#408 思い切れば思い切ったほどに、その後の充足感はすこぶる高くなる、ってな話。

 実ですね……というヨシダの意外話はたくさんあります。それは隠しているわけではなくて、自分から言わないだけのこと。言えないというよりは、あえて言わない。何でもかんでもひけらかすよりも、言わないというクールさを選んでいるとでもいいましょうかね。どうでもいい? ま、どうでもいいことなんですけど。
 さて、そんな意外話のひとつに、ピアノを奏でられるという“技”があります。これぞ、わずかの人にしか言ってない(と思う)。幼少の頃から高校生手前まで習っていましたので、それなりに聴かせられますが、一方では本格的ではなかったことから、今はこうして同じキーボードであっても、ライターとしてパソコンのキーボードを叩いていたりしますが。ま、誰かがもう少し本格的な道を示してくれていたら、違ったのかもしれないなと思うこともありますけど、実際には自らの才能のなさ、限界を感じていたというのが、ドロップアウトの主たる理由だったりもします。自分がいちばんよく分かっているもんなんです、こういうのって。その後は、鍵盤楽器つながりからシンセサイザーなる電子楽器に巡りあい、わずかな期間とはいえバンド活動やら、オリジナル作品作り、仲間とのCD制作やら、音漬けな青春を送っていました。当時はCDを焼くのだって業者に頼まなきゃなりませんでした(100枚制作で30万円だった)が、そこには緊張感に通じるような楽しさがあふれていたような気がしています。
 写真は、集めた楽器の中で今でも手放さずに持っているシンセサイザー。これ、トッププロ御用達のフラッグシップモデルで、定価はたしか42万円。大学2年生の時だったかに、バイトして買ったんですが、これこそ完全に身分不相応。知り合いだったプロから勧めで決意したんですが、当時は相当に迷った覚えはあります。“電子”楽器ですから時代とともに性能は劣っていくものですが、当時のデジタル製品にまだ今ほどの使い捨て的感覚はなく、結果として、長く使えていますから、今では思い切って投資して良かったと思っています。すごいな、20年前のパソコンを使っているようなもの、と考えると。
 こういった思い切って飛び込んだことは、後々の満足感が高く、そして今につながっていることが多いような気がします。後先考えないのではなく、深くを考えつつも、決断の時には後先考えような思い切りが必要とでも言いましょうか。それはテレビ局に手紙を出したこと、出版社に履歴書を送ったこと、フリーになったこと、不相応にも見知らぬ人たちの輪に入れてもらったこと、八ヶ岳に出入りするようになったこと、あれやこれやと。たぶん、失敗した飛び込みも多々あるでしょう、でも、そのいずれも覚えていません。日常に流されて、楽に浸り、今に狎れてしまうと、こういった思い切った行動に躊躇してしまうもの。そして、動かない自分に対して、なんだかんだと言い訳を並べてたててしまうものです。
 なんてことを、さきほど、このシンセサイザーをヘラヘラと弾いて感じました。そうそう、弾きながらも頭の中では指はきれいに動いているんですが、実際の指がついて行けぬというショッキングな事態に遭遇しました。それは、感覚を忘れた……ではなく、まさに衰えそのもの。これって、練習すれば戻るのかなと思いつつ、しばらく弾いていたら、少しは戻ってきましたから、意識的にリハビリをしなきゃいかんですな。

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