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#1783 予想を遥かに上回るモデルへと進化していた、新型MINI カントリーマン S All4。やんちゃっぷりまで、質感を与えられていたんですよ、これが。

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 ぼちぼち、新型車ネタを復活させようかなと思いつつ、能登の現実が聞こえてくると、引き戻されそうになります。ま、出掛けなきゃいかんと思いつつ、クルマが納車されてからにするかなと、考えていたりもします。現実的に、仕事でドタバタしていますし。  ということで、最新型MINI Countrymanの紹介をば。個人的にものすごく注目しているモデルでしたが、まさか、カントリーマンとクーパーとエースマンと、バリエーションをここまで変えてくる、とは思わずでした。日本専用名であったクロスオーバーをカントリーマンに変えたほうがいいとは思っていましたが、実はエースマンというクロスオーバーモデルを追加するために、従来のクロスオーバーをカントリーマンへと追いやったというストーリーには天晴れ、いやいや、"お上手"を感じてしまったほど。こうして、毎回、なんらかのアクションを提案してくるMINIブランドですが、今回のエースマン追加は果たしてどう出るのか、見どころではありますな。  さて、借り出してきたMINI カントリーマン S All4は、150kW/300Nmを発生させる2.0Lガソリンターボエンジンを搭載したモデル。ま、その質感たるや、MINIというよりは、BMWのFFモデルのほうを強く感じさせ、走りでは、懐の深いサスペンションによって標準サイズである18インチタイヤをしっかりと抑え込み、素直さとクイックさをいいところでバランスさせたハンドリングフィールなど、さらには身体をしっかりとホールドするシートなど、至れりつくせり。そのキャビンは、このサイズにしては絞られた感がありますが、そもそも、全幅1845mmのボディサイズゆえに、そこにタイトを感じさせないところも、また、美点なのかな、と。  そして、いちばんビビりましたのは、エンジンフィール。これまで、クーパーSに搭載されてきたユニットは、ヤンチャっぷりをアドバンテージとしていましたが、そのあたりはいつしか追加されJohn Cooper Works(JCW)に持っていかれ、結果として、先代最終あたりでは、アッパーグレードというよりは、特に日本ではスタンダードかのような位置づけとなっていました。で、その新型のエンジンですが、なんとですね、2.0Lという排気量にゆとりを与えながら、低回転における発進加速を実に滑らかに、そしてなだ

#1782 オーストラリアだから赤が映えるのか、日本では映えないのか、でも、赤はすごくいいよね、と思った、ジムニー(シエラの5ドアバージョン)。

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 仕事でオーストラリアにおりました。その内容は、もうしばらくは話せないので、それ以外の話をば。ということで、ジムニー5ドアが結構走っておりましたって話をしようかと思います。あれですよ、あれ、日本でいうシエラの5ドアバージョンで、インドで生産されたモデル。日本への導入が渇望されるものの、導入を含めて、どうなるのかさっぱり分からないという、あのモデル。ただ、こうして市街地を走っている実車を目にすると、ストレッチされたといっても思ったほどにそのバランスは崩れていないし、サイズ感を含めて、ちょうどいいんじゃないか、と、感じさせるマジックがありました。ふーん、いいんじゃない? ってな、感じで。  ただ、ちょいと調べたところ、車両販売価格は5ドアで$40,000以上。今朝の為替レートが$1(以下au)=105円ですから、えっと、日本円にして420万円。ちなみにジムニーシエラ(以下ジムニー)3ドアのボトムグレードでも$34,990ですので、日本での販売価格には超リーズナブル感があります。そう考えると、3ドアは日本で生産できたとしても、5ドアはインドからの輸入になりますので、5ドアが日本で販売されたとしても、その販売価格は決して安くはないんだろうな、という妄想も沸いてきます。ただですね、ほか、オーストラリアで販売されているモデルの価格を調べてみると、たとえばトヨタ・ヤリスは$32,674であり、ジムニーの割高感は「それほど」強くはないことも見えてきます。ランチの価格が日本円で2000円を超えてしまう国と考えると、なおさらのこと。  それはさておき、不可思議に感じたのは、彼らがジムニーサイズ、つまり、いくら5ドアになろうともジムニーのキャビンスペースを認めて、選んでいるところ。そう、狭いとは感じないのだろうか、ということ。そういう観点からすると、5ドアが選ばれる理由は分かるのですが、3ドアもラインナップされており、意外にも選ばれていまして、ちょっと、驚きを覚えました。ま、ジープ・ラングラーとて2ドアを用意していることからも、需要があるんでしょうな。そんな妄想をしていると、ランドクルーザーにもショートボディがあったらいいのにな、とか、3ドアモデル好きとしては、あれこれと考えてしまいます。  あれこれと妄想していると、やっぱり、ジムニー5ドアを、ローンチできなかったスズキのスタンスに、い

#1781 この時期、恒例となった杏のジャム作りをいたしました、ってな、話。

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 この季節がやってきました。そう、梅雨時期の杏ジャム作り。砂糖の甘味に負けていない、杏独特の風味が、その酸味も相まって、すごくいい味わいを作り上げてくれています。10kg購入して作っていますが、これ、1年分ですので、まったく多くはありません。ありませんどころか、足りません。足りないので、一年の途中で、安価な果物を見つけると、それで代用しつつ、なんとか1年もたせます。昨年はどうなったかといえば、やはり杏を10kgを購入したものの、秋にはリンゴでかなりを代用して、なんとか、杏が到着する前日に使い切ったところ。  ちなみにですね、足りないと訴えるのに、どうして10kgに止めているのか、といえば、冷凍庫に入れておける限界ゆえのこと。もはやほかのモノが入らない状況ですので、限界を超えていまして、ほか、冷凍物を入れられなくなっています。もう、ワンサイズ大きい冷蔵庫を買っておけばよかったと、後悔しています。はい。  今年分は、昨夜宅配便で届いたので、新鮮なうちにと、タネを取り除いて砂糖に浸けて、ジャムにしましたが、杏そのものは状態があまり良くなく、段ボールの下のほうは売り物にならないような小粒なものが敷き詰められていました。そこに、姑息さを感じつつも、ま、ジャム用だから、致し方ないかな、と。1年経過すると忘れてしまうので、備忘録として残しておきましょうかね。

#1780 シングル用物件もくっついていた、分譲ファミリー向けマンションなちらし。

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 引っ越しといえば、賃貸ばかりではなく、分譲マンションでも買ったら、どうかね、というアドバイスをいただくこともあります。賃貸がいいのか、はたまた分譲マンションがいいのかは、よく分かりませんが、資金があるかどうかよりも、実のところ、自分にちょうどいい物件がない、というのが、分譲を選ばない理由のひとつとなっていました。入ってくるチラシにあるのは、ファミリータイプ。いかに広く、いかに部屋数が多いか、に、焦点があてられたものばかり。過去にそんなファミリー向け物件な賃貸を借りていたことがあったのですが、その広さをゆとりとして捉えていたつもりが、のちのちにゆとりというよりは広すぎと捉えるようになっていきました。その後、あちこち引っ越していくうちに、そんな広くなくてもいいという考えと、テレビを観ないという流れが相まって、今回は、部屋が分かれていなくてもいい、さらには広くない1部屋な物件へとたどり着きました。これ、これまでの物件の集大成いったところともいうことができると思います。  と、新居に移ったところで、早々と分譲マンションの宣伝チラシが入ってきました。また、どうせ、ファミリータイプだろ? 、だいたい、新築物件なのに早々に分譲のチラシってさぁ……、などと思ったら、そこには、一人暮らし用だけどちょっと広いタイプ(写真いちばん左)がありました。ほぅほぅと眺めていたら、そこそこのリビングはいいとして、部屋を分断すべく寝室用にドアが設けられており、その小部屋の広さは4.0畳。んー、区切るにしては狭すぎるし、でも、窓があるからいいかなぁ、と思いつつ見ていると、なんと、この物件だけ、ほかの2物件とは方位が逆。つまりは、北向きなバルコニーな物件でした。昨今は、北向きでもさして不人気ではないと聞いたこともありますから、これもイマドキの選択なのかなぁと思いつつ、価格をチェックしてみれば3000万円台。八王子駅から徒歩圏内とはいえ、あー、やっぱり無理だーを突き付けられたのでした。

#1779 突然に引っ越しをしました。狭くなりましたので、思いっきり断捨離しました。

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 引っ越しをしました。これまでは基本6年周期で動いてきたのですが、以前のところには10年以上住んでおり、これまでの最長記録となっていました。まぁ、いろんな意味で住みやすく、特に、それは自然の豊かさであったり、山梨、長野へと行きたいと思ったら即飛び出せる、そんな環境が、止まらせた理由。また、バルコニーからは高尾山が見えましたし、団地内のまったりとした雰囲気も嫌いではありませんでした。さらに、団地内に友人ができたりしたことも、引きとどめさせようとする、要因となっていました。では、なんで引っ越しをしたのか、それは自分でもよく分かりませんし、引っ越しの契約が決まるまでは、引っ越さなくってもいいかな、と思っていたところもありました。    今度の物件は、再びの新築です。ちなみに、以前の団地は歴史があり、借りていた部屋は、かなりなところまでリフォームが行われた物件でした。当初、自分の中では新築なつもりでしたが、住んでみると、ほぅほぅ、これは古いわ、と思えるところがたくさんあり、あれこれは書き連ねませんが、少なくともこの物件は買わなくてよかった、そう思ったこともありました。新しい物件は、家賃は変わらずとも狭くなりましたが、逆境をはねのけるといいますか、そこに自分を合わせてしまう性分もあって、ここに住まうために、あれやこれやと捨てまくりました。丁度、実家でも、大胆な断捨離を行っており、それに釣られたところもありますが、実際、それ以上に大胆な断捨離をしました。そうでないと、入り切りませんでしたから。 それはもう、ライフスタイルをがらっと変えてしまうほどのもので、まず、バルコニーでの家庭菜園を止めましたし、オブジェ的に飾ることに意義を求めていたCDやら本やらも、ばっさりと捨ててしました。あ、LDも。大胆に捨て去った(諦められた)のは、もう、いまさら振り返らなくていいし、振り返る必要もないし、つまりは、懐かしむ必要性もない、と、思ったから。それはまだ、ちょっと早いんじゃないか? というアドバイスもありましたが、一方で、40代前半の友人からは無駄が多すぎると指摘され、た、たしかに……、と思ったところもあり、実行に移しました。そう、自分にとって、引っ越すとは、一新する、リセットする、そんな意味合いがあったことを思い出したのでした。   と、捨てることが、今回の引っ越しの命題となっていまし

#1778 発信があったので、返答しました。そしたら、懐かしい! と、今のみんなの表情には疲れが出ている、と。奥能登な話。

 時間だけ経過し、何もしない自分にいらだち、気分的にクルマのことやら書く気が起こりません。起こらない時には放置でいいんでしょうけども、そうすると、毎月、最低でも1本上げていたルーティーンが崩れてしまうので、書きはじめてみました。みましたが、書きつつも、一時的に途切れてもいいのではないか、という気持ちも出てきました。  奥能登の知り合いな方にいくつか連絡をしました。あちらから発信があるのを待って。何を考えているのか、どうしようとしているのか、それが分からないと、なんとも声を掛けられないし。簡潔に、感情を入れぬように、メッセージしましたが、それとて正しかったかは分からない。分からないというよりも、離れた地でヌクヌクしている自分にいらだちが募るばかりといった感じのほうが強いかな。  そのメッセージに、昨年11月に出掛けた際にみなさんと撮った写真を付けました。送っていいのかどうか迷いましたが、送りました。そしたら、懐かしい! というニュアンスのことばとともに、みな、いま、この表情よりも疲れているかも、という返答がありました。そうなんです、半年経過していないんだけど、懐かしい、になってしまっていたんです。

#1777 支えるのも、寄りそうのも、あえて言葉にする、そのスタンスは好きじゃない。だから、奥能登に関しては、いままでと変わらぬ、スタンスでいます、ってな、話。

 能登のことは、自らで、何か具体的な活動を起こしてから語ることにします。現在の、現地のことを知ったつもりになっている者たちが、あーでもない、こーでもない、言っているだけの、外野からのスタンスに辟易としています。ネット情報を元に発信している者たちの「寄り添っている」感にも、うんざりとしています。そして、自らも、奥能登へと出掛けないで、東京にいて「眺めて」いるだけですから、同類です。でも、奥能登のことを忘れたわけではありませんし、能登半島とひと括りにして欲しくないことは、ここに記しておきます。  東日本大震災の1年半後に、被災地を訪れて紹介する企画に携わったことがあります。発災後、足を運ばなかった者としては、当時のままの風景は見当たらずだろうな、と勝手に思い込んでいました。しかし、出掛けてみれば、ガレキがまとめられているシーンを目にしてまだまだを感じ、手のつけようがなく放置されている景色に元に戻らぬ悲しさを覚え、復興を旗印に前を向いている人たちにこちらが勇気づけられ、もともと現地では誰しもが知っていた、でも、誰も触れようとしなかったことが浮き彫りになっていることを耳にして、足を運ばないと分からないことだらけで強くショックを受けた覚えがあります。  そして、現地の方々のダイレクトな声にショックもありました。撮影のために訪れた食事処にて、現地の方との雑談の中で、自らをあえて傍観者に仕立てて「今、なにを希望されますか?」的な質問をしたところ、「ここに来て、今を目にして欲しい。忘れないで欲しい。そして、お金を落として欲しい」、と、実直すぎる回答を受けました。そして、昨年11月末に奥能登を訪れた際、現地の方から「仕事をしていると気が紛れる」、と、そんな言葉が返ってきました。被災直後は再建のためにいろんなことやモノが必要でしょう。でも、ずっと生活は続いていきます。そこを支えるのも、つまり、忘れないでいることも、大切なこと。だから、自分は、いままでと変わらぬスタンスでいようと、思っています。