えるといいかと。もちろん、マニュアル車のようなクラッチペダルを利用した微妙な調整には叶いませんが、まぁ、そこはオートモードを得るためにはクラッチペダルレスとしたのだと、考えれば理解できるのではないかと。つまり、考え方次第。と、これはASGを肯定する人たちに共通した意見だと思います。
そこで不思議なのは、気にならない・気になるというレベルで評価がふたつに分かれ、気にしないという、妥協がないことです。…中略…、あれこれと考えましたが、たぶん、ASGを受け入れられる人とは、仕方ないねを語ることができ、他を認めつつ、それを自分なりに理解できる人ではないかと。つまり、それは自らを押しつけるのではなく、仕方ないねというニュアンスにより、相手を理解ができるか否か。こうじゃなきゃダメだ、ではなくて、そういう考え方“も”おもしろいねと、言えるかどうかではないでしょうか。
と考えると、ASGが合わないと感じた人に対して、何をどう説明しようとも、理解してもらうことができないワケも見えてきます。
で、さらに考えてみますと、up!そのものの価値が、実はASGを受け入れられる人向けに、仕立てられていることに気づきます。そんな視点からup!を眺めると、それを意図するかのように、VWはup!に対して、あれこれを表現しているような気がしてきます。あれやこれはチープだけど愉しさをデザインしたインテリア、質感はゴルフに届いていないけど、そこにVWらしさが感じ取れる走り、もちろん、ASGのフィーリングに対しても。とりあえず、受け入れてみて、理解し、納得できるならば愉しんでしまう、そんなスタンスがある人向けのモデルが、up!、なのですな。
つまり、スタートダッシュで先頭に立つことに意義を見いださず、加速感の途切れ(失速ではない)に緩さを感じること。そんなスタンスを愉しもうよと、up!は誘っているわけです。だから、価格だけで選ばないほうがいいですし、そこから先に価値を見い出した人は、満足感の高いモデルと言えますな。