#323 変わらぬ愉しさがあるからこそ、変わったことを楽しめる、八ヶ岳スタイル。

  今年のGWも八ヶ岳山麓にて過ごすことが出来ました。ただ、これまでとは異なり、今回は知り合い宅にお世話になったこともあって、朝から晩までがひたすらに濃かった。と振り返れば、愉しかったとまとめられるのですが、行くまでは気が重かった。毎年のことですが、秋が深まって八ヶ岳から引き上げて東京へ戻ってくると、それまでの愉しさとの落差に戸惑うかのように、積極的な行動を避けていたもので。
  で、八ヶ岳ですな。久しぶりに走る八ヶ岳までのアクセスルートは、ようやく春が訪れたところで、冬の厳しさを引きずってか、例年よりも春は遅く、桜がようやく満開を迎えたところ。でも、のんびりと飛ばすことなく走っているうちに、景色を見ているうちに、懐かしさに似た“変わっていない感”を覚え、それは到着した後も強く感じました。たとえば、小海町高原美術館併設のカフェ花豆では、口に入れたとたんにパーンと弾け、いつまでもそのままでいたい(つまりは飲み込みたくないってことですな)と思うような愛しさがあふれているご主人お手製のハム、そのベースにほんの少しの酸味を持ち合わせながら、鼻へとふんと抜けゆく果実的なほろやかな甘みとのバランスが絶品の域を越えているほうずきのデザート(右)も、変わっていなかった。もちろん、ホールでのご主人との愉しいコミュニケーションやら、厨房での奥さんのマジックといわんばかりの調理も、これまでと何も変わることはなく、まさにそのまんまでした。でも、そのスタイルやら表現方法は深くなっており、って、そういう変化も、また、相変わらずだったりして、そんなところにひと安心もしました。
  さらには、ヤツレンではソフトクリームとヨーグルトのハイバランスレベルを堪能し、八ヶ岳パイ工房ではまじめさこそが作品にストレートに作品に表現されることを再確認。そして、まだ芽吹き前の白樺を見つめ、まだ雪を残した八ヶ岳を眺め、カフェのお手伝いをし、いつものスーパーで品揃えとそのリーズナブルさに感激と、これまでと同じながら、これまで以上の愉しさを思い起こすと、八ヶ岳でなきゃならない理由のあれやこれやは、いずれもそのまんまであり、そういう意味合いからすれば何も変わっていなかった。まぁ、ここについては変化はなかったかな。って、変化はあまり期待していなかったりしますが。
  もちろん、発見やオドロカシといった面では、まさに新しいこともたくさんありました(自分にとっても含めて)。たとえば、カフェ花豆では「小海のおそうざいプレート」(右)が加わって大人気メニューとなり、野菜たっぷりカレーは950円へと値下げ。日本列島を嵐が襲った日には山の上では雪が降り、カフェ花豆周辺は落雷による停電となったり。また、この時期恒例のバルーンフェスティバルへ足を運べば、夜のイベントは雨のために中止で、その後に連れて行ってもらった街中の食堂が、雰囲気も味も値段もとても良かったりとか。と、日々に変化があふれていたのも、また、八ヶ岳ライフの魅力。特別に何かを意識せずしてもオドロキと発見が次から次へと湧き出してくるとでもいいましょうか。そして、それを素直に愉しんでいると、全てが回り出して好転していく様を感じます、というか思い出しました。この文章表現がすらすらと出て来ることもそのひとつかなと。
  人生を愉しくしていくためには、やっぱり、行動しないことには、何も動かせないし、動いていかない。って、毎年、この時期に言っていますな。いやはや。

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