#406 いつのまにか生き苦しさを忘れて、都会(都内足立区)に馴染むアジアンタム。
今ではもはや定番を超えて、飽きられた感すらある観葉植物のアジアンタムですが、なんと近所の人工的に作られた小さな水路脇に自生していました。写真はいちばん分かりやすい株を撮影しましたが、場所によってはかなり繁殖してまして、しかも、あちこちに飛んでいます。最初は、誰かが植えたのかなと思ったのですが、何せ人工的に作られた石垣ゆえに、その隙間はコンクリートが流し込まれています。つまり、植える余地などないと。まぁ、シダ系なわけですから、条件さえ整えば簡単に繁殖しますが、それにしてもこんな水路で繁殖するか、といった感がありました。というのも、昔は珍しかったし、高かったし、何よりもそうとうに水管理、というよりも湿度管理が難しく、簡単に枯らすことができる観葉植物の代表格ですから、こうして簡単に生えているのを見て、なんとなく悔しさを感じました。いや、いくら枯らしたかわかりませんので。ふっと考えると、この手のシダ系観葉植物は、アジアンタムが安くなって広まるまでは、シダがスタンダードにありました。いつしか座を奪われていたんですな。
なんてことを語りつつ、ちょいと話は変わりますが、先日、ETV特集の再放送「花を奉る石牟礼道子」の中で、彼女が東京へ来た際に、「東京は、大地を生き埋めにして、その上にコンクリートが物量となって、大都会を作っている」と感じ、「建てられているビル群が近代の卒塔婆に見えた」と表現していました。だから、「東京に行くと息がしにくくなるし、大地にもっと呼吸をさせてあげたい」、とも。なるほど、なるほど。自分も東京では息がしにくいなとは感じていましたが、それが何故かはなんとなくは分かっていても、何なのかはわからないでいました。そもそも育った横浜も横浜駅が近くでしたから、まさに東京と似たような環境下にあったはず。つまり、最初から息苦しかったはずなのに、最近までそれを感じることなく、今、何故、息苦しいと感じるのか。まぁ、息苦しくない地を知ったからなのでしょうね。だから、自然の中に浸っているのが好きなのかもしれませんし、そう考えると、やはりクルマもSUVでなきゃいかんのだなと、思ったりして。と、話がとっちらかり始めましたので、このヘンで。
そうそう、息苦しいとは、まさに生き苦しさそのものなのかもしれません。都会に住んでいるとついつい忘れてしまうので、忘れないようにと、メモ。